明創生の名将:徐達①
〇若き日の志、徐達の誕生
1332年(至順3年)のその年、安徽省の片隅にある濠州鍾離永豊郷、現在の安徽省鳳陽県にあたる小さな村に、ひとりの男の子が産声を上げました。彼の名は徐達。字を天徳といい、後に天下統一を成し遂げる明の時代を築き上げる、偉大な将軍となる人物です。
生まれたばかりの徐達は、他の赤子と何ら変わりない、か弱く小さな命でした。しかし、彼の瞳には、将来の困難を乗り越え、民を導く強い意志の光が宿っていたのかもしれません。当時の中国は、元という王朝が支配していました。元はモンゴル民族が建国した国で、広大な領土を誇っていましたが、その統治は次第に腐敗し、各地で民衆の不満が高まっていました。農民たちは重い税に苦しみ、飢餓に瀕する者も少なくありませんでした。そんな混沌とした時代に、徐達は生を受けたのです。
永豊郷は、豊かな自然に恵まれた場所でした。幼い徐達は、この地でのびのびと育ちました。清らかな小川のせせらぎに耳を傾け、広がる田畑の緑に目を凝らし、故郷の風景を目に焼き付けたことでしょう。少年時代の徐達は、ひときわ活発で、遊びを通して仲間たちとの絆を深めていきました。しかし、ただ遊ぶだけでなく、彼は常に周囲の状況に目を向け、人々の暮らしぶりを注意深く見ていました。
徐達の家は、決して裕福ではありませんでした。しかし、両親は彼に深い愛情を注ぎ、たくましく生きるための知恵と、人を思いやる心を教えてくれました。幼い頃から、彼は両親の手伝いを積極的に行い、家を支えることの大切さを肌で感じていました。質素な生活の中にも、家族の温かさが満ち溢れており、それが徐達の心の土台を築き上げたのです。
当時の農村では、読み書きを学ぶ機会は限られていました。しかし、徐達は勉学にも意欲的で、得られる知識を貪欲に吸収していきました。彼は、やがて来るであろう激動の時代を見据え、自らの力を高めることの重要性を理解していたのかもしれません。彼の心の中には、故郷の人々を、そして苦しむ民を救いたいという、漠然とした、しかし確かな思いが芽生え始めていたのです。
この頃の徐達は、まだ一介の若者に過ぎませんでした。しかし、彼の内には、後に中国の歴史を大きく動かすことになる、偉大な才能と志が秘められていました。彼が生まれ育ったこの永豊郷という場所は、まさに彼の人生の原点であり、将来の活躍の礎となったのです。
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〇故郷の温もり、母の語る永豊郷
1338年(至順6年)頃の安徽省濠州鍾離永豊郷――現在の安徽省鳳陽県にあたる、徐達の故郷、永豊郷は、豊かな自然に抱かれた美しい場所でした。この頃、まだ10歳に満たない徐達は、好奇心旺盛な目で故郷の全てを吸収しようとしていました。
ある晴れた日の午後、徐達は母親のそばに座り、日差しを浴びて輝く田園風景を眺めていました。彼の視線の先には、黄金色に波打つ麦畑がどこまでも広がっています。
「母上、この永豊郷は、本当に美しい場所ですね」
徐達がそう言うと、母親は優しく微笑み、彼の頭をそっと撫でました。
「ええ、そうよ。この土地は、私たちを育んでくれる大切な故郷なのだから」
母親はそう言って、ゆっくりと語り始めました。
「この永豊郷はね、水が豊かで、淮河という大きな川が近くを流れているのよ。だから、田んぼも畑も潤って、美味しいお米や麦がたくさん採れるの。人々は朝早くから日が暮れるまで、毎日この豊かな土地で汗を流しているわ。田植えの時期になると、村中が活気にあふれて、皆で歌を歌いながら作業をするのよ。収穫の喜びは、何物にも代えがたいものだわ」
徐達は目を輝かせて、母の話に聞き入ります。
「このあたりは、四季の移り変わりがはっきりしているのも特徴よ。春には桃の花が咲き乱れ、夏には青々とした稲穂が風に揺れる。秋には豊かな実りが感謝され、冬には白い雪が静かに降り積もる。それぞれの季節に、私たちなりの過ごし方があるの。」
母親は少し遠い目をして、さらに語り続けました。
「この土地の人々はね、とても素朴で、隣近所の助け合いを大切にしているの。困っている人がいれば、皆で手を差し伸べる。それが永豊郷の風習なのよ。お祭りがあれば、村中が一体となって準備をして、夜遅くまで賑やかに過ごすの。特に、春の社日や秋の重陽節は、大切な日とされているわ。社日は、土地の神様に豊作を願うお祭り(おまつり)で、皆でご馳走を持ち寄って祝うの。重陽節は、高い場所に登って景色を眺めたり、菊の花を愛でたりする日よ。長寿を願う意味もあるのよ」
