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私の愛した人形  作者: 未礼


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7/13

暗闇




「ほら見たことか」


 目の前で腰に手を当て、シリルが言う。

 オフィーリアは重たい腹を撫でながらリビングのソファに座り、何も言えずに彼を見上げていた。

 痛みがあるわけではないが、腹部の不快感で身動きを取るのも億劫だ。

 彼が言うには、これは胃がもたれているという状態らしい。一気に食べ過ぎたのが原因だろうとのことだ。


「薬を飲んで休んでいればすぐに治る」

「……治癒の魔術は」

「連発すれば効きが悪くなってくる」


 あと数日で全てが終わるのだから、効きが悪くなったとしても関係ない。しかしわざわざ薬を用意してくれた彼にそう言うわけにもいかず、黙ったままテーブルの上の薬を水で胃に流し込んだ。なんと表現すればいいのか分からない後味に顔をしかめた。


「大人しく寝てろ」

「はい……」


 作業に戻る彼を見送って、ソファに寝転んで丸くなる。胃の辺りに手を当てて、ゆっくりとさすると不快感がマシになるようだ。

 いつの間にか眠っていて、起きるとすっかり体は良くなっていた。

 もう少し寝ていろと言うシリルを受け流して、井戸の水を汲んで彼が汚しに汚したキッチンを磨き上げる。

 日課にしていた庭の落ち葉掃除は、心配しているのか頻繁にシリルが様子を見にくるので早々にやめた。

 夕飯は忙しそうな彼に代わって、オフィーリアが簡単なスープを作る。書斎に持っていくと、間もなく空っぽの皿が帰ってきた。

 時間をかけてキッチンの片付けをして、他にやることはないかと探し回ったがもうない。

 眠らなければいけない時間になってしまった。

 マンセルが生前していた寝る前の準備をみようみまねでやって、ふと自分の体を見下ろす。そういえば、寝間着と呼ばれる衣服を持っていない。悩んで、ウエストを締め付けない一番ゆったりとしているワンピースを着て、マンセルの寝室に向かう。そっと中を覗き込んだが、まだシリルの姿はない。昨日のように薪ストーブには火が入っているが、小さな炎の明かりは部屋の隅まで届かず、ゆらゆらと闇が揺れていた。

 扉を閉めて、物音のする書斎へ向かう。書斎の扉は僅かに開いていて、そっと中を覗くと、シリルが忙しなく書類の束を捲ったりまとめたりしているところだった。

 声をかけようとして、昼間のことを思い出して驚かさないように扉をノックする。

 気付いた彼が作業を止めて体を起こした。


「まだ寝ないんですか?」

「もう少しでひと段落つくから、先に寝てろ」


 言うだけ言って彼は作業に戻ったが、動かないオフィーリアに気付いたのかまた顔を上げた。


「ここで待っていてもいいですか……? 一緒に……寝てほしいです」


 体を縮めながら尋ねる。彼の顔を見ることができない。


「……昼間はひとりでも眠れただろう」

「あの時は明るかったし、あなたが時々様子を見にきてくれていたから」


 何度か様子を見に来て顔を覗き込んでいく姿を、まどろみの中で見たことを覚えている。そのおかげで安心して眠ることができた。


「暗闇が、怖い」

「……好きにしろ」


 素っ気なく言って作業に戻った彼に、ホッとして「ありがとうございます」と礼を言って部屋に入る。


「何かお手伝いできることはありませんか?」

「ない。危険なものもあるから触るな」

「分かりました……」


 ほとんど空になっている本棚の前に置いてある椅子に腰を掛け、シリルの後ろ姿をじっと見つめる。

 長い間紙を捲る音だけが響いていた部屋に、狼の遠吠えが届いた。いつもより屋敷に近い場所にいるようだ。これから訪れる厳しい冬の前に、彼らも餌を探すのに必死なのだろう。


「祖父は、どんな人だった?」


 ぼんやり窓の外に向けていた視線を、その声に室内に戻す。シリルと目が合って、それからすぐに逸らされた。


「よく笑う人で、そしてよく泣く人でした」


 そう即答できるくらい、マンセルはいつもその顔に何かしらの感情を浮かべていた。


「仕掛けた罠に大きなイノシシが掛かったと大騒ぎして喜んだり、時々鳥が運んで来てくれる新聞を読んで涙を流したり、よく表情の変わる人でした」

「……手紙ではただの厳格なじいさんだったのにな」

「あなたは、マンセルと直接会ったことはないのですか?」


 シリルは手を止め、オフィーリアに体を向ける。


「あるけど、俺が赤ん坊の時だ。産まれたばかりの俺に名前を付けて、すぐに祖父は家を出てここに来たから」


 ということは、シリルは今年で二十歳なのだろう。オフィーリアが心を込められた日と彼の産まれた日は、それほど違わないはずだ。


「戦争が終わって少し経った頃だ。国のために尽力した祖父の力を警戒して、国は祖父を不当に縛り付けようとした。祖母は早くに亡くなっているし子供は皆独立していたし、彼は国にもこの世にも何の未練もなかった。今に国に逆らって問題を起こすんじゃないかって、父は気が気じゃなかったらしいよ。そんな時に初めての孫が生まれて、なんとか落ち着いてくれたらしい」

「あなたが生まれたんですね」

「いいや、兄だ。俺は次男」

「次男のあなたがマンセルの跡を継ぐのですか?」

「そう。祖父の魔術は俺が継ぐが、家督は兄が継ぐ。父は兄に全てを継がせて祖父の魔術は兄弟で共有させたかったようだが、祖父は俺を指名した」


 子を飛ばして孫に継がせるということはシリルの父親はもういないのだと思っていたのに、その言い方からまだ存命のようだ。

 マンセルはおそらく、世襲などのしがらみをすべて無視して、家族の中で一番魔術に秀でたシリルに全てを託したのだろう。マンセルらしいといえばマンセルらしい。


「あなたの実力が認められたのですね」


 賞賛したつもりだったが、シリルは唇を曲げて肩を竦める。


「兄は魔術よりも社交に出るほうが好きだから。一日中机に齧りついて勉強をしていた俺が気に入られただけだ」


 今日一日シリルと話をして、彼のことが少しずつ分かってきた。彼は素直になれない人間のようだ。


「マンセルはよくあなたのお話をしていました。あなたは勤勉で、優秀で、自慢の孫だと。あなたからお手紙が届いた日は、とても嬉しそうに私に報告に来ていました」


 シリルの目が見開かれる。何か言おうとしたらしい唇からは吐息しか漏れず、顔を逸らした彼の、その目から涙がぽろりと落ちた。

 見てはいけないと思ったのに、その横顔から目が離せない。

 静かに静かに、音もなく祖父の死を悲しむ彼は、やはりマンセルとは違う人間なんだと痛感させられた。


「七十歳か……こんなところで質素な生活をした割には、長生きしたもんだ。大往生だよ」

「はい。全く同じことを、マンセルも言っていました」


 ふ、と笑って、シリルは目元を拭う。そして山積みになった本に両手をついて立ち上がり、まだ赤らんでいる目をオフィーリアに向けた。


「寝るぞ」

「はい」




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