明創生の名将:徐達④
〇濠州を離れて、新たな旅立ち
1353年(至正13年)頃の安徽省濠州鍾離永豊郷――現在の安徽省鳳陽県にあたる――。紅巾軍の一員として郭子興の元で戦っていた朱元璋は、ある決断を下そうとしていました。彼のそばには、常にその才能と忠誠心を輝かせる徐達、そして湯和といった信頼できる仲間たちがいました。
郭子興の軍は、当初は民のために戦うという強い志を持っていましたが、次第にその様相を変えていました。郭子興自身が、手に入れた権力に溺れ、猜疑心――人を疑う気持ち――を募らせていたのです。彼は、自分の地位を脅かすかもしれないと少しでも感じた者には、容赦なく冷酷な仕打ちをしました。特に、才覚――優れた才能――があり、人望――人からの信頼――も厚い朱元璋に対しては、その監視を強めていました。
軍内部では、政争――政治的な争い――が頻繁に起こり、誰が味方で誰が敵なのか、判然としない状況になっていました。民を救うという大義は忘れ去られ、互いの足を引っ張り合う醜い争いが繰り広げられていたのです。
朱元璋は、そんな郭子興の姿勢と、軍の内部での争いに、心の底から嫌気が差していました。彼は、このままここにいても、真に民を救うことはできないと悟ったのです。彼の胸には、もっと大きな志が燃え盛っていました。それは、腐敗した元王朝を倒し、本当に民が安心して暮らせる新しい国を築くことでした。そのためには、この泥沼のような状況から抜け出し、自らの力で道を切り拓くしかありませんでした。
ある晩、星の瞬く静かな夜でした。朱元璋は、徐達と湯和を呼び出し、静かに、しかし決然とした声で語り始めました。
「徐達、湯和。お前たちも感じているだろう。この濠州では、これ以上、我々の志を成し遂げることはできない。郭子興殿の猜疑心は日に日に強くなり、軍の内部は政争に明け暮れている。これでは、民を救うどころか、無駄に兵を失うばかりだ」
徐達と湯和は、朱元璋の言葉に深く頷きました。彼らもまた、郭子興の現状には不満を抱いていました。
「ゆえに、私は決めた。この濠州を離れる。わずか数名の部下を連れて、新たな道を歩む。これより先は、どんな困難が待ち受けているかわからない。だが、私には、民を救うという譲れない志がある。お前たちに、私についてきてほしい。これまでも、そしてこれからも、お前たちの力が必要だ」
朱元璋の瞳には、一切の迷いがありませんでした。彼の言葉は、彼らの心に強く響きました。徐達は、迷うことなく答えました。
「朱元璋殿、私は、あなたの行く末にこそ、この世の光があると信じております。どんな困難が待ち受けていようとも、この徐達、命ある限り、あなたにお供いたします!」
湯和もまた、力強く頷きました。
「私もです、兄貴分! あなたが歩む道こそ、我らが進むべき道です!」
彼らの言葉に、朱元璋は静かに、しかし深く感動しました。彼は、彼らがどれほど自分を信頼し、共に戦う覚悟を決めているかを理解していました。この二人の存在が、朱元璋にとってどれほど心強いか、言葉にできないほどでした。
そして、1353年のある夜、朱元璋はわずか数名の信頼できる部下、徐達や湯和らを伴い、人目を忍んで濠州を後にしました。彼らは、暗闇の中、静かに濠州の城門を出て、新しい旅路へと足を踏み入れたのです。彼らの心には、不安よりも、むしろ清々(すがすが)しいほどの希望が満ち溢れていました。
濠州を離れるということは、それまでの安全な拠点――活動の中心となる場所――を失い、文字通り裸一貫――財産や頼るものが何もない状態――からの再出発を意味しました。しかし、彼らは恐れませんでした。朱元璋の揺るぎない志と、それを支える徐達や湯和といった信頼できる仲間たちの存在が、彼らの最大の武器だったのです。
この濠州離脱は、朱元璋の人生における大きな転換点となりました。彼は、この時初めて、誰の制約も受けずに、自らの理想を追求する自由を手に入れたのです。そして、徐達は、朱元璋の最も信頼できる腹心として、この新たな旅立ちを共にし、彼の天下統一という壮大な夢の実現に向けて、その持てる才能の全てを捧げていくことになるのです。
