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第66話 ホワイトデー(2)


「……くるみさん。目を閉じてくれる?」


 リビングに戻るや否やそう発言した碧の意図は、きっとくるみには推し図れなかったのだろう。


 不思議そうに瞳を三度瞬かせつつも、碧を信頼しているからとりあえず、といった風情で言われるがまま目蓋を下ろしてくれた。


「そのまま動かないで」


 ショップバッグから購入品を取り出している間、くるみは上品に居住まいを正してソファに座っている。何度見ても長い睫毛だな、なんて観賞は最低限に留め、碧はその後ろ手に回り小柄な彼女のつむじを見下ろした。


 晒された真っ白なうなじは、手を近づけるのをためらってしまうほど綺麗だった。柔らかそうな(おく)れ毛がかかり、立ち昇る色香にどきどきする。生唾を呑む音が伝わってしまいそうなほど、部屋は静寂に満ちている。


「? ……??」


 背後に気配を感じたからかそわそわするくるみを驚かさないように、そっと事を済ませることにする。


 リボンのかかった小さな白い箱を取り上げ、開く。


 広げた両手の指にしゃらりと弧を描いて架かるのは、クラシカルな光を鈍く跳ね返すネックレスだった。ライラックの花を模したモチーフと雪の結晶のようなクリスタルが真ん中で、慎ましやかに下がっている。


 高価な物ではないが、こういう贈り物をお小遣いで購入するのは親にもくるみにも申し訳ない気がしたから、予定のない土日にこつこつ貯めた単発バイトの口座から下ろしたなけなしの貯金を握りしめて街に向かった。


 ショップの店員さんに相談したところ「彼女さんは可愛い系ですか、綺麗系ですか?」と訊かれ、彼女じゃないですと否定するのも何なので「可愛くて綺麗なのでどっちもです」と答えたら、にこにこと生温かい眼差しを向けられたのを思い出す。


 事実彼女は何でも似合うだろうし、これを見につけたくるみはさぞ綺麗だろうな、とこの数日は何度も何度もその姿を思い描いた。


 (えり)のレースに引っかからぬように慎重な手つきで首に掛ける。不慣れだから、最後の留め具で手間取ってしまった。


「……はい、開けてもいいよ」


 仕上げに手鏡を渡すと、ゆっくり瞳のカーテンを持ち上げたくるみの視線が鏡面にぶつかり——迷わずその向こうにあるアクセサリーを捉えた。


「これ……碧くんが、選んでくれたの?」


「くるみさん前にキャンドルあげた時に気にしてたから、今回は花言葉も調べて選んだ」


 確かこの可憐な花は〈思い出〉という意味を秘めていたはずだ。他にも薔薇や向日葵など色々あったのだが、くるみに幸せな思い出をたくさん残してほしいという祈りを込めて、この花(ライラック)を選んだ。


 碧もまた、ネックレスを下げた鏡の世界の少女を視界に収める。


 その姿は思い描いた想像よりも、ずっとずっと綺麗だった。


 清楚かつ可憐な相貌のくるみによく似合っていると思ったのだが、くるみはぽーっと惚けたように鏡を見つめるばかりで、以降の言葉をなかなか紡がない。


「……あまり好みじゃなかった?」


「ううん。すっごく可愛い。…………そっか。碧くんが、この花言葉を……」


 本物と見間違うほど繊細に表現されたライラックが咲き誇るモチーフに、まるで一番の宝物を扱うように優しく、ゆびさきをそっと置く。大切にする——そんな意思表示をするように。


 見たことのない表情だった。


 鯛焼きを奢った時とも、外国のコインやぬいぐるみを贈った時ともまるで違う。


 どこか夢見心地に口許を弛ませ、頬には春の花畑のような(いろ)を咲かせ。まるで雨上がりに水溜まりではしゃぐ子供みたいに無垢に、あるいは見守る母親の如く愛おしげに。浮かんでいたのはただひたすらに、清美な花笑みだった。


 妖精姫(スノーホワイト)とは全く違う意味で、誰もを見惚れさせるような——あどけなくも幸福に満ちたような、そんな繊細な表情。


 目に映した途端、碧のなかに言いようのない愛おしさの嵐のようなものが吹き荒れる。それはまた碧も未だかつて抱いたことのない大きな感情。


 息が止まるような衝撃に動けず佇んでいると、鏡からようやく持ち上がった榛色の眼差しは、以前にはなかった甘美な温もりを抱いてまっすぐ碧に向けられる。


「ありがとう……碧くん。いっぱい、大事にするね」


 認めていいか分からなかった。目の前の少女をここまで喜ばせた事実も、それを目の前にここまで動揺してしまう自分も——何もかも。


 碧のこの後用意していた台詞を真っ白に書き換えるのに十分すぎるほどだった。


 だから〈おまけ〉を渡す前にくるみがトートを探り、包装を取り出したのは、ある意味僥倖と言っていい。


「ほら、私からもホワイトデーのお返し。家でアルバイトは禁止されているし、貯めたお小遣いからになっちゃったけれどね」


「ありがとう」


 バレンタインの時はあんなに真っ赤になって取り乱していたのに今日は照れないんだな、と思ったが、それはきっとお返しという正当な大義名分があるからだろう。


 渡された掌に収まるくらいのベビーブルーをした小ぶりの包みには、紫紺のリボンが結ばれている。はにかみつつ様子をうかがってくるのを開封していい証と受け取り、リボンの端っこを丁寧に引っぱる。


 逆さまにして転がり落ちてきたのは、小さな白い箱。留めシールを剥がして慎重に開けると、そこに収まっていたのは——


「これ、スマホケースだ」


 本革のグレーネイビーで、ロゴなどもなく一見するとシンプルだが、持ってみるとかなり上質なのが分かる。きっと毎日持ち歩いたり海外にも連れていくことを考えて、丈夫で長持ちするものを選んでくれたのだろう。


「碧くん物持ちはいい方だけれど、今のは結構傷ついてくたびれてきてるでしょう?」


「すごいな。今丁度買い替え考えてたんですよね。しかもデザインもすげえいい。……これをルカに相談に乗ってもらって選んだの?」


「ううん、相談したのはホワイトデーに女の子から贈っても嫌がられないかどうかだけ。品物は日頃から碧くんを観察して、私がいちから選んだものよ」


「あのね、プレゼントを嫌がる訳ないでしょ。嬉しいですほんと」


 自分の好みど真ん中なことにも驚いたが、ルカに手伝ってもらったのではなく彼女が一人であれこれ考えて決めたということが——何より嬉しかった。


 それを言葉にすることは、どうしてか憚られたのだが。


長くなりそうだったので区切ります。

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