第71話 王城戦-2/2
「グレーシャさん!」
倒れた彼女のもとに馳走ろうとするが、黒光りした触手が伸びてくる。
『アカネ! 危ない!』
目の前を触手がかすめ、思わず後ずさる。
一歩下がった瞬間、足がもつれて腰から崩れ落ちた。
その間にも、打ち下ろされた触手が地面を据って迫る。
――ヤバい!
次の瞬間、眼前に丸太槍が突き刺さり、触手が絡みつくように身をよじる。
「早く立て!」
ロウさんの怒鳴り声が響く。
私は咄嗟に横へ転がり、その反動で手をつき、四つん這いの姿勢をとった。
視線の先——倒れたグレーシャさん。そのすぐ上では、トーリア様がくるくると旋回している。
ジョアンさんが双剣を振るい、その前に立ちはだかっているが、剣筋はすでに鈍り、押し込まれていた。
「嬢ちゃん! 例のやつ、いけるか!」
ロウさんの叫び声。その背後には、警備隊の面々が丸太槍を抱え、こちらへ駆けてくる。
「いけないけど……やるしかない!」
震える足に力を込め、私は奥歯を噛みしめながら立ち上がる。
柄に手を掛けると、手汗で滑りそうになるのをぐっと握り締めた。
「そのまま突き入れろ!」
ロウさんの指示が飛ぶ。
警備隊の面々が一斉に丸太槍を構え、スライムに向かって突き出した。
だが——
ジュウゥゥ……!
槍の穂先が粘液に触れた瞬間、白い煙が立ち上る。槍が音を立てて溶け、次々と崩れていく。
『あの粘液、腐食が強いみたい!』
ルーシャちゃんの声に焦りが滲む。
だからって、止めるわけにはいかない——!
「サクラ零式、抜刀!」
瞬間——柄を握る指先がじんわりと熱を帯びた。
鞘の中で眠っていた刀が、小さく脈動するように震える。まるで待ちわびていたかのように、刀身が私の気迫へと呼応する。
バチッ!
次の刹那、刃が鞘を離れると同時に青白い光が爆ぜた。
眩い光が雷のように迸り、火花を散らす。
雷光のように迸る輝きが周囲を照らし、辺りに光の粒子が舞う。
黒ずんだ粘液がゆらめき、その奥にある核の輪郭を覆い隠している。
ジョアンさんは双剣で触手を捌きながらも、じりじりと後退している。
その背後には、倒れたままのグレーシャさん。
このままじゃ間に合わない——!
「ルーシャちゃん! やるよ!!」
『分かった!』
サクラの刃が煌めき、蒼く揺らめく光の粒子が螺旋を描く。
青白い閃光が刀身を包み、辺りの闇を一瞬、切り裂くように輝いた。
今——!!
振りかぶった勢いのまま、一気に剣を振り下ろす。
——その刹那、視界の端で黒い影が跳ねた。
鋭く尖った触手が、真っ直ぐ目の前に伸びてくる。
——ヤバイ! 避けきれない!
その瞬間——誰かが私の腕を掴み、強引に引き倒した。
視界が激しく揺れ、背中が地面に打ちつけられる。
ズシャァッ!!
黒い触手が、髪の先をかすめるように通過し、そのまま背後の壁を突き破った。
石片が飛び散り、冷たい空気が肌を切るように流れ込む。
——助かった……?
だが、サクラの斬撃はスライムの体を半ば削ぎ落としたものの、核に届くには至らず、蒼白い光の残滓が宙に霧散していく。
仕留められなかった……!?
呼吸を整えながら振り向くと、そこには片腕を吊ったままのトムソン団長が、地面に倒れ込んでいた。
その顔には痛みに耐えるような険しい表情が浮かんでいる。
『危なかった……って、次が来る!』
叫ぶルーシャちゃん。
顔を上げると、視界いっぱいに広がる黒い影——
鋭い触手が、猛スピードでこちらに迫ってくる。
たとえ避けることができても、間違いなく背後のトムソン団長を貫く。
——ダメ、避けきれない!
