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第53話 ふたりの訪問(1)

 勉強会当日はいっそう冬が深まる寒い一日だった。


 朝の十時にコートを羽織ってからエントランスまで出迎えに降りて待っていると、モノクロームの空から、ちらちらと細雪(ささめゆき)が一月の身を切るような北風に舞っていた。耳や指がじんと(かじか)んで感覚がなくなりそうだ。


 積もらないといいなと思いながら壁に体を預けていると、約束の時刻ちょうどに湊斗がやって来た。


 ——碧の予想通り、つばめを連れて。


「やっほ〜碧!」


「やあつばめさん」


 歩道を歩きながら腕を振るつばめに、碧はしかし驚くでもなく挨拶する。


 つばめの隣にいる湊斗は碧の反応が芳しくなかったからか、出鼻を挫かれたように目を点にした。


「……あれ、驚かないの? サプライズのつもりだったんだけど」


「あいにくそんなの連絡もらった瞬間から気づいてた」


「まじか……折角画策した意味……」


「えーすご。碧ってもしかして未来読めちゃうとか?」


「もしそうなら僕今頃大儲けして自分専用の飛行機買ってるって」


「そこで豪邸とか言わないあたり碧だよな」


 今日のつばめは大人っぽい装いで、やはり現役モデルだけあってセンスは抜群だ。建物を見上げて、わあーっと無邪気な歓声を上げる。


「それにしても結構大きなマンションだね。湊斗から一人暮らしって聞いてはいたけど」


「っふ、羨ましいだろ」


「なんで湊斗が自慢げなの?」


 幼稚園児を引率する先生の気持ちでエントランスを開き、エレベーターに乗り込んだ。


「おじゃましまー……ってあれ?」


 肩に積もった雪を払い、降りた七階の突き当たりで玄関を開くと、つばめが壁沿いに丁寧に揃えられた小さなショートブーツを二度見した。そのまま碧に視線で説明を求める。


「これさ、くるみんの靴だよね?」


 つばめの発言を受けて、湊斗も混乱しつつ瞬きを繰り返した。


「え、どういうことだ? 確か楪さんには図書館で勉強するって言ってて、学校前で待ち合わせするのをつばめが迎えに行くって話じゃ?」


「それが用事で遅刻するからって連絡あってさ」


 逆にこっちが悪戯しかけたみたくなったが、仕方がないのでねたばらしすることにした。


「あーそれ。僕がくるみさんのスマホ借りて返信した」


「なっ……なして碧が返事しよっとね!?」


「おー出た博多弁。初めて聞いた」


「しまった!! うっかり!!」


 つばめはよほど方言を隠したかったらしくわなわな震える。


「そこまで見抜かれてたのかよ。驚かせようと思ったのに!」


「下手なことしようとしないで普通に四人で遊ぼうって言えばいいのに」


「駄目だよーそれじゃ遊び心がたりない。俺はびっくりご対面する碧と楪さんが見たかったんだけどなあ。そんでうっかりぼろ出してつい二人でしか通じ合えない話を……」


「そういうのないから」


 狭い玄関でわちゃわちゃしていると、廊下の突き当たりにある温かな空気と光に満ちたリビングから、ひと足先に訪問していたくるみが優雅な所作で現れた。


「こんにちは。つばめちゃん、湊斗さん」


 妖精姫(スノーホワイト)の儚げで麗しい愛嬌笑いを浮かべるくるみに、湊斗は見惚れたように一瞬立ち尽くしてから、居住まいを正して紙箱を恭しく差し出す。


「あっそのこれ手土産です! つまらないものではございますが……」


「家主は僕なんだけど」


「はっ……つい。なんかすげー馴染んでるっぽかったから」


 くるみは困ったように淡い笑みを浮かべてから、手土産のドーナツを受け取っては居た堪れなさそうにリビングに戻って行くので、碧も「そこの洗面所で手を洗っておいで」と言い残して彼女に続いた。


