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小さな箱庭のスノーホワイトは渡り鳥に恋をする  作者: 望々おもち
第3章 シュガーリリィの恋
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第96話 誰も誰かを想ってる(2)

「はあ……」


 帰宅した後のいつもの店番中、湊斗は誰もおらず閑古鳥が鳴く〈Adrable(アドラブル)Cafe(カフェ)〉のカウンターで一人頬杖をつき、幸せが裸足で逃げていきそうな巨大なため息を吐いていた。


 思考のメモリを占領しているのは、碧とくるみのことだ。


「どうやったらふたりは幸せになれるんだろうな……」


 それは概ね、葛藤と呼ぶべきものだろう。


 親友の意志は尊重したい。けれども同時に結ばれて幸せになってほしい。

 それが今の湊斗の持つふたつの希望だった。相反する、とまでは言わないが、かといって両方を叶えるのが難しいことくらい、分かる。


 夢のために海外に行けばくるみと離れ離れになるし、日本に留まれば抱いた大志は貫くことができない。


「あのかんじ、楪さんはもう確実に好きそうだしなぁ。あいつも鈍くはないし、何となーく気づいてるだろうけど」


 前々からくるみから碧への好意というものは湊斗も察知していたけれど、この間のランチで確信した。


 何を言っているかまでは分からなかったが、碧を照れさせたあのドイツ語といい、ふあふあした乙女然とした表情といい、打算や駆け引きが出来ない清廉さがあるのだろう。あんなまっすぐな恋心を見せられては応援せずにはいられない。


 誰にも寄りかからないはずだった、そして今まで誰にもなびかなかった孤高に咲き誇る高嶺の花があれほど懐いているのだから、彼だって親愛の情を向けられていることはまず間違いなく自覚はしているのだと思う。……『気づく』のと『信じられる』のは、また別の話なのだが。


 くるみのような完璧才女の天上人から好かれるなんて普通はないから、まあ仕方ないのかもしれないが、釣り合わないとはみじんも思わなかった。 


 彼は女の子たるもの大事に扱うべき、を体現したような人間だ。


 外国育ちの海外仕込みで、立ち振る舞いは同じ男としてかなり参考になるし、惚れ惚れする。エレベーターの扉は必ず押さえてやるし電車でも席を譲るが、これがまた嫌味じゃなくスマート。海外育ちっていいよなと羨ましくなる。なんか一人相撲して勝手に負けた気がするのが悔しいけど。


 物静かで感情を表に出さない故に、何考えてるか分からず取っつきづらい、と言われがちな第一印象からは想像つかないくらいに、実は喋れば気さくだし、つき合いが深くなれば意外とよく笑うし冗談も言う。


 事実、海外の友人は多いし学校の先生にも人気があるのだ。この優しさや温厚さを生徒らが知らないのが口惜しいし、心底勿体ない。


「……いい奴なんだよな、ほんと」


 だからこそ碧とくるみがあそこまで仲睦まじくしているのが、湊斗は大いに嬉しく、そしてなかなか結ばれる方向に進まないのが焦れったかった。お節介にも程があるかもしれないが、どうすれば彼らが泣かずに済むのかを、湊斗はずっと考えていたのだ。


「あーもう!! いっそ碧がふたりに分裂すればいいのに!!」


 ずっと引っかかっていたことを思いのまま叫んだその時、からんころんとドアベルを鳴らして一人の男が入って来た。


「いらっしゃ……あれ、お客さん?」


「あの、外は酒のメニューしかなかったけどコーヒー出してるんすよね……ん?」


 初めてにしては、ずいぶんと見慣れた客だった。


 猫っ毛の黒髪、等身大の男子高生らしく着崩した厚手のトレーナーを着込んでいる。席への案内もせずに立ち尽くす湊斗を見て、訝るように眉を寄せた。


 年始につばめが連れてきた妖精姫(スノーホワイト)といい、どうも今年は珍妙なお客が続いて困る。


「もしかして夏貴か?」


「……ああ、湊斗。何、ここでバイトしてんの?」


 碧にやたら突っかかって絡んでくるのを一度見たことがあるので、覚えていた。碧の親友である湊斗の立場からすればかなり複雑な関係だ。どう接するべきかな、と困惑しながら頬をかく。


