誹謗中傷除去システム『RSS』
1
「これは中々、凝ったことをしているわね」
私は、某有名アイドルの葉山 水樹から送られてきた『誹謗中傷除去リクエスト』されたメッセージの内容を読んでいた。おそらく、リクエストしてきたのは、本人ではなく、彼女のマネージャーだろう。こういうのを随時チェックするなんて事務所も大変だな。メッセージの内容はこう記されていた。
『 みずきちゃんへ
ずっと、きみのことを愛しているよ。
きみのことを考えていたらいつも胸がドキドキして
しまう。きみは罪な女の子だね。
ねえ、今度ライブはいつあるの。早く会いたいなー
。 』
普通に言えばファンの熱いメッセージ、悪く言えば行き過ぎた気持ち悪いメッセージだ。だが、このメッセージの真意は普通に読むことでは分からない。
冒頭の文字を縦に読むと『みずきしね。』。彼女に対しての誹謗中傷になる。
「残念ながら、これは取り込めないね。リクエストしてくれたのはありがたいけど」
私は心に思ったことを小さく声に出しながら、メッセージを『RSS』に取り込むのをキャンセルした。日々、誰かの悪口に晒されている我々は、自分の内にある気持ちは外に出しておかないと精神を病む可能性があるのだ。
「最近は、この手のメッセージが増えたわね。みんな、自分の誹謗中傷を除去されないように必死みたいだ。お暇なこと」
私は自分の席を立ち上がると、煙草を吸うために喫煙所へと向かった。
****
誹謗中傷除去システム『RSS』。通称『Remove Slander System』。
現在配信されているSNSの大部分に組み込まれたシステムだ。ユーザーの投稿した内容をAIが解析し、誹謗中傷と思われるものは投稿を内密にキャンセルすると言ったものだ。
元は秘密裏に組み込まれていたシステムだった。
しかし、誹謗中傷の書かれたメッセージが反映されていないことに気づいた一定数のユーザーがその旨を投稿したことで、大部分のユーザーに気づかれてしまった。おそらく身内で悪口を言った際に、自分の投稿が相手に伝わらなかったことで察することができたのだろう。
バラすユーザーも、それを拡散させるユーザーも、全員揃ってバカだ。彼らの行動原理は『世界に自分の存在を知ってもらう』ことだろう。認知されるのであれば、それが美名でも、悪名でも構わないのだろうな。
そういうわけで、RSSの存在は公になってしまった。だが、これは決して悪いだけではなかった。大部分に知られてしまったので、RSSの存在を運営を通じて公式に発表することとなった。同時に、今までこちら側で探していたRSSへの学習データをユーザーに提示してもらうことにしたのだ。
『誹謗中傷除去リクエスト』ボタンを組み込み、ユーザーが自分宛に送られてきた不快なメッセージに対して、それを押すことでRSSの学習データとして扱えるようにする。これによって、RSSの学習データ数は大幅に増大し、かなりの精度で誹謗中傷の投稿をキャンセルすることができるようになった。
だが、良いことだけではない。
悪意のあるユーザーがなんでもないメッセージを大量に『誹謗中傷除去リクエスト』することが出てきた。それにより、学習データに異物が入り込み、精度が落ちるという事態に陥ったこともあった。
そういうわけで、『誹謗中傷除去リクエスト』が来た投稿を読み、AIに取り込むかを決める部署が設立されることとなった。この部署はあまりやりたい人たちがいないため給料はわりかし多めにもらえる。仕方がない。勤務時間6時間、ずっと人の持つ負の感情に触れていなければいけないのだ。私のようなわりかしサイコパス気質な人間でも、病みそうになる時がある。
でも、私はこの仕事が意外と好きだ。なぜなら、どうにかして自分に注意を引かせようと奮闘する人の無様な姿を見ることができるからだ。先ほどのメッセージのように、誹謗中傷するユーザーはどうにかして自分のメッセージを相手に送りつけてやろうと思考を巡らして投稿内容を作成する。下等種族が頑張って上位種の注意を引こうとしている姿は滑稽であり、見ていて楽しい。
それに、一定以上の『誹謗中傷メッセージ』や『無闇な誹謗中傷除去リクエスト』をしたユーザーのアカウントをバンできるのも楽しい。その時、自分の中で大量のドーパミンが分泌されるのが分かる。正義中毒とはまさにこのことを言うのだろう。
「ふっーーーー」
煙草を吸い、煙を宙へと吹きかける。
一仕事した後の煙草ほどうまいものはない。この瞬間が一番心地いい。
