明創生の名将:徐達②
〇誓いの主君、朱元璋の器量
1345年(至正5年)の安徽省濠州鍾離永豊郷――現在の安徽省鳳陽県にあたる――の村は、以前にも増して厳しい時代を迎えていました。元王朝の支配はますます乱れ、飢饉や疫病が人々の暮らしを脅かしていました。徐達は13歳。幼い頃から尊敬する兄貴分、朱元璋の動向を、いつも気にかけていました。
この頃の朱元璋は、幼い頃から地主の元で牛飼い(うしかい)をして生計を立てていました。しかし、いくら働いても報われず、飢えと貧しさは彼の日常でした。ある時、彼を含む数人の牛飼いの仲間たちは、ひどい飢えに苦しんでいました。あまりの空腹に耐えかねた彼らは、ついに禁断の行為に手を染めてしまいます。それは、地主が大切にしている牛を、こっそりと1頭殺してしまうことでした。
夜陰に紛れて行われたその行為は、彼らにとって死活問題でした。地主の牛を殺すなど、考えられないほどの重罪です。見つかれば、命を落とすか、それに近いほどの厳しい罰を受けることは明らかでした。牛の肉を分け合い、飢えをしのいだ仲間たちの間には、一時的な安堵と同時に、深い恐怖と不安が広がっていました。皆が皆、青ざめて恐れ、どうすればいいのか途方に暮れていました。
そんな混乱の最中、朱元璋は静かに、しかし力強く言いました。
「この牛を殺したことは、俺が責任を取る。皆は心配するな」
その言葉に、仲間たちは信じられないという目で朱元璋を見つめました。自分たちの命がかかっているのだ。そんな大役を、なぜ彼一人が背負おうとするのか。誰もがそう思ったことでしょう。しかし、朱元璋の表情には、少しの迷いもありませんでした。彼の瞳には、仲間を守ろうとする強い決意が宿っていました。
翌日、朱元璋は一人で地主の元へ向かいました。地主は、大切な牛が殺されたことを知ると、激しい怒りに震えました。彼は朱元璋を滅多打ち(めったうち)にしました。容赦ない棒や鞭が、朱元璋の身体に降り注ぎました。彼は痛みと苦しみに耐えながら、歯を食いしばり、決して仲間たちのことを口にしませんでした。ひたすら、自分がやったことだと主張し、罰を受け入れ続けました。
徐達は、後にこの話を聞き、全身に電流が走るような衝撃を受けました。彼は、その場で目撃したわけではありませんが、朱元璋がどれほどの苦痛に耐え、どれほどの覚悟を持って仲間を守り切ったかを想像し、胸が熱くなりました。地主に叩きのめされても、決して屈しないその姿、そして仲間を思いやる深い心に、徐達は改めて朱元璋という人間の器の大きさを感じたのです。
この出来事は、徐達にとって決定的な意味を持つものとなりました。彼は、朱元璋こそが、乱世の世を立て直し、民を救うことのできる真の主君であると確信しました。これまでの漠然とした尊敬の念は、確固たる忠誠心へと変わったのです。
「この方こそ、私が一生をかけて仕えるべきお方だ」
徐達は心の中でそう誓いました。彼は、朱元璋のような人物こそが、腐敗した元王朝を倒し、新しい国を築くことができると信じて疑いませんでした。朱元璋の仲間を思う強い心、そしてどんな困難にも立ち向かう勇気は、徐達の胸に深く刻み込まれ、彼自身の生き方の指針となっていきました。
この日から、徐達は朱元璋への忠誠を胸に、彼の行く末を、そして彼と共に歩む未来を強く意識するようになりました。彼らは、互いに強く信頼し合う絆を深め、やがて来るべき乱世の渦中に飛び込んでいくことになるのです。
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〇飢えの理由、朱元璋の教え
1345年(至正5年)頃、安徽省濠州鍾離永豊郷――現在の安徽省鳳陽県にあたる――の村は、深い疲弊の中にありました。飢饉は日ごとに深刻さを増し、人々はわずかな食べ物を求めて、疲れ果てた表情でうつむいていました。そんな中、徐達は13歳、湯和は16歳。彼らは、幼い頃から尊敬する兄貴分、朱元璋の元に集まっていました。