「バイトっていうかここ俺ん家だし。いやまさかこんなひなびたところにある店に同級生が来るとはな……」


「颯太に、宮町二丁目にいいかんじの喫茶があるって聞いたんで。まさか湊斗の実家だとは思わなかったけど」


「そっか颯太かあ……」


「……気まずいなら帰るけど」


「いや待って、そんな気を遣わなくていいから! ほら、一杯頼んで行きなよ。な?」


 さすがに追い返すのは可哀想なので、カウンターを急いで出ると夏貴の体を押し、空いている席に座らせた。


 夏貴は押されるがまま座るや否や、ぼそっと小さい声で「ブレンドで」とだけ言ったきり鞄から分厚いハードカバーの本を取り出し、栞紐を手繰って読みかけのページを開く。それからは黙って文字を追うのに集中し出した。


「…………」


 薄情にもやっぱり帰ってもらった方がよかったかな、と思うくらいには気まずかった。


 ——やべー! 助けて碧こういう時どうすればいい!?


 なんて拝んでみるが、想像上の碧は「普段偉ぶってるのに」とか「これだから湊斗は駄目なんだ」とか、本物は限りなく言わなそうな罵倒しかしてくれない。湊斗自身が解決策を思いつかないのだから、湊斗の生み出したイマジナリーな住人である碧がそれしか言わないのも詮なきことだ。


「あ、あのさ。夏貴」


「何すか?」


 空気に耐えかねて話しかけると、夏貴は意外にも不機嫌そうな様子はなく、限りなくフェアな調子で返事をしてくれた。どうやらあの刺々しい言動は碧だけに向けられたものらしい。ぶっきらぼうでテンションが低いのは恐らくもとからなのだろう。


 多少居心地が悪くなることを承知の上で、湊斗はこうはっきり切り出した。


「夏貴ってさ……碧のこと嫌いなの?」


 どんな因縁があるのかは知らないが、どうもちょっと喧嘩したって程度でもないらしい。


 では何があったのか、なんて以前碧に訊いたことがあったが、肩を竦めるだけで答えてはくれなかった。本人も身に覚えがないようだ。


 となればいわれのない一方的な嫌悪だろうか。


「……何でそう思うんすか」


「見てれば誰でも分かるって。いつも睨んでるし」


「そっすか」


 どうやら自覚はあるらしい。


「あいつ入学早々結構目立ってたじゃん。入学初日は全員制服が不文律だったのにいきなり私服登校してくるし、先生に敬語使わないで注意されてたし、なんなら日本人なら全員持ってる常識が抜け落ちてるって言うか。やっぱその類?」


「……否定はしないけど。俺あいつのそういう自由すぎるとこむかつくし」


「だよなあ!!」


 湊斗が急に肯首すると、夏貴は思わぬ返答にびびったように身を退け反らせた。


「……え、あんたあいつの友達じゃねえの?」


「友達だよ? けど俺も最初は正直、そうなるとは思ってなかったんだよな」


「じゃあッ」


 初めて夏貴が、はっきりと声を上げた。


「……どうしてつるむようになったんだよ」


「気になる?」


「いや別にあんな奴どうでもいいけど。……訊いてみただけ」


 前置きで否定しつつも、友人に少しでも関心を持ってくれていることが、湊斗は嬉しかった。もしかしたら、この話をきっかけに印象がころっとひっくり返るかもしれない。


 そんな一縷の望みを持ちつつ、記憶の糸を辿るように一年前を思い出す。


「俺が初めてあいつと話したのはちょうど一年前、入学から一ヶ月くらい経った頃かな。ゴールデンウィークに出かけた帰り道の駅前のベンチで俺、偶然見ちまったんだよ」


「何を」


「……あいつが新聞紙の兜をかぶりながら柏もちを食ってるところを」


「は?」


 夏貴はぽかんと口を開ける。概ね予想通りの反応だ。


 一年前の自分も同じリアクションをした気がする。


「ウケるよな。こどもの日がそういうお祭りだって勘違いしてたらしい」


 少なくとも二年に一度は一時帰国していたらしいが、夏休みのタイミングが多かったので、他の時期の日本の風習には詳しくなれないままこの歳になったという。


 夏貴は何も言わずじっとコーヒーカップに視線を落としているが、この語りが届いていると信じて続ける。


「何考えてるか分かんない奴だなと思ったけど、何となく気になって学校でも話すようになった。結構打ち解けてきたある日、初めて実家(ここ)に呼んでコーヒーを一杯奢ってやってさ。そしたらあいつが言ったんだ。十五年後もこの店は続いてるのかって」


 夏貴相手にこんな話したってしょうがないんじゃないか、と思う気持ちも正直ある。


 けれど少しでも親友のいいところを認知してほしいと言う思いが、湊斗に話をさせたのだと思う。


「その時の俺は、父親から将来のこといろいろ言われてて参ってたんだ。祖父が開いたこの喫茶を自分の代で閉じたくないって。兄貴も別のやりたいことあって家出て行ったしな。だから『俺が継げばあるし継がなければない。けど俺も高校出たら遠くへ行ってみたいから今のところはその予定はない』って答えたんだけど、したら碧はなんて言ったと思う?」


 そう、その時あいつは僅かばかり笑ってこう言った。


『じゃあ看板だけ外して持ってって、僕と一緒に世界を周って移動式カフェするか。この美味いコーヒーが二度とのめなくなるのは、惜しいからさ。お前はどこがいい? アジア? 南アメリカ?』


 ばかみたいな冗談だと思ったが、何が可笑しいって、本人は大真面目に言っているのだ。


 この世界に出来ないことはない……と言いたげに。この年代になると誰もが持つ諦めがすっぽり欠落したそんな言葉は、その時の自分には深く、深く突き刺さった。


 どうしてこう、会って間もないのに人の心を揺らす言葉を……。


「なんかお前もあいつの友達すんの苦労してそうだな。同情するよ」


「本当それ。マイペースすぎて思い立ったらすぐ行動するから俺もよく振り回されるし。代わりに怒ったところも見たことないけど、あれには苦労するね」


「やっぱ乗っかってくるのな……」


 それから夏貴には言わないが、もう一つ。後にこんな台詞が続いていた。


『そうじゃなくても、十五年後も湊斗がこの街でコーヒー出してるなら、何度も通って常連になるよ。僕はその時日本にいないかもしれないけど、もしそうなっても帰国する度にここで湊斗のコーヒーをすすりながら、帰ってきたなあって寛ぐ。よくない?』


 十五年後。その光景が、温かい水彩画みたいにすんなりイメージ出来てしまって。


 不覚にも一瞬だけ……店を継ぐのも悪くないかななんて、思ってしまったのだ。


 やっぱり漠然と遠くに行きたい希望は捨てられていないけど、今も美味いコーヒーを淹れる練習をしたり素直に店番を引き受けたりしてるのは、そんな言葉がお守りになってくれているからだったりする。


 そして、それをすんなり言ってはこちらの心にいつのまにか踏み込んでいた碧のことも、気づけば人間として好きになっていた。


「要するにあいつは人たらしなわけ」


「何だそれ」


「うちの学校の奴らは敬遠してるし、本人も鼻にかけないから知ってる人は少ないが、あれでわりと何でもできるすげえ奴なんだぜ。空気読めない振りしてる風に見えるけど、本当は読めるのに敢えてそうせず自由にしてるだけで、距離を測るのは抜群に上手い。相手に気づかせずに気を遣い、相手の世界との境界線をなくす……いや、初めからなかったみたいに振る舞う。それを天賦の才でやってのけるんだよ、あいつは」


 詳しく馴れ初めを聞いたわけじゃないが、妖精姫(スノーホワイト)と呼ばれるあの人に唯一碧だけが近づけたのは、初めに彼がくるみの世界に一歩踏み込んだのがきっかけだと思っている。


 同時に、碧の確固たる信念や譲れない意志を知って、思い知らされた。曖昧にごまかして逃げてばかりの自分の何処を探したって、同じものは見つかりはしないことに。


 自分に同じだけの勇気があれば、こうやって停滞せず燻らずに済んだかもしれない——これは本人にも伝えていない強烈な嫉妬だ。碧は察した上で、気づいていない振りをしてくれているのかもしれないけど。


「そういうところが格好いいって思えて、なんか勝手に負けた気がして悔しいけど……人として嫌いになれない。何故ならやっぱり格好いいから。それが俺があいつとつるむ理由だ」


「ふうん」


「あいつのこと意外だった? そうでもねえ?」


「……別にそんぐらい、俺も知ってるから意外ではないな」


「知ってる? なら何で——」


 聞き返そうとすると、夏貴は落ち着いた傾聴の姿勢から打ってかわり、冬ごもり前の狐みたいに厳しい眼差しを向けてくる。


「結局なに? この話をすれば俺がころっとあいつに媚びるでもと思ったのか? だとしたら残念だけど期待外れだ。湊斗のことはいい奴って分かったけど、悪いがあいつのことは認めねえよ」


「ええ……いやそういうわけじゃない! 俺はただ、あのうわさを鵜呑みにしてほしくないだけなんだよ。その結果、夏貴がどう思うかまでは俺の関与するとこじゃない」


「俺はあいつが嫌いなままだ。今の話だって結局、あいつが一匹狼気取ってる理由にはならないよな。そんな奴をどうしてそこまで庇おうとするんだよ。そこを話してくれないなら納得出来ねえな」


「いやだって、あいつは帰国子女だから周りに理解され——あっ」


 咄嗟に言葉を切るが、遅かった。


 言葉に熱がこもるにつれ、本人が言おうとしないことを、うっかり言ってしまった。


 やべ、と思いながら口を噤むが、夏貴から返って来たのは想像だにしない回答だった。


「……それも、知ってる」


「えっ」


 ——夏貴が? あいつがずっと日本にいなかったことを?


 虚を衝かれ言葉が見つからずにいると、ごちそうさま、とたった一人のお客が鞄から財布を探りつつ伝票を突き出して、がたりと立ち上がった。


「も、もう帰るのか。すまんな、ゆっくりさせてやれなくて」


「いい。このコーヒー美味いから……今度また来てもいいか」


「え? あ、ああ。もちろん」


 受け取った伝票を見ながら、同級生だしちょっとはサービスしといた方がいいのかななんて考えつつ、告げるべき代金を迷っている湊斗。


 からんころんとドアベルが鳴ったのはその時だった。


「いらっしゃ——」


 いつものように、かったるく投げた挨拶が、しかし届き切る前に引っ込む。


 もしもの話なんて好きじゃないが、この時——もし自分が夏貴にコーヒーを勧めていなければ、碧の話をしなければ、何かのボタンの掛け違いみたいにこうはならなかっただろう。あるいはボタンを掛け違えたから、こういう結果になったのかも知れないが。


「……なに湊斗、そんな怖い目つきで客で迎えてたらみんな逃げちゃうんじゃないか」


 西日の差す扉の前には、ひょうひょうと冗談交じりに言ってのけた親友——碧と、彼の連れた妖精姫(スノーホワイト)


 胡散くさそうに振り向いた夏貴の視線が、交錯した。


お読みいただきありがとうございます。

もうすぐ100話ですね!

ここまで順調に続けられたことが驚きです。

なにかちょっとしたお祝いとかしてみたいなあと思ってます。

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