「お疲れ様です。平塚さんもここに来たんですね」
「小休憩といえば、ここだろ」
寛いでいると見知った顔が喫煙所に入ってきた。茶色に染められた跳ねた髪、耳ピアス、高級時計を腕につけた姿から陽気さが溢れ出る。ただ、根はいいやつなので話していて悪い気はしなかった。
業平 恭介。私と同じ時期に入った同僚だ。ただ、年は私の方が上だ。彼は給料が高くて、楽そうな仕事だと思ってこの部署を選んだらしい。話している限りでは、私と同様に負の感情には耐性がありそうだった。
「調子はどうですか?」
「ぼちぼちだ。ストレス値も正常。まあ、一年もやっていれば流石に慣れるさ」
「同感です。それに最近は、メッセージの内容が面白いですからね。見ていて楽しい限りですよ」
「どんなメッセージが来る?」
「1文字ずつ投稿していってリプ欄を追うとメッセージが現れるとかありました」
「なんじゃ、そりゃ。私のところには縦文字メッセージがあったよ。みずきしねだって」
「そりゃ、ひでーですね。それにしても、人っていうのは馬鹿なのか頭がいいのか分からないですね」
「きっと頭はいいはずだよ。ただ、やることが馬鹿なだけさ」
「一番どうしようもないですね。さすがは108個もの煩悩を持っているだけはある」
「違いない」
私たちは束の間、互いに誹謗中傷を行う人たちの誹謗中傷をすることとなった。元から社会的な評価が低い者たちなのだから、彼らへの非難は誹謗中傷にはならないか。
2
「んーーー」
朝礼を終え、いつものように自分の作業環境を整えると、ある違和感に気がついた。
『誹謗中傷除去リクエスト』の数が昨日よりもだいぶ増えていた。その数は五桁。いつもなら、多くても3桁で収まっているはずなのに、なぜこんなに増えたのだろうか。
リクエストの内容を表示し、メッセージを読む。
『 こ?な世味れにどホ
の終ののわて世うン
国わが男かい間しダ
。っ好っらるにてミ
てきてなの評あサ
るなあいか価んキ
わのん。意さなが 』
なるほど。普段なら横書き投稿内容を意図的に縦書きに変えることで『RSS』の審査を掻い潜っているわけか。こういうことが出るのならば、明らかに意味の通じない文も除去対象になりそうだな。
続いてのリクエストメッセージを読む。
『 世の中のブサイクな男たちはみんな生き続けてほ
しい。彼らのことが大好きだから。
⇧
私はこれとは逆のことを思っています! 』
これは肯定的な文を最初に掲示し、『RSS』の審査を通らせたところへ最後に全てをひっくり返して誹謗中傷を行うということか。なかなかのやり手だな。これは除去するのが難しいだろう。
さらに次のリクエストメッセージを読む。
『 伊た予畑た花た梨の自た宅を発見。今日から
彼女の行動を尾た行しようと思う。何か面白い情
た報が得られるかもしれない。ついでに自宅に監
た視カメたラ設た置して盗た撮してやろ。
たぬきより 』
なんていうか……思わず笑っちゃう文だな。最後の『たぬきより』は『たぬきからのメッセージ』という意味ではなく、『たを抜くことによって』という意味で用いているのだろう。試しにたを抜いてみると『伊予畑花梨の自宅を発見。今日から彼女の行動を尾行しようと思う。何か面白い情報が得られるかもしれない。ついでに自宅に監視カメラ設置して盗撮してやろ。』という文になる。
リクエストメッセージには、その他にもいろいろな形式の誹謗中傷が書かれていた。画像解析しにくい濁った画像に誹謗中傷する文字を打って貼っているもの。謎の言語を開発し、その言語の『日本語訳の画像』と『文字を打った画像』を一緒に貼っているもの。それ以外にもいろいろな種類の『RSS』の審査を通る形式での誹謗中傷が伺えた。
「いきなり、これだけの種類の形式が出現するとは。これは、どこかで『RSS』の審査を通り抜けるための記事を誰かが投稿しているに違いないな」
試しに検索エンジンを用いて『誹謗中傷 できる 方法』とバーに単語を入れて検索してみる。すると一番上の記事に『SNSで誹謗中傷ができる方法をお教えいたします!』という記事が出てきた。私の予想通りだ。
一番上に出てくるということはかなりのアクセス数があるみたいだ。それもそうか。誹謗中傷する人もしない人も、この手の記事には関心があるだろう。とりあえず見てみようという結果がアクセス数の増加に繋がったに違いない。
タイトルをクリックし、リンク先へと飛ぶ。すると凝ったデザインのサイトが掲示された。血塗られた背景に、画面上には『誹謗中傷ができる方法』と木の板に書かれている。真ん中には『今すぐ試す』というボタンがあり、その下には『月額980円』という文字が記載されている。
