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第54話 魔法


「スライムは下水道の各所にある汚水桝で、浄化のために飼われています。だから、時々こうして桝からはみ出した“はぐれ”が、下水のあちこちにいるんです」


 グレーシャさんは私に説明しながら、先を照らした。


「大丈夫。攻撃性は低いので、怖がる必要はありませんよ」


 とは言っても、初めて見る異様な生物に、腰が引けてしまう。私は無意識にグレーシャさんの袖を掴み、背中に隠れた。


「スライムってモンスターですよね…?」

 おびえる私を見て、ロウさんがバカにしたように笑う。


「モンスター? こんなのモンスターとは言えないよ。襲って来ても大した事ねーし、汚物処理に役立つんだぜ!」

 ロウさんは笑いながら剣でスライムを刺し、水路に蹴り落とした。

「ホント、感謝状をあげてぇーくらいだ。寄ってきてもサッと水に流せるし、便利なもんだ」


 スライムの残骸がボチョンと音を立て、水に沈む。


 ——感謝と言う割に、扱いがひどい。

 しかも、ロウさん口調が悪くなってるし‥‥‥。


「しかし、水路から這い出しているのは珍しいですね……。ほら、あそこにも」


 グレーシャさんが松明を掲げ、先へとかざす。


 ぬるり……ぴちゃっ……

 薄暗い通路の奥、じわじわと蠢く影。


 光が当たるたびに、ねっとりとした粘膜の表面が鈍く光を反射する。

 どこか内臓を連想させるその姿に、背筋がぞっとする。


「確かに、ちょっと多いかもしれんが……何十匹、何百匹いようが、同じだ。ましてや王都が滅ぶほどじゃないだろ」


 ——そうは言っても、不気味なものは不気味なの!。


 ロウさんは薄ら笑いを浮かべながら、無造作に剣を突き立てる。


 ずるり……粘つく音。

 剣先に絡みついたスライムの体液が、糸を引く。


 ぐちゅっ


 突き刺されたスライムが鈍い音を立てて弾け、粘膜と体液が地面に広がった。


 ひぃーーーーーー! 無理無理無理!!


 そんな私たちのやり取りを見ていたトーリア様が、ポツリと呟いた。


『……もしかして、こいつらかも』


「こいつらって…。これが? 下水のスライムを魔獣襲来だと思ったってことですか?」

 ロウさんに聞こえないよう、小声でグレーシャさんがトーリア様を睨む。


『普通だったらそんなこと言わないって。でも、この数普通じゃなくない~』


 グレーシャさんは進路を照らしながら前方を見つめた。


 そこには、スライムが無数に蠢いている。

 その数は、見る間にどんどん増えていくようだった。


『ほらー、絶対おかしいよ。こんなにいるもん!』

 トーリア様が必死に訴えかけるが、グレーシャさんは無言のまま、じっとスライムの群れを見つめている。


 その横では、ロウさんが次々とスライムを処理していく。


「まさか、巫女様が言っていた魔獣の群れって、こいつらのことじゃないですよね?」

 ロウさんは皮肉めいた笑みを浮かべ、振り返る。


「いや、さすが女神様に仕える巫女は違うな。スライムでも魔獣は魔獣。汚れた生き物ってか」

 ロウさんが肩をすくめ、大袈裟にため息をつく。


 グレーシャさんはその言葉にまるで興味がないかのように、暗闇の奥に視線を向けたまま、静かに杖を掲げた。


「灯りよ」


 柔らかな光が杖先から広がり、松明では届かなかった暗闇を照らし出す。


 その先に見えたのは、通路の奥にある円形の広間。

 まるで巨大なプールのような空間で、底には汚水が溜まっていた。


 グレーシャさんが言っていた「汚水桝」という場所なのだろう。


 しかし、問題は広さでも形でもなかった。


 そこには、赤や緑のスライムがびっしりと張り付き、壁一面を蠢いていたのだ。


 スライムは絡み合いながら壁に吸い付き、ぬめり音を立ててゆっくりと動く。時折、粘つく体の一部が剥がれ、どろりと汚水へと落ちていく。


 私は息を呑み、思わず後ずさった。


 そこは、まるで生き物の内臓の中に迷い込んだかのようだった。

 壁一面に張り付いたスライムが、脈打つように蠢いている。

 視界のどこを見ても、粘つく塊が波打つように動き続けていた。


「うっ……」

 喉の奥から嗚咽が漏れ、慌てて口を押えた。


 ロウさんも、その異様な光景にさすがに動きを止めた。

「何だ、これ……」


 ——何だこれ…じゃないよ!

