番外編 人形じみた
電子書籍化記念番外編
(成人向けレーベルですのでご注意ください)
いまだに彼女が人形に戻ってしまったのではないかと錯覚することがある。
珍しく冬の晴れ間が覗く窓際で、椅子に座って外を眺めている彼女は、まだ部屋に入ってきたシリルには気付いていなかった。
柔らかな銀の髪が風に揺れている以外は微動だにしないその姿は、どこからどう見ても人形にしか見えない。
——不安なのだ。
無理やりオフィーリアを連れてきた自覚がある。彼女が毒だと思い込んでいるものを目の前で飲んで見せ、彼女の心を搔き乱した。シリルに向ける感情を、愛や恋だと錯覚させた。
あの時点ではきっと、その感情はオフィーリアが祖父に向けていた純粋で美しいものとは似ても似つかなかったはずだ。
彼女を無理やり祖父から引き離した。
彼女はそれをどう思っているのか。シリルには尋ねる度胸も図太さも持ち合わせてはいない。
世紀の大魔術師の奇跡のような術で人間になったオフィーリアが、シリルにも計り知れないような力でまた人形に戻ってしまったら。彼女もそれを望んでいたら。
ただ、それが怖くて不安で仕方がなかった。
「オフィーリア」
シリルの声に、オフィーリアがゆっくりと顔を上げる。瞬きをしてシリルを振り返ったその顔が緩んで、ようやく人形じみた無機質な輪郭の曲線が崩れた。
内心ほっと息をついたシリルに、彼女は無邪気に笑いかける。
「シリル、お帰りなさい」
「ただいま」
オフィーリアが立ち上がるのと、シリルが彼女のそばに歩み寄るのはほぼ同時だった。腰を抱き寄せ、額にキスをする。
彼女がゆっくりと動くのは人間の体に慣れていないからだと思っていたが、今になってもその一挙一動がのんびりしているのは、その気質からくるものらしいと最近知った。
手を伸ばして、薄く開いている窓を閉める。
「体が冷えてる。窓を開けるのならもっと厚着をしろ」
「お日様は暖かいですよ」
そうは言っても、唇が触れた額も両手で包み込んだ頬も冷たい。シリルの手をさらに包み込んだ手もひんやりと冷たくて、シリルの心の中をざわつかせた。
「シリル、お義父様が私でも飲みやすいコーヒーの豆を買ってきてくださったんです。淹れてもらって、天気もいいですし中庭で一緒に飲みませんか?」
「駄目だ。また熱を出したらどうするんだ」
少し前に熱を出して倒れ、寝込んだばかりだというのに。間髪入れずに却下すると、彼女の眉尻が一瞬下がって、しかしすぐに笑顔にかき消された。
「それじゃあ、リビングの暖炉の前で一緒に飲みましょう」
「……う、ん」
「淹れてもらってきますね」
「ああ」
どうにか取り繕って返事をしたつもりだったが、オフィーリアは扉へ向けた足を止めシリルを振り返った。
「お疲れですか?」
「いや……」
曖昧な返事を聞いて、彼女はさらに一歩近付いてシリルを見上げる。まだ察することが苦手な彼女は、よくこうやってシリルの目を覗き込む。
人と深く関わるのが苦手なシリルだったが、少しでもシリルを知ろうと、少しでも理解しようとするオフィーリアのこの瞳は好きだった。
美しいエメラルドの瞳に、全てを曝け出したい。全てを理解してほしい。
臆病で「愛している」と口に出せないくせに、どれだけ彼女を思っているのか知ってほしい。
このままでは情けない思考まで読み取られそうな気がして、大きく体を屈めて唇を押し付ける。ついばんでから目を開くと、至近距離で目が合った。
「……キスをする時は目を閉じろ」
「ふふ、はい」
銀色のまつ毛が彼女が笑うのと一緒に震えて、ゆっくり閉じたのを見届けてから柔らかく弧を描いた唇にキスをする。
ここに来たばかりの頃は常に緊張していたオフィーリアだったが、最近は少しずつ笑うことが増えた。新しいものを見て驚き、喜び、知りたいと興味を持って目を輝かせている。
彼女の願いは全て叶えてやるつもりで連れてきた。
「……オフィーリア。厚着をして、少しの時間だけと約束できるのなら、外でお茶にしよう」
本当は彼女を閉じ込めたい。逃げ出さないように、消えてしまわないように。
「はい、約束できます……!」
「今日の訪問先の奥方が、お前が甘いものが好きだと聞いていたようで菓子を持たせてくれた。それも一緒にいただこう」
その顔に満面の笑みが浮かぶ。エメラルドの瞳が見えなくなるくらい目を細めて、「嬉しい」と声を弾ませて、最近はそんな笑顔をシリルに見せてくれるようになった。
「行きましょう」
跳ねるように扉へ向かったオフィーリアに手を伸ばす。届くことはなかったが、振り返った彼女がシリルの名前を呼んだ。
「シリル」
伸ばされたのは小さな手だ。
すがりつくにはあまりにも細く、離れないように、見失わないように、壊してしまわないように、シリルは優しく強くその手を握り締めた。