明創生の名将:徐達⑭
◯大都への道、北伐の誓い
1367年(至正27年)の旧暦10月、秋の深まりとともに、朱元璋の本拠地である応天府には、これまでにないほどの熱気が渦巻いていました。江南の地は、もはや朱元璋の手によって統一されました。残すは長きにわたり中国を支配してきた元朝政府の都、大都のみ。歴史の大きな転換点が、すぐそこまで来ていました。
この歴史的な瞬間に、主人公の徐達は、征虜大将軍という、元を討伐する軍の総司令官という最高の位に任じられました。彼の傍らには、盟友である常遇春が、副将軍として名を連ねていました。そして、彼らが率いるのは、実に25万という、まさに天下統一を成し遂げるにふさわしい大軍、北伐軍でした。
徐達は、朱元璋の命を受け、整然と並んだ25万の兵士たちの前へと進み出ました。彼の胸には、これまでの激戦を共にしてきた仲間たちの顔が、そして平和な世を築くという朱元璋の大いなる夢が去来していました。兵士たちの瞳は、勝利への期待と、故郷に残してきた家族への思いで輝いていました。
「者ども!聞くがいい!」
徐達の声は、広大な広場に響き渡りました。彼の声は、決して感情的になることなく、しかし揺るぎない決意に満ちていました。
「我らは今、天下統一の大業を成し遂げるため、北の地に向け、進軍を開始する!元朝政府は、その支配の中で民を苦しめ、この国を乱してきた。我々は、その苦しみから民を救い出し、真の平和をもたらすために立ち上がったのだ!」
兵士たちは、徐達の言葉に静かに耳を傾けていました。
「これは、単なる戦ではない。我らの先祖が築き上げてきた中華の栄光を取り戻し、新たな時代を切り開くための、聖戦である!」
徐達は、ゆっくりと刀の柄に手をかけました。
「我らは、江南の地を統一し、陳友諒と張士誠という強敵を打ち破ってきた。その経験と、鍛え上げた力をもってすれば、いかなる困難も乗り越えられるはずだ!皆の奮起に期待する!」
徐達の言葉が終わると、兵士たちの中から、地鳴りのような歓声が沸き上がりました。彼らの士気は最高潮に達し、その顔には勝利への強い確信が宿っていました。
出発の日、応天府の城門には、朱元璋が見送りに来ていました。朱元璋は、徐達と常遇春の肩を叩き、深く頷きました。彼の瞳には、二人の将軍への絶大な信頼が込められていました。
「徐達、常遇春。そなたたちに、この国の未来を託す。必ずや、大都を陥落させ、中華の地に平和をもたらしてくれ」
朱元璋の言葉に、徐達は深く頭を下げました。
「はっ、殿下!この徐達、命に代えても、必ずや大業を成し遂げてご覧に入れます!」
常遇春もまた、力強く頷きました。
「俺に任せておけば間違いありませんぜ、殿下!あの元朝の都を、必ずや殿下のものにしてご覧に入れます!」
こうして、徐達と常遇春を総大将と副将軍に据えた北伐軍25万は、朱元璋の期待を背負い、北の地、元朝の都である大都(現在の北京)へと向けて、進軍を開始しました。彼らの前には、広大な平原と、まだ見ぬ敵が待ち受けていました。しかし、彼らの心は、天下統一という大いなる目標に向かって、一点の曇りもありませんでした。秋の空の下、北伐軍の雄大な行進は、中華の歴史に新たな一ページを刻む、壮大な旅路の始まりを告げるかのようでした。
◯明朝建国、新たなる時代へ
1368年(洪武元年)の旧暦1月4日、応天府は、凍てつく冬の空気の中にも、新たな時代の息吹が満ちていました。長きにわたる戦乱の世を駆け抜けた朱元璋は、ついにこの日、民の期待を一身に背負い、皇帝へと即位しました。この瞬間、中華の歴史に新たな王朝、明朝が誕生し、その年号は「洪武」と定められました。
