表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/20

明創生の名将:徐達②

〇誓いの主君、朱元璋の器量


1345年(至正しせい5年)の安徽省あんきしょう濠州ごうしゅう鍾離しょうり永豊郷えいほうきょう――現在の安徽省鳳陽県ほうようけんにあたる――の村は、以前にも増して厳しい時代を迎えていました。げん王朝の支配はますます乱れ、飢饉ききん疫病えきびょうが人々の暮らしをおびやかしていました。徐達じょたつは13歳。幼い頃から尊敬する兄貴分あにきぶん朱元璋しゅげんしょうの動向を、いつも気にかけていました。


この頃の朱元璋は、幼い頃から地主じぬしの元で牛飼い(うしかい)をして生計せいけいを立てていました。しかし、いくら働いても報われず、飢えとまずしさは彼の日常でした。ある時、彼を含む数人の牛飼いの仲間たちは、ひどい飢えに苦しんでいました。あまりの空腹に耐えかねた彼らは、ついに禁断の行為に手をめてしまいます。それは、地主が大切にしている牛を、こっそりと1頭殺してしまうことでした。


夜陰やいんまぎれて行われたその行為は、彼らにとって死活問題しかつもんだいでした。地主の牛を殺すなど、考えられないほどの重罪じゅうざいです。見つかれば、命を落とすか、それに近いほどの厳しい罰を受けることは明らかでした。牛の肉を分け合い、飢えをしのいだ仲間たちの間には、一時的な安堵あんどと同時に、深い恐怖と不安が広がっていました。みなみな、青ざめて恐れ、どうすればいいのか途方とほうに暮れていました。


そんな混乱の最中さなか、朱元璋は静かに、しかし力強く言いました。


「この牛を殺したことは、俺が責任を取る。皆は心配するな」


その言葉に、仲間たちは信じられないという目で朱元璋を見つめました。自分たちの命がかかっているのだ。そんな大役を、なぜ彼一人が背負せおおうとするのか。誰もがそう思ったことでしょう。しかし、朱元璋の表情には、少しの迷いもありませんでした。彼の瞳には、仲間を守ろうとする強い決意が宿っていました。


翌日、朱元璋は一人で地主の元へ向かいました。地主は、大切な牛が殺されたことを知ると、激しい怒りに震えました。彼は朱元璋を滅多打ち(めったうち)にしました。容赦ようしゃない棒やむちが、朱元璋の身体に降りそそぎました。彼は痛みと苦しみに耐えながら、歯を食いしばり、決して仲間たちのことを口にしませんでした。ひたすら、自分がやったことだと主張し、罰を受け入れ続けました。


徐達は、後にこの話を聞き、全身に電流が走るような衝撃しょうげきを受けました。彼は、その場で目撃もくげきしたわけではありませんが、朱元璋がどれほどの苦痛に耐え、どれほどの覚悟を持って仲間を守り切ったかを想像し、胸が熱くなりました。地主にたたきのめされても、決してくっしないその姿、そして仲間を思いやる深い心に、徐達は改めて朱元璋という人間のうつわの大きさを感じたのです。


この出来事は、徐達にとって決定的な意味を持つものとなりました。彼は、朱元璋こそが、乱世らんせの世を立て直し、民を救うことのできる真の主君しゅくんであると確信しました。これまでの漠然ばくぜんとした尊敬の念は、確固かっこたる忠誠心ちゅうせいしんへと変わったのです。


「この方こそ、私が一生いっしょうをかけて仕えるべきお方だ」


徐達は心の中でそう誓いました。彼は、朱元璋のような人物こそが、腐敗した元王朝を倒し、新しい国を築くことができると信じて疑いませんでした。朱元璋の仲間を思う強い心、そしてどんな困難にも立ち向かう勇気は、徐達の胸に深く刻み込まれ、彼自身の生き方の指針ししんとなっていきました。


この日から、徐達は朱元璋への忠誠を胸に、彼の行く末を、そして彼と共に歩む未来を強く意識するようになりました。彼らは、互いに強く信頼し合うきずなを深め、やがて来るべき乱世の渦中かちゅうに飛びとびこんでいくことになるのです。


