始まった会社生活
「山田さーん、一緒に食事に行きましょう」エミが振り返ると3人の女性が立っていた。一人は朝のミーティングで自己紹介があった同じ課の北島さんだ。あとの2人は北島さんの友達かな。それにしても皆美人で素敵な人ばかりだな。
「はい、ありがとう。食堂があるのですね?」
「2階に社内食堂があるのよ。早く行かないと混んじゃうから」
4人はエレベータへ乗り込み2階の食堂へ。
「うわー、すごいメニューがいっぱい」と驚くエミ。
「ヘルシーコーナーもあるし、なんでも揃っているわよ」北島の友達が優しく微笑む。エミはトレーを持って3人に続き列に並んだ。
「へー、山田さんって宮崎から引っ越してきたんだぁ」北島の友達の石田が興味津々に語り掛ける。4人は自己紹介をしながら食事を楽しんでいた。
「私なんて東京産まれの東京育ちで、まったくもってつまんない生活よ」と石田はふてくされている。
都会の匂いがプンプンする石田は、ブルガリの時計がよく似合うお嬢様だ。優しくって皆いい人達だけど、一緒にやっていけるかなぁ とエミは少し不安になりつつあった。
午後の仕事開始のチャイムと共に、フロア全体が緊張ムードに包まれた。それもそのはず、今日は副社長の巡回日なのである。気難しさには天下一品の男ではあるが、ここ3年当社を引っ張り業界トップへ躍進させたのはこの男の手腕なのであった。
「では副社長の巡回に備え皆さん気を抜かないようにして下さい」フロアを仕切る業務部長が発した。
その直後、フロアのドアがゆっくり開き副社長の後藤が入ってきた。なんとも鋭い眼光でフロア全体を見渡し、そして営業部長のデスクへ向かう。
「霧島部長、どうかね? その後は」
「はい、その後と言いますと?」霧島は冷や汗をかいている。
「おいおい、この前伝えただろ。R905の不具合の件だよ」
「その件につきましては、調査チームを立ち上げる準備を進めています」
「そーかね。じゃよろしくお願いしますよ」
進捗の遅さに少し不満気な後藤であった。
「どーぞー、粗茶でございます」と横から声が。後藤が振り向くと、そこにはなんともスーツの似合わない自然児といった感じの女性が立っていた。
「山田さん、何をやっているのかね」慌てた霧島がエミを睨みつける。
「えっ、どーしたんですか? お茶を飲んで頂きたいだけです。このお茶はただのお茶じゃないのですよ。私の出身地である宮崎の新茶なのです」自慢げなエミの表情とは裏腹に、呆れ顔の霧島。
ずずずーっとお茶をすする音が。
「ほほー、新鮮な香りがするね」後藤はにんまりしながらエミを見た。
そして「なんとも珍しいタイプの人ですね」と後藤が呟く。
「今日入社した山田といいまして、宮崎から引っ越してきたようです」と霧島が告げる。「そーかね。まぁ頑張ってください」後藤は踵を返しフロアの扉へ足を向けた。そして大きく手を振り上げながら「懐かしい味がしたよ。ありがとう」と言いながら歩いていった。
しばらくすると、「さて、山田行くぞ」と先輩の月野から声を掛けられ、引っ張られるようにエミは初の顧客訪問に出掛けた。
「いいか、このお客様は当社を大変ごひいきにしてくれている重要顧客なのだ。くれぐれも失礼のないようにな」と厳しい口調。
「副社長へのお茶出し見ていたけど、まぁその度胸があれば大丈夫だろー」
「新人の山田です。可愛がってあげて下さい」月野が紹介する。ジロジロとエミを見ているのは取引先の調達課長である。
「御社を担当させて頂きますので、よろしくお願いします」エミが会釈すると、
「さっそくだが、新人さんに例のR903を追加発注しちゃおーかなぁ」と調達課長はニヤケ顔で告げてきた。
「お、さっそくありがとうございます」月野は頭を下げている。
「あっ、それ知ってまーす」エミが小学生のように手を上げた。
「R903、それはすなわち副社長が言っていた不具合の件ってやつですね」
「おい、何を言っているのだ」と月野は慌ててエミの口をふさぐ。
「月野さん、不具合ってなんですか? 説明をお願いします。納得いく説明を受けるまで御社との取引は停止にします」急に厳しい口調になった調達課長。
信頼関係がガラガラと崩れていく気配を月野は感じていた。
「山田、さっきのあれはなんだ。お客様の前で」
「すみません。そんな重要な事とは知らず」エミは意気消沈し肩を落として言った。
行きのあの楽しい会話とは逆転していた。
「そーだとも、R903は不具合が見つかり回収が必要なのだ。しかし、お客様に対してはバージョンアップと言って回収する計画なのだ」やり切れない悔しさの表情をした月野が告げた。