「……それで結局、二人には何処まで明かす?」


 キッチンのワークトップにドーナツの箱を置いたくるみにそっと耳打ちをする。本来はこの間話しておくべきだったがうやむやになってしまっていた件だ。


 きっとあれから色々と考えていたのだろう。彼女は箱にそえていた手をそっと降ろすと、静かに決意表明をした。

「私はなるべく、約束のことは全部話したい……かな」


「家の事情も話す? そこは二人だけの秘密にするってのもありだと思うけど。つばめさんもわざわざ言う必要もないって言ってくれたし」


「成り行きでもいいから、話せるところは話すわ。前は誰かに自分の事情を知られるのはちょっと怖かったけれど……碧くんみたいな人もいるって気づけたから。それに……」


「それに?」


「折角の碧くんのご友人と話せるんですもの。私ももう一歩、踏み出してみたいの」


 いつもの角度で見上げて、前向きで健気な笑みを見せてくる。引っ込み思案な気がある彼女がここまで言うのだ。ちょっとでも味方でありたくて、小さな手を静かに握った。


「分かった。くるみさんが自分で言う? 話しづらいなら僕から言おうか」


 碧もつばめにはカステラのお礼を言わなければならない。


 くるみは手を握られて一瞬頬を染めて動かなくなっていたが、やがてふるふると首を振って美しい亜麻色の髪を波打たせると、逆にこちらを励ますような気丈な笑みを浮かべた。大丈夫、ということだろう。


「分かった。もし嫌になったら、合図してくれれば何とかするから」


 合意を取れたところでつばめと湊斗がリビングに来た。


 すぐさまスリッパをかろやかに鳴らして、くるみが二人に歩み寄る。


「お二人とも、コート預かるね。向こうのソファに座っててくれる?」


 つばめ達はきょとんとしながら言われるがまま上着を渡し、互いを見合わせた。


 くるみは受け取った上着をコートスタンドに掛けてから、柔らかな淡い栗毛をひるがえしてキッチンに舞い戻り、四人分のグラスを並べて一晩寝かせた水出し珈琲(コーヒー)のボトルを取り出す。


 成り行きといいつつ早速仕掛けに来てるな、と碧は苦笑いした。


 さっきはなるべくは伝えたいという控えめな回答だったが、どうやら本音としては可及的速やかに種明かししたいらしい。その御心は彼女のみぞ知る。


「なあ碧、何で——」


「いいからいいから。はいはい勉強勉強」


「なんか雑じゃない?」


 問いを飛ばす隙を見せずに湊斗をソファの前にぐいぐい押し込んで座らせ、さっさと勉強道具を出させる。もちろんくるみが戻ってくるまでの時間稼ぎである。


「つばめさん、ちょっと遅れちゃいましたがカステラありがとうございます」


「カステラ? あーあれね! どういたしまして。そっかーくるみんに渡したやつ碧に渡ってたんだねー」


 湊斗が未だにキッチンの方をやたら気にしていたので、肘で小突く。


「ところでつばめさんは今日の勉強会で苦手なところありますか? くるみさんほどじゃないけど、僕にも教えてあげれるかもだし」


「うーん正直どれもしんどいんだけど、強いていうなら英語かなあ。碧って確か湊斗曰く外国語ぺらぺらなんだよね? ちょっと何か喋ってみせてよ」


「つばめさんがもう一回博多弁喋ってくれたらいいですよ」


「なんかそう言わるうとばり言いづらか……」


 項垂れつつしっかり博多弁で話してくれるあたり気前がいい。一方くるみは湊斗の視線に気づいていたらしく、やがてトレイに人数分のグラスを乗せ苦笑しながらやって来た。


「アイスカフェラテ淹れたのでどうぞ。お砂糖はこっちのを使ってね」


 立ち上がった碧はそれを受け取ってテーブルに置き、くるみをクッションを敷いた席に座らせ、その隣で胡座(あぐら)を崩し座った。


 テーブルの向かいにいる湊斗達が、再びきょとんと互いを見つめ合う。


「甘いものは疲れた時がいいと思うから、湊斗さんの手土産のドーナツは勉強が一段落した後からでもいいですか?」


「え? ああ、大丈夫です。……あのさ、碧。何で楪さんが?」


 とうとう訊かれたな、と固唾を呑んで次に出すべき用意していた言葉を出し掛けたところで、先んじてくるみが緊張の残った微笑みを浮かべて告げた。


「前に湊斗さんのお店で、私が碧くんのお家によく来るって言ってた話。あれ、晩ごはんを用意するためなんです」


「晩ごはん……え?」


 ——だいぶ直球にいったなあ……。


 案の定湊斗は驚愕を通り越して困惑しているようだった。ただでさえ碧とくるみが知り合い以上の関係だと知れて興奮冷めやらぬ状況なのに、その友人の家に妖精姫(スノーホワイト)が通うなんて新情報が出てきたら、多分碧でも一笑にふす。常識的に考えれば妄想のようなものだから無理もない。


