第2話 銀髪少女
——こんな子、さっきまではいなかったのに‥‥‥。
「えっと……誰?」
俺の言葉を無視して、少女はするりと距離を詰めてくる。
突然の接近に、思わず身を引いた。
周囲の人たちは、まるで彼女の存在に気づいていないかのように、忙しそうに通り過ぎていく。
「ヤザキトオルさん……だよね?」
——ん? なんで俺の名前を!?
少女は勝手に納得してウンウンと頷くと、さらに詰め寄ってくる。
「さっきさ、仕事ないって言ってたよね? いっそ死んじゃおうかな〜って。そういう人を探してたんだよ! ぜひ、うちに来てほしいんだよね!」
まくし立てるように言い終えると、胸元で両手をギュッと握りしめ、あらぬ方向を見つめながら再びウンウン。 次は腕を組み、今度はウーンと首を捻っている。
そして、唖然とする俺の視線に気づくと、ニッコリ微笑みを返してきた。
——この子、ヤバい。完全にイッちゃってる……。
変な薬でもやってるんじゃないか? 駅員さんに連れて行くべきか? いや、警察かな?
社会人として、適切な対応を考える。
‥‥‥まあ、今は失業中だけど。
その間も少女は俺の顔をじっと覗き込んでくる。
その瞳に吸い込まれそうになった、その瞬間——
冷たい指が、俺の手を掴んだ。
まるで体温を奪われるような、ぞくりとする冷たさ。
——うん、逃げよう。
社会人としての理性よりも、生物としての防衛本能が勝った。
「ごめんね、お兄さんちょっと今急いでて——」
キリッと表情を作り、さりげなく立ち去ろうとしたが——
少女の手は、しっかりと俺の肩を握ったまま離さない。
ち、力……つよ……。
まるで巨大な岩に挟まれたかのように、びくともしない。
背筋に冷たいものが這い上がる。
逃げたい。でも、身体が動かない。
そんな俺の不安なんておかまいなしに、少女は天使のような笑みを浮かべて言った。
「簡単な仕事だよ、大丈夫、大丈夫!」
そして彼女は俺の肩をつかむと、容赦なく体ごと引きずって歩き出した。
「ちょっ……痛い痛い! だから引っ張らないで! 痛いって!」
痛みを訴えても、彼女は手をゆるめる気配すらない。
「こっちだよー、こっちこっち♪」
かわいらしい声とは裏腹に、その手の力は異常だった。
足を動かしていないのに、ズルズルと引きずられていく俺。
明らかに異常な状況。
なのに、抵抗できない。
そんな俺をよそに、少女は勝手に話し続ける。
「仕事はね、私の可愛い子供たちを助けることだよ」
振り向いた少女は、無邪気ににっこりと笑う。
——子供? どう見てもお前が子供だろ……。
「子供たちを助けるって……保育士的な? 俺、資格とか何も持ってないんだけど?」
なんとか体勢を立て直しながら、反論を試みる。
「資格? いらないよ。働いてくれれば私があげるよ!」
少女は笑顔のまま、ずんずんと進む。
そのまま、関係者以外立ち入り禁止の通路へと、俺を引きずり込んだ。
突き当たりの扉に手を掛け、少女が小声で何かを呟く。
そして——
バンッ!
勢いよく開いた扉の向こうは、闇。
その中心から、黒い渦が放射状に広がっていた。
どろりとした闇が蠢き、中心から生ぬるい湿った風が吹き出してくる。
低いうなり声のような音が、耳元で囁くように響いていた。
現実離れした光景に、俺は後ずさる。
「さ、遠慮しないで入って入って♪」
少女は、自分の部屋にでも招くような気軽さで笑う。
——こんな怪しい場所に入るなんて、絶対ムリ!
「入るって……ここに?」
おそるおそる尋ねると、少女はにっこり微笑む。
「早くしないと、みんな食べられちゃうの!」
——みんな? 食べられる、って……?
少女は、次の瞬間——俺の背中を強引に押し込もうとした。
「ちょ、待て待て待て!」
必死に抵抗する俺。
だが、彼女の力は見た目に似合わず強い。
これは現実か? 夢か?
いや……狂ってる。
心臓がバクバクと鳴り、視界が揺れる。
俺は必死に両手両足を突っ張り、ドア枠にしがみついた。
「ちょっとでいいから言うこと聞いてってば!」
ついに少女は膝を立て、ぐいぐいと俺の背中を押してきた。
その顔——
最初に見た、天使のような微笑みとはまるで別物だ。
ハイライトの消えた瞳。
口角だけが不自然に吊り上がった、不気味な笑み。
まるでホラー映画のサイコキャラだ。
「ひぃぃ!!」
心の中で悲鳴を上げながら、俺は必死に壁にしがみつく。
そんな俺を見て、少女は大げさに溜息をついた。
「はぁ……仕方ないなぁ」
そして、ゆっくりと三歩下がる。
——つぎの瞬間。
「さ、早く行って! 異世界! ドーンとね!!」
俺の背中に、容赦ないキックが入った。
「ぐはっ!? ちょっ、待っ……今、異世界 って言った!?」
動揺したせいで、不覚にも手足の力が抜ける。
そして——俺は暗闇の渦へと、吸い込まれた。
振り向くと、扉の向こう。
ぽっかり切り取られた明るい空間に、少女が仁王立ちしていた。
そして、ひらひらと手を振っている。
「子供たちをお願いねー! いってらっしゃーい♪」
「お前、蹴ったよな!!」
「蹴ってないよー!」
満面の笑みで、ひらひらと手を振る少女。
「蹴ったし!! ドーンとか言いながら蹴ったし!! 戻せコラ!!」
叫ぶ俺の声は、どんどん遠ざかる。
彼女の姿が小さくなっていく。
「蹴ってないよー♪ いってらっしゃーい♪」
声が遠くなる。
視界がぼんやりと霞み、めまいが襲う。
黒い渦が——すべてを飲み込んでいく。
——そして、暗転。
……俺はこの後、会社を辞めたことを、心の底から後悔することになる。
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