第97話 誰も誰かを想ってる(3)
もふもふな黒髪に狐目、射貫くような鋭い眼光。
それは碧のよく知る人物——もとい自分を最も嫌ってるであろう人物だった。
「あれ、夏貴?」
碧が意外そうにその名を呟くと、こちらの姿を認めた夏貴が、前髪のかかる鋭い瞳孔をさらに小さくした。コーヒーの芳香と古めかしい木組みの壁のおかげで居心地がいいはずの店内が、まるで戦場真っ只中のようにぴりつく。
「あ? なんでここにいんだよ」
「だって僕の行きつけだし」
「そうじゃねえだろ」
がたんと乱暴にコーヒーカップを置いた夏貴が立ち上がり、二人の前に屹立する。
碧は後ろにいるくるみを隠すように、一歩前へ出た。
この日、碧は湊斗に借りていた本を返すためにここに来た。家を出る時に一階のエントランスでばったりくるみと出会い、行先の説明と留守番の依頼をしたところ、心底寂しそうな目をされたので、そのままにできず連れてきたのだ。
だってよもや、学校から離れたこんなところで同級生に出会うなど思うまい。
それも一度のみならず二度も……。
夏貴の視線がするりと動き、真っ直ぐ後ろの少女に刺さった。
「前回もだけど、何で自由人と一緒にいるわけ?」
それは間違いなくくるみに投げかけられた問いかけだろう。
威嚇しているというか、鋭い眼光で見詰めているというか。——意図は読めないが、僅かに圧を掛けてるかんじがした。
そう、それはまるで奪われたぬいぐるみを取り返そうとする子供のような。
「……なるほどね」
前々から抱いていた懸念が早速、嫌なかたちで実現してしまったわけだ。
夏貴には前にも一度駅の改札でくるみとの待ち合わせを見られている。概ね妖精姫と仲がいい碧に嫉妬の矢印が向いた、というところだろうか。彼もまた学校中の羨望の的とお近づきになりたいのだろう。
自分を嫌うぶんには構わない。が、今はくるみだけは巻き込みたくない。そう思い庇うようにさらに前に出た所で、外野から横槍が入った。
「——あの、お二人さん」
「「何」」
心中穏やかじゃない男子高生ふたりが声をはもらせて一度に振り向くので、湊斗はびびったように頬を引きつらせる。
「あ。俺、倉庫にコーヒー豆取りに行ってるから。……他の客来たらすぐ呼べよ」
逃げた——もとい空気を読んだようにいなくなり、店内は三人ぽっちとなる。すぐにLINEが鳴り〈ごめん〉という謎のメッセージが湊斗から送られてきたが、何の謝罪なのかを訊く余裕はなかった。乾いたジャズの音が今だけは煩わしい。
「もうさ、こういうのやめない?」
初めに均衡を破ったのは、大きなため息混じりの碧だった。
「先回りされてまで追っかけされても困るというか。連絡先くらいなら教えてやるからさ」
「追っかけじゃねえよ! 誰がお前の連絡先なんかいるか!!」
また牙を剥いて唸ってくるのでとりあえず鞄のメモ帳を一枚ちぎり、ボールペンで連絡先のIDをさらさら書き出し、指でぴんと弾いて飛ばす。
ひらひら飛んでったメモを夏貴は反射的にキャッチしにいってた。あ、こいつやっぱ悪いやつではないな、と思った。
「こ……これはちげえよ! 店を散らかすのはよくねえからだよ!」
「僕別に何も言ってないんだけど」
真っ黒に染まった殺意の棘を二倍キャンペーンにするのはやめて欲しいところだ。……いや、今のは自分が悪いか。
そこで、見えない影でシャツの裾がきゅっと掴まれた。
見ると隣のくるみが、何か言いたげにこちらを見上げてくる。ヘーゼルの瞳には若干不安そうな光が滲んで見えた。
気持ちはありがたいが、今回くるみは蚊帳の外にいてもらうのが最善策だろう。
そう思い再び庇うように彼女の肩に腕を回してぐっと引き寄せると、それを見た夏貴が、苛立ちと棘をまとい眦を吊り上げた。
「……あんま調子乗んなよ」
「っ。前回もですけど、どうしてそう——」
聞き捨てならないらしいくるみが一歩前に出そうになるのを、碧がやんわり制し、そっと引き留める。
「大丈夫。僕が話すから」
「けど……」
ちょっと上品じゃない言葉が飛び交うかも知れなかったので、碧は後ろからそっとくるみの耳を塞いだ。くるみは困惑してこちらを見上げようとしてくるが、碧は優しくもしっかり押さえたまま夏貴に言う。
「とりあえず僕とくるみさんの仲を吹聴しないでくれたことは、ありがとうと言っておく。なんでそんなに突っかかって喧嘩売ってくるのか知らないし、買う気もないけどさ」
でも、と続ける。
「僕は一度君と仲よくなってみたいと思ってたけどな。その様子だと僕のことただ嫌いって訳でもないんだろ。もしそうならこんな回りくどい言い方してこないだろうし、何か言いたいことあるなら今ここで言いなよ、聞くから」
その仮説が正しいなら、友誼の余地はあるはずだ。
もし本当に嫌悪しているのであれば、改札で見たくるみとの関係を言いふらして、碧を学校中の嫉妬の的に仕立て上げることも出来た。なのに彼はそれをしなかった。
何より——彼の言動や眼差しが、どこか鋭くなりきれない優しさを滲ませているような、そんな気がしたから。
挑発と友好の両方が織り交ぜられた言葉のプレゼントに、一瞬怯んだ様子を見せる夏貴だが、すぐに意趣返しをするように口の端を吊り上げてみせた。
「そうだな。ただ嫌いじゃない、大嫌いだ」
「うわーかなしいなー」
「棒読みすんな!」
「僕としては好きな映画とかでも語りたかったんだけど。僕は『ショーシャンクの空に』が好きだけどそっちは? 邦画派? 洋画派?」
「答える義理ねえだろ。それに……俺から言いたいことあるにしても、今のお前には死んでもごめんだな。帰国子女の碧くん」
「!」
彼の口から出てきてはいけないはずの、事実。
「……それ、誰から聞いた?」
「さあ誰でしょうね? ……お前の親友からじゃねえから喧嘩とかはすんなよ」
「この期に及んでその心配する?」
「俺のせいで揉め事にされたら寝覚め悪いだけだ、あほ」
「君キャラ読めないってよく言われない? 」
通学リュックを担ぎ上げる夏貴。自白するつもりはないようだが、今日のところはこちらの意志を伝えることは出来たし上々だろう。なので棘のついた言葉をシャットアウトする手も下ろした。
「まあ話はここまでとしてさ、最後にひとつだけ」
帰ろうとする夏貴を呼び止め、今の僕が駄目なら……という前提で笑って言う。
「告白のお返事を貰うのは明日の僕に任せる。LINE気長に待ってるよ」
「……今日も明日も同じだよ。お前の連絡先なんかスマホにいれておきたくもないね。このメモは紙飛行機にでもしてどっかから飛ばしておくわ」
「じゃあ昼休みにでも一緒に語り合う? 四時限目終わったらすぐお前ん席に迎えに行くからさ」
「するか!! 明確に拒否られてんだぞ馬鹿じゃねーの」
なかなか折れない碧の発言に夏貴は戦意を削がれたようで、そう言い残して卓に千円札を置いたっきり、白けたように去っていった。
ふうと息を吐き、我に返ると、隣の少女がじいっとこちらを見上げてきていた。
「ああ、ごめん。今のは気にしないでいいから」
「……気にする」
「あのね」
「一緒にいる人があんな絡まれ方してたら気にするし、聞きたくもなる……何か、あったの?」
まあ、この場にいる者としては当たり前の権利だろう。
敢えて何も踏み込まないという選択肢だってあるなか、聡明なくるみが確認をとってきたということは、さっきの自分は相当人に見せられない表情をしていたらしい。
「ただ今度二人で遊ぼうぜって話しただけだから平気だよ。心配しなくて大丈夫だから」
「……本当は、そうじゃないくせに」
「長く生きてればそういうこともあるよ。まあ、なるようになるでしょ」
「ばか」
あくまで頑なに語らない碧にくるみもこれ以上追及する気はないのか、罵りを一つ。それだけでいつもの自分に戻れる気がする。
だが同時に、たった今去っていっていった彼の別のことを考えていそうな語調や、どこか弱々しい眼光を思い出してもいた。
それはまるで、何か大事な本心を隠しているように思えて、仕方がなかった。
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