〇勢力拡大、天下統一への道
1354年(至正14年)、濠州を離れた朱元璋の一行は、新たな希望を胸に、安徽省の広大な大地を歩んでいました。徐達は、信頼する主君である朱元璋の隣に立ち、その強い意志を感じ取っていました。
わずか数名の部下を連れての旅立ちでしたが、朱元璋の知名度――世間に広く知られていること――と、彼が持つ類まれなリーダーシップは、あっという間に人々の心を惹きつけました。苦しむ民衆の間では、朱元璋が貧しい身から立ち上がり、民のために戦う正義の味方であるという噂が広まっていました。彼の元には、飢えや圧政に苦しむ農民、元王朝の支配に不満を持つ者たちが、続々と集まってきました。
「この方こそ、我々を救ってくれるお方だ!」
「朱元璋殿と共に、新しい世を築くのだ!」
人々は、希望に満ちた眼差しで朱元璋を見つめ、彼の呼びかけに応えました。兵は日増しに増え、わずか数ヶ月のうちに、彼の軍は数千、数万の規模へと膨れ上がっていったのです。徐達は、その光景を目の当たりにし、改めて朱元璋の器の大きさを実感していました。
朱元璋は、集まった兵士たちを厳しく、しかし温かく訓練しました。彼は、ただ力任せに戦うことを求めず、兵士一人ひとりの士気を高め、規律を重んじました。その軍は、寄せ集めの反乱軍とは一線を画し、まるで精鋭部隊のようなまとまりを見せるようになりました。
そして、朱元璋の軍は、本格的な勢力拡大へと乗り出します。彼らが最初に目指したのは、和州でした。和州は、長江に近い要衝――軍事上重要な地点――であり、ここを抑えることは、その後の進撃に不可欠でした。
徐達は、この和州攻めにおいても、その卓越した軍事的な才能を遺憾なく発揮しました。彼は、敵の防衛網を巧みに見抜き、奇襲や陽動を組み合わせた戦術を立案しました。朱元璋もまた、徐達の策を信頼し、その実行を全面的に任せました。結果は、朱元璋軍の勝利。和州は陥落し、朱元璋の勢力は、着実に拡大していきました。
和州の次に彼らが転戦――各地を巡って戦うこと――したのは、長江沿いの采石という場所でした。ここもまた、軍事上の重要拠点であり、元の勢力が強固に守っていました。しかし、朱元璋の軍は、一度手にした勢いをそのままに、采石の敵も打ち破りました。徐達は、この戦いでも先鋒として活躍し、兵士たちを鼓舞しながら、敵陣を深く切り崩していきました。
さらに、彼らは内陸部の定遠へと進撃しました。定遠は、補給路――食料や武器を運ぶ道――の確保に重要な拠点でした。ここでも、朱元璋と徐達の息の合った連携により、勝利を収めることができました。朱元璋は、単に武力に頼るだけでなく、兵站――軍の食料や武器の供給、兵士の輸送など、後方支援全般のこと――の重要性も理解しており、徐達もまた、その朱元璋の意図を汲み取って、最適な戦略を実行していきました。
転戦を重ねるたびに、朱元璋の軍は強くなり、その勢力はまるで雪だるま式に大きくなっていきました。各地で戦い、勝利を収めるたびに、より多くの人々が彼の元に集まり、彼の軍は単なる反乱軍ではなく、新しい国を築くための希望の光となっていったのです。
徐達は、常に朱元璋の最も信頼できる腹心として、彼のそばにいました。彼は、戦場でその指揮能力を発揮するだけでなく、朱元璋の悩みに耳を傾け、時には厳しい進言も行いました。二人の間には、深い信頼関係と、揺るぎない絆が築き上げられていました。
この年、朱元璋と徐達は、来るべき天下統一という壮大な夢の実現に向けて、その最初の大きな一歩を踏み出したのです。彼らの前に広がる道は、まだ長く、困難に満ちていましたが、彼らは決して諦めませんでした。
〇三地の戦、知恵と絆の勝利
1354年(至正14年)、濠州を離れた朱元璋の軍は、破竹の勢いで各地を転戦していました。その中心には、常に朱元璋を支える徐達と湯和の姿がありました。彼らは、戦いの合間を縫って、次に攻めるべき土地の特色や、そこでどのように戦うべきかについて、深く議論を交わしていました。