朱元璋は、いつものように穏やかながらも芯の通った声で、彼らに語りかけました。
「お前たちも、この村の様子を見てわかるだろう。なぜ、私たちはこれほどまでに飢え、苦しまなければならないのか。その理由を、私はお前たちに伝えたい」
彼の言葉に、徐達と湯和は真剣な眼差しを向けました。彼らは、目の前の苦境がなぜ起こっているのか、漠然とした不満は感じていましたが、その根本的な原因までは理解していませんでした。
「まず、私たちは今、元という王朝の支配下にある。元はモンゴル民族が建てた国で、かつては非常に強大だった。しかし、今の元の朝廷は、腐敗しきっている」
朱元璋は、ゆっくりと言葉を選びながら、説明を続けました。
「官僚たちは、自分の私腹を肥やすことばかり考えて、民のことなど顧みない。彼らは、私たち農民から重い税を取り立て、さらに様々(さまざま)な名目で金品を要求する。例えば、この土地で収穫される穀物の多くは、税として徴収されてしまう。その上、彼らは勝手に土地を横領したり、私たちの土地の収穫を奪ったりする。だから、いくら一生懸命働いても、私たちの手元には何も残らないのだ」
徐達は、これまで漠然と感じていた不公平感が、具体的な形を持って現れたことに、憤り(いきどおり)を感じました。湯和もまた、唇をきつく結び、その言葉に耳を傾けていました。
「さらに、元朝廷は、紙幣を濫発している。つまり、次から次へと紙幣を発行しすぎているのだ。これによって、物価がどんどん上がってしまう。例えば、これまで一文銭で買えたものが、二文、三文と値段が上がっていく。しかし、私たちの稼ぎは増えない。だから、同じお金を持っていても、買えるものがどんどん少なくなり、暮らしは苦しくなる一方なのだ」
朱元璋は、さらに顔を曇らせて続けました。
「そして、この数年、私たちの住む地域では、何度も天災が続いている。洪水や干ばつ(かんばつ)だ。これによって、作物が育たず、収穫が激減している。本来なら、朝廷が災害に見舞われた民を助け、食料を分け与えたり、税を軽くしたりすべきだ。しかし、今の朝廷は、そんなことには見向きもせず、むしろ民を苦しめるばかりだ。だから、私たちの飢えは、一層ひどくなるのだ」
朱元璋の言葉は、まるで霧が晴れるかのように、彼らの目の前の現実を鮮明に映し出しました。ただ貧しいのではなく、その貧しさには、明確な原因と、それを作り出している者がいることを、彼らは知ったのです。
「結局のところ、私たちを飢えさせているのは、腐敗した元の朝廷と、彼らに群る役人たちなのだ」
朱元璋の瞳には、怒りと同時に、深い悲しみが宿っていました。しかし、その悲しみは、決して諦めではなく、むしろ現状を変えようとする強い決意の表れでした。
「では、どうすれば良いのですか、兄貴?」
徐達は、思わず身を乗り出して尋ねました。彼の心の中には、この理不尽な状況を打ち破りたいという、強い衝動が湧き上がっていました。
朱元璋は、彼らを見つめ、静かに、しかし力強く答えました。
「私たちは、このまま黙って飢え死にすることはできない。声を上げなければならない。この腐敗した世を変えるために、立ち上がらなければならない時が来ているのだ」
彼の言葉は、徐達と湯和の心に、深く、深く刻み込まれました。自分たちの苦しみが、決して個人的なものではなく、この時代の社会全体の病巣にあることを理解した時、彼らの心には、漠然とした不満ではなく、明確な目標と、それを実現するための燃えるような情熱が宿りました。朱元璋の教えは、彼らにとって、単なる知識以上の意味を持つものでした。それは、彼らの人生を大きく変える、行動への呼び水となったのです。
この日から、徐達と湯和は、朱元璋の掲げる理想に共感し、彼の目指す新しい世のために、自らの全てを捧げる覚悟を決めたのでした。
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〇天の徳、新たなる名の誓い
1352年(至正12年)頃、中国全土は嵐の中にありました。元王朝の支配は名ばかりとなり、各地で民衆の反乱が勃発していました。安徽省濠州鍾離永豊郷――現在の安徽省鳳陽県にあたる――もまた、その波乱から逃れることはできませんでした。
徐達は、この時20歳。幼い頃から抱いていた、世を正し、民を救いたいという志は、日ごとにその炎を燃やしていました。彼はもはや、単なる若者ではありませんでした。その眼差しには、厳しい時代を見据える鋭さと、未来を切り拓く覚悟が宿っていました。
そんなある日のこと、徐達は長年の友である朱元璋と湯和と共に、静かに語り合っていました。彼らは幼い頃からの付き合いで、互いの夢や志を語り合い、苦しい時には支え合ってきた、かけがえのない仲間でした。朱元璋は、すでに民衆の信頼を集め、反乱軍の指導者としての頭角を現し始めていました。湯和もまた、朱元璋の片腕として、その才覚を発揮しつつありました。
「徐達、お前はいつから、自分の字を名乗り始めたのだ?」
湯和が、からかうような口調でそう尋ねました。字というのは、中国の成人男性が本名とは別に持つ、社会的な名前のことです。本名は親がつけるものですが、字は本人がつけるか、信頼する人から与えられることが多く、その人の人となりや志を表すものでした。
徐達は、少し照れたように微笑みながら答えました。
「最近のことだ。皆が天徳と呼んでくれる。私自身、この名が気に入っている」
彼の言葉に、朱元璋は深く頷きました。その瞳には、親愛と、そして信頼の光が宿っていました。
「天徳か……。良い名だ、徐達」
朱元璋は、ゆっくりと言葉を選びながら、その名の意味を語り始めました。
「『天の徳』。それは、天から授かった素晴らしい徳、そして人々を慈しむ大きな心を持つという意味だろう。徐達、お前はまさに、その名にふさわしい男だ。お前はいつも、誰よりも民の苦しみに心を寄せ、正しい道を歩もうとする。そして、決して驕らず、ひたむきに努力を続ける。その姿勢は、まさに天の徳を体現しているかのようだ」
朱元璋の言葉は、徐達の心の奥深くに染み渡りました。彼が自ら選んだ「天徳」という名に、朱元璋がこれほど深い意味を見出してくれたことに、徐達は深い感動を覚えました。
湯和もまた、朱元璋の言葉に同意しました。
「そうだ、私もそう思う。お前は、どんな時も冷静で、物事を公平に見ることができる。そして、皆が困っている時には、必ず手を差し伸べる優しさがある。戦場では勇猛果敢だが、普段は穏やかで思慮深い。そのバランスの取れた人柄は、誰もが認めるところだ。天徳という名は、お前を表すにこれ以上ない名だ」
二人の友からの言葉は、徐達にとって何よりの喜びでした。彼らが自分の選んだ名を褒めてくれたこと、そして、その名に込められた意味を理解し、自分の人となりを認めてくれたことに、徐達は改めて、彼らとの深い絆を感じました。
「ありがとう、二人とも。その言葉を胸に、私はこの乱世を生き抜いていくと誓う」
徐達は、決意を新たにするように、そう応えました。彼の心には、これから始まるであろう苦難の道のりへの覚悟と、それでもなお、民のために尽すという強い使命感が満ち溢れていました。
「天徳」という名は、徐達の人生において、単なる名前以上の意味を持つことになります。それは、彼が志した生き方、人々への慈愛、そして天から与えられた才能を象徴するものでした。この日から、徐達は「天徳」の名と共に、朱元璋の天下統一の夢を支える、かけがえのない存在として、その名を歴史に刻んでいくことになります。