惚れ薬を作ってくれと学園一番のイケメンに頼まれたら婚約破棄に巻き込まれたんだが!?
新作短編。
「……ダフネ・ワルモー。お前との婚約を破棄する」
半年に一度開かれる学園のパーティー会場がシーンと静まり返った。
それもそのはずで婚約破棄を申し出た人物は学園でもトップクラスの有名人オルト・テュフォーンだったからだ。
「いきなり何を言い出す!? 私を捨てるっていうのですか!」
一方的に宣告された派手な色のドレスで着飾ったワルモー伯爵家のご令嬢がキーキーと金切り声で叫ぶ。
急に始まった修羅場に周囲の注目がドンドン集まる。
これからこの騒ぎのど真ん中に呼ばれると想像するだけでわたしは胃が痛くなった。
「……そうだ。僕はもうお前の側にいるのが耐えられない」
「な、なんの理由があるのよ!」
「……説明してやろう。君の悪事を」
チラリとこっちに視線が向けられる。
わたしは人生最大のため息を吐いてカツラとメガネを投げ捨ててこれから始まる断罪イベントへと身を投じる。
(なんでこんな事に巻き込まれるんだろ……)
自分自身を呪いながらもわたしは一歩を踏み出した。
♦︎
数ヶ月前。
ここは大陸でも有数の大国であるソルズ王国。
その王都にある貴族の子供達が多く通うセレーネ学園には魔女がいる。
薄暗い部屋の中で大きな鉄鍋をぐるぐるとかき混ぜながらぶつぶつと怪しげな言葉を呪文のように唱える少女が一人。
「朝イチで仕入れた新鮮なフルーツとこの日のために育ててきたスッポンの血。これを適量混ぜ合わせて弱火で煮込めばバッキバキの栄養ドリンクの完成ね」
他に誰もいないのにひとりごとを口にするのは友達と呼べる人間のいないこの少女の癖だ。
制服の上から白衣を着て目にはゴーグル、頭には白い頭巾を被っている怪し気な彼女の名前はドロシー・コメット。
これでもコメット男爵家の令嬢であり、学園での成績はトップクラスだ。
「できあがり。うん、疲労にはエナジー系が効く」
ドロシーが自作の栄養ドリンクをガブ飲みするのは先日まで徹夜である試験の勉強をしていたためだ。
試験は無事に合格したが、学園に提出しなければならない各書類の締め切りや学期末のテストのことを考えればのんびりしていられないのでこうして元気を前借りする必要があった。
「さて、あんまり時間もないし頑張るとしよう」
たっぷり作ったドリンクのおかわりをグラスに注いでドロシーは部室の椅子に座った。
セレーネ学園の七不思議の一つである薬品臭い魔女の工房と呼ばれているこの部屋は錬金術同好会の部室だ。
錬金術でいくつもの素材を調合して新しい薬を作ったり、便利な道具を生み出したりすることができる。
絵本の魔法のような扱いを受けるが、実際には化学者の方が近い。
錬金術のおかげでこの世界に暮らす人達は豊かな暮らしをしているが、地味で難しく根気もいるので人気は全然ない。
そんな錬金術を研鑽するこの部活に現在所属しているのは彼女だけなので実際のところはただのプライベート空間である。
寮の自室には置けないアレやコレもまとめて保管できて機材も揃ったこの場所はドロシーにとっては自分の国そのものだ。
今日、この日までは。
「でさ、教師のくせに情けねーよな」
「面白いですわ」
「わたくしも見たかったですの」
部室の外が騒がしくなった。
ゲラゲラと笑いながら周囲の迷惑も考えずに大きな声を出して歩いている者達がいるようだ。
(ちっ。うるさいんだよリア充め)
声が気になってドロシーは持っていたペンを机に放り出した。
凄まじく恨めしそうな顔をして壁の向こう側を睨みつける。
ドロシーは模範的な学生であり、学びの園に異性と交友するためだけに通う人種が大嫌いだった。
仲間との思い出とか、淡い恋だとかを期待している奴らは等しく敵認定している。
(さっさといなくなれっての。貴重なわたしの時間を奪うなんて何様のつもりだよ)
ただし、面と向かって注意する勇気は無くて心の中で罵倒するのが根暗で内向的なドロシーの精一杯だった。
「ここじゃね?」
しかし、彼女の願いも虚しく部室の扉は開かれた。
元から人があまり通らない校舎の奥に騒がしい連中がいるなんて不思議だと思ってはいたが、まさかこの部室に入ってくるなんて予想外だった。
「うわっ。くさっ」
「何の匂いなの? 鼻が腐りそうだわ」
「ジメッとしているし、物置小屋か何かじゃありませんの?」
それぞれが好き勝手に言いたいことを口にする。
我が物顔で男女の混じったグループがドロシーの領土に侵入してきた。
(部屋に入る時はまずノックするのがマナーだろ! 頭の中スポンジでも詰まってんのか!?)
