第9話 救出へ①
薄暗い洞窟の中、俺はぼんやりと天井を見上げていた。
岩肌には苔が張り付き、滴る水滴が静かに音を刻んでいる。
——どうして、こんなことになったんだ?
会社を勢いで辞めた俺は、再就職の当てもなく、ただ絶望していた。
そんな俺の前に現れたのは、銀髪の怪しげな少女。
彼女は俺を、暗闇の渦へと突き落とした。
気づけば、そこは見知らぬ村。
そして目の前には、狼のような巨大な化け物が牙を剥いていた。
化け物の爪が俺を貫く直前、男が間一髪で救い出してくれた。
だが、そこで意識は途切れ、気がついた時には、この洞窟の中にいた。
ここには、魔獣から避難した村人たちが、不安と絶望に震えながら、身を寄せ合っている。
——さて、こんな状況、誰が信じるだろう?
無理だね、誰も信じやしない。
俺自身、まだ現実として受け入れられていないんだから。
そして今度は、村人のヨハンたちと一緒に、逃げ遅れた老人や子供たちを救い出すことになった。
ことの発端は、洞窟の隅で村の女性——ミリアと話していた時だった。
そこへヨハンと、青い髪の男——確かザキという名だった——が現れ、俺に 「こっちに来てくれ」と洞窟の奥へと案内された。
そこには、ミリアが「ルチア」と教えてくれた女性もいた。
彼女は探るような目で、じっとこちらを見ている。
三人は、「ルーシャ様の祠」と呼んでいた場所の前で並んで座り、俺にも座るよう勧めた。
横には、俺を心配してついてきたミリアが並んで座った。
ヨハンは俺をじっと見つめ、おもむろに口を開いた。
「村の老人と子供たちが家に取り残されている。これから俺たち二人でその家まで行き、ここに連れてくるつもりだ。ただ、怪我をしている者もいるかもしれない。君にも手を貸してほしい」
ヨハンの言葉に続いて、ザキが口を開いた。
「家族がいる者を連れて行きたくないんだ。ここに残っている人たちが心配するだろうからな。みんな、もう十分怯えてる。それ以上、不安を煽りたくないってのが本音だ」
ザキは青い髪をかき上げ、ふっと笑った。
「お前……名前はなんだっけ?」
「トオルです。矢崎徹」
「そう。トオル! トオルは若くて力もありそうだから、ぜひ一緒に来てくれ。助けてほしいんだよ」と、にっこり微笑む。
——嘘だ。俺は若くもなし、力もない。
何か裏がある。営業10年の経験で感じる、この違和感……。
こういうタイミングで笑顔を見せる人間は、たいてい何か隠している
それでも無下に断る立場でもない。
俺は探るように尋ねた。
「外には魔獣がいるんじゃないですか?」
ヨハンが即座に答える。
「奴がいるのは洞窟の前だ。この洞窟の奥には細い抜け穴がある。その穴を抜ければ、丘の上に出られる。逃げ遅れた者がいる家は、崖に隠れて魔獣からは見えない場所にある。だから、気づかれずに行けるはずだ」
「でも兄さん、トオルさんはさっきまで気絶していたし、村のことも何も知らないんだよ。場所だって分からないのに……」
ミリアが俺をかばうように言う。しかし、ヨハンは厳しい視線を向け、彼女を黙らせる。
ミリアは口を閉じ、俺を一瞬見つめた後、力なく視線を落とした。
——これ以上ごねても、結果は変わらないだろう。
正直、俺のような「外れ者」を助ける価値はないはずだ。
それどころか、むしろ足手まといにしかならないだろう。
それでも、ヨハンたちは俺を誘った。
きっと、彼らなりの事情があるのだろう。
それに、ここで断れば、唯一俺に優しく接してくれたミリアに迷惑がかかる。
彼女は見ず知らずの俺に心を配り、親切にしてくれた。
そんな彼女を、これ以上困らせたくない。
「分かりました。役に立てるか分からないけど一緒に行きます」
そう言うと、三人はほっとした表情を浮かべた。
ただ、ミリアだけは心配そうに俺を見つめていた。
▽▽▽
ヨハンは、ルーシャ様の像が祀られている祭壇の前にひざまずき、両手を合わせて目を閉じ、深く頭を垂れた。
その後ろで、ミリア、ザキ、ルチアも同じようにひざまずき、胸の前で手を組み、静かに祈りを捧げる。
やがて、ヨハンは目を開け、祭壇の台座に置かれた剣に手を伸ばした。