ある日の夜、簡素な幕舎――軍のテントのこと――の中で、三人は地図を広げていました。油灯のわずかな光が、彼らの真剣な顔を照らしています。
「さて、次はどの土地を攻めるか、そして、その土地の特性をどう生かすかだ」
朱元璋が口火を切りました。その言葉には、常に先を見据える彼の知性が滲み出ていました。
「まずは、和州だな」
湯和が、地図上の和州のあたりを指差しました。
「和州は、長江に近い要衝――軍事上重要な地点――です。水運――船を使った輸送――が盛んで、物資の集積地でもあります。そのため、元の勢力は、ここを厳重に守っています」
徐達が、和州の地理的な特徴について説明しました。彼は、戦の前に必ずその土地の情報を徹底的に調べていました。
「和州の兵士たちは、地元の水軍――船で戦う兵――と連携している可能性が高いでしょう。水辺での戦いは、彼らの方が慣れているかもしれません。陸戦に持ち込みたいところですが、水運を断つことも重要です。私たちは、奇襲や夜襲をかけ、相手が水軍を生かす前に決着をつけるべきです。また、和州の人々は、水の恩恵を受けて生活しています。彼らを味方につけるには、その生活を脅かさないことが肝要です」
徐達の言葉に、朱元璋は深く頷きました。彼は、単なる戦術だけでなく、その土地の人々の暮らしや心情にまで思いを馳せる徐達の視点に、いつも感心していました。
「次に、采石だ」
湯和が、別の場所を指差しました。
「采石は、和州よりもさらに長江に近く、険しい岩山が連なる地形です。ここは、まさに天然の要害――守りに適した、攻めにくい場所――と言えるでしょう。敵は、その地形を利用して、防衛を固めてくるはずです」
徐達は、采石での戦い方を頭の中でシミュレーションしていました。
「采石での戦い方は、和州とは全く異なります。地形が複雑なため、大軍を動かすのは難しいでしょう。小部隊に分かれ、ゲリラ戦――少人数で奇襲を仕掛ける戦い方――を展開するのが有効かもしれません。伏兵――隠れていて、不意に現れる兵――を配置し、敵を誘い込む手も考えられます。また、岩山が多いことから、採石――石を切り出すこと――が盛んな場所でもあります。もしかすると、その地の職人たちに、攻城兵器――城攻めに使う道具――の改良を手伝ってもらえるかもしれません。彼らの協力を得ることも、勝利への鍵となるでしょう」
朱元璋は、徐達の柔軟な発想に感銘を受けました。地形だけでなく、その土地の人々の特性や技術まで考慮に入れる彼の洞察力は、まさに天性のものだと感じていました。
「最後に、定遠だな」
朱元璋が、ゆっくりと地図の定遠のあたりをなぞりました。
「定遠は、内陸部に位置し、広々とした平原が広がっています。ここは、古くから農業が盛んで、食料の豊かな土地です。そのため、元の軍も、食料確保のためにここを重視しているでしょう」
徐達は、定遠の特性について説明しました。
「定遠での戦いは、まさに正面からの大規模な野戦――開けた場所での戦い――となるでしょう。騎兵――馬に乗って戦う兵――の運用が重要になります。我々の騎兵隊を最大限に生かし、敵の戦力を分断する戦術が有効です。また、定遠の人々は、勤勉で素朴な農民が多いです。彼らの生活を乱すことなく、むしろ保護し、彼らの協力を得ることが重要です。食料の供給源として、この地を確保できれば、我々の長期的な戦いに大きな利となるでしょう」
朱元璋は、徐達の言葉を聞き終えると、満足げに頷きました。
「徐達、お前の見立ては、いつも的確だ。お前がいれば、どんな困難な戦いも乗り越えられると確信している」
朱元璋の言葉に、徐達の顔には喜びの色が浮かびました。湯和もまた、感嘆の眼差しで徐達を見ていました。
「兄貴分のおかげです。そして、湯和殿の支えがあってこそです」
徐達は、常に謙虚で、決して自分の功績を誇ることはありませんでした。しかし、この三地の戦術会議を通して、朱元璋、徐達、湯和の三人の間の絆と信頼は、さらに深まっていきました。彼らは、それぞれの持ち味を最大限に生かし、互いに協力し合うことで、来るべき戦いを勝利へと導いていくこととなるのです。この知恵と絆の勝利こそが、朱元璋軍の強さの源でした。