内心では怒りながらも慌てて広げていた調合レシピやレポート用紙を引き出しに押し込む。
悪態をつくが、本人に直接言えないのもドロシーのお約束である。
「うわっ。無人かと思ったら人がいるじゃん」
「ねぇ、この子ってうちのクラスの魔女よ」
「変な格好して何してた? 不気味〜」
無断で押し入った彼らはドロシーの存在に気づくと嫌悪感丸出しの表情で悪口を言ってきた。
「相変わらず化け物みたいね」
化け物と言われてドロシーは俯く。
それは彼女がこんな性格になってしまったそもそもの原因だからだ。
色の抜け落ちた老婆のような白髪、血のように赤い瞳。更には血色の悪い白い肌。
両親に似つかない容姿で生まれたドロシーはまるで物語に出てくる悪い魔法使いのようだった。
幼い頃からこの悪役のような見た目のせいで人から避けられ、虐められてきたせいで彼女の性格は捻じ曲がってしまった。
「あ、あの、な、何か用……」
おかげでこのような派手な見た目をしたイケイケな人間が大の苦手になったドロシーは小動物のように震えながらか細い声を出すことしかできなくなった。
(人コワイ、タチサレ)
先程までの怒りも消え去り、ただただ早く帰ってくれと願うばかり。
「ここ、放課後に集まって駄弁るのにちょうど良さそうなんだよな」
「えー、こんなカビ臭いところにいたら私達にも根暗が移らないかしら?」
「あんまり言い過ぎると魔女に毒を盛られるかもね」
ドロシーを見てクスクス笑う騒がしい集団。
どうやら学園内に自分達の溜まり場が欲しくなったらしい。
普段は教室を縄張りにしている彼らだが、このところは教師が見回りをしていて騒いでいるのを注意されるとか。
金持ちの貴族なんだから学園の外に行って喫茶店で時間でも潰してろ! と思いもしたが、全寮制で門限も決まっているので時間が惜しいらしい。
「ここ、俺らの遊び場にするから出て行ってくれない?」
一方的な宣告だった。
ドロシーにとってこの部室は自分の夢のために必要な場所で、一人きりで落ち着けるオアシスでもある。
そんな身勝手な命令を簡単に受け入れることなんて出来ないが、相手はどいつもこいつも格上の貴族の子息や令嬢達だ。
下っ端男爵令嬢のドロシーが逆らえばどういう目に遭うかは想像がつく。
(嫌だけど受け入れるしかない……)
そんな風に思った時、パリーンと何かが割れる音がした。
「……すまない。落とした」
陽キャグループの中でずっと口を閉じていた青年が棚に保管していた薬品のビンを落として割ってしまった。
「何してんの!? それ猛毒だから絶対に触らないで!」
迫真の声でドロシーが言うと陽キャ達は騒ぎ出した。
「きゃー! 毒だわ!」
「何なのよここ!!」
「おい。ふざけんなって」
ヤバいヤバいと慌てて彼らは部屋から逃げ出した。
こぼれ落ちた液体からは刺激臭がして部室内に充満しかけたのでドロシーは慌てて換気のために窓を開けた。
「……本当にすまない」
「あの、片付けるからそこをどいて」
部屋に取り残されたのはドロシーとガラスのビンを割った褐色肌の青年だけになった。
素手で触ると危険なので手袋をしたドロシーは気化した薬品を吸い込まないようマスクをして雑巾に薬品を吸わせた。
念の為に袋を二重にして別の薬品で床を掃除すれば処理は終了だ。
「ふぅ……」
割れたガラスも回収し、元の部室の姿を取り戻した。
ただし、薬品はかなり高価なものだったのでドロシーの財布にダメージが残る。
「……弁償させてくれ」
(まだいたんだ)
申し訳なさそうな顔をして立っている青年へと目を向けると見覚えがあった。
黒髪に褐色肌。黄金のように美しい金色の瞳をした背の高いイケメンでテュフォーン公爵家の子息。
(名前は確か……オルトだったっけ?)
