自然な世界への回帰
「なるほどね、お前もいろいろ経験を積んだようじゃの」大作は久しぶりの休日のひと時をエミとコーヒーを飲んで過ごしていた。
「お父さん、科学って何?」、「確かにメガネもイヤリングも便利だったけど、それ以上に不便だったわ」エミは興奮気味に語っている。
「お父さんが科学者だったことは、隠していて悪かったけど、科学はすばらしいのじゃ」
「そんなこと言ってないわよ。お父さんのことじゃなくって、科学その物についてよ」エミは苛立ちを覚えていた。
「便利で快適って、いろんな物を使っているけど、それって、人間が横着になってくだけじゃん。そのうち、手も足もなくなって、頭だけの体になっちゃうかもよ」
「じゃ、なにか、お前は携帯電話やテレビもない、車も無いような生活に戻りたいのか?」
「そこまでは言ってないけど、限度ってものがあると思うのよ。今のままの生活を続けると、人間はずるくなるし、ニュースでは人間が溶けちゃうくらいの気温に上昇するとも言っているからさー」
「お前も、大人になったんじゃな。確かに、お前の言っていることにも一理ある」大作は昔のことを思い出しながら目を閉じた。
「こんな物が本当に必要なのかね?」参議院議員の鳥羽氏の鋭い指摘だった。
「これは家庭で家族と一緒に暮らし、快適な生活を提供してくれます」大作はPRに一生懸命だ。
RT009、開発ネーム『隼人』は120kgはある冷蔵庫を持ち上げ、歩き続けていた。周囲の報道陣からはフラッシュが焚かれている。
科学技術省の若きホープの大作は、新技術の詰まったロボットのお披露目会を開いていた。関係者からは一定の評価を得てはいるものの、一部の国会議員や科学進歩に対し慎重派の人々からは厳しい言葉を受けていた。
「おい、隼人、止まれ」大作は大声で叫んだ。
冷蔵庫を抱えたまま隼人は観客の方へ進んでいる。
「止まれ~」大作の指示とは裏腹に隼人は走り出した。
観客は大慌てで逃げ出しパニック状態だ。「止まってくれ~」
大作は目を開いた。
「そーだなエミ、お前の言う通りかもな。便利な物も使い方を間違がえると、不便な物、更には危険でやっかいな物になるのじゃな」
「そーだ、前に聞いたことがあった。今から100年程前の昭和30年代という時代だ」
「わしはそもそもその時代にあこがれ、宮崎の田舎生活を始めたのじゃった」
「エミ、宮崎へ帰ろうか?」
「その昭和30代って?」エミは聞いた。
「3種の神器。テレビ、冷蔵庫、自家用車といった家庭向け機器が普及し始めた時代じゃよ」、「高度成長時代のスタート地点であり、便利な生活が開花し始めた時代じゃな」大作は親父、爺ちゃんから伝え聞いた記憶を掘り起しながら語っている。
「なんだか懐かしい香りがする時代のことよね」エミが言う。
「そうじゃとも、その頃の生活へ戻ろう」、「宮崎にはまだその生活が残っているのじゃ」大作が言う。
「うん、帰ろう。私、そこまでして便利な生活を送りたいなんて思ってないもの」
こうしてエミはわずか半年余りで都会の生活に区切りをつけ、昭和30年代の生活空間の残っている宮崎県の山奥へ戻っていった。
(おわり)