第39話 第一章 エピローグ
魔獣を討ち取ったあとの記憶は、断片的でぼんやりしている。
覚えているのは、斬り伏せた瞬間の震えと、全身から力が抜けた感覚だけ。それ以外は、霞がかった夢のように曖昧だ。
——だが、一つだけ確かなことがある。
俺たちは、生き延びた。
後から聞いた話では、魔獣は首を落とした直後、巨体を保てず、塵のように崩れ去ったという。
従えていた魔狼たちも、直後に動きを止め、その場で息絶えたらしい。
カオリナ村に駐在していた領都騎士団は、アリーシアの指揮のもと、不眠不休で現場の処理にあたった。
アリーシア自身も重傷を負っていたが、治療を受けたあとすぐに復帰し、最後まで指揮を取り続けたという。
幸いにも、彼女の兵団からは一人の犠牲者も出なかった。
あの激闘を思えば、それがどれほど奇跡的なことかが分かる。
村の被害も、壊れた建物が数軒ほど。
住民に直接の被害がなかったのは、まさに僥倖だった。
その日のうちに、コリオリ村の一行とヨハンたちは、軽傷者を連れて村へと戻っていった。
——これで、本当にすべてが終わったのだろうか。
少なくとも、今は終わったと信じたい。
▽▽▽
さて、俺自身のことを言えば、魔獣を斬り伏せた直後、意識を失った。
次に目を覚ましたのは、丸一日が過ぎた朝だった。
ぼんやりと視界が開け、周囲を見回す。
ベッドの横には、小さな体を折りたたむようにして、うつらうつらと眠るミリアの姿があった。
「ミリア……?」
声をかけると、彼女は目をこすりながら顔を上げ——その瞬間、顔をくしゃくしゃに歪め、大粒の涙をぽろぽろとこぼし始めた。
それはもう、驚くほどの大泣きだった。
「えっ、どうしたの!?」
慌てる俺に、ミリアは涙を拭う間もなく、嗚咽まじりに叫ぶ。
「居なくなっちゃうんじゃないかって……! 本当に……良かった……!」
後から聞いた話だが、俺が倒れてから、ミリアはほとんど休まず、ずっと看病をしてくれていたらしい。
やつれた顔立ちと、目の下の濃い隈。それだけで、どれだけ無理をしていたかが伝わってきた。
申し訳なさと感謝がないまぜになって、思わずそっと手を伸ばす。
肩に触れると、ミリアは涙を浮かべたまま、何度も小さく頷いた。
「ミリア……心配かけてごめん。そして、本当にありがとう」
それしか言えなかったけれど、ミリアはまた、涙をこぼしながら、笑って頷いてくれた。
▽▽▽
あれから二日。再び草原に立つ。
魔獣の亡骸は処分され、広い野原はほぼ元の姿を取り戻していた。
それでも、焼け焦げた地面や枯れた草木があちこちに残り、あの日の激闘を否応なく思い出させる。
北の方角に目をやると、山々の稜線が薄い霧の向こうにぼんやりと続いていた。
俺たちは、あの山を越えてここまで来た。
振り返るたびに、その無謀さを今さらながら思い知る。
「お身体の具合はいかがですか? 白銀の救世主殿」
凛とした声に振り返ると、アリーシア兵団長が立っていた。
……そう、「白銀の救世主」。
あの日以来、俺にはそんな二つ名がついたらしい。
正直、穴があったら入りたい。
返事をしないと何度でも呼ばれそうだから、仕方なく苦笑いを浮かべて答える。
「もうすっかり……とはいきませんが、だいぶ良くなりました」
「そうですか……」
アリーシアさんは俺の横に並び、遠くを見つめる。
その横顔には、静かだが確かな決意が浮かんでいるように見えた。
そのとき、乾いた風が二人の間を吹き抜ける。
沈黙を破るように、彼女がぽつりとつぶやいた。
「……髪の色、戻りませんね。もとは黒髪だったんですよね?」
不意を突かれて、思わず髪をかき上げる。
「ええ。それに、こんなに長くもなかったですし」
「でも、よく似合っていますよ」
アリーシアが微笑むと、それだけで空気が少しやわらかくなったように感じた。
どう返せばいいか分からず、鼓動が少しだけ速くなる。
戦いの最中は気にも留めなかったが——
この人は、本当に絵に描いたような美人だ。
ただ美しいだけじゃない。
騎士としての気高さが、その立ち姿に滲み出ている。
今は甲冑を脱ぎ、領都軍の制服をまとっているが、それでも自然と目を引いた。
ふと、彼女が一歩前に出る。
そして、静かに片膝をついた。
「改めてお礼を言わせてください。救世主殿が来てくれなければ、今こうしてここに立っていることはできなかったでしょう。本当に、ありがとうございました」
アリーシア兵団長は胸に手を当て、まっすぐ俺を見つめる。
「もし救世主様のお力になることがあれば、このアリーシア、いや、アリーシア兵団は全力でご助力させていただきます」
その真摯な瞳に見入られ、思わず目をそらしそうになる。
「こちらこそ、ありがとうございました」
俺は彼女に手を差し出し、アリーシアはしっかりとその手を握って立ち上がった。
「では、そろそろ出発します」
「アリーシアさんは王都へ?」
「ええ。今回の一連の経緯を報告しなければなりません。それも私の務めです」
アリーシアさんは風にそよぐ髪を耳にかけ、微かに微笑んだ。
「コリオリ村の復興には、副隊長のジールを派遣します。彼は優秀ですから、きっとお役に立つでしょう」
「ありがとう。ジールさんには頼らせてもらいます。アリーシアさんも、どうかお気をつけて」
「もちろん。またいつかお会いしましょう」
アリーシアさんが軽く会釈し、カオリナ村へ向かって歩き出す。
その後ろ姿を見送りながら、俺はその先にある馬車へ目を向けた。
馬車の手綱を握るジール副団長の横で、ミリアが大きく手を振りながら笑顔で叫んでいる。
「トオルさーん! 早く早く! みんな待ってますよー!」
俺は精一杯声を張り上げて答える。
「今行く!」
ふと、振り返る。
山々の稜線——その先にあるコリオリ村を見つめた。
本当なら、隣でともに勝利を喜んでいたはずの相棒が、今は——。
……ルーシャ、お前は今、どこに?
魔獣を倒して目覚めてから、ルーシャの声は一度も聞こえない。
あのふよふよ浮かぶ姿も、どこかに消えてしまった。
「一体どこで何をやっているんだ。勝手に連れてきて、何も言わずに消えるなんて……」
思わず、ぼそりと愚痴がこぼれる。
「トオルさーん! 早くー!」
再びミリアの声が響いた。
俺は顔を上げる。
彼女の笑顔を見つめながら、心の中で静かに呟いた。
——さあ、次の扉はどこへ続いている?
焼け焦げた草を踏むたび、この世界に来た日からの記憶が、鮮やかに蘇る。
それでも——吹き抜ける風が、新たな一歩を促すように、俺の背中を押していた。
深く息を吸い込み、俺は仲間たちが待つ場所へ歩き出す。
**第一章 完**
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