「おいおい、金取るのかよ。こりゃ、とんでもねえビジネスが出来上がってしまったな」
三日間の無料トライアルがあるらしいので、今日一日限りなら無料で使えそうだ。私は『今すぐ試す』のボタンを押し、必要事項を記入した。こんなサイトに自分のクレジットカード情報を登録するのは憚られるが、利用規約に個人情報の使用についての欄があり、安全なことはわかったので、登録することにした。
登録が完了し、有料サイトに映る。サイトには、いくつかの項目が記載されていた。
上から順に『書いた横書きテキストを縦書きに変換するシステム』、『RSSの審査に引っかかりやすい単語に対して、たをつけるシステム』、『書いたテキストを画像解析しにくい滲んだ画像で生成するシステム』と先ほど私が見ていたテキストに該当するシステムがいくつか見られた。
本当に人というのは碌でもないな。
サイトの掲載者はおそらく『法の抜け穴などを探すこと』を好物としている頭の良い奴らだろう。彼らが、探し出したものを顧客に開示して利益を得る方法を作り上げるのはありうる話だ。
問題は、これが成り立ってしまうこと。その理由は、SNSユーザーの中に、頭が悪いにも関わらず人を誹謗中傷したい奴らが一定数いるからだ。
『知能犯』と『実行犯』。この手の犯行は取り締まるのが難しい。一昔前、『闇バイト』というものが社会問題になっていたが、それと同じ類だろう。
サイト顧客はせっかく払ったのだから使わないと損だと思い、いつも以上に他人に誹謗中傷を浴びせるようになるに違いない。これでは『RSS』を使う前と同じ量の誹謗中傷がSNSに流れる可能性がありそうだ。
現在の学習データでこれらを防ぐ方法があるとは思えない。もしかすると、今私がやっているこの仕事ももうすぐ終わる可能性がありそうだ。私は今見てきた情報をレポートにするためテキストエディタを開く。サイト画像をスクリーンショットし、見やすいように加工していく。自分の仕事がなくなるのは嫌だが、この仕事の目的が遂行できないのは、社員として失格だ。それだけは避けたい。
レポートを作り上げる頃には、お昼になっていた。
長時間座っていたことで体が凝り、ほぐすために上半身を天へと伸ばす。
そのまま席を立ち上がると、課長にレポートを提出する前に、喫煙所へと向かった。
3
数週間が経ち、私の所属する部署はなくなることとなった。
私の提出したレポートがきっかけで、社内会議が発生し、部署の解体が決定したらしい。自分で自分の首を絞めるとはまさにこのことを言うのだろう。
RSSの学習データも豊富になり、精度も上がったことから普通に書かれた誹謗中傷に関しては9割9分除去することができている。RSSはほぼ完成されたと言うことで、『誹謗中傷除去リクエスト』ボタンが撤廃されることとなった。あのボタンが撤廃されるなら、私たちの仕事はもうない。
部署が解体されるということで社員である私たちは二つの選択肢を迫られた。一つは部署移動をして、継続してここの社員として働くこと。もう一つは退社して、ここの会社を去ること。
私は後者を選んだ。
元々、誹謗中傷を行う人の心理が知りたくてこの部署に応募したのだ。それがなくなるのであれば、辞める選択肢を選ぶのは当然のことだろう。
「ふっーーーーーー」
口に蓄えた煙を天井に向けて勢いよく飛ばす。この会社を去る前に最後に喫煙所で煙草を吸うことにした。喫煙所には大変お世話になった。だから最後はここで締めたい。
「お疲れ様です」
気楽に吸っていると、業平が喫煙所へと入ってきた。
いつもの調子で軽く会釈して、私の横に腰掛け、煙草に火をつける。
「お疲れ。業平もラスト喫煙所か?」
「違いますよ。俺はここに残るんで」
「そうなのか。意外だな。給料がいいからこの部署に入ったんだろ。他の部署に行ったら、安くなるんだぞ」
「また仕事探すのは面倒ですからね。それに、この会社ではある程度の信頼関係を築けたので、仕事しやすいんですよ。それに可愛い子結構いるし」
「なるほどな」
「平塚さんは辞めるみたいですね」
業平は私の横に置かれたキャリーケースに視線を送る。
これには私が会社に保管していた私物が多々入っている。会社を去るのだからこれらは全て持って帰らなければいけない。
「ああ。自分の部署以外、特に面白そうな仕事をしている部署はないからね。面倒だけど、また1から仕事を探すさ」