約80センチほどのその剣は、古めかしいが、美しい装飾が施されている。
彼はそれを両手で持ち上げ、頭上に恭しく掲げた。
小声で何かを呟いた後、慎重に腰帯へ差し込む。
剣が腰に収まった瞬間、ヨハンは振り返り、力強く言った。。
「さあ、行こう!」
ザキは無言でうなずき、準備を整える。
ミリアは「兄さん、気をつけて」と言いながら、小さなヒモで括られた仄かに光る石を手渡した。
それは「灯りの石」と呼ばれるものらしい。
ミリアによれば、これもルーシャ様の加護を受けた貴重な品だという。
ヨハンはミリアの目をまっすぐ見つめ、力強く頷いた。
そして周囲の村人たちに向かい、声を張り上げる。
「ジルばあさんたちは大丈夫だ。必ず無事に連れて帰る。皆も心配だろうけれど、辛抱して待っていてくれ!」
村人たちは、小さく頷き合いながら、希望を託すようにヨハンを見つめていた。
その後、ミリアは俺にも"灯りの石"を手渡し、じっと見つめ、周りに聞こえないよう、小さな声で言ってきた。
「トオルさんは、ルーシャ様に遣わされた方です。だから、きっと大丈夫……でも、無理だけはしないでくださいね。危なくなったら、すぐに逃げてください」
俺は黙って頷いた。
そして、俺たち三人は洞窟の奥へと向かった。
奥へ進むと、壁にぽっかりと空いた小さな穴が現れる。
ヨハンはしゃがみ込み、先頭でその穴に体を滑り込ませた。
「さあ、行くぞ」
振り返ったヨハンの声に続き、俺とザキも腹ばいになり、狭い穴の中へと潜り込む。
人ひとりがやっと通れるほどの幅しかない穴の中を、ヨハンを先頭に進んでいく。
俺は、前方で微かに揺れる"灯りの石"の光だけを無心に追った。
三人の息遣いがやけに大きく聞こえる。
時折、後ろからザキが「もっと早く行けよ」と小声でぼやくが、俺は気にせず、ひたすらに匍匐前進を続けた。
夢中で動かしていた手足が悲鳴を上げはじめた頃、ようやく出口が見えてきた。
ヨハンは手で待つよう合図し、一人で穴から抜け出す。
周囲の安全を確認したのだろう。「大丈夫だ」と小声で囁くと、俺に手を差し伸べ、穴から引っ張り上げた。
そこは、背の高い木々が生い茂る森の中だった。
漂う草木の青臭い匂いが鼻を衝き、ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく。
頭上には、見たこともないほど大きな月が、木々の隙間から覗いていた。
ぼんやりとした月光が森を照らし、葉の間からこぼれた光が地面にまだら模様を描いていた。
「足元に気を付けろ」
ヨハンが振り返り、小声で注意を促すと、迷いのない足取りで森の中を進んでいく。
俺は彼の腰につけられた"灯りの石"を頼りに、必死でついていった。
奇妙なことに、虫の声も獣の鳴き声も全く聞こえない。
ただ、草が足元で擦れる音と、三人の呼吸だけがやけに響いていた。
しばらく走ると視界が開け、小高い丘にたどり着く。
ヨハンが足を止め、腰をかがめて目の前の光景を呆然と見つめていた。
そこには、所々で火の手が上がり、無残に荒らされた村が広がっている。
静けさの中、「パチパチ」と木々が燃え弾ける音が響いた。
すぐ横で、ザキが歯を食いしばり、低く唸る。
「クソッ……許さねぇ」
ヨハンは険しい表情で村を睨みつけると、短く指示を出した。
「急ごう」
その声を合図に、俺たちは丘の緩やかな斜面を選び、慎重に滑り下りていく。
俺は転ばないよう腰を落とし、地面に片手をつきながら進んだ。
斜面を降りきると、俺たちは腰を低くしたまま、辺りを警戒しながら村の中へと入った。
炎に照らされた村の影が揺れ、暗闇の中に生々しい光景を映し出している。
しばらく進むと、燃え盛る家々を背に、掘っ立て小屋のような建物が見えてきた。
木の板を無造作に貼り合わせた、今にも崩れそうな古びた小屋だ。
ヨハンはその小屋の前で立ち止まり、貼り付けただけの戸口をそっと押し開ける。
中に足を踏み入れると、暗闇の中、老婆と三人の子供が肩を寄せ合い、震えながら座っていた。
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