第55話 ふたりの訪問(3)
集中力が切れてきたらしく、つばめと湊斗もペンを置いて話に花を咲かせ始める。
空気がだらだらと炎天下のアイスのようにゆるみ始めたので、碧は気持ちを晴らそうとして音楽をかけた。
Bluetoothのスピーカーから流れたのは、back number の『水平線』だ。
ソファにだるんともたれかかって湊斗が言った。
「結局、ほとんどつばめの珍回答を弄っただけで午前が終わったな」
「ちょっと私みんなを笑わせるために来たんじゃないんだけど」
つばめが突っ込むので、湊斗も楽しげに解答用紙をひらひらさせた。
「これに懲りたら次はもうちょっと人に見せれる答案を持ってこような」
「いいもん。くるみんに教えてもらうから。ねーくるみん♡」
「私で教えられるところだったらね。けど、ちゃんとお家でも復習はするのよ?」
「こらこら、あんまり頼ると楪さんがたいへんだろ。頼るなら俺にしとけよ」
「えー? 湊斗教えるの下手そうー」
「おいこら、人の親切を舐めると次の期末で泣きついてきても面倒見てやんないからな」
「ごめん嘘うそ! 頼りにしてるよ湊斗♡」
くるみにはべったりくっつくのに、湊斗には腕をちょっとふれあわせる距離が限界らしい。甘く宙に浮いた声色に反して、湊斗の大きな体に寄りかかろうとしても、すんでのところでためらいがちに止めてしまう。
つばめの恋する乙女の気持ちを知っているだけあって、もどかしいな、とむずむずしながら眺めていると、隣のくるみがノートをとんとんと片付けて立ち上がった。
「ちょうどお昼の時間だし、私はごはんの支度してくるね。みんなはゆっくりしていて」
「あれ、てっきりお昼はみんなで外食かUberEats頼むのかと思ってた! もしかしてくるみんが料理してくれるの?」
「うん。ふたりのお口に合うといいんだけど。苦手なものがあったら教えてね」
「あ、僕も手伝うよ。野菜切るくらいなら出来ると思うし。……多分」
彼女に任せっぱなしにしたくはないし、仕事は自分から探していきたい。もう一つの本音として、恋話好きなつばめと二人きりになりたくないというのもあるが。
棚から取り出した淡い空色のエプロンを持ってキッチンに向かうくるみを碧が追うと、それをつばめと湊斗は目を丸くして見送る。
「ふふ……じゃあお任せしようかな。まずはレタスの葉っぱをちぎってくれる? 怪我しないように気をつけるのよ」
「それ刃物使わないじゃないですか。子供扱いしすぎ」
ぽかんとして、そのままつばめと湊斗は顔を見合わせた。
「え、待って待って。エプロンとかそこの棚に楪さんの私物を仕舞ってるってこと?」
くるみは一瞬瞠目したあと、照れくさそうに応じた。
「うん……この家にはよく来るから私物を置かせてもらっているんです」
「そ、それはそれは。……碧が迷惑かけてませんか?」
「湊斗は僕の親かなにかか」
碧が遠くから突っ込みの言葉を投げると、くるみはくすくすと微笑んだ。
その笑みがあんまり美しいものだから、湊斗とつばめは再び顔を見合わせる。
「なーんかさ、やるじゃん碧、ってかんじだね」
つばめはローテーブルに頬杖をついて、ほんわかな気持ちで二人を見守った。
カウンターキッチンの向こうがわで、包丁の持ち方を教えたり味見を任されたり。程よく身を寄せあうふたりは、まだ本人たちも自覚していないのだろうけどほわほわとした空気が仲睦まじく、見ているこっちが幸せのお裾分けをされた気持ちになる。
鳴き声の練習をする鶯みたいに平和で温かくて、春の近い空のわたあめ雲のように優しくて、いつまでも見ていたいと思える。
くるみは初めは真面目に調理していたのに、距離の近さをふとした瞬間に意識して真っ赤になっているようですこぶる可愛らしかった。一方碧は何も考えてなさそうなのが面白い。表情に出していないだけかもしれないけれど。
隣の湊斗も深く相槌を打った。
「あのふたりすごくいいかんじだと思うんだけど、あれで恋人同士じゃないんだから世の中って分かんないよな。どうみても恋仲、もはや新婚にしか見えない」
同じことを考えていたらしい。
「碧は確実にくるみんがお気に入りってかんじだよね。くるみんはどうだろう、少なくとも好きな感情なきゃ二人きりの家にあがらないとおもうけどな」
思わずしみじみ頷きながら呟くと、湊斗はそれから何を思ったか、がさごそと鞄からポータブルゲームを取り出した。目を丸くするつばめに、にっと口を吊り上げる。
「前やった時の決着まだだったろ。負けた方が勝った方の言うことなんでも聞く」
「それ、宣戦布告?」
「聞いて笑うなよ、あのふたりに中てられて対抗心芽生えた。俺たちの十年の歴史と年季が入った仲の良さも、あいつらにひけらかしてやろうぜ」
「……ふっ乗ろうじゃないその勝負。ちなみに湊斗が勝ったら何をする気なの?」
「つばめにホットケーキでも焼いてもらって碧に自慢する」
「湊斗くんはさぁ? つばめちゃんのことホットケーキしか焼けない女だって舐めてるのかなぁ?」
「事実だろ」
「私が勝ったらつばめ様は料理の天才って言ってもらうから今から覚悟しておいて」
とんとん、ことことと静かに温かく。
あるいは、わあきゃあと賑やかに。
五年後にはすっかり忘れているくらいにありふれた、けれどいつまでも色褪せないと信じている高校一年生の愛おしい日曜日は、こうして時を刻んでいく。