「大変ですね。まあ、平塚さんのことだからすぐ見つかりそうな気はしますけど」
「期待値が高いな。なあ、業平。すまなかった」
「別に謝る必要はないですよ。平塚さんが気づかなくても、課長あたりが不審に思って調べはしたと思いますよ。誹謗中傷除去リクエストがあそこまで急激に増えたら、誰でも怪しみますから。まあ、部署の社員の一定数は平塚さんを恨んでいるとは思いますが」
「はっはっは。誰かしらがなったはずの恨みの対象を買ったと思えばいいか。それが会社を辞める人間だとすれば楽なもんだし」
「そうですね。課長からしたら、平塚さんは大手柄だと思いますよ」
「今のうちに恨み買い金でももらっておくか。失業保険と足し合わせれば、数ヶ月は仕事がなくても暮らせそうな気がする」
「ナイスアイデアですね」
二人でたわいもない話をしながら、煙草を吸う。業平と一緒にいる時の煙草の味は案外美味しかった。こいつとの喫煙も最後になるかと思うと何だか名残惜しいな。
「なあ、業平。戦争と飢餓と疫病、この中で一番なくなりそうなのはどれだと思う?」
「ヨハネの黙示録ですか。そんなの決まっているじゃないですか。戦争です」
「そうか。じゃあ、この中で一番なくならないのはどれだと思う」
「それも決まっています。戦争です」
「はは。矛盾しているね。でも、同感だ」
「人間ってそう言うもんですよ。だから今回の件が起きたんですよ」
「だな。私たち結構気が合うな」
「今更ですか。俺は初めから気づいてましたよ。平塚さんと話すのは楽しい。だからもう会えないと思うと何だか寂しいな」
「口説いているのか。そうだな……もし、新しい就職先が決まったら、飲みにでも行こう」
「いいっすね。いい報告待ってますよ」
「任せておけ」
私はそう言って、業平に拳を差し出した。それを見た彼もまた私へと拳を突き返した。
****
「石添さん、15時42分の新幹線に乗るので、15時までには準備を終えてください」
一ヶ月後、私は芸能事務所のマネージャーの面接に合格し、人気芸人である石添 良治のマネージャーとして活動することとなった。
「15時42分の新幹線なら、15時10分に出れば間に合うんじゃ?」
「そう言うと、石添さんは15時20分くらいに用意をし終えますよね?」
「はっはっは。俺のことをよくわかってんじゃねえか。まだ入って二週間だってのに、気が利くな。わかったよ。15時に準備できるように頑張る」
石添さんは私の目を見ていうと、前を向き、持っていたスマホを注視する。見ると、彼はSNSでエゴサーチをしていた。前のマネージャーに聞いたところ日課らしい。ハマりすぎて時間が過ぎ去るのを忘れるから注意しておいてとのことだった。
「にしても、最近の俺への悪口というのは手が凝っているなー」
彼の言葉に興味をそそられ、私もまた彼のスマホの画面を覗いた。スマホに掲載されたメッセージはパッと見たところ、何が書いてあるか分からなかったが、縦に読むと意味が繋がった。内容は石添さんに対する誹謗中傷だ。当たり前のことだが、RSSの審査をくぐる誹謗中傷は未だに消えてはいない。
「そんなの見て、平気なんですか?」
「あん? ああ。昔はそうでもなかったんだが、今はわりかし平気だ。慣れたわけじゃないが、ここまでして俺に悪口言いたいかねと思うと何だか笑えてきてな。ほら、見てみろ。これをさ」
そう言って、石添さんは投稿リストを私に見せる。そこには多種多様な審査を通り抜けた誹謗中傷が連なっていた。趣味が悪い人だ。
「まるで誹謗中傷大喜利みたいじゃないか?」
石添さんはハニカミながら私に言う。大喜利という言葉に彼の芸人魂が反応したみたいだ。確かにリストを見ると『誹謗中傷大喜利』と言わんばかりのものたちが揃っている。彼の言葉で何だか私も笑えてきた。
今までの誹謗中傷は、一般の人間が何気なく書き連ねたものだから病む原因になったのかもしれない。お金を払ってまでして、届けた誹謗中傷というのは強い感情をぶつけるほど対象に関心を持っているわけだ。アンチはファンと聞くが、それが真の形で体現化されたみたいだ。
病みを通り越して、呆れが来てしまった。だからこうして笑えてしまうのだろう。
万事、中途半端ではなく、ぶっちぎったことをしてしまえば面白いものになる。正も負も関係なく、それは絶対値で決まる。
もしかすると、世の中は良い方向に進んでいるのかもしれない。
石添さんの人をバカにする笑顔を見ながら、私はそう考えた。
二人してエゴサを見てしまったため、予定の新幹線に乗り遅れてしまった。