第14話 ルーシャ
【sideルーシャ】
私は、いつからここにいるのか、どこから来たのか、覚えていない。
何をすべきか、どんな目的があるのか——そんなことを考えたことすらなかった。考える必要もなかった。
私はただ、無数に漂う存在のひとつに過ぎなかった。
「あなたにも役割を与えます」
アウンと名乗る存在が告げた。私は、アウンが“全て”であり“絶対”であることを、疑いもなく受け入れていた。
「私がつくった新しい世界の一部をあなたに任せます。何もする必要はありません。ただ、そこに在れば良いのです」
アウンが創った世界には大地と海、連なる山々と森が広がっていた。
その豊かな自然の中で、さまざまな生き物たちが命を育んでいた。
中でも、人間と呼ばれる存在は脆弱でありながら、言葉を操り、道具を作り、領域を広げていった。
アウンから与えられた場所も、そんな人間たちが暮らす“村”だった。
人々は生まれ、食べ、眠り、成長し、子をなし、やがて死んでいく。
私はただ、その営みを見ていた。
あるとき、北の森の奥から魔獣が現れ、村を襲った。
魔獣はこの世界で最も強く、人間たちは為す術もなく蹂躙された。
残ったのは、わずかな生存者と、荒れ果てた村の残骸だけ。
これでこの“村”も消える。
私の役割も終わる——そう思った。
だが、そうはならなかった。
生き残った少女が、泣き崩れる村人に言った。
「私たちは生きている。だから、もう一度、最初から始めるんだ!」
ルーシャと呼ばれるその少女は、悲しむ人々を励まし、傷ついた者には肩を貸し、俯く人に手を差し伸べた。
彼女の姿を見ていると、今までに感じたことのない“何か”が胸に湧き上がった。
彼女が泣けば慰めたいと思い、傷つけば癒してあげたいと思った。
そして、彼女が笑うたびに、胸の奥に温かなものが満ちていくのを感じた。
その思いが、ルーシャに加護の力を与えた。
彼女を助けてあげたい。彼女の笑顔を、ずっと見ていたい——そう願った。
やがて、人々はルーシャを“神の巫女”と呼ぶようになった。
彼女が手をかざせば傷が癒え、彼女が祈れば村を聖なる結界で包むこともできた。
ルーシャが天寿を全うした後も、その想いは人々に受け継がれていった。
私は、その遺志を継ぐ者たちに思いを重ね、村の人々を見守るようになった。
いつしか、村人たちは、かつての少女と私の存在を重ね、“ルーシャ様”と呼び、祈りを捧げるようになっていた。
私は、私の村を——私の愛しい子供たちを、見守ることに、喜びを感じていた。
——それから40年後。
9の月の満月の夜、魔獣が再び村を襲った。
その理不尽な暴力に、私は怒りを覚えた。
だが、村人に抗う力を与えることはできなかった。
「この世界において、魔獣は悪でも善でもありません。ただ、この“世界の理”に従い、存在しているだけなのです」
アウンは淡々と告げた。
「あなたは観察者でしかありません。この世界の理を変えることは許されないのです」
それでも——
愛しい子供たちを救いたい。
生きることに一生懸命で、泣き、笑い、命を育む人々。
そんな彼らがたまらなく愛おしかった。
私はアウンに訴え続けた。
魔獣を根絶し、人々に抗う力を与えたいと。
しかし、アウンは冷たく言い放つ。
「あなたの言う“村”には、この“世界の理”を変えてまで救う価値があるのですか?」
言葉が喉につかえる。
「観察者となってから、何か変わったことがありましたか?」
アウンの口元がかすかに上がる。
「40年に一度、滅びるものならば、それがこの“世界の理”なのです」
嘲笑っている——そう見えた。
その瞬間、私は悟った。
このままでは、村が滅んでしまうのだと。
村が発展しない最大の理由——それは、40年ごとに襲いくる魔獣の存在だった。
それでも、村人たちは立ち上がり、生き抜いてきた。
その尊い努力や逞しい生き方を、“世界の理”という理由だけで見過ごすことなど、私にはできなかった。
みんな私の大切な子供たちなのだから……。
貧しさに耐え、それでも前を向いて生きようとする人々。
その積み重ねたすべてを、一瞬で踏みにじる魔獣が憎かった。
ならば、私は“世界の理”を変えてでも、彼らを守る。
そう誓った。
▽▽▽
この世界に住む村人に、今以上の力を与えることはできない。
できるのは、彼らの祈りに応じて加護を授けること。わずかな治癒の力、そして聖域を作る力。
——それだけでは、魔獣に抗うにはあまりにも脆弱すぎた。
「この“世界の理”から外れた存在が必要だ。この世界の理に影響されない者——」
私は、他の世界を探した。
無数の存在が浮かび上がる。
だが、どれも操ることはできそうにない。
——その中に。
微かに揺れる赤い点。
それは今まさに、その世界から外れようとしていた。
私は手を伸ばした。
自我が薄れて行き場をなくした存在。
これなら、この世界から消えてしまっても問題はないだろう。
「生贄として使える……」
そうして、ルーシャはこの人間——ヤザキトオルを依り代として選んだ。