第52話 誰かさんみたいだったから(3)
その後、碧はくるみを連れて、持ち帰りのために近所のハンバーガー店に来ていた。
最近出来たばかりのアメリカ発祥の店で、持ち帰り専門というよりは洒落たダイナーに近い。
メニュー看板にでかでかと載っている写真を見る限り、ハンバーグだけでなくアボカドやトマトなどの野菜までもがはみ出しそうなほどたっぷり詰まっており、他と違うのは値段だけじゃないんだなと謎に安堵した。
今度はイートインで来よう、なんて思いながらくるみに先に注文させるべくメニューを渡すと、物珍しそうに様々な写真を注視していた。
お嬢様のくるみは家での教育が厳しいようでハンバーガーは人生初挑戦らしい。一通りメニューを眺めた後、目を心持ち生き生きさせながら特製チーズバーガーセットを指差し、おずおずこちらを見上げてくる。碧が頷いて承諾の意を示すと、くるみは嬉しそうに瞳に細やかな輝きを宿し、碧も同じものを注文した。
本当に感情豊かになったよな、と思う。喜怒哀楽を少しずつ出してころころと移ろう宝石のような表情は見ていて飽きそうにない。
帰宅後、家のリビングで早速包んでもらった持ち帰りの紙袋を取り出すと、くるみは取り出した包み紙を両手に持って驚きを宿した。
「わぁ大きい! ハンバーガーってこんなに大きいの?」
「多分あのお店が並外れてるだけだと思う。……ふふ、くるみさんが小さく見える」
「だって私の両手よりも大きい! かぶりつくの、はしたなくならないかな……?」
「ほっぺにソースつけてなんぼの食べ物だから平気平気」
いただきますもそこそこに、くるみが目をきらきらさせながら丁寧に包みのシールをはがすと、彼女の小さな面差しほどもあるアメリカンサイズのハンバーガーが包み紙から姿を現した。初めはどこからどう食べるべきか迷っていた様子で、控えめに口を開けてはむっとかじりつく。
しかしその口はハンバーガーのサイズに対して半端だったようで、シマリスのような小さなかじり跡だけが残ったのを見て、碧は笑いを堪えた。上の胡麻パンだけがかじられ、肝心の野菜や肉に届いていない。
もう一口挑戦しようとしたところでくるみは隣で笑みを押し殺す碧に気づき、不服そうに頬をほんのり膨らませた。
「ナイフとフォークいりますか? お嬢様」
「いい。ハンバーガーは女子高生の寄り道の必修科目なんですから」
何だそれと思ったが、要するに普通の女の子みたいに楽しみたいと言うことだろう。碧のからかいをツンと退けたくるみは意を決して、もう一度ハンバーガーにかぷり。
今度はちゃんと具材まで届いたらしく、榛色の瞳がいっそう僅かな輝きを増す。初めての味に美味しそうに目を細めて相好を崩した。
手で持って食べる姿すら典雅に上品に映るのは、さすが妖精姫だろう。育ちの良さが滲み出ている。
もぐもぐ、とどこかリスを彷彿とさせる様相、そしてハンバーガー相手に苦戦したりほんのり喜んだりするくるみ自身が愛らしくて、碧はその可愛らしい姿を眺めながら揚げたてのフレンチフライをアイスティーで流し込む。なんていうか、ずっと見てられる。
とその時、碧のスマホがぶるぶると震えた。
画面に表示されているのは湊斗の名前だ。何の用事だろうか。
普段からよく電話で駄弁る相手ではあるが、さっき関係が知られたこともありどうも邪推をしてしまう。
「電話? 私あっちに行って——」
「いやごはん時に悪いし、そのまま食べてて」
盗み聞きは良くないだろうと立ちあがろうとするくるみを右手で制して、その場で応答ボタンを押した。
「もしもし」
『あー碧? 今暇? さっきの騒動ですっかり忘れてたけどバイトの件で——』
「家にくるみさん来てる」
もう関係を知られた以上は隠しても仕方がないと開き直って告げれば、ぶふぉっと吹き出す音が受話器から聞こえ、思わずしかめっ面で耳許から離す。
右手にバーガーの包み紙を持ちながら左肩にスマホを挟むと、湊斗の慌てふためく声が聞こえてきた。
『まじか。お前まじか』
「大本気だけど?」
『これだけは言わせてもらうが……絶対にへんな事すんなよ。東京湾に沈められるぞ』
「……。へんな事って?」
『あっお前、恍けやがって!』
「まー大丈夫だって」
確かに健全な男子高校生である以上全く考えたことがないといえば嘘になるが、そもそも恋人でもない相手に合意なしに手を出すのは不誠実どころか犯罪だろう。くるみ相手には尚更そういうことは考えたくない。
碧は彼女の信頼というお眼鏡にかなったから一緒にいられるのであり、仮に牙の片鱗でも見せればきっと契約は破棄になる。
『いや心配だよ楪さんの方が。お前のことは信頼してるけどな? ほら帰国子女ってすごい将来性あるし手当たり次第にモテる印象あるから。友人が羽目外したら嫌だろ、お前男の俺から見ても結構格好いいし』
「へぇ。僕が羽目外すように見える?」
『見えないな。けどいざ言い寄られたら気が変わるかもしれないだろ?』
「そもそも学校で知ってる人は湊斗とくるみさんくらいなんだけどなあ」
『公表すりゃいいのに。その方が学校でも生きやすいだろうにさ』
「今更だしいいよ、もう」
『俺は嫌なんだよな、なんか勿体ないