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心臓の音




 ようやく眠る気になってくれた彼に続いて書斎を出る。

 マンセルの寝室のベッドで眠るつもりでいたのに、彼は寝室の前を通り過ぎた。


「お前の部屋に行くぞ。寝付くまで一緒にいてやるから、自分の部屋で寝ろ」

「……でも」


 止めようとするオフィーリアを振り返りもせずに、シリルはオフィーリアの部屋の扉を開いた。そしてその場で立ち止まる。


「……ベッドは?」


 マンセルの部屋の半分ほどの小さな部屋には、本棚とテーブル、あとは大きなひとり用のソファしか置いていない。


「ありません。人形の時は眠る必要がなかったので、夜はそこに座ってずっと本を読んでいました」

「……この家には、他にベッドは」

「ありません。マンセルの寝室にあるものだけです」


 シリルは少しの間固まって、それから大きなため息をついた。


「……俺はリビングのソファで寝るから、お前が寝室のベッドで」

「なぜですか? 昨日も一緒に寝たでしょう。何が問題なのです」


 彼は視線を揺らしている。どう答えればいいのか考えあぐねているようだ。

 理由は分からない。ただこれだけは分かる。彼はオフィーリアとは一緒に寝たくないと言っている。


「……私がソファで寝ます」


 リビングを振り返ろうとしたオフィーリアは、二の腕を掴まれ有無を言わさずに強く引かれた。寝室の扉を開いたシリルに、引きずられるようにベッドまで連れて行かれる。


「大人しくここで寝ろ」


 肩を押されてベッドに尻餅をついて、シリルを見上げると彼はもう踵を返したあとだった。


「待って」


 止まらない背中に縋りつくように言う。


「ひとりにしないで……」


 手を伸ばして、届かずに下ろす。自分の膝に顔をうずめると、遠ざかっていた足音がまた近付いてきた。


「ベッドに上がれ」


 目の前から声が聞こえて顔を上げる。シリルの顔を見る前に、肩を押されて無理やりシーツの上に転がされた。布団を捲った彼はベッドの縁に膝をかける。


「もっとつめろ」


 俯いたままぶっきらぼうに言い放った彼を見上げる。「早く」と急かされ、言われた通りに壁際へと寄った。部屋に入ってから一度もオフィーリアと目を合わせていないシリルは、ベッドの端で仰向けに寝転ぶとすぐに目をつむった。

 オフィーリアも枕を引き寄せて横になって、彼の横顔を見つめる。


「今日は、何もしないんですか?」


 尋ねてから、もしかすると彼がオフィーリアと一緒に寝たがらなかったのは、それが原因なのではないかと思い至った。

 シリルが勢いよく起き上がる。ようやくオフィーリアを見下ろすように目を合わせて、それから苦々しく言った。


「しない」

「そうですか」


 シリルがまた布団に潜り込む。今度はオフィーリアに背中を向けてしまった。


「おやすみなさい」

「……おやすみ」


 少しだけ近付いて、目を閉じる。そのまま眠気を待ってみたが、昼によく寝たからだろうか、昨日あれほど恐ろしかった眠気は今日は影も見えない。

 隣で眠るシリルの体が呼吸で上下する回数を数えていると、二百を超えた辺りで彼の体がもぞもぞと動き、オフィーリアを肩越しに振り返った。


「……眠れないのか?」


 彼もまだ眠っていなかったようだ。頷くと、シリルは寝返りを打ってオフィーリアに向き直る。


「羊を数えるといい」

「なぜです?」

「……昔からそう言われてる」


 煮え切らない返事をした彼の手が、何度か前髪をかき上げた。その手のひらの小指の辺りが赤く腫れていることに気付く。


「手のひら……怪我をしているのですか?」


 彼は自分の手のひらを覗き込んで、また枕に頭を預けた。


「違う、剣を握った時にできるものだ。柄が擦れる部分が硬くなってるだけ」


 ああと納得する。マンセルも万年筆を握りすぎて指の一部が盛り上がって硬くなっていた。見るとシリルも同じ位置が硬くなっているようだ。


「あなたは魔術が使えるのに、なぜ剣を持っているのですか?」

「父に魔術だけでなく剣術も覚えろと叩き込まれた。父は全く魔術が使えなくて、祖父の勧めで剣術を極めたんだ。そこそこ有名な剣士だ」


 あのマンセルの息子が全く魔術が使えないというのは驚きだが、魔術の技量は遺伝しないとオフィーリアに教えたのもマンセルだ。


「どちらも扱えるなんて、すごいです」


 彼は照れたように何度か口を開閉して、居心地が悪そうに視線を泳がせた。今度は賞賛を受け取ってもらえたようだ。


「俺の魔術は治癒に特化しているから、身を守る術は必要だしな」

「剣術はどれほどの腕なのですか?」

「まあ、その辺のゴロツキどもよりは強いと思うけど」

「ゴロツキ?」

「悪人」


 それなら、万が一ここに夜盗が押し入ってきても、彼ならすげなく撃退できてしまうのだろう。


「父に勝てたことはただの一度もないけどな」

「お兄様には?」

「今のところ俺の勝率が三割くらい」

「ご兄弟は仲はいいのですか?」

「悪くはない。役割分担にはお互い納得しているしな」


 思わず頭を起こして、彼に近付く。


「ではあなたは、これからお兄様の元でマンセルの魔術を引き継いだ研究を?」

「ゆくゆくは家を出るつもりではいるが、ただ、祖父の魔術は思っていたよりも貴重で……危険だ。当分は厳重に管理ができる本家にいる方がいいだろう」

「それじゃあ、あなたは――」

「オフィーリア」


 名前を呼ばれ、矢継ぎ早に繰り出そうとしていた言葉を止める。


「そろそろやめてくれ。明日起きられなくてつらくなるぞ」


 ようやく気付いた。彼のまぶたはもう重たそうだ。


「ごめんなさい」

「明日になったら、いくらでも聞いてやる」


 シリルがあくびをする。それがうつったようだ。オフィーリアも口元を押さえて小さくあくびをすると、ようやく眠気が這い寄ってきたのが分かった。


「私も眠たくなってきました」


 目をこすって顔を上げ、それから口を噤む。

 シリルが目を細めている。その口元は柔らかく弧を描いていた。


「なぜあくびは伝染するんだろうな」

「……なぜですか?」


 その微笑みから目が離せない。


「さあな。なぜあくびが伝染するのかも、なぜ羊を数えるのかも、街へ行って本で調べてみたら分かるかもよ」

「私は、街へは行きません」

「そう」


 彼の口元から笑みが消える。瞳が閉じられたその顔からは、また感情が読めなくなってしまった。


「寝るぞ」

「はい。……おやすみなさい」

「おやすみ」


 目を閉じて、少し待ってから目を開くと、今度こそ彼は本当に眠ってしまったようだ。そっと近付いて顔を覗き込んでみても、黒いまつげはぴくりとも震えない。

 ぼんやりと思い出す。シリルの柔らかく微笑んだ顔を。耳の奥で何かが聞こえていて、少し考えてそれが心臓の音だと気付いた。

 胸に手を当て、じっと聞く。これが正常な鼓動の速さなのだろうか。

 それに合わせて呼吸をしていると、オフィーリアはいつの間にかまぶたを閉じていた。




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