総大将の徐達は、征虜大将軍として北伐の総指揮を執る身ではありましたが、この歴史的な即位式には、主君の晴れ姿を見届けるべく、一時応天府へと戻っていました。荘厳な儀式の中、黄袍をまとった朱元璋が玉座に座ると、徐達の胸には万感の思いがこみ上げてきました。貧しい農民の出身であった朱元璋が、幾多の苦難を乗り越え、ついに天下の主となった姿は、まさに奇跡と呼ぶにふさわしいものでした。
その光景を目の当たりにしながら、徐達は、共に戦い抜いた日々を思い出していました。朱元璋と出会い、その才覚と人柄に惹かれ、共に泥にまみれ、血を流してきた日々。鄱陽湖の激戦、張士誠との攻防、そして今、北伐軍が元朝の都へと向かっていること。これら全ての道のりが、この日のためにあったのだと、彼は深く実感していました。
即位の儀式の後、新たな明朝の諸制度が次々と定められていきました。その中心で、ひときわ輝きを放っていたのが、天才軍師の劉基でした。彼はこの時、御史中丞という重要な役職に任命されました。御史中丞とは、国の不正を監視し、綱紀を粛正する、いわば監察の最高責任者です。同時に、彼は明朝の政治制度や法律の確立にも深く関与し、その知恵と経験を惜しみなく注ぎ込みました。
劉基は、戦乱の世に疲弊した民を救い、新しい国を盤石なものとするために、日夜、制度の整備に尽力しました。税制の改革、官僚の登用制度、そして教育制度の確立など、彼の知恵は、明朝の基礎を築く上で不可欠なものでした。徐達は、劉基が描く理想の国家像を理解し、彼を陰で支え続けました。武と文、異なる才能を持つ二人の協力が、新王朝の安定に大きく貢献したのです。
ある日のこと、徐達は劉基と静かに語り合っていました。
「劉先生、殿下はついに皇帝となられた。先生の知恵なくしては、この日は迎えられなかったでしょう」
徐達が心からの敬意を込めて言うと、劉基は静かに首を振りました。
「いえ、徐殿。殿下の天下を治めようとする強い意志と、徐殿をはじめとする将兵たちの命を懸けた戦いがあってこそです。この明朝が真に安定した国となるには、まだ多くの課題が残されています。私の役目は、その課題を一つ一つ解決し、殿下の理想とする国を築くこと。そして、徐殿の役目は、北の敵を掃討し、真の平和をもたらすことにあります」
劉基の言葉に、徐達は改めて決意を新たにしました。即位式を終えれば、再び北伐の戦場へと戻らなければなりません。江南の統一は達成されましたが、元朝の残党は未だ北に健在であり、彼らを完全に駆逐しなければ、真の天下統一とは言えませんでした。
徐達は、劉基の言葉に深く頷き、心の中で誓いました。 「ああ、劉先生。必ずや、この天下の乱を終わらせ、殿下と先生が望む平和な世をこの手に掴んでみせよう」
応天府に立ち込める春の気配は、明朝という新たな時代の始まりを告げていました。徐達は、新王朝の礎を築く劉基の姿に、そして自らがこれから成し遂げるべき大業に、静かな情熱を燃やしていました。皇帝となった朱元璋のもと、徐達と劉基、それぞれの才能が最大限に発揮され、中華の歴史は新たな章へと突入していくのでした。
◯大都陥落、覇者の帰還
1368年(洪武元年)の旧暦閏7月28日、夏も終わりに近づき、秋の気配が漂い始めた頃、中華の歴史に深く刻まれるであろう一日が訪れました。主人公の徐達が征虜大将軍として率いる北伐軍は、盟友常遇春と共に、ついに元朝の都、大都(現在の北京)を陥落させました。
