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小さな箱庭のスノーホワイトは渡り鳥に恋をする  作者: 望々おもち
第3章 シュガーリリィの恋
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第95話 誰も誰かを想ってる(1)


「母さんさ、近頃会える?」


 土曜の夜を狙って母親に電話をかけると、ワンコールですぐに出てくれた。


 背後からは雑多なオフィスの音が溢れているので、休日出勤の上に残業をしているのだろう。編集者という生き物はたいへんだ。


『あらー碧から電話なんて珍しい。なに? どうしたの?』


「ちょっと相談したいことがあってさ」


 スマホを肩に挟み、作り置きしてもらった海南鶏飯(ハイナンジーファン)を器によそいながら言う。


 くるみは料理のレパートリーが本当に豊富で、碧もこの半年でいろんな料理の存在と、それを実現する彼女の腕前に驚かされた。どれをとっても長い時間をかけて味わいたい滋味と深みがあり、冗談ではなく碧の毎日の生きがいになっている。


 そういえば母親にはまだくるみのことを紹介していなかったっけ。鍵を預けている関係だし、今度会わせてみるのもいいかもしれない。


『相談って?』


「夏にオーストラリアに渡航しようかなって思ってて、英文同意書を書いてほしいんだよね。ユースホステルは自分で手配するから、それだけしてもらえれば大丈夫」


『おっけー。オーストラリアね。いいわねえ』


 母親は驚くでもなく、拍子抜けするほど呆気なく了承してくれた。


『懐かしいな、お母さんがお父さんと出会った運命の場所じゃない。それならゴールドコーストはぜったいに行ったほうがいいわ。もちろんシュノーケルセットも用意して——』


「僕遊びに行くんじゃないんだけど」


『あらあら、違うの?』


「……海外留学したいって話は前にしてたと思うけど。現地の下見と大学のオープンキャンパスに行きたいなと思って。もちろん旅費はそのためにバイトで稼いだし、自分で出すよ」


『へえ、しっかり考えてるのね、ちょっとびっくりした。まあ、昔からそうよね碧って』


「そうだっけ」


『ほら、何年か前に会った時も、とうぶん日本に帰らないからって言ってたじゃない。けどいいの? 折角帰国したのにまたすぐ海外行っちゃって』


「いいんだよ」


『そんなふらふらして。高校でも友達出来たんでしょ? 離れても友情はなくならないなんて胡座かいてるとロストバゲージするわよ』


「人間を荷物に例えるな。それに別にそんなこと思ってないよ」


 よそった皿をレンジで温めつつ、ふと高校入学前に父親と交わした会話がよみがえった。


 ——……碧は大学から海外留学希望って言ってたよな。せっかく帰国するのに、日本には高校三年間しかいないつもりなのか?


 ——だって知り合い誰もいないし。高校だってドイツ(こっち)でよかったのに。日本の高校に行けっていったの父さんじゃん。


 ——冷めてんなあ碧は。もう少し考えてみたらどうだ? 家だって碧が使う以上しばらく誰にも貸さないし、海外で働くにしても日本にだっていい大学はあるんだから。


 ——……何度考えたって答えはかわんないよ。


 もしもーし、という母親の声にはっと我に返る。


「あ、ごめん。忙しいなら夏休み前に郵送するから、よろしく』


『編集者に忙しくない時期はないわよ。でも、碧が元気してるか久しぶりにチェックしたいし……サインして家まで持っていこうかな。あ、そうそう。ところで話変わるんだけどね、ほたるちゃん覚えてる?』


「覚えてるけど、それが?」


 碧がドイツに旅立つ前に同じマンションに住んでいた女の子であり、従姉弟(いとこ)。今はブライダル系の専門学生で、学校の近くで一人暮らしをしている奴だ。


 去年の晩秋、彼女が可愛がっているシナモン文鳥のモチを、旅行に行くからと碧に押しつけてきたことがあるが、それもほたるの仕業である。確かくるみが初めて家に上がって、思い出の卵焼きをつくってくれた時だったか。


『あの子またモチちゃん預かってほしいって』


「えー……また?」


『もうすぐゴールデンウィークでしょ。週末に預けにくるって言うから、碧が受け渡ししておいてくれる? ほら、私毎日会社に泊まり込みだから面倒見れないし』


「それもう転職したほうがいいと思うんだけど」


『出版社はどこもこんなもんよ。さ、私は仕事戻るからよろしくねー』


 こちらが頼み事をした以上、断ることも出来ずに渋々頷いた。


                *


「で、いつ言うの?」


 人もまばらな午後の授業終わり。


 湊斗からの唐突な問いかけに、碧は怪訝な眼差しを返す。


「何が?」


「俺が訊くことってひとつしかないだろ」


「ああね」


 察したので雑に相槌打って教科書をリュックに詰めると、湊斗がめげずに続きを言う。


「皆に言ったれよ。この子は僕の家で毎週ごはん一緒してる仲ですー売約済みですーって」


「その状況から入れる保険ってあるんですか」


「ねえよ。でも碧なら平気だろ? いつまでも隠し通せるものでもねえんだから、好きなら押してけ」


 どうやらまたお節介したい気分らしい。


 そして碧もまた、珍しく素直になりたい気分だった。


「……そうだな」


「否定しないんだ?」


「僕もあの子には心底惚れてるから。もうずっと前から」


 くるみを思い出しながらしれっと思いの丈を告げると、それを見た湊斗が真っ赤になってツチノコでも見つけたような目を向ける。


「お前ってそんな優しい表情できたんだ!? もう相当好きじゃん」


「やっぱり否定はしない」


「まっすぐだよなあ、海外育ちの愛情って。お前ずっと恋愛は二の次ってかんじだったし、俺は嬉しいよ。早く成就するといいな。そんで告白はいつ?」


「え? しないけど。てか出来ないだろ?」


 湊斗ははぁっと眉間を歪める。


「なんで!? あ、海外は告白の文化ないんだっけ。そういう意味?」


「そういう問題じゃなくて……ほら、僕の卒業後のこと」


「ああ……」


 返ってきたのは、得心と落胆が混じり合った声。


 国際公務員になるには概ね、海外留学をしたと履歴書に綴ることが求められる。


 ただし期間を問う訳ではなく、要するに異国の文化にふれたことがあるかの一つの判断基準にするためという事だ。だから留学が大学からだろうが大学院からだろうが、結局大切なのはどれほど広い視野を持ってどんな学問を修めたか、あるいは何を考えてどう生きてきたかであり、合否に響く訳じゃない。


 なのに碧が後者の可能性を初めから捨てていたのは、日本に長居するつもりはなかったから。寄り道することなんか、何一つとして考えていなかったから。


 突き詰めれば、秋矢碧の残り数十年の時間は、目的を叶えるためだけの人生だと、思っていたから。


「けど、それと告白しないことってイコールで結ばれる訳じゃないだろ?」


「訳あるよ。……何その目」


「や、続けてくれ」


「もちろんあんないい子が僕なんかに振り向いてくれるかとか、そういう諸々もまだ何も考えられてないけど。結局のところ卒業後のことはまだ何も話せてないし、言ったら言ったらで告白はぜったい断られるじゃん。だから僕は嘘を貫いて、この残り二年間で向こうが僕を少しでも好きになってくれたら……それでいいと思ってる」


 碧はくるみと約束をした。


 一緒にいるよ、とあの歩道橋で誓った。


 狭い世界に閉じ込もって生きてきた境遇。本当は広い世界に出たいという望み。卒業まではその手を取って支えるつもりでいるし、だからこそ彼女の隣に立って後ろ指を刺されないくらいの力が欲しいと思っている。


 たとえいつか別たれることになっても、一緒にいる間に少しでも心のうちで好きと思ってくれれば、それで……。


「ぜったいって何でそう言い切れるんだよ。遠距離だって一途に待ってくれるかもだし、決めつけはよくないぞ。気持ちを伝え合わないと分からないことだろうに」


 碧からしたら、天下の妖精姫(スノーホワイト)相手の告白だと言うのになぜ湊斗がそこまで自信持って言い切れるのか、理解に苦しんだ。


 そもそもの話、くるみは相当に身持ちが堅い。他校にすらうわさが伝わるほどの人気を誇り、相当数の男子に告白されたにも関わらず、一度も首を縦には振らなかったのだから。


 湊斗は事情まで知らないはずだが、もとより見合い話が出るような身分の人なのだ。必ず一生幸せにするような覚悟がないと奪うことは許されないし、近い将来日本からいなくなる自分にはそれが出来ない。


 それだけの話だ。


「……大学から海外留学なら六年、大学院からなら二年。これは最低での数字だよ。そんな長期間待たせることが、あの子の人生でどれほど損失になるか分かるでしょ」


「まあ言いたいことは分かんくもないけど……」


「僕は他人から時間を奪いたくはないんだよ」


「ややこしい男だなお前も」


 くるみは今まで世間の人が当たり前に知るような楽しみに出会えず生きてきた分、これからはいろんなことを知って人生を豊かにするべきだ。そういう意味では、彼女の持つ時間は自分のものより遥かに価値が重い。


 万に一つでも想いを受け取ってもらえたとして、そんな彼女に貴重な六年間という途方もない時間を待たせてしまうのは、自分が嫌だ。それにもし結ばれたとしても会えない時間のせいで嫌われるようなことがあると思うと、恐い。


 自分が彼女の立場だったらどうだろう。


 もし想いが通じ合って——これはあくまで碧の妄想による〈もしも〉の話なのだが——両想いになったとしても、年単位で離れることになったら。


 父はバックパッカーだった。世界中旅して一人の相手と恋に落ちて結婚して——それでも海外へ行くことをやめなかった。仕事でドイツに移住してふたりは離れてしまった。


 どうして、そういう選択を取れたのだろう。一体、どういう心情で。


「お前これ初恋だよな? もしそうなら叶わないのは哀しくないか」


「……まあ告白は考えてないけど、第一歩としてせめて釣り合うようになるだけの努力は可能な限りするけどさ。今のままじゃ好きでいる資格すらない気がするし」


「じゃあやっぱ学校中に僕はトリリンガルでーすって打ち明けるしかねーな。そうだ、折角ならゴールデンウィークに服買いに行こう。俺がコーディネートしてやる。あと髪も最近伸びてきたし切ったほうがいいな。またほたるちゃんにカットしてもらえよ」


 やっぱり親友と言うか、思考の行き着く先は同じだったらしい。服と髪はともかく。


「お前ってわりと見栄えいいし、今の取っつきづらい印象ひっくり返して、外国語ぺらぺらなの知れたらぜったい女子にモテるし学校中で人気者になるよ、お前。俺が予言する」


「外れるに十ユーロ。今はとりあえず学力かな。勉強がんばって次の試験で好成績を残してみせるさ」


「おーいいんじゃね? お前みんなには不真面目ヤローって思われてるし」


 そうすれば学年一位の彼女に少しは相応しくなるかもしれないし、掲示板に名前が載れば周りからの評価も少しは好転するだろう。


 入学してすぐの頃はため語で失敗こそしたものの、きさくで人助けの出来る碧はもともと教師からは人気で評判はいいし、事情や境遇を知っているからこそよく気にかけてもらえている。それが生徒にまで波及してくれればいい。


 目標を固めたところで、誰かに後ろから声をかけられた。


「やっほ。碧っちは美人のお姉さんはお好き?」


 振り向くと颯太だった。


 丁度部活に行くらしく、ラケットケースとエナメルバッグを背負っている。


「いや別に。どうしたの? やぶからぼうに」


「あはは、本当湊斗っちが言ったとおりそういうのに淡白なんだね。まあそれはさておき、なんか校門のところで碧っちのこと呼んでる人いる」


「僕を?」


 親指でくいっと南門の方角を指すので、訝しみつつ窓辺に寄ると、大学生くらいの女が門扉の柱に体を預けて心細げに時計を眺めているのが遠巻きに見えた。


 高校生にしてはやや大人っぽい面差しに、洗練されたお姉さん系なファッション——碧はこの女に、驚くほどに心当たりがありすぎた。


 年上の従姉弟(いとこ)のほたるだ。


 颯太がテニスコートに行ったのを見送り、近くで話を聞いていた湊斗も身を乗り出して目を細める。


「おー。うわさをすれば影が差すってやつ?」


「それお前が余計なこと言ったせいになるじゃん」


 湊斗とほたるは、実は一度会っている。高校一年の春に湊斗を初めて家に招いた時、碧の帰国を琴乃伝いに知ってわざわざ会いに来たほたるが連絡なしで家に押しかけてきて、ばったり鉢合わせ——というわけだ。


「あの人やっぱ親戚だけあってどこか空気が碧と似てるんだよな、黙ってればだけど」


「えー……嬉しくない」


「なんかさっきからあんまりな扱い。すげえ塩対応だよそれ」


「だって僕ほたる苦手だし」


 理由の一番は、スキンシップが激しいこと。べたべたくっついてくるのだ。


「不憫で泣けてきたよほたるちゃん……。で、用事は俺じゃなくて碧なんだろ? 早く行ってやりなよ。俺は家の手伝いだから先帰るわ」


「そっけなさで言えば湊斗も大概じゃない?」


「俺には推しがいるんでね。さあ行った行った」


「待ち合わせした記憶なんかないんだけどなぁ……」


 放って帰るのもさすがに可哀想なのでそう言い残して校舎を出た先へ向かうと、帰路に就こうとする生徒たち何人かの視線がちらちらとほたるへと向かっていた。


 親戚という立場上あまり気にしたことがなかったが、颯太がああ言っただけあって、確かに自分と同じ血縁と思えなくらい華美な立ち姿なのかもしれない。


 くるみも絶世の美女なのに違いないが、儚げで清楚を体現した彼女と同系列に語るには少し風合いが違うだろう。ほたるは東欧の血を引いていると言われてもおかしくないような彫りのはっきりした目鼻立ちで、存在を強調しているのはすらっとした長身に、ぱつんと切り揃えた前髪がよく似合う美人。


 ただし『黙っていれば』——なんて接頭辞がくっつくが。


 暗いラベンダーグレージュに染めたゆるい巻き髪をバレッタでハーフアップのお団子に留めている様は、概ね今時の垢抜け女子という表現が正しそうだ。ここより南青山の街の方がよほど似合っている。


「ほたる」


「わっ! あーくん」


 碧がその女——ほたるの名を呼ぶと、彼女はさっきの憂いはどこへやら。ウェービーロングの暗髪をなびかせながらご機嫌そうにスキップで寄って来て、こちらの左腕にむぎっと抱きついた。


 そう、これだ。これが嫌なのだ。


「久しぶりだねっ! やだ、あーくんまた格好よくなった? けど前髪は伸びてるねー。また切ってあげよっか?」


「そうですね。どうして僕の学校知ってるのかは何となく察してるので聞きませんけど」


「だって制服姿見たかったんだもーん。やっぱりブレザーは格好いいね。なのに女子はセーラー風でボレロとジャンスカってのも面白いよねこの学校。あ、私服っぽい人もいるんだー」


 まじまじと校門から先に広がる大人禁制の世界を観察してくる彼女は、多分琴乃に駄々をこねて聞き出したのだろう。母は強引な人と面倒なことが苦手なので、あっさり白状したに違いない。


「それで用事は?」


「つれないなあ。用事がなきゃ会いにきちゃ駄目?」


「駄目」


「もー従姉弟なのになんでそんなにそっけないのー!」


「従姉弟だから、だよ。自覚あるならべたべたするな」


 抱きつく彼女をぺっぺと振り払う。


 昔は大人しかったのに、去年再会してからと言うものの、こいつはよくこうしてからかって遊んでくる。年頃の男子高生——ただし碧限定——を弄ぶいわゆる小悪魔だ。


「ていうか連絡先知ってるのになんで事前にメッセージ送ってこなかったの?」


「黙ってきた方がびっくりしてくれるかなって思って。どう? びっくりした?」


「はあ……で、それが用事ですよね?」


 大きなため息と共に、ほたるの両手から提げられたヴェールを被った鞄らしきものを指差すと、彼女はにへらと笑いながらぺろりと布地の端を捲った。暗がりで檻の隙間に見えるのは小さな白い文鳥だ。


「ご名答! モチちゃん預けにきたよ〜」


「旅行に行きすぎ」


「遊ぶんじゃなくて研修旅行! うちの学校、実習とかで忙しいんだから。それより何より折角だしさ、今から家に遊びに行っていい? 鋏もあるしショートレイヤーにしたいの!」


「駄目だって。前だって偶然湊斗がうちにいて事故ったじゃん」


「えー今日は誰もいないでしょ? だってあーくん一人暮らしだし」


「いるかもしれないから駄目なの」


「え? かも?」


 鳥籠を受け取り、気怠そうに落とされた言葉の意味を捉えかねてぽつねんと立ち止まるほたるを置いて、碧はさっさと帰路についてしまう。


「……あーくん猫でも飼い始めたの?」


お読みくださりありがとうございます!


余談なのですが、ほたるは本当は第1章で登場させようと思いつつ、

押しに押されてこのタイミングになりました。

存在を仄めかされたのは「第6話 真逆の世界の彼女(2)」で

名前が初めて登場したのは「第25話 ひみつのサイン(1)」です。


現在は第3章の終盤を執筆作業中です!

引き続きおつきあいいただけると嬉しいです。


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