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アポ無しで家に来られると辛い

作者: 宮野ひの

「おねえちゃーん、来たよー」


「……いらっしゃい」


 妹の由奈(ゆな)が、私の住んでいるアパートに遊びに来た。靴を簡単に揃えた後、「ごめん。漏れるー」と、私の返事も聞かずに、勝手にトイレの扉を開けた。たまらず心の中でため息をつく。


 由奈がアパートに来るのは、今月に入って5回目だ。実家暮らしの由奈が、わざわざ電車で15分かけて私のところに来るのは、彼氏と別れた愚痴を聞いてもらいたいからだ。


 坊主頭で黒縁眼鏡が印象的な、由奈の彼氏・市原(いちはら)くん。二人は良好な関係を築いているように思えた。


 しかし、市原くんがマッチングアプリに内緒で登録して、他の女の子にちょっかいをかけているのを由奈が発見したことで、関係に亀裂が入ったらしい。二人は大喧嘩に至った末、別れることを選んだというわけだ。


 由奈は市原くんと結婚を考えていたからこそ、心底ショックを受けた。友達には情けなくて話せないという行き場のない気持ちを、肉親の私に赤裸々に報告することを選んだ。


 あの日、アポ無しで来た由奈の泣き腫らした赤い目が、強く印象に残っている。


 私は同情してしまい、深夜2時まで、チューハイを片手に由奈の話を聞いていた。恨み節を語った妹の顔は毒気が抜けたみたいに晴れ晴れしていた。


「やっぱり、お姉ちゃんには何でも言えるなぁ。話聞いてくれてありがとう」


 無理しながらも笑って言ってくれた。


 正直、悪い気はしなかった。妹の助けになれたのなら、これ以上、求めるものは何もなかった。夜が静かに更けていく。直感だけど、もう妹はアパートに来ないだろうと思った。だからこそ、ふと出た追い返したい気持ちを無いものとみなし、めいいっぱい優しくした。


 私の予感は外れることになる。


 由奈は何かと理由をつけて、アパートに来るようになった。一週間のうち、3回来たこともある。最初のうちは「もう男なんて信じられない」「もう死んじゃいたい」なんて軽々しく愚痴を言っていた。次第に「お姉ちゃんは良い人とかいないの」「どんな人がタイプなの」と図々しく首を突っ込んでくるようになった。


 由奈は会うたび元気になっていったが、私は愛想笑いもできないほど疲れが溜まっていった。一番のストレスは、アポ無しで家に来られることだった。


 仕事帰りに、お気に入りのバラエティ番組を、スマホの見逃し配信で、今から見るぞーっていう時にチャイムが鳴ったのには耳を疑った。苛立った私は、わざと玄関ドアを開けるタイミングを1分ほど遅くした。


「お姉ちゃんひどい。寒いよー(笑)」


 由奈に半笑いで言われた時は、顔がひきつっていたと思う。


 その日は、上手くもてなすことができず、気まずい空気を察知した由奈が、いつもよりも早く帰った。


 私は勢いで、由奈にLINEで「家に来るなら、事前に連絡をいれて」とメッセージを送った。「うん」と返事が来た。最初からはっきり言えばよかった。


 それにもかかわらず、「今、お姉ちゃんの家に向かってるけど、いる?」と、アパートにたどり着く10分前とかに、由奈は連絡をよこすようになった。事前に連絡を入れてって、そういう意味じゃないんだけどなぁ。直前なら、アポ無しで来る時と変わらない。


 私は友達が少なく、彼氏もいない。会社帰りは大抵家にいる。居留守を使っても、由奈にはすべてお見通しだった。その日も結局、由奈を渋々、部屋の中に入れた。


 一度、由奈に会いたくなくて、由奈が来そうな日に、わざと外食をして家を空けたことがある。一杯のラーメンを長い時間をかけて食べた。


 しかし、そのような時に限って、由奈がアパートに来ることはなかった。自分で決めたことだけど、無駄金を使った事実に対して、怒りの感情が生まれた。美味しいと思ったラーメンの味が、記憶の中で段々と薄れた。


 由奈が家に来た日、我慢ならずに、直接抗議したことがある。


「アポ無しで家に来ないで! 本当に来たい時は、一週間前から連絡して! こっちにも都合があるから。由奈が自由に来る分には楽しいかもしれないけど、そのしわ寄せが私に来るんだからね。正直、ストレスになってる」


 面と向かってはっきりと言った。


「えっ、私でも駄目? 妹だよ」


 きょとんとした顔で言った由奈の顔が忘れられなかった。そうだ。私より由奈は、お母さんに愛されて育ってきたんだった。その無垢な顔ができるのは一種の才能だとも思った。


 それからも、おかまいなしに由奈がアポ無しで家に来た。イライラが溜まると、由奈に不満をぶつけた。私は人に感情的になって物を言ったことがなかったから、気持ちがスッキリすることも初めて知った。だけど言う度に、胸に少しの罪悪感が残った。


「お姉ちゃん、ごめんね。だって会いたいから、ここに来てるんだもん」


 素直な妹を前にすると、何も言うことができなかった。人好きが発する柔らかいオーラに、私は弱かった。


 それでも、住みなれたアパートに自由に来られるのは辛い。いろいろ考えた末に、私は一つの案に辿り着いた。


 私が実家に行く側になれば良いんだ。由奈を待つ側をやめればいいんだと。


 それからというものの、私は実家に頻繁に帰るようになった。必ず手土産を持っていき、その時に、家にいる人との会話を楽しんだ。


 なにせ、電車で15分の距離だ。私が久しぶりに実家に帰った時の、由奈の何とも言えない顔がおかしかった。まるで「お姉ちゃんが帰ってくるのは、なんか違くない?」とでも言いたげだった。


 私は自分の好きなように振る舞うことを決めた。仲が悪かったお母さんに自分から歩み寄ったり、お父さんの肩を何十年かぶりに叩いたりもした。


 由奈と顔を合わせると「部屋に行きたい! いいじゃん! ダメ?」としつこく迫った。


 解放感があった。自分が行く側に回ったら、ストレスが溜まらない事実に気づいた。大発見だった。


 私が実家に帰る頻度が増えると、由奈が遊びに来ることが減った。姉妹が顔を合わせる限界の頻度というものが、この世にあるのかもしれない。


 そうこうしているうちに私も仕事が忙しくなり、実家に帰ることも減っていった。毎日アパートと職場の往復だけで終わってしまう。友達とも最後に会ったのはいつだったか、わからなくなるほどだった。


 私はわがままなもので、由奈の顔を3ヶ月も見ていないと、途端に会いたくなってしまった。チューハイで酔った勢いでLINEをしてみた。「由奈、また家に来ても良いんだよー」と。そしたら「お姉ちゃん! 私、彼氏できた。だからもう、あんまり行けないかも。ごめん」と返信が来た。


 メッセージを見た途端、何とも言えぬ焦燥感にかられた。人を巻き込んで、自分の好きなふうに生きられる人が一番強いと思った。


 由奈に振り回されるのはもうやめよう。誰かにペースを崩されてイライラするのではなく、それを超える行動力を持って、自分の人生を生きていこう。


 私は勢いで、前からしたかった家庭菜園用品を通販サイトでポチった。これで、食費が少しでも浮くかもしれない。よし。やってやる。

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