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いち抜けた  作者: metta
3/3

3(終)

 

 亜子には幼い頃からずっと好きな人がいた。

 そしてその想い人には、別に好きな人がいた。


 相手は男で、自分にとっても幼馴染。そして想い人は自分の気持ちに気づいていなかった。ずっと見ていたからこそ、蚊帳の外だからこそ、亜子だけが気づいていたことだった。

 亜子から見た想い人――一希にとっての絶対的な一番は悠真で、亜子は単に女の中で一番だった。それだけのこと。一番の恋敵は土俵にすら上がっていなかった。もしかすれば、気付いていなかったのではなく、無意識のうちに上げないようにしていたのかもしれないが、正解は分からない。ただ、少なくとも、亜子が結婚を前提とした交際を申し込まれた頃は気付いていなかったように思う。

 だから一希がそれでいいのであれば、亜子もそれで満足しようとした。すればよかった。でも結局出来なかった。

 結婚してからも、亜子のもやは晴れることなかった。一希が亜子をおざなりにしたとか、悠真を優先していだたとか、そういった事実は一切ない。自分自身の心持ちの問題だった。

 けれど、心のもやはどんどん広がっていて、穏やかな日々に真綿で首を絞められているかのようだった。それでも自覚のない一希にそれを言うことも躊躇われた。気づかれてしまえば、亜子にとってはもちろん、誰にとってもいいことになるとは到底思えなかったからだ。

 そんな折に亜子は悠真に誘われた。

 悠真は亜子の心の隙のようなものには気づいていた。悠真のことは、友人として好きだった。それ以上でもそれ以下でもない。けれど、悠真は一希の一番だ。なのに亜子に愛を囁くのか。亜子が本当の意味で手にすることができない一番のくせに。

 自覚のない裏切者どもに意趣返しをしてやろうと魔が差した。自棄であり、自傷だった。そしてその結果分かったことは、単に二人は自分をを挟んだ両片思いだったということ。

 そして何のことはない。悠真は亜子がやろうとしていたことを、同じようにしただけであった。なのに、ことが発覚した後も、一希も悠真もお互い気付いていなくて、亜子だけが気付いていたことだった。

 亜子も馬鹿だが、悠真が馬鹿すぎる。好きな癖に何も見えていなくて、笑えなくて笑える話だった。どちらにも言うことはできず、言いたくもなかった。

 一希が怒るのは当然のことだが、その怒りは一体、何に対するものなのだろう。本当は亜子の裏切りに対して怒っているのではなく、亜子が悠真に手を出したことに怒っているのではないか。亜子もまた、自分のことは棚に上げて、二人に怒っていた。

 だから罰が当たったのだろうか。ひっそりと大揉めした直後、一希は倒れた。治らない病だった。

 医師の話を一緒に聞いた後一希は入院し、しばらくの間誰とも会うことはなかったが、悠真と会ったあと、一希は家に帰るよと、亜子を呼んだ。

 

 悠真とのことが知れた時は怒りと軽蔑を滲ませていたのに、久しぶりに会った一希はすっかり憑き物が落ちたかのように凪いでいた。

 一体何を話したのだろう。しかし亜子にそれを聞く資格はない。そう思っていたら。


「あいつ、俺のことが好きだから、亜子と寝たんだってさ」


 あっけらかんと言われ、面食らってしまう。


「……ようやく、気づいたのね」


 ああ、自覚しちゃったんだ。理解したと同時にそう零してしまった。すると一希はきょとんと目を丸くして、困ったように笑った。苦笑いではあるが、亜子がしばらく見ていなかった、一希らしい穏やかな笑いだった。


「まあ、俺達みんな、馬鹿だったってことだな」


 一希は達観したようにそう言って、ぴしゃりと締めてしまった。もっと話を聞きたかったが、食い下がる資格はない。


「亜子にはもう少しだけ付き合ってもらうよ」


「タイトなスケジュールの終活で申し訳ないけど」と言って一希は笑ったが、亜子は少しも笑えなかった。自分で嫉妬の火をつけ燃やしてしまおうと思ったのに、燃え尽きないで欲しいと今更後悔していた。

 

 家に戻った一希は、懐かしいと言いながら、休み休み部屋の整理を、自分の人生の片づけをしていた。結婚して二年ほどのはずなのに、一希と亜子は、酸いも甘いも経た老夫婦のような雰囲気になっていた。本当は時を重ねてそうなりたかったはずなのに、どう足掻いても元よりそうはなれなかったのだと、確かめるような最後の日々だった。

 結局何を話したのかは分からないままだが、悠真も普通に見舞いに来ていた。いつも最初はバツ悪そうだが、すぐによく見るやり取りに変わっていく。亜子と悠真のことはなかったかのように、元通り。互いの気持ちにも気づかなかったかのように、元通り。それでも終わりはすぐに近づいてきていた。

 

「あれをさ、悠真に入れて貰いたいんだ。あと、これも渡してほしい」

 

 起き上がることもままならなくなった一希がそう言って指さしたのは、悠真との思い出の品が詰まった紙袋だった。

 それをやったら、悠真はきっと。

 あぁ、連れていくと決めたのか。

 

 亜子は置いていかれて、悠真は連れていかれる。寂しい。けれどもう、不思議と。悔しいだとかそんな感情は、なかった。

 

 

 長い読経が終わり、また忙しない時間が始まる。

 短い結婚生活の最後の方は贖罪を兼ねたものだったので、弔問客に言われるような、できた妻でも不幸な妻でも何でもない。私達の何を誰が知っているのだろうという捻くれた心持ちを一生懸命隠し、亜子は一希の願いを叶えるために、喪主として立っていた。その他大勢はどうでもよかった。

 きちんと務めを果たしつつ、折々悠真に声を掛ける。一希と亜子と悠真が仲のいい幼馴染だったのは周知のこと。だからそれを疑問に思うものもいない。

 完全に蚊帳の外にしないのは、復讐なのか優しさなのか、今でもというより、今となってはもう分からない。ただ、亜子は決して赦されたいわけではなかった。一希の一番になりたかった。なれないのなら、自分じゃない一番を、死なばもろとも引きずり降ろしてやりたかった。空気や添え物にはなりたくなかった。けれどそれは叶わなかった。

 思い出の品を並べるたびに、悠真は移すともなしに心を映していくように、ぼんやりとしていた。位牌を持って車に乗り込みながら、あの様子では事故をしたりしないかと心配になる。まあ、そうなったらそうなったで構わない気もするが、まだひとつ、一希からの頼まれごとは済んでいない。だから事故るなよと思い直し、亜子は位牌をぎゅっと抱きしめた。

 一希を火の中に見送った後、広くて綺麗な火葬場は、一種の歓談の場となっていた。悲しみは嘘ではないが、所詮他人事。長丁場にもなればそれは続かない。亜子も今まではそうだった。義理の両親でさえ、長男を亡くして深く悲しんではいるものの、次男三男に慰められ、話し込んでいる。いくら妻とはいえ、一希のいない状態でそこに入ってはいきづらいし、亜子にはまだやることがある。

 ガジェットを分けたいタイプだった一希は、アナログの時計と少し古い型の音楽プレーヤーを愛用していて、それを悠真に渡してほしいと言っていた。何かメッセージでも期待したのだろう。悠真はすぐにイヤホンを耳に入れた。

 残念ながら、期待しているようなものではない。いや、ある意味期待通りかも。どっちなんだろう。ただ、それはもう亜子の手から離れたことで、知る由もないし、知る気もない。けれど、しばらく音楽に耳を傾けていた悠真が、ふいに涙を流した。きっと一希の望みは叶ったのだろう。

 

 これで正真正銘、亜子もお役御免。

 望んだものにはなれなかった、けれど。

 共犯者には、なれたのだ。

 そう思えば、それはそれで。悪くはないと、亜子はそんな風に思っていた。

 

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