他人への興味が薄いドロシーでも強烈なインパクトがあったから覚えていた。
人間離れした整ったその容姿を見て、改めてドロシーは自分と生きる世界が違う人間なんだなと思った。
「あ、あの、弁償とかは結構だから帰ってください」
貴重な薬品を台無しにされたのはイラっとしたが、これ以上関わりたくないので勇気を出して帰ってもらうように頼んだ。
「……いいや、弁償させてもらいたい」
しかし、断られてしまった。
(頑固な奴だ。さっさと視界から消えて欲しいのを察しろよ!)
集団に囲まれるのも嫌だが、一対一というのも気不味いのがドロシーの本音だ。
ところが相手は頑なにその場から動かず、状況が膠着したので諦めて先に折れることにした。
「金貨五枚です」
咄嗟に相場より少し高めの金額をふっかけてみる。
よく考えれば折角の優雅な時間を奪われたので迷惑料も含ませてもらおうと思った。
大胆な発想だが、錬金術を極めるためには材料費や道具代がかかるので懐が寒いドロシーにとってお金は大事だ。
「……じゃあ、これで」
財布を取り出したオルトは躊躇うことなく金貨を差し出した。
「ちょ、こんなに貰えない」
「……騒がしくした迷惑料だ。受け取ってくれ」
顔色一つ変えずにドロシーに渡されたのは倍近い金貨の枚数だった。
流石にこれは良心が痛むが、じっとこちらを見つめる目が怖かったのでありがたく頂戴しておく。
(謝罪の言葉は口にするけど、さっきから眉ひとつ動かしてないし、無愛想な奴だ)
自分も愛想が良いとは思ってはいないが、これだけ表情に乏しいと怖い。
それが逆にミステリアスな雰囲気を出してモテる要因の一つなのだが、ドロシーには理解できなかった。
「……なぁ、一つ質問がある」
(まだ帰らないのこいつ!?)
貰った金貨をしまった後でオルトが口を開いたことに驚く。
もう既に居心地が悪いのでさっさと退出して欲しいのにいつまで居座るのか。
自分とは住む世界が違う存在を前にしてどんどん気が重くなるドロシーなんて気にしないオルト。
先程と同じようにドロシーの方から折れることにする。そしてさっさと用件を終わりにしようと思った。
「えっと、何でしょうか?」
「……錬金術というのは何でも出来るのか?」
「何でもは無理ですね。死人を甦らせたり、不老不死になれるのはおとぎ話の中だけです。怪我を治す回復薬とか一時的に元気になる栄養剤とか、ハゲによく効く育毛剤なんかは作れますよ」
とはいえ、効果が凄いものを作るのにはそれ相応の材料が必要で金がかかる。
ドロシーは実家があまり裕福ではないのであれこれ節約しながら錬金術の練習をしている最中だ。
ゆくゆくは金を貯めて自分の店を開くのが夢である。
(まさか仕事の依頼とか? 見たところこの男が欲しがりそうなものは見当つかないけど)
何が目的なのか考えながらドロシーはオルトの言葉を待つ。
「……そうか。じゃあ、惚れ薬は作れるか?」
「はい?」
彼の口から出た単語にドロシーは自分の耳を疑う。
惚れ薬、と彼は言った。
服用するだけで飲んだ相手を恋に落とすという駆け引きを楽しむ恋愛において反則な手段に使う代物だ。
それを目の前の芸術品レベルの美男子が欲しがる?
