第5話 現状レビュー
俺は洞窟の隅に身を預け、壁にもたれていた。
薄暗い洞窟には冷たい空気が漂い、壁に触れると、ひんやりとした感触が指先に伝わる。
混乱していた気持ちも、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
ここに来てからの出来事を振り返る。
ずっと付き添ってくれていたのは、ミリア——皆からはミリーと呼ばれている。
年の頃は十八くらいだろうか。
華奢なスタイルで、長い髪を背中で束ねた姿は、素朴な服でも清潔感があった。
周囲を気遣い、笑顔を絶やさず声をかける彼女の存在は、不安がる人々の支えになっていた。
そして、この場のもう一人の中心人物——ミリアの兄、ヨハン。
ついさっき、化け物に襲われた俺を助けてくれた男だ。
彫りの深い顔立ちに、少年漫画の兄貴肌キャラのような雰囲気。
身長は俺と大差ないが、さっき掴まれた腕の感触は鋼のように硬かった。
今は洞窟の奥で、他の男たちと何やら話し合っている。
彼とは対照的なのが、俺に突っかかってきた青髪の青年——ザキ。
ヨハンが少年漫画の主人公なら、ザキは少女漫画のやんちゃ系イケメンといった感じだ。
ミリアによれば、彼はヨハンの幼馴染らしい。
俺の勘では、こいつは典型的なツンデレタイプに違いない。
立ち位置的にも、そんな雰囲気がプンプンする。
——そして。
ミリアの話が本当なら、やはり俺は異世界に来てしまったらしい。
ここはブルマル王国の最北に位置する小さな村、コリオリ。
さっき遭遇した化け物は、村の北に広がる「深欲の森」から現れた災厄の魔獣だという。
ミリアは、魔獣について丁寧に説明してくれた。
「災厄の魔獣は、四十年に一度、森の奥深くから現れると伝えられています」
一息つき、彼女は言葉を続ける。
「魔獣は三日三晩、村を荒らし、村人を食らい……四日目の朝に森へ帰る。そう言い伝えられています。本来なら、満月の夜――つまり五日後に現れるはずでした。それが……」
ミリアは俯き、一瞬言葉を詰まらせた。
「それが、こんな日中に現れるなんて……」
彼女は目を伏せ、両腕で肩を抱く。
「父は、満月の日に備えて王都の騎士団を呼びに行きました。でもまさか、こんなにも早く現れるなんて……」
声がか細くなる。
「騎士団は、いつ来てくれるんですか?」
「早くても明後日ですね。あまり早くに来てもらっても、この村では騎士団を賄えないですから」
「今まではどうしてたんですか? その……魔獣と戦わなかったんですか?」
「これまでは、この洞窟に隠れて、魔獣が去るのを待つしかありませんでした。でも、前回は腕に覚えのある村人たちが迎え撃とうとしたそうです。でも……」
ミリアはわずかに首を振る。
「やっぱり駄目だったみたいです。魔獣の毛は剣も通らないそうです」
「……戦った人たちは?」
「全員……」
ミリアは目を伏せた。
「だからこそ、今回は騎士様を呼ぼうと。去年から領主様にお願いしていたんです。それなのに……こんなに早く来るなんて……」
一瞬の沈黙の後、ミリアは顔を上げ、少しだけ笑みを作る。
「でも、大丈夫。きっとルーシャ様のお導きがあります」
そう言うと、彼女は立ち上がり、「水を持ってきますね」と洞窟の奥へ歩いて行った。
気丈に振る舞おうとする彼女の背には、灯りに照らされた黒い影が伸びていた。
▽▽▽
いい加減認めるしかないようだ。
ここは異世界。
そして、この村には四十年に一度、化け物が現れる。
すぐにでも逃げて、元の世界に戻る方法を見つけなきゃならない。
とはいえ、どうすれば戻れるのかは、さっぱりわからない。
——あの少女。ルーシャとかいう奴を見つけて聞くしかなさそうだが……。
そんなことを考えていると、足音が近づいてくるのに気づいた。
振り向くと、ミリアが両手に木のコップを持って戻ってきた。
彼女は微笑みながら、コップを差し出す。
「これ、ルーシャ様の泉から汲んだ水です。飲むと元気が出ますよ」
俺をこの世界に突き落とした奴の水ってのが、なんとも気になるが……。
喉も渇いていたので、ありがたく頂戴しておく。
——うん。ひんやりして旨い。
コップの水を一気に飲み干す俺を見て、ミリアはクスリと笑い、俺の横に腰を下ろした。
気になっていたことを訊ねる。
「さっき、ミリアさんが子供に手を当てた時、光がブワーって出てましたけど……」
「ああ、あれはルーシャ様から授かった加護の力なんです。私、これでも村の巫女なんですよ」
——誇らしげに話す彼女が、なんか可愛い。
「治癒の魔法が使えるんですか? もしかして『ヒール』?」
「ヒール?」
ミリアは小首をかしげる。
「その名前は知りませんが、あの力は『ルーシャ様の加護』と呼ばれ、瘴気を払うことができます。この洞窟の入り口にも張ってあるので、この中は安全ですよ」
——ルーシャ様ねぇ‥‥‥。
あの少女が女神様だなんて、到底思えない。
見た目こそ天使かもしれないが、俺にした仕打ちを考えると、どう考えても悪魔だ。
それにしても、俺をこの村に連れてきて、一体何をさせたかったのか。
「村のみんなを助けて!」って言ってたけど、あんな怪物を俺が倒せるわけがないだろう。
もしそれを望むのなら、チート能力を授けて送り出すのがテンプレだろ!
いや、むしろ異世界召喚するなら、最低限のマナーだろ!
例えばそう、ファイアーボール!とかウインドスラッシュ!とか、よくあるやつを使えるようにするとか‥‥‥
——いや待て!
もしかして既に、そんな能力を授かってたりして……。
俺は期待を胸に、小さく呟いてみた。
「ステータスオープン!」
…………。
——何も起きない。
続いて、
「ファイアーボール!」
「ファイアーアロー!」
「ファイヤーウォール!」
「フレアバースト!」
「ウインドスラッシュ!」
「エクスプロージョン!」
「インフェルノ!」
「ストーンバレット!」
「インベントリー!」
「アイテムボックス!」
……とにかく、それっぽい単語を次々と小声でつぶやいてみた。
…………。
——何かが起こる気配すらない。
起きたことと言えば、隣にいるミリアの心配そうな視線と、俺の胸に湧き上がる羞恥心だけだった。
——あのクソガキ、何してくれたんだよ!
これじゃ、まるで中二病をこじらせた中年オヤジじゃないか!
一人で悶える俺をよそに、ミリアはモジモジと体を震わせながら、恐る恐る質問してきた。
「トオルさんって、ルーシャ様に会ったんですよね?」
恥ずかしそうに地面に指でのの字を描きながら、ちらりと俺の顔をうかがう。
「会ったといえば会ったかな……」
そう答えた俺に、ぐいっと顔を寄せてくる。
「ど、どんなことを話されたんですか? それに、どんなお姿だったんですか?」
「いやー、それは……」と視線を外す俺に、さらにグイグイと迫ってくる。
瞳の奥にはキラキラと輝く星が見えた……気がした。
さっきの青髪のザキの様子からも分かるように、女神ルーシャに対する村の人の信仰は、狂信の類を感じる。
ましてやミリアは巫女だ。ルーシャへの思い入れは尋常じゃないだろう。
——ルーシャのことを正直に言うのは、さすがにマズいかも。
俺は言葉を濁しつつ、こめかみに指を当てて思い出すふりをする。
「もしかしたら、ルーシャ様じゃなかったかも……」
「そんなわけないです! あの像と同じご尊顔だったんですよね? あんなに美しいお方が他にいらっしゃるはずがありません!」
「いや、似ていたような……そうでもないような……」
「ルーシャ様に決まっています! トオル様をこの村の救世主としてお遣わしくださったんです!」
——救世主!?
「いやいや、俺じゃ意味なくない?」
「いいえ。トオル様はルーシャ様の使者!この村の救世主様にちがいありません!」
まずい、このままでは救世主にされてしまう。
‥‥‥ミリアさんの目が怖い。
俺はミリアの視線に圧倒され、どう返答するか悶々と考えていた。
そのとき、洞窟の奥から足音が聞こえてきた。
顔を上げると、ヨハンとザキがこちらに向かってくるのが見えた。
「ちょっといいかな。二人ともこっちに来てくれ。」
——俺は、この時まだ、本当の意味で『異世界にいる』ことを理解していなかった。
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