徐達と常遇春が率いる25万の北伐軍は、江南を出発して以来、一路北へと進軍を続けていました。彼らは、劉基が練り上げた緻密な戦略と、日々の厳しい訓練で培った力を存分に発揮し、行く手を阻む元朝の軍勢を次々と打ち破っていきました。その進撃は、まるで怒涛の如く、元朝の支配体制を根底から揺るがしました。
大都への道中、幾度も激しい抵抗に遭いました。元朝の将軍たちは、必死に都を守ろうと戦いましたが、朱元璋のもとで鍛え抜かれた徐達と常遇春の軍勢は、もはや手が付けられない強さを持っていました。常遇春は、常に一番槍となって敵陣を切り開き、その剛勇は、兵士たちの士気をいやが上にも高めました。そして徐達は、その温和な人柄の奥に秘めた冷静な判断力と、卓越した指揮能力で、大軍を完璧に統率し、勝利へと導いていきました。
そして、ついに北伐軍は大都の城壁に迫りました。長きにわたり中国の都として栄え、元朝の権威を象徴してきたこの巨大な城を目の前にし、兵士たちの間には、興奮と高揚感が満ち溢れていました。
元順帝は、北伐軍の圧倒的な勢いの前に、もはや抵抗を諦めました。彼は、皇帝としての威厳を保つこともできず、わずかな側近と共に、夜陰に紛れて都を脱出し、遠く故郷であるモンゴル高原へと逃亡していきました。彼の逃亡は、元朝の中国支配が終わりを告げたことを、明確に示していました。
大都の城門が開かれ、徐達と常遇春が率いる北伐軍が、勝利の歓声と共に堂々と入城しました。街の人々は、長年の元朝の支配から解放されたことに喜び、新たな時代の到来を予感し、彼らを熱狂的に迎え入れました。徐達は、城の最深部にある玉座の間へと足を踏み入れました。そこには、空っぽの玉座と、元朝の栄華の跡が残るばかりでした。
この瞬間、徐達の胸に去来したのは、激しい戦いの記憶と、そしてようやくこの地に平和が訪れたことへの深い安堵でした。彼は、目の前の中華の全てが、朱元璋という一人の男の手に渡ったことを実感し、長きにわたる戦乱の世が、ついに終わりを告げたことを確信しました。
この大いなる功績により、徐達は、朱元璋から最高の栄誉を与えられました。彼は、明朝の太傅に任じられたのです。太傅とは、古来中国における「三公」と呼ばれる最高位の官職の一つで、皇帝を補佐し、国家の全てを統括する、まさに人臣の極みと言える地位でした。これは、徐達の武功はもちろんのこと、彼の忠誠心、そして人柄が、朱元璋に深く信頼されている証でした。
応天府に戻った徐達は、朱元璋の前に跪き、太傅の任命を受けました。彼の顔には、誇り高さと、そしてこれから始まる新しい国家の建設への、静かな決意が満ち溢れていました。
「徐達よ、そなたの功績は、この明朝の歴史に永遠に刻まれるであろう。よくぞ、この大都を陥落させ、中華の地に平和をもたらしてくれた」
朱元璋の言葉には、徐達への深い感謝と、絶対的な信頼が込められていました。
こうして、元朝の中国支配は完全に終わりを告げ、新たな明朝の時代が幕を開けました。徐達は、武将としての栄光の頂点に立ち、これからも明朝の安寧と繁栄のために尽力していくことになるでしょう。彼の功績は、中華の歴史において、決して忘れられることはないでしょう。
なお、長きにわたる中華文明の歴史において、南から起こった王朝が、北の王朝を倒したのは初めてにして唯一の出来事でした。中国の歴史では北部に興った強い北方騎馬民族が、南部の文弱の王朝を南下して倒す事が常だったのです。
徐達と常遇春が成し遂げた北伐の成功は、古代から現代までの唯一無二の功績として語り継がれています。