(お前なら顔面でゴリ押して甘い声で口説き文句言えば一発だろ!)
内心でそう叫びながらも直接本人には言えないドロシーはとりあえず詳しく話を聞くことにした。
そして、その翌日から青年は錬金術師同好会に通うようになった。
(事情は理解したけどだからってここにくる必要ある!? 依頼の品が出来上がるか監視するってわけか……)
遠ざかる平穏な日々に焦がれながらドロシーは惚れ薬を調合するための材料集めに取りかかった。
王都にある市場では国の内外から様々な品が集まり、大盛況しているのだがいかんせん人が多い。
人混みが苦手だが素材を手に入れないと錬金術師の修行ができないドロシーは普段は苦しみながら買い物をしていたのだが……。
(この男、人避けに最適だな)
地味な服装で市民に紛れて買い物をすると伝えたはずだが、恐ろしいことに彼ほどの美形にかかれば古着屋の服も流行の最先端に思えるのだから凄い。
買い物中のマダムや売り子のおばちゃん達が見惚れながらも鋭い目つきに圧倒されて遠巻きに眺めるだけだ。
おかげで目的の店に並ぶことなく入れた。
「おっちゃん。このリストの素材ちょうだい」
「おう。魔女の嬢ちゃん……今日はデートかい?」
長々と名前が書かれたメモを手渡すと馴染みの店主がドロシーにニヤついた顔を向けてくる。
いつもぼっちな女が男連れで来店したのだから恋人だと勘違いしたのだろう。
「違うよ。この人はなんていうか……護衛みたいなもの」
「なんだ。ついに嬢ちゃんに春が来たかと思ったのによ」
露骨にがっかりする店主。
ドロシーにとって今の状況は真冬なので彼の依頼が終われば春なんだけどなぁ、と失礼なことを考えるがわざわざ口にはしない。
「あと、追加でこれも」
「ほーん、なるほどね。別に構わないけど、生憎とコレはうちの店じゃ取り扱ってないな」
買い物リストと別の紙を渡してドロシーが店主と話をしている間もオルトは店内を見て回っていた。
一般人や貴族でも普通は素材屋なんて利用しないので余程珍しいようだ。
買い物と所用を済ませた後はまた別の店を訪ねてこの日は解散した。
また別のある日、ドロシーは王都から離れた険しい森の中にいた。
「き、聞いてない!! あんなのがいるなんて聞いてないってば!!」
汗を流しながら全力疾走で逃げる。
護身用にと持ち込んだナイフは走ってる途中で落とした。
背後からはドドドッと巨大な熊が追ってくるので拾えなかったのだ。
(こんなことになるなら来るんじゃなかった!)
どうしても手に入りにくい素材の目撃情報があったので採取しにわざわざ来たのだが、よりによってその場所が森の主である巨大熊のテリトリーだった。
「来ないで! わたしなんて食べたらお腹壊すよ!!」
「……ドロシー。しゃがめ」
昼食用の魚を釣りに川に行ってたオルトがいつの間にかドロシーの進行方向にいた。
どうやら森の中を叫びながら逃げているのに気づいて駆け付けてくれたようだ。
手には剣を握っているようだが、まさか一人でこの巨体と戦うつもりなのかとドロシーは正気を疑った。
「馬鹿! 逃げないとヤバいって!」
「……その必要はない」
オルトの横を通り過ぎた瞬間に木の根っこに躓いてドロシーは派手にこけた。
おかげで指示された通りに頭を低くすることが出来たが、立ち上がるまでに熊は追いついてドロシーはガジガジ噛みつかれてしまう。
(死、死んだ!)