徐達は、故郷の人々の温かさに触れるような気持ちになりました。
「そうそう、この永豊郷には、美味しい名物料理もたくさんあるのよ。一番有名なのは、やっぱり淮揚料理ね。これは、この淮河の流域で発展した料理のことで、淡白で上品な味が特徴なの。新鮮な魚介類や、この土地で採れた野菜をふんだんに使うのよ。例えば、軟兜長魚は、うなぎを使った料理で、とろりとした餡がかかっていて、ご飯によく合うのよ。あとは、清燉獅子頭という、大きな肉団子を煮込んだ料理も有名ね。お肉の旨みがぎゅっと詰まっていて、お祝いの席によく出されるわ。他にも、新鮮な野菜を使った炒め物や、素朴な麺料理もたくさんあるのよ」
母親の話を聞いていると、徐達のお腹がぐぅと鳴りました。母親はくすっと笑い、徐達の頭を再び優しく撫でました。
「さあ、お腹が空いたでしょう。今日は、あなたの好きな清燉獅子頭を作ってあげるわね」
母親の言葉に、徐達の顔がぱっと明るくなりました。故郷の豊かな自然、温かい人々、そして母の愛情がこもった料理。それら全てが、徐達の心にかけがえのない記憶として刻まれました。この永豊郷での日々が、後に彼が天下を治めるための、確かな土台となっていくのです。
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〇運命の出会い、朱元璋との絆
1340年(至正元年)の春、安徽省濠州鍾離永豊郷――現在の安徽省鳳陽県にあたる――の村は、穏やかな日差しに包まれていました。この頃、徐達は8歳。故郷の自然の中で、元気に駆け回る少年でした。彼の心には、故郷を愛する気持ちと、漠然とした将来への期待が満ち溢れていた。
ある日、徐達はいつものように村の裏手にある小川で、友人と魚捕りをして遊んでいました。その日の獲物は大漁で、二人は顔をほころばせながら、捕まえた魚を数えていました。その時、ひょっこりと現れたのが、後の明王朝の初代皇帝となる朱元璋でした。
当時の朱元璋は、まだ18歳。しかし、その眼光には、どこか並々ならぬ気迫が宿っていました。彼は貧しい農民の出身で、幼くして両親を亡くし、寺で小僧として働くなど、苦労を重ねてきた青年でした。徐達から見れば、年の離れた、頼りになる兄貴分のような存在でした。
「おや、ずいぶん大きな魚を捕ったな」
朱元璋は、屈託のない笑顔で徐達たちに声をかけました。彼の声は深く、どこか安心させる響があった。徐達は、初対面にも関わらず、不思議と彼に惹きつけられるのを感じました。
「ええ、今日は大漁なんです!」
徐達は得意げに桶の中の魚を見せた。朱元璋は、その魚を見ながら、ふと遠い目をして言いました。
「この魚が、腹いっぱい食べられたら、どんなに良いだろうな……」
その言葉には、ただ空腹を満たしたいというだけでなく、貧しい人々が満足に食べられない現状への、深い悲しみと怒りが込められているように、徐達には感じられました。当時の中国は、元という王朝が支配していましたが、政治は乱れ、飢饉や疫病が蔓延し、民衆の暮らしは困窮を極めていました。まさに、乱世――世の中が乱れ、争いが絶えない時代――の幕開けが、そこまで迫っていたのです。
朱元璋は、徐達の隣に座り、身の上話を少しだけ語ってくれました。厳しい生い立ち、そして民衆の苦しみを目の当たりにしてきた経験。彼の言葉の一つ一つが、徐達の幼い心に深く響いた。朱元璋の眼差しには、どんな困難にも負けない強い意志と、世の中を変えたいという熱い想いが宿っているように見えました。
「いつか、この世の中を、もっと良いものにしたい」
朱元璋がぽつりと呟いたその言葉は、徐達の胸にストンと落ちました。彼は朱元璋の言葉に、漠然と抱いていた故郷を、そして人々を救いたいという自身の思いと重なるものを感じました。
この出会い以来、徐達は朱元璋に強い憧れを抱くようになりました。彼は朱元璋の、どんな苦境にあっても諦めない粘り強さ、そして人に対する温かさに魅了されていきました。徐達は、朱元璋が村に来るたびに、彼の話に耳を傾け、彼の考えに触れることを何よりも楽しみにしていました。朱元璋もまた、幼いながらも聡明で、物事を深く考える徐達に、一目置いていたようでした。二人の間には、年齢を超えた強い絆が芽生え始めていた。
この運命的な出会いは、後の歴史を大きく動かすこととなります。朱元璋という稀有な人物との出会いが、徐達の人生の方向性を決定づけ、彼を後の明王朝建国の立役者へと導いていくこととなった。