 

 心の中で突っ込みつつも、私はその場で震えるしかなかった。


「これは、ちょっとヤバいですね」

 グレーシャさんが低く呟く。


『でしょー? だから言ったのよー!』

 トーリア様が不満げに声を張る。


 ロウさんはすでに後ずさっていた。

 剣の柄を握りしめているが、その動きは戦う準備というより、明らかに逃げ腰だ。


『光は私がフォローするよ! ほら、明るくなったでしょ!』

 トーリア様が輝きを増し、周囲を照らす。


 その光が、さらに奥深くまで蠢くスライムの群れを浮かび上がらせた。


「ロウさんは、時間を稼いで。足元に這い寄る奴らをお願いします。私は……星に祈ります」


 グレーシャさんは冷静に指示を出すと、杖を高く掲げ、目を閉じて呪文のような言葉を唱え始めた。


 一方、ロウさんは剣を振るいながらスライムを次々と斬り裂いていたが、その動きはぎこちなく、焦りが滲んでいる。


 足元から次々と湧き出す粘液の塊に、彼の表情はみるみる青ざめていった。


「おいおい、これどうなってんだよ……!」

 焦燥の滲む声が、暗い下水道に響く。


 ——ヤバい、これ本当にまずいかも……。


 私はグレーシャさんの背中越しに状況を見つめ、胸の鼓動がどんどん速くなるのを感じた。


 その時——グレーシャさんの呟きが途切れた。


 杖を握る手に力が込められ、下水道に一瞬の静寂が訪れる。

 彼女はゆっくりと床を杖で「トン」と叩き、小さく唱えた。


「——星の光よ、悪しき穢れを凍らせよ。『フローズンステラー』」


 澄んだ鈴の音が下水道に響き渡った。

 その瞬間、張り詰めた空気が震え、空間が一変する。


 暗闇の中、無数の光の粒が星のように浮かび上がった。

 ふわりと舞い降りたそれらが地面に触れた途端、美しい氷の結晶へと変わる。


 冷気が波紋のように広がっていった——。 


「な、なんだこれ……」

 ロウさんが息を呑む。


 彼の視線の先で、赤や緑のスライムたちが光の粒に触れるたびに凍りつき、動きを止めていく。


 粘つく液体は瞬く間に氷の結晶に覆われ、彫刻のように静止したスライムたちが鎖のようにつながって輝いていた。


 冷気は壁一面へと広がる。

 赤や緑の蠢きが次々と凍りつき、壁を伝い落ちていたスライムの残骸すら、すべて沈黙した。


「す……すげぇ……!」

 ロウさんの声には、驚きと感動が入り混じっていた。


 私は、ただ立ち尽くし、その光景に目を奪われていた。


 ——きれい……。


 あの不気味だったスライムたちが消え去り、代わりに、淡く光を反射する氷の結晶が広がっている。


 汚れた下水道に突如現れた、美しい氷の世界。

 現実とは思えないほど、神秘的な光景だった。


「……見とれてる場合じゃないですね」

 グレーシャさんの冷静な声が響く。


 彼女は周囲を見渡しながら、杖を下ろした。

 杖先には、まだ微かに青白い光が残っている。


「これで一時的には安全ですが……このスライムたち、普通のものとは違いますね。妙に組織化されているように見えました」


『だよね! 普通じゃないって、私も思った!』

 トーリア様が同意しながら周囲を照らし続ける。


 ロウさんは深く息をつき、肩の力を抜いた。

 剣を鞘に収めると、少し安心したように呟く。


「あの数を一瞬で……。これが巫女の力か。驚いたよ」


「……まだ気を抜かないでください。これで終わりじゃない気がします」

 グレーシャさんは再び暗闇の奥へと視線を向けた。


 私も、その先を見る。


 氷に閉ざされたスライムの向こう——暗闇のさらに奥で、何かが動いた気がした。


「……まだ、次が来ます」



お読み頂きありがとうございます!

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何卒よろしくお願いいたします。


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