せめて部室の机の中に隠した自作ポエム集だけでも燃やして捨てさせてくれと神に祈りながら死を覚悟するが、いつまで経っても転んだ以外の痛みは無かった。
「……もういいよ」
それもそのはずで、立ち上がって振り返ると熊は血を流して絶命していた。
綺麗に首と胴体が離れていたのだ。
「本当に勝ったんですか?」
「……立場上、よく鍛えてるから」
何もなかったように剣を鞘に収めるオルト。
そういえば優秀な軍人を多く輩出してる家系だったなと思い出して納得しかけたドロシーだが、それにしてもおかしいだろ! と心の中で叫んだ。
「……どうかした?」
「いいえ。色々と疲れただけです。それよりさっさと熊を解体しましょう。内臓は貴重で素材に使えますから」
「……怖がっていた割には逞しいな」
(これだけ強いなら今後の素材集めに使えるか?)
泊まりがけで男女が旅をしているというのにドロシーとオルトは二人がかりで熊の解体を始める。
オルトの手慣れた様子と剣の強さに興味を持ったが、お互いの立場を考えてすぐに悪だくみをやめた。
(うひょー! 特大の熊の睾丸だ!)
「……嬉しそうだな」
「そりゃあ、こんなに立派ですからね。きっと食欲に比例して性欲も強かったんでしょう」
「…………」
(おっと。この人には酷な話だったか)
失言を反省し、この後は黙々と解体作業を行なった。
肉の部分は臭みが凄かったのだが、この二人はそんなのお構いなしにディナーとして調理して食べた。
こうやって暫くの間、ドロシーはオルトに付き纏われながら頼まれた依頼を達成するために働いた。
クラスの中ではあられもない噂話が飛び出していたが、元より評判の悪かったドロシーはそれらを全部無視したし、大抵の奴は青年が黙って睨みつけるだけで何も言わなくなった。
材料が全て集まり、繊細な調合を繰り返しながらドロシーは過去最高難易度の錬金術に挑んだ。
そして、ようやく惚れ薬が完成したと思ったらオルトからパーティーに出席するように命令された。
容姿と性格のせいで入学して一度も参加してないイベントだったのだが、滅茶苦茶に高級そうなドレスを無言で送りつけられてしまったので仕方なく参加する羽目になった。
恐ろしかったのはドレスのサイズがピッタリだったのと彼の従者らしきメイドが押しかけてきて髪型のセットと化粧を無理矢理されたことである。
♦︎
そして物語は冒頭に戻る。
「おい、あれって」
「うそ!? 魔女なの?」
「誰かわからなかったぞ……」
周囲にいた学生達が普段と違う姿のドロシーに驚き、ヒソヒソと会話をする。
(全部聞こえてるっての! わたし自身、こんな場所が相応しくないってわかってる)
いつもクラスの隅で目立たないよう置物に徹しているドロシーだが、今まさに婚約破棄という火事場の中に入ろうとしているので注目されないわけがない。
「誰よアンタ」
「どうも。同じクラスのドロシー・コメットです」
「はっ? 本当にあの陰湿根暗魔女なの?」
挨拶と自己紹介をしただけで悪口が飛んできてしまい、ドロシーは心が挫けそうになった。
陰口を偶然耳にするならまだしも面と向かってこき下ろされては精神にヒビが入るというものだ。
しかし、前金を頂戴している以上、義理を果たす必要がある。
「えーと、こちらをご覧ください」
ドロシーは隠し持っていた袋の中から手のひらサイズのボトルを取り出した。
中身が殆ど入っていないボトルには有名なメーカーが製造した果実酒のラベルが貼ってある。
「このお酒はダフネ様がオルト様を自宅にお招きした際に振る舞われたものですよね」
「っ、だったら何よ」
ボトルを目にした瞬間にダフネの視線が泳いだのをドロシーは見逃さなかった。
全てのきっかけはこの果実酒をオルトが飲んだのがきっかけだった。
