第16話 再び洞窟②
ルーシャに対する村人たちの信仰は、想像以上に根深いものだった。
俺は、ルーシャの姿や、彼女が話した一言一句について、何度も何度も質問された。
その間もルーシャ本人は俺の頭上に浮かびながら行ったり来たりし、俺の話にいちいち茶々を入れてきた。
「ということは、お前はルーシャ様に導かれてこの世界に来たんだな」
ザキがまた尋ねてくる。
……また同じ話だ。こいつは一体何度確認すれば気が済むんだ。
「導かれてない。蹴り落とされたんだ」
『蹴ってないよー』
「ルーシャ様がそんなことをするはずがありません!」
ミリアが強い口調で否定する。
「わしも子供の頃に一度だけそのお姿を見たことがあるんじゃが、その美しさはどんな清流よりも澄み渡り、どんな花よりも艶やかで──」
「ハイ、それ幻です」
ジルばあさんの語りに即座にツッコむ。
「まあ、美人といえば美人だけど、そもそも女性というより幼女? 少女? ロリっ子って感じかな」
『ロリじゃない! レディーだし!』
自分で自分をレディーって言うやつ、初めて見たわ。
「問題は、魔獣を倒したものの、それで終わりではない可能性があるということだな?」
ヨハンが詰め寄り、俺は頷く。
『過去に魔獣を討ち取った例がないから、倒せば終わるかは分からないけどね。いずれにしても、洞窟の外は瘴気がどんどん濃くなってるから、ここから出ない方がいいよ』
昨晩の戦いの後も、化け物の死骸から黒い瘴気が吹き出し、今朝には洞窟の外がぼんやりと暗い霧に包まれていたらしい。
「とりあえず、瘴気が収まるまではここを出ない方がいいらしい」
俺がそう伝えると、ヨハンは「そうか」と短く呟き、考え込んだ。
一通り情報を共有した後、村人たちはヨハンを中心に洞窟の中央に集まり、今後の方針を話し合い始めた。
よそ者の俺は、壁に背中を預けて、その様子をぼんやりと眺めていた。
ふと、横を見る。キキが小さな手で俺の服の裾をぎゅっと握りしめていた。
聞けば、魔獣の接近に最初に気づいたのはキキだったらしい。
彼女はジルばあに知らせた後、一人で村の火の見櫓に駆け上がり、必死で半鐘を鳴らし続けたという。
その結果、ジルばあたちは逃げ遅れ、小屋に隠れる羽目になったが、それでもキキの警告がなければ、もっと多くの村人が犠牲になっていたはずだとヨハンが言っていた。
「どこもケガしてないか?」
俺が尋ねると、キキはこくこくと頷く。
キキは3年前に父親と一緒に村にやって来て住み始めたらしい。
かし昨年、父親は深欲の森に狩りへ出たまま帰らなかった。
たぶん、魔物に襲われたのだと、ジルばあは言った。
父親を亡くしてからは、ジルばあが孫二人と一緒にキキの面倒を見ている。
もともと口数の少ない子だったが、父親を亡くしてからは、ますます笑わなくなったという。
――でもさっき、叫んでいたよな‥‥‥。
俺はあのときの光景を思い出していた。
俺を守ろうと小さな体で魔獣に向かい石を投げるキキ。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、前のめりに魔獣を睨みつける姿が脳裏に焼きついている。
「そういえばまだお礼言ってなかったな」
俺はキキを真っ直ぐに見つめた。
「あの時、来てくれなかったら、俺は魔獣に殺されてた。助けてくれて、ありがとう」
俺が頭を下げると、キキは恥ずかしそうに俺の胸に顔を埋めた。
俺はしばらく、彼女の小さな頭を優しく撫で続けた。
▽▽▽
村人たちの話し合いは続いていた。
ルーシャは心配そうに村人たちと俺の間を、相変わらずふよふよと浮かびながら行ったり来たりしている。
そんな様子を横目で見ながら、俺は問いかけた。
「ルーシャの力で魔獣を殺すことはできないのか?」
『直接殺すことはできないよ。私にはこの世界の生き物を殺したり、物を壊したりする力はないの』
「この世界の管理者なんだろう? ルーシャに出来ないっておかしくないか」
俺の疑問に、ルーシャはばつが悪そうに視線をそらしながら答えた。
『私はこの村一帯を見守る立場ではあるけど、この世界全体を管理しているわけじゃないから……』
「じゃあ、その本当の管理者に頼めばいいだろ。魔獣をどうにかしてもらえないのか?」
『アウン様は過剰な干渉を良く思っていないの。そもそも、こうして君を呼んだこともアウン様には内緒なんだから』
なるほど、つまりルーシャのやってることはルール違反のギリギリラインってわけか。
……いや、もしアウン様というのが世界の管理者なら、とっくにバレている気がする。
「魔獣を管轄している管理者は?」
『たぶんアウン様。でも、全ての場所に管理者がいるわけじゃないの。だからこそ、“世界の理”を乱す存在をアウン様は許さない』
管理者だとか裁量だとか、それだけはどこの世界でも似たようなもんだな。
そんなことを考えていると、ヨハンとザキが俺の方へやってきた。
「このまま魔獣の死骸を放っておくと腐って魔素がひどくなる。最悪、ほかの魔物が寄ってくる可能性もある。だから、早めに死骸を焼こうと思う」
「一緒に来てくれるか?」とヨハン。
『もちろん! 一緒に行くよ!』
ルーシャが即答したので、仕方なく俺も答える。
「ルーシャも行くってさ」
俺の返事に、ヨハンは苦笑しながら「ルーシャ『様』な」と訂正する。
「じゃあ、よろしく頼む」
そう言い残し、ヨハンは皆のもとへ戻っていった。
ザキは無言のまま俺の隣に腰を下ろし、両手に持ったコップの大きい方を差し出してきた。
「飲みなよ」
コップの中には白濁とした液体。
ザキが一口飲むのを見て、俺もそれに倣った。
喉を通ると同時に、かっと熱が広がる。かなり度数の高い酒らしい。
「これ、ばあさんの家から持ってきたやつなんだぜ」
ザキはいたずらっぽく笑い、再びコップを口に運ぶ。俺もゆっくりと酒をすすった。
しばらく沈黙が続いた後、ザキが目を伏せて口を開く。
「さっきはさ……悪かったな」
「さっき? ばあさん達を助けに行った時のことか?」
「まぁそうだ。そんで帰りに奴が出てきてさ、俺はお前を置いて逃げちまった……悪かったよ」
ザキは両手でコップを包み込むように持ち、それを見つめて言った。
「ばあさんや子供たちを逃がさなくちゃいけなかったんだから仕方ないでしょ」
慰めるように言うと、ザキは肩をすくめて俺を見た。
「まあね。でも、本当は俺が奴と戦わなきゃいけなかったんだ。でも俺、ビビっちまってさ……だからヨハンが俺にばあさんを託して逃げろって言ったんだと思う」
目を上げるザキの表情には、どこか寂しげな自嘲が浮かんでいた。
俺は何も言えず、ただもう一度コップを口に運ぶ。
「俺さ、昔っからビビりでさ。ミリーみたいな特別な加護もないし、ヨハンみたいに頭も良くねぇ。いいとこなしだよ」
自嘲するように笑うザキ。その横顔はどこか影が差している。
「それでもヨハンはいつも俺を庇ってくれるんだ。なのに俺は、あいつの期待に応えられたことなんて一度もない」
ザキは遠くを見つめたまま、ぽつりと呟く。
「それに比べて、お前は奴と正面切ってやり合ったんだもんな。すげえよ。さすがルーシャ様に選ばれるだけあるぜ」
「あれは俺がやったわけじゃないんだよ」
俺は首を振る。
「あれはルーシャがやったんだ。俺自身は何の取り柄もない、ただの零細企業の営業マンだ」
そう言ってから、ふと気づいて言い直す。
「いや、今は無職だけどな」
「そう言ってたけな」
ザキはケラケラと笑い出し、俺もつられて笑った。
——この男、話してみると案外いいやつかもしれない。
「いずれにしろ、あんたがいてくれてよかったよ。キキだって、あんたが救ってくれたんだ」
俺の横では、キキがスースーと寝息を立てていた。
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