________________________________


〇飢えの理由、朱元璋の教え


1345年(至正しせい5年)頃、安徽省あんきしょう濠州ごうしゅう鍾離しょうり永豊郷えいほうきょう――現在の安徽省鳳陽県ほうようけんにあたる――の村は、深い疲弊ひへいの中にありました。飢饉ききんは日ごとに深刻しんこくさを増し、人々はわずかな食べ物を求めて、疲れ果てた表情でうつむいていました。そんな中、徐達じょたつは13歳、湯和とうわは16歳。彼らは、幼い頃から尊敬する兄貴分あにきぶん朱元璋しゅげんしょうの元に集まっていました。


朱元璋は、いつものようにおだやかながらもしんの通った声で、彼らに語りかけました。


「お前たちも、この村の様子を見てわかるだろう。なぜ、私たちはこれほどまでにえ、苦しまなければならないのか。その理由を、私はお前たちに伝えたい」


彼の言葉に、徐達と湯和は真剣な眼差まなざしを向けました。彼らは、目の前の苦境くきょうがなぜ起こっているのか、漠然ばくぜんとした不満は感じていましたが、その根本的な原因までは理解していませんでした。


「まず、私たちは今、げんという王朝の支配下にある。元はモンゴル民族が建てた国で、かつては非常に強大だった。しかし、今の元の朝廷ちょうていは、腐敗ふはいしきっている」


朱元璋は、ゆっくりと言葉を選びながら、説明を続けました。


官僚かんりょうたちは、自分の私腹しふくやすことばかり考えて、民のことなどかえりみない。彼らは、私たち農民から重い税を取り立て、さらに様々(さまざま)な名目めいもく金品きんぴんを要求する。例えば、この土地で収穫しゅうかくされる穀物こくもつの多くは、税として徴収ちょうしゅうされてしまう。その上、彼らは勝手に土地を横領おうりょうしたり、私たちの土地の収穫をうばったりする。だから、いくら一生懸命働いても、私たちの手元には何も残らないのだ」


徐達は、これまで漠然ばくぜんと感じていた不公平感ふこうへいかんが、具体的な形を持って現れたことに、憤り(いきどおり)を感じました。湯和もまた、くちびるをきつく結び、その言葉に耳をかたむけていました。


「さらに、元朝廷は、紙幣しへい濫発らんぱつしている。つまり、次から次へと紙幣を発行しすぎているのだ。これによって、物価ぶっかがどんどん上がってしまう。例えば、これまで一文銭いちもんせんで買えたものが、二文にもん三文さんもんと値段が上がっていく。しかし、私たちのかせぎは増えない。だから、同じお金を持っていても、買えるものがどんどん少なくなり、暮らしは苦しくなる一方なのだ」


朱元璋は、さらに顔をくもらせて続けました。


「そして、この数年、私たちの住む地域では、何度も天災てんさいが続いている。洪水こうずいや干ばつ(かんばつ)だ。これによって、作物さくもつが育たず、収穫が激減げきげんしている。本来なら、朝廷が災害に見舞われた民を助け、食料を分け与えたり、税を軽くしたりすべきだ。しかし、今の朝廷は、そんなことには見向きもせず、むしろ民を苦しめるばかりだ。だから、私たちの飢えは、一層いっそうひどくなるのだ」


朱元璋の言葉は、まるできりが晴れるかのように、彼らの目の前の現実を鮮明せんめいに映し出しました。ただ貧しいのではなく、その貧しさには、明確な原因と、それを作り出している者がいることを、彼らは知ったのです。


「結局のところ、私たちを飢えさせているのは、腐敗した元の朝廷と、彼らにむらがる役人たちなのだ」


朱元璋のひとみには、怒りと同時に、深い悲しみが宿っていました。しかし、その悲しみは、決してあきらめではなく、むしろ現状を変えようとする強い決意の表れでした。


「では、どうすれば良いのですか、兄貴?」


徐達は、思わず身を乗りのりだしてたずねました。彼の心の中には、この理不尽りふじんな状況を打ち破りたいという、強い衝動しょうどうき上がっていました。


朱元璋は、彼らを見つめ、静かに、しかし力強く答えました。


「私たちは、このままだまって飢えにすることはできない。こえを上げなければならない。この腐敗した世を変えるために、ち上がらなければならない時がているのだ」


彼の言葉は、徐達と湯和の心に、深く、深く刻み込まれました。自分たちの苦しみが、決して個人的なものではなく、この時代の社会全体の病巣びょうそうにあることを理解した時、彼らの心には、漠然ばくぜんとした不満ではなく、明確な目標と、それを実現するための燃えるような情熱が宿りました。朱元璋の教えは、彼らにとって、単なる知識以上の意味を持つものでした。それは、彼らの人生を大きく変える、行動への呼びよびみずとなったのです。