「ダフネ様はオルト様がお酒を飲んだ後に酔っ払って乱暴を働き、傷物にされたから責任を取って婚約をしろと迫ったそうですね」
「そうよ。私、怖かった。あんな風な扱いを受けてどれだけ傷ついたか。……だから償いをさせるために婚約したのに、それを破棄するなんて酷いわ!」
まるで悲劇のヒロインのようにダフネは顔を隠して泣きだした。
観客達もその姿を見て同情的な視線を向ける。
(うわっ、秒で泣けるとか演技力だけはあるわ)
唯一、ドロシーだけは急に始まった茶番劇にドン引きしていた。
きっとオルトに乱暴されたと親に泣きついた時も同じ振る舞いをしたのだろう。
「それについてなんですけど、ちょっと無理があるんですよ」
「はぁ? 無理ってなんなのよ」
「オルト様はお酒に弱くて飲んだら翌朝までぐっすり眠るんですって。事件の日も寝ていて記憶が無いそうですし」
「そんなのいくらでも嘘をつけるじゃない」
予想通りの反論だった。
実際、オルトは菓子に含まれる微量のアルコールでもダメなようですぐに潰れて寝てしまうほど弱かったのだ。
まさかあの無愛想なイケメンにこんな弱点があるとは思わず、実験中にドロシーは面白がったりした。
「ですね。だからもう一つオルト様が貴女を襲わない理由をお伝えしときます」
こんな場所で言っていいことなのか未だに悩むし、本人の名誉が傷つくと思うので口にしたくはないが、もうあとには退けない。
「……ダフネ・ワルモー。ずっと誰にも言っていなかったが、僕は不能だ」
「「「えっ?」」」
ダフネを含む会場の全員が固まった。
オルトという男性が自白した不能という病。
彼は女性に対して性的興奮が出来ない体だったのだ。
「ちなみにですが医者からの診断書がございます。王族のかかりつけ医もしてる名医が太鼓判押してるのでガチです」
これを聞かされた時はドロシーも椅子から転げ落ちるくらい衝撃を受けた。
というか、ある意味セクハラなのでは!? とさえ思ったが、当人にとっては誰にも言えなかった一大事である。
オルトという青年は昔にその整った容姿のせいで数多の女性から迫られて女性恐怖症になった過去があった。
しかし、貴族の子息という立場上それを両親以外に明かせなかった。
見合いもせずにこの年まで生きてきたのもそれが理由だ。
「いかがです?」
袋から新しく取り出した診断書を読んでダフネはわなわなと肩を震わせる。
そして、顔を真っ赤にして叫びながらオルトに掴みかかろうとした。
「ふ、ふざけるんじゃ無いわよ! こんなの出鱈目よ。不能でも女性に乱暴することは出来るでしょ!! だって、」
「『だってあんなに強力な惚れ薬を飲ませたんだもの』ですか?」
「なっ!?」
続く言葉を遮ったのはドロシーである。
また新しく袋の中から出てきたのは小指サイズの小瓶だ。
「果実酒のボトルの中に混ざってた液体と同じ物を用意しました。こちらはあまりの効果の強さと悪用され易いのを理由に製造販売が法律で禁止されてる薬品です」
かつて、女性から嫌われまくっていた錬金術師がハーレムを作るために調合した惚れ薬があった。
錬金術師はその薬で色々な女性を自分のものにしようとしたがうっかりそれを部屋に溢したらしい。
結果、彼は飼育していた実験動物達に襲われてこの世を去った。
死因は象の求愛に耐えきれなかったことらしい。
「作られた経緯は馬鹿らしいですが、効力は本物です。人も動物も虜にしてしまう秘薬。これを貴女はオルト様に飲ませた」
「ぐっ……何様のつもりよアンタ!」
「失礼。わたし、こういうものです」
ドロシーはドレスの胸元中から取り出したペンダントを見せつけるように掲げた。
「蛇が巻きついた十字架……」
「まさかアレって、」
これまでで一番の驚いた声が会場を包む。