鋭い触手が、視界を埋め尽くすほどの勢いで迫る。
奥歯をジリリと噛み締める。
思わず目を瞑る。
刹那、脳裏に駆け巡る光景。
グレーシャさん。
トーリア様。
ニアさん
ロウさん。
トムソンさん。
ルーシャちゃん。
——そして、先輩。
どこか懐かしく、温かな記憶。
それが、終わりを告げるように薄れていく。
——走馬灯?
私、ここで終わるの……?
その時——
ギィィンッ!!!
耳元で、甲高い衝撃音が炸裂した。
風が巻き起こり、頬を切る。
……何が、起きた?
恐る恐る、私は瞼を開いた——。
——そこには、金色の長い髪を風に揺らし、銀色の甲冑を纏った女性がいた。
彼女の佇まいは、まるで戦場に降り立った戦乙女のよう。
その手には、己の身の丈ほどもある巨大な大剣。
彼女は巨大な大剣を振り上げ、触手を受け止めている。
振り上げられた刃は、迫る触手とぶつかり合い、火花を散らしていた。
——受け止めてる!? あの攻撃を、真正面から!?
私は息を呑む。
黒い粘液が飛び散るが、彼女は微動だにしない。
むしろ、余裕すら感じさせる立ち姿。
そして——
一瞬だけ私の方を振り返り、青く透き通った瞳を細める。
「大丈夫ですか?」
戦場の喧騒とはかけ離れた、穏やかで澄んだ声。
その瞬間、張り詰めていた空気がふっと和らぎ、胸の奥に安堵が広がるのを感じた。
『アリーシア!』
ルーシャちゃんの叫びが響く。
——アリーシア……『閃光の魔物殺し』!?
思わず零れた私の言葉に、彼女は一瞬だけ目を見開く。
だが、それも束の間。すぐに鋭い眼差しを前方へと向けた。
「後ろへ下がっていてください」
落ち着いた声。けれど、その言葉には絶対の自信が宿っている。
彼女は身の丈ほどもある大剣を掲げ、静かに詠唱を始める。
「守護神たるトーリア、
我が願いに応え、ここに力を顕現せよ——
光の加護よ、今、我に力を!」
その言葉が響いた瞬間——
大剣が白く輝き始めた。
最初は淡く、それはまるで心臓の鼓動のように脈打ち、徐々に強さを増していく。
光はやがて剣の輪郭を超え、空間を染めるほどの輝きを放った。
その光の中で、彼女は小さく呟く。
「聖光閃刃」
瞬間。力強く一歩踏み込む。
同時に——
大剣が振り下ろされた。
——閃光が走る。
それは一筋の雷光のように、一瞬にして空間を貫いた。
光の剣が放つ斬撃が、一直線にスライムの巨体を裂いていく。
ギュエエェーーーーッ!!
スライムの悲鳴か、それとも剣が大気を裂いた音か——
見渡す限りの光。
白い輝きが視界を支配し、世界そのものが震えるような轟音が響く。
地面が揺れ、王宮の壁が軋む音が聞こえた。
そして、天高く残光が舞い上がる。
それはまるで、闇を裂く黄金の閃光のように——
最後に残ったのは、粘膜の塊と化したスライムの亡骸だった。
辺りには、焦げた粘液の匂いが漂い、地面には光の残滓が煌めいている。
戦いの爪痕が色濃く刻まれたその場で——
目の前の女性剣士は、大きく肩で息をついた。
そして、ふと振り返る。
ゆっくりと、青く透き通る瞳が私を捉えた。
彼女は、かすかに微笑むと、そっと手を差し出す。
「大丈夫ですか?」
凛とした声が、静まり返った空間に響く。
その瞳は優しく、どこか懐かしさすら感じさせた。
——アリーシア。
先輩と共に魔獣を討ち倒した、あの女性騎士。
私は言葉を失いながらも、こくりと頷く。
そして、彼女の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。
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