 くるみはまるで物語を語るように、丁寧に続けた。


「碧くん一人暮らしでしょう。九年ぶりに帰国して右も左も分からないなかでの生活だから私が見るに見兼ねて……時々こうして様子を見に来ているんです。ある約束のもとに」


「約束?」


「はい。実は——」


 彼女は淡々と経緯(いきさつ)を説明した。


 どんな家庭の下で育って、などの碧も深くは知らない秘めた事情までは言わなかったが、今まで小さな世界で(ささ)やかに真面目に生きてきたことや、碧の見てきた世界を教えてもらうためなどの最低限の情報はぼかさず伝えていた。


 少し声が震えている気がして、テーブルの下で密やかに結んだ小指に力を込める。窓の外に、あの日見た雪が舞い散っていたように見えたのは気のせいだろう。寒さまで思い起こしてしまい、身震いをした。


 話し終えて固唾を呑んで反応を見守ると、まず湊斗が得心したように頷いた。


「なるほど、そういう訳か」


「何ていうか、妻みたいだなとは思ってたけど、納得はしたよ」


 つばめが突っ込んでくるが、料理というところを拾えば確かに碧も立場が逆なら同じことを思う筈なので反論はできなかった。


「でも今の話聞くと、何だか楪さんって思ってた人物像とちょっと違ったな。あ、もちろんいい意味でだよ。学校じゃ隙がなさすぎて生気に欠ける印象だったけれど、意外と前向きというか人間らしいというかさ。完璧なだけじゃなくてそういう一面もあったんだ」


「はい。折角なので今後お話ししてくださると嬉しいです」


「ふふんっ! 私のくるみん素敵でしょ」


「お前のじゃないだろ。けどパートナーっていうか……互いに教え合って与え合って、な関係っていいな。そうか、碧がこっちでも仲良くしているって何かと思えばそういうことね。よかったじゃん」


「うんうん、素敵だよね。碧がくるみんに優しくしてくれる人でよかった」


 とりあえず好意的に解釈してもらえたようで、二人は自分事のように優しい表情を浮かべていたので、隣の少女と同時にほっと安堵の息を吐いた。くるみの方を見ると、どことなく嬉しそうな視線が交錯する。


 しばらく言葉を交わさず見つめあっていると、向かいの湊斗がにやっとした。


「あーこれ俺らサプライズしたつもりで実はすげーおじゃまだったかんじ? 至らなくて恥ずかしいやら申し訳ないやらだな。手土産もバウムクーヘンみたいな縁起がいいものの方がよかったか……もちろん四と九って数字が絡まないものを……」


「ねえお前今の話聞いてた?」


「だって碧の目がさ……いや、何でもない」


 つばめはまだまだ聞き足りないみたいで、瞳を爛々と光らせて矢継ぎ早に問い詰める。


「ねっくるみんくるみん、約束の話したのはどっちから? 晩ごはんって毎日?」


「え? あの……」


「ちょっと待って、久しぶりにときめいちゃった! それって生涯契約なの? 教えるって具体的にどんな話してるの?」


「そっそんな連理(れんり)(ちぎ)りみたいな言い方しないでよ……!」


「れん……!? けどまあとにかくドラマみたいな話なんだもん♡」


「勉強会なら勉強始めないとお開きにしちゃいますよ」


 くるみが矢継ぎ早の質問に押されて困っていたので、家主権限を発動して二人の間にわりこんで強引に話を締め括り、


「……あと別にお二人さんも僕の友人だし、遠慮せずいつでもうちに来ていいから」


 と気恥ずかしながら本心を続けると、来客者二名はにへらとさぞ嬉しそうに相好を崩し、余計に碧を居た堪れなくさせた。


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