それもそのはずで、ドロシーが手にした証を持つものはこの大国であるソルズ王国でも数人しかいない。
「国家公認錬金術師のドロシーです。以後、よろしくお願いしますね」
錬金術を扱う人間の中でも最上位の者だけが手に入れられる資格。
一生を費やしても受かるかどうかわからない厳しく狭い門を
史上最年少で突破した凄腕の錬金術師がドロシーの肩書きであった。
「わたしが保証しますよ。このボトルに混ぜられたのは本物の惚れ薬だって。因みにボトルには製造ナンバーが書いてあるので貴女がいつどの日どこの店で仕入れたかも把握済みです。それから惚れ薬の入手先も押さえてあるので無駄な抵抗はしないでくださいね」
真っ青な顔で地面に座り込むダフネ。
オルトが合図をすると鎧を身につけた騎士がやってきて彼女はそのまま連行されていった。
♦︎
惚れ薬の購入は勿論、他人への使用は重罪なので貴族の地位を剥奪されて監獄送りになるのは確定だろう。
事前の調査と取り調べの結果、ダフネが犯行に及んだのは豪遊で傾いた実家を捨てて新しい金のなる木を求めたのが一つ。
婚約者のいる別の相手と体の関係を作って妊娠してしまったのを誤魔化すのが一つ。
誰もが見惚れる美男子の妻になることで周囲から同情と羨望を集めたかったのが一つ。
ドロシーとしてはどれもくだらないと思える理由だったが、当人にとっては法を破ってまで果たしたかった欲望である。
(それにしても馬鹿な錬金術師もいたものだ。金に釣られて禁じられた薬を作るなんて)
同じ国家錬金術師の試験を突破したものとして一応は同情する。
だが、理由は何にせよ調合した錬金術師も同罪で資格を剥奪されて業界から永久追放されることを考えるとリスクが高過ぎて怖いなとドロシーは思った。
(今回は調査のためにキチンとした理由があって良かった。惚れ薬なんて資料読むだけで一生作れないと思っていたし)
「…失礼する」
間違いなく過去一番に苦労して調合した薬の小瓶を突いていると部室のドアが開いた。
来客はいつもと同じ無愛想な顔をしたオルトだった。
「なんだ、オルトか」
「……何故そこで安心する?」
胸を撫で下ろして机にだらけるドロシーの反応がよくわからなくてオルトは首を傾げる。
「あんなことの直後だから不安だったんだよ」
パーティー会場での断罪イベントからまだ数時間しか経っていない。
ドロシーが国家錬金術師だと知った者がよからぬことを企んで訪ねてくるのでないかと内心ビクビクしていたのは秘密である。
「……心配いらない。あの後すぐに会場は元の空気に戻ったから」
どうやら学生達にとっては面白いショーが終演したのと同じくらいの感覚だったようで、それはそれでちょっと面白くなかったドロシーである。
(ちぇっ。わたしの最高の見せ場が……)
最難関の試験を突破してドロシーが国家錬金術師になったのは錬金術が好きだったからだけではない。
学園側にも話をつけて卒業時に大々的に発表してこれまでドロシーを見下していた連中にひと泡吹かせてやろうという計画だった。
だが、様々な要因が重なった結果半分くらい成功で終わってしまった。
「……ドロシー。約束の報酬だ」
ドン。
パンパンに膨れたずっしりとした重さのある金貨入りの袋が机の上に置かれる。
前金も驚くような額を渡されたが、成功報酬はそれ以上だった。
公爵家のスキャンダル解決はドロシーの想像以上に大きな意味を持つようである。
(まぁ、別の意味のスキャンダルが明るみになったけど)
オルトの身体機能の問題。
貴族としては致命的であるがそちらは生憎と自分には関係ないと割り切ることにした。
受けた依頼は達成したのでオルトとの関係もこれで終わるからだ。
(忙しかったけど、割と楽しかったかも?)