この日から、徐達と湯和は、朱元璋のかかげる理想に共感きょうかんし、彼の目指す新しい世のために、自らの全てをささげる覚悟を決めたのでした。


________________________________


〇天の徳、新たなる名の誓い


1352年(至正しせい12年)頃、中国全土はあらしの中にありました。げん王朝の支配はばかりとなり、各地で民衆みんしゅうの反乱が勃発ぼっぱつしていました。安徽省あんきしょう濠州ごうしゅう鍾離しょうり永豊郷えいほうきょう――現在の安徽省あんきしょう鳳陽県ほうようけんにあたる――もまた、その波乱はらんから逃れることはできませんでした。


徐達じょたつは、この時20歳。幼い頃から抱いていた、世を正し、民を救いたいという志は、日ごとにその炎を燃やしていました。彼はもはや、単なる若者ではありませんでした。その眼差まなざしには、厳しい時代を見据みすえるするどさと、未来を切りひらく覚悟が宿っていました。


そんなある日のこと、徐達は長年ながねんの友である朱元璋しゅげんしょう湯和とうわと共に、静かに語り合っていました。彼らは幼い頃からの付き合いで、互いの夢や志を語り合い、苦しい時には支え合ってきた、かけがえのない仲間でした。朱元璋は、すでに民衆の信頼を集め、反乱軍の指導者としての頭角とうかくを現し始めていました。湯和もまた、朱元璋の片腕かたうでとして、その才覚さいかく発揮はっきしつつありました。


「徐達、お前はいつから、自分のあざな名乗なのり始めたのだ?」


湯和が、からかうような口調でそうたずねました。あざなというのは、中国の成人男性が本名とは別に持つ、社会的な名前のことです。本名は親がつけるものですが、字は本人がつけるか、信頼する人から与えられることが多く、その人の人となりや志を表すものでした。


徐達は、少しれたように微笑ほほえみながら答えました。


「最近のことだ。皆が天徳てんとくと呼んでくれる。私自身、この名が気に入っている」


彼の言葉に、朱元璋は深くうなずきました。そのひとみには、親愛しんあいと、そして信頼の光が宿っていました。


「天徳か……。良い名だ、徐達」


朱元璋は、ゆっくりと言葉を選びながら、その名の意味を語り始めました。


「『天の徳』。それは、天からさずかった素晴らしい徳、そして人々をいつくしむ大きな心を持つという意味だろう。徐達、お前はまさに、その名にふさわしい男だ。お前はいつも、誰よりも民の苦しみに心を寄せ、正しい道を歩もうとする。そして、決しておごらず、ひたむきに努力を続ける。その姿勢しせいは、まさに天の徳を体現たいげんしているかのようだ」


朱元璋の言葉は、徐達の心の奥深おくふかくにわたりました。彼が自ら選んだ「天徳」という名に、朱元璋がこれほど深い意味を見出してくれたことに、徐達は深い感動を覚えました。


湯和もまた、朱元璋の言葉に同意どういしました。


「そうだ、私もそう思う。お前は、どんな時も冷静れいせいで、物事を公平こうへいに見ることができる。そして、皆が困っている時には、必ず手を差し伸べる優しさがある。戦場せんじょうでは勇猛果敢ゆうもうかかんだが、普段ふだんおだやかで思慮深しりょぶかい。そのバランスの取れた人柄は、誰もが認めるところだ。天徳という名は、お前を表すにこれ以上ない名だ」


二人の友からの言葉は、徐達にとって何よりの喜びでした。彼らが自分の選んだ名をめてくれたこと、そして、その名に込められた意味を理解し、自分の人となりを認めてくれたことに、徐達は改めて、彼らとの深いきずなを感じました。


「ありがとう、二人とも。その言葉を胸に、私はこの乱世らんせを生き抜いていくとちかう」


徐達は、決意を新たにするように、そうこたえました。彼の心には、これから始まるであろう苦難くなんの道のりへの覚悟と、それでもなお、民のためにつくすという強い使命感しめいかんが満ちあふれていました。


「天徳」という名は、徐達の人生において、単なる名前以上の意味を持つことになります。それは、彼が志した生き方、人々への慈愛じあい、そして天から与えられた才能を象徴しょうちょうするものでした。この日から、徐達は「天徳」の名と共に、朱元璋の天下統一の夢を支える、かけがえのない存在として、その名を歴史にきざんでいくことになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