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第10話 救出へ②


「ばあさん、いるか?」

 ヨハンが小声で呼びかける。


 開け放たれた戸から差し込む月明かりが、小屋の隅に座り込む老婆と子供たちをぼんやり照らしていた。


 ヨハンはそっと小屋の中に入り、優しい声で話しかける。

「みんな無事か? 助けに来たぞ」


 その声に、月明かりを浴びた四人の顔がわずかに緩んだ。


「私は平気さ。子供たちも、ちゃんと無事だよ」

 老婆がほっとしたように息をつきながら答えた。


 俺はヨハンの後に続き、小屋の中に足を踏み入れる。

 

 広めの土間の奥に、6畳ほどの板間が広がっていた。

 土間には大小の甕が無造作に置かれ、板間には布団のようなものが積まれているだけで、がらんとしている。


 子供たちの震えるような息遣いが微かに耳に届く。


「村のみんなは無事かい?」

 老婆の問いに、ヨハンは低い声で押し出すように答える。


「……カイさんがやられた。あと、ライの家族もみんな……」


 その言葉に、老婆は一瞬息を呑んだ。

目を見開き、力が抜けたように肩を落とすと、彼女は俯いて一言だけ呟いた。


「そうか……」


 外では、まだ燻る炎が木々を焦がし、「パチパチ」と静かに音を立てていた。

 沈黙が流れる中、老婆の視線がゆっくりとヨハンの背後――俺へと移る。


「で、この人は?」


 突然の質問に、俺はなんと答えていいのかわからず、ただ黙り込むしかなかった。

 老婆は眉をひそめ、俺を値踏みするようにじっと見つめてくる。


 ヨハンが少し間を置き、慎重に言葉を選びながら説明を始める。


「洞窟の近くにいるのを助けた。本人の話では、外の世界からルーシャ様に連れてこられたらしい」


「ルーシャ様に?」


 老婆の目が細まり、俺をさらにじっくりと見つめる。


 ——噓じゃない。ヨハンが言ったとおりだ。


 そう心の中で訴えたものの、老婆の射貫くような視線に耐えられず、俺はつい目をそらしてしまった。


「おい、話はあとだ。早く戻ろう」

 戸口で外を窺っていたザキが、焦ったように声を張り上げた。

「早くしろ、ここに長居はできねえ!」


 老婆が土間の奥を指さしながら言う。

「奥の間に、この時のために用意しておいた干芋と干し肉がある。あるだけ持っていきな」


「分かった」

 ザキは短く返事をすると、食料をかき集め、持ってきた麻袋に片っ端から詰めていく。


 パンパンに膨らんだ麻袋を、ザキは俺の方へ放り投げながら言った。

「おい、新入り、これ持て」


 反射的に受け止めたものの、その重さに体がふらついた。

 中身がぎっしり詰まっているせいで、袋は見た目以上にずっしりと重い。


「ばあさんは俺が背負ってく。ボノとリコ、キキはザキについていけ。自分で走れるな?」

 ヨハンが子供たちに視線を向け、ひとりずつ確認する。


「大丈夫だよ!」

 ボノと呼ばれた男の子がすくっと立ち上がって答えた。

 隣にいたリコは、「にいちゃ……」と不安そうにボノの手を握りしめる。


 少し離れていたキキと呼ばれた女の子も、無言のままコクリとうなずいた。


「よし、もう少しの辛抱だからな。頑張れよ」


 ヨハンは優しく声をかけながら、3人の頭を順に撫でた。

 そしてザキには「お前は子供たちを頼む」と短く告げ、俺の方に顔を向ける。


「トオル、荷物を頼む」


 俺は無言でうなずき、床に置かれた麻袋を肩に担ぎ上げた。


 ずっしりとした重みで、ひもが肩に食いこんだ。



▽▽▽


 外に出た俺たちは、小屋の影に身を寄せながら周囲を見渡した。


 ひんやりとした夜風が吹き抜け、肌に冷たく触れる。

 焦げたような匂いが鼻をつき、遠くから火のはぜる音がかすかに聞こえてくる。


 あたりは暗闇に包まれ、目の前すらよく見えない。丘へと続く道は、完全に闇に飲まれていた。


「にいちゃ、こわい……」

 リコの怯えた声が闇の中で震える。


 灯りのある生活が当たり前だった俺には、この異世界の漆黒の闇がただひたすら恐ろしく感じられた。


 頼りになるのは月明かりと、わずかに光を放つ"灯りの石"だけけで、丘がどこにあるのかすら見当もつかない。


 もしも、この異世界で一人きりで放り出されたら——。

 そんな想像が頭をよぎり、自然と足が震えた。


「行くぞ。足音を立てないように走るんだ」

 ヨハンが小声で囁いた。


 俺たちはヨハンを先頭に、音を立てないように警戒しながら、丘に向かって走り出した。


 ヨハンは老婆を背負いながらも、迷うことなく、来た時と同じスピードで暗闇を進んでいく。


 後に続くボノとリコは、小さな手をしっかり握り合い、足をもつれさせないよう懸命に走っていた。

 時折、二人で声を掛け合いながらも、しっかりと前へ進んでいた。


 ザキは周囲を警戒しつつ、キキという少女と並んで走っている。

 子供たちに歩調を合わせながら、さりげなくフォローしている。


 そのさらに後ろで、俺は膨らんだ麻袋を抱え、息を切らしながら必死に追いかけていた。


 麻袋の紐が肩に食い込み、ジンジンと痛みが広がる。


 それでも、この闇の中で一人取り残されるかもしれないという恐怖が、俺の足を動かしていた。


 足音を立てずに急いで走る術など知るわけがない。

 革靴が砂を踏むたび、妙に響く音が焦りをさらに煽る。


 鼓動が耳元で鳴り響き、全身は汗でじっとりと濡れていた。

 それでも、ザキの背中を見失うまいと、ただひたすら足を前へ運び続けた。


 ——その時だった。


 突然、ザキが立ち止まった。


 俺は勢い余ってその背中にぶつかりそうになりながら、なんとか足を止める。

 前を見ると、ヨハンが腰を屈め、じっと崖の上を睨んでいた。


「まさか……」

 ザキが驚愕の表情を浮かべ、低く呟く。


 俺も思わずザキの視線を追い、崖の上を見上げた。


 ——次の瞬間、全身の血が凍りつく。


 崖の上に、漆黒の巨大な影が立ちふさがっていた。


 最初は、ただの木々の影だと思った。

 しかし、月明かりが差し込むにつれて、その正体が徐々に浮かび上がる。


 それは、闇そのものが具現化したかのような存在。

 闇よりもさらに濃く、見た者の心を蝕むような威圧感を放っている。


 その漆黒の塊の中で、血に濡れたような深紅の瞳が、不気味な静けさをまといながら、真っ直ぐこちらを射抜いていた。


 周囲の木々が、その存在に怯えるかのようにざわざわと揺れる。

 風が唸り、森全体が呻き声を上げているように聞こえた。


 そう——。


 崖の上には、俺たちを見下ろすように立つ、あの巨大な魔獣がいた。




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