学園に入ってから放課後の錬金術の勉強以外は色褪せて楽しくない青春だったが、この数ヶ月は充実していたと言える。
今回の件のおかげで貴族の子供達を中心にドロシーの名前は広がり、卒業後の仕事にも有利に働くだろう。
案外、悪くない時間を過ごせたとドロシーは感じた。
「確かに受け取りました。じゃあ、コレの処分よろしくね」
金貨の入った袋を受け取り、ドロシーは惚れ薬の入った小瓶を手渡した。
これで納品完了。後は証拠品として騎士団に提出して国家錬金術師全員に注意喚起されて一件落着となる。
「……世話になった」
割れないよう小箱に惚れ薬を片付けるとオルトが深く頭を下げた。
「別にいいって。あなたは依頼人でわたしは仕事をしただけだから」
「……いいや。ドロシーに救われたのはこれで二度目だから」
「二度目?」
詳しく話を聞けば、なんでもオルトは学園に入ったばかりの頃に馬に乗って模擬戦をしたのだが、相手が下手くそ過ぎて運悪く落馬し大怪我をしてしまった。
その時に養護教諭がオルトの緊急処置に使ったのがドロシーと既に卒業した錬金術同好会の先輩が作った回復のポーションだった。
学生にしてはえらく高品質なものだったおかげでオルトは後遺症もなく早く復帰できたらしい。
「へー、そんなことがあったのね」
「……あぁ。それがきっかけでドロシーの事を知った」
初めてこの部室に来た日もクラスの騒がしい連中が錬金術同好会へ向かうのを見て心配になって付いてきたと言う。
惚れ薬について質問をしたのはついでだったそうで、結果的にはそれが正解の一手だった。
「……国家錬金術師は気難しい者が多い。国からの命令ならともかく、個人的な疑惑を払拭したいからと頼める相手はドロシーしかいなかった」
試験の際に立ち会った偏屈な国家錬金術師達を思い出してドロシーは納得した。
その国家錬金術師達と自分が同レベルに根性がひん曲がっているのに気づかずに。
「……ドロシーは僕にとって幸運をもたらしてくれる良い魔女だった」
魔女と聞いて真っ先に思い浮かぶのは悪そうな姿だが、おとぎ話には困った人を手助けしてくれる優しい魔女もいる。
ドロシーにとって魔女というあだ名が初めて良い意味で褒められた経験だった。
「べ、別に、わたしはやるべきことをしただけでそんな風に言われるのは……」
段々と声が小さくなり、慣れない感謝を受けて顔が熱くなった。
鏡を見れば自分の顔はトマトのように真っ赤になっている確信がドロシーにはある。
「……それと、今日のドロシーはとても美しかったよ。ドレスはプレゼントとしてそのまま受け取って欲しい。……それじゃあ、さようなら」
最後にとんでもない爆弾発言を残してオルトは部室から去っていった。
残されたドロシーは扉が閉まるまでその場で硬直し、次の瞬間に地面に倒れ込んだ。
(な、なんなのアイツ〜!! わたしをからかうためにわざと言ったの!? 絶対にそうだろ!)
顔を手で覆ってジタバタと地面を転がりながら悶えた。
ドレスが汚れてしまうが、あげると言われたからには自分の所有物になるのでお構いなしだ。
(けど、笑った顔は普通のガキね)
去り際にドロシーに向けられた表情は普段の無愛想からは想像つかないほど無邪気な笑み。
いつもあの顔でいればいいのにと一瞬考えたが、あれ以上モテモテになって厄介事が増えてはたまらないからそのままでいいかとドロシーは思った。
「あー、心臓の音がうるさい」
それからもうちょっとだけ自分の体が冷えて落ち着くのを待つドロシーだった。
なお、翌日になるとオルトはしれっと普通に顔を出してきてドロシーが割と本気で怒り、今度は不能を治す薬を依頼されて二人が西へ東へ駆け回る羽目になる。
気がついたら錬金術同好会の部員が一人増えてしまい、卒業後もその先も何やかんやでずっと一番近くにいることになって最終的に同じ墓に入るのだが、それはまだ未来の話である。
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