第47話 お告げ
雨音が聞こえた。
気がつくと、窓を伝う雨粒が目に入った。
昨晩は気づかぬうちにベッドに倒れ込み、そのまま眠っていた。
外はまだ薄暗く、微かな雨音が静寂の中に溶け込んでいる。
その静けさが胸に染みて、思わず枕に顔をうずめた。
——目が覚めても、やっぱり世界は変わってないな。
昨日の出来事は、あまりにも現実離れしていた。
だから、もしかしたら目が覚めたら元の世界に戻っているのでは、という期待がどこかにあった。
でも、この非現実は、やはり現実だった。
「どうしたらいいの……」
つぶやいた声は、雨音にかき消された。
ふと、元の世界にいる家族や友達の顔が浮かび、胸の辺りがぎゅっと痛む。
その瞬間——
コン、コン。
扉をノックする音。
「アカネさん。朝です! 起きてください」
扉の向こうから、囁くような声が聞こえた。
グレーシャさんだ!
「はい、起きてます!」
慌てて返事をして、ベッドから飛び起きる。
「グレーシャです。入りますよー」
扉が開き、昨日と変わらぬ笑顔のグレーシャさんが現れた。
その姿を見た瞬間、改めて思い知らされる。
——これは夢じゃない。
でも、彼女の無邪気な笑顔が、不思議と緊張を和らげてくれた。
「昨日はそのまま寝ちゃったんですね。じゃあ、着替えをもって、一緒に禊に行きましょう!」
「……禊、ですか?」
「はい。まあ、朝風呂とも言います」
軽い口調で言いながら、グレーシャさんは白い服を手渡してくる。
それを抱え、彼女のあとを追いながら、まだ薄暗い廊下を歩いていく。
肌寒い空気がひんやりと漂い、足音だけが静かに響いていた。
やがて、明かりの灯る階段を下り、大きな踊り場を抜けて、一枚の扉の前に立つ。
扉を開くと——
青い光が揺らめく、幻想的な空間が広がっていた。
中央には円形の浴槽があり、湯気が淡く漂っている。
その静寂と美しさに息をのんだ。
「ここに脱いだ服をおいてください」
そう言うと、彼女はスルスルと服を脱ぎ、隠すそぶりもなく、そのまま浴場へと歩いていく。
その姿は小柄ながらも綺麗で、白い肌に浮かぶ産毛が、青い光を受けてキラキラと光を反射していた。
昨日の彼女とはまるで別人のように、神秘的で、どこか儚げにも見える。
彼女がゆっくりと浴槽へ身を沈める。その音が静寂を揺らし、湯は青い光を映しながら淡く波打った。
「ここで身を清めてから、朝の礼拝に向かいます。一緒についてきて下さい」
彼女は浴槽の中で、水面を手でそっとなぜるようにしながら言った。
礼拝……。
何をするのかも分からず、不安になる。
でも、面倒を見てくれている彼女に抗う事もできない。
「……はい」
私は、小さく返事をする事しかできなかった。
▽▽▽
祭壇の前で祈るグレーシャさんの姿は、まさに神に仕える使徒そのものだった。
でも、昨日の彼女の言葉には、どこか女神に対する疑念のようなものも滲んでいた。
私は今、グレーシャさんとともに禊——いや、湯あみ? もしくはただの朝風呂? を終え、そのまま礼拝堂に入って祭壇の前にいる。
一時間ほど経っただろうか。
彼女を見習い、両手を組み片膝をついて座っているが、すでに腰は悲鳴を上げ、足もプルプルと震えている。
静寂の中、腰の痛みは増すばかりで、じっとしているのが苦痛になってきた。
どうしようもなくなり、私は女神に——礼拝が早く終わるようにとひたすら祈った。
——もう限界!
そう思った瞬間、まるで祈りが届いたかのように、グレーシャさんが立ち上がった。
そして、彼女はポツリと呟く。
「……何言ってやがるんですか」
「ふぇっ!? す、すみません!」
思わず謝るが、彼女はにっこりと微笑み、「アカネさんじゃありませんよ」と優しく言った。
そして今度は拳をぎゅっと握りしめ、吐き捨てるように言う。
「女神トーリアに言ったんです」
その言葉には、昨日も感じた彼女の女神に対する疑念が、はっきりと滲んでいた。
「……こうしちゃいられません。急ぎましょう!」
彼女は礼拝堂をすたすたと歩き出した。
「どこへ行くんですか!」
私は痺れた足をさすりながら立ち上がり、慌てて後を追う。
「お告げがありました! 教統様と国王に伝えないと!」
「予言……ですか?」
「はい。魔獣が、王都を襲います!」
衝撃的な言葉に、思わず足が止まった。心臓が早鐘のように打ち、一瞬、声が詰まる。
「……魔獣、ですか?」
「ええ、魔獣。魔物の獣です。このままでは王都は滅び、私たちの命も危険にさらされます」
グレーシャさんは振り返りながら言うと、「急ぎましょう」と礼拝堂を出て行った。
私は慌てて彼女の背中を追った。
歩く彼女の足取りは変わらず軽やかで、慌てた素振りもない。
けれど、その速度は、まるで駆け足のように速い。
私は息を切らしながら、小走りになって問いかける。
「魔獣なんて……そんなに頻繁に出るものなんですか?」
彼女は歩みを止めず、ちらりとこちらに視線を向けた。
「いいえ。 ……星読みの巫女になってからの三年間で、予言は二度目になります」
「二度目……?」
「ええ。そのうちの一回は、五日前。西方の地に厄災の魔獣が現れたときでした」
——厄災の魔獣……。
『白銀の救世主』が討伐したとされる、あの魔獣のことかな?
「……今回も、同じ魔獣なんですか?」
「いえ、でも魔獣は魔獣です。どちらにしても厄介ですね」
彼女はにっこりと微笑みながらも、その表情には焦りと不安が見え隠れしていた。
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