第60話 甘えたい前夜に(3)
しばらくして酔いが覚めたであろう頃。
ノックをしても返事がないので、そろ〜っと自室を覗いてみると、
「……はしたない」
亜麻色の髪から覗く耳まで真っ赤に染めたくるみが枕に顔を埋めて自責の念に駆られており、動揺を隠した家主がそれを眺める、という奇妙な絵面が出来上がっていた。
というか自分のベッドの上で、これぞ美少女といった麗しい風貌のくるみが恥じらうという光景自体が問題すぎる。少し前の僕考えなさすぎだろ、と己を責めてももう遅かった。
「別に気にしなくていいのに」
碧がフォローしつつ学習椅子に腰掛けると、くるみは散々羞恥に悶えた末、ようやく枕の隙間からこちらをちらりと見上げる。
「まあ、誰にでも失敗はありますから。……この場合僕のことだけど」
「……私ばかりじゃなくて碧くんもたまには恥を晒すべきよ」
「えぇ」
「チョコを食べてふにゃふにゃになるべきです。あるいは記憶を飛ばすべきです」
「とばっちりにも程がある」
けれど確認せずにチョコを渡した碧が悪いので、その程度の罰は受ける必要があるかもしれない。
「僕なんかが酔っても何も面白くないけどな。くるみさんは可愛いでしかないけど」
「面白い面白くないの問題じゃない! 私が見るに堪えない恥を晒したのだから、碧くんがそれを見て愉しんでるだけなのは不平等って言いたいの。だから残りのチョコは碧くんが食べるべきよ。……さっきのが本音だったかなんて、そうでもしないと聞けないし」
最後の方はぼそっとしていてよく聞き取れなかったが、あの微々たる量の酒で酔う方がそもそも珍しいんじゃないか、と思う。
「くるみさんはさ、大学の新歓とかで酒勧められても絶対にちゃんと断りなよ。何があっても烏龍茶しか頼んじゃ駄目ですからね」
「当たり前よ。未成年は駄目だし」
「そういう問題じゃないけれど……すげえ心配だ。お持ち帰りされないでくださいよ」
「お持ち帰りって……なに」
不可解そうに眉をひそめる彼女に碧は閉口した。ここまでピュアに大切に育ててくれたご両親にありがとうを言いたい。
「いや、何でもない。とにかく危ない人にはついていかないこと」
門限ぎりぎりになるが後三十分はひとりにした方がいいな、なんて画策して立ち上がると、くるみは壁際に設えられた埃を被った真っ白なアップライトピアノに目が止まったらしく、興味深そうに眺めている。思えばくるみを自室に入れたのは今日が初めてだった。
「……白いピアノ、可愛い」
「見たいならもっと近くで見ていいよ」
碧がクラシックや洋楽をよく聞くのは、海外暮らしが長い故に邦楽が分からないのもあるが、一番の理由は過去に楽器を習っていたからだったりする。
「碧くんってピアノ弾けたのね。長年使われてなさそうだけれど」
「……まぁ。けど四年近く鍵盤にふれてすらないし、大した演奏なんかできないよ」
「そっか。いつか一緒に連弾してみたかったけどな」
自分も弾ける前提で話を進めるあたり、やはり完璧超人だと思い知らされる。ピアノは昔のことを思い出すから正直あまり気乗りはしなかったが、ここはひとつ代償ということで仕方がないのかもしれない。
「まあ、今日のこと許してもらえるならそれくらいわけないか。ここで断って僕まで酒に酔ってくるみさん以上の大失敗をするのよりはまし……うわ、冗談だから怒んないで」
頬に朱を帯びさせてぽかぽか叩いてくるくるみの姿は、酔いが覚めてても可愛らしいものだった。
事あるごとにそう思えるのは、もはや彼女を意識して気になっているからに他ならないのだが、その結論に至る前に碧は笑って戯れて、ごまかす。
少しずつ自覚し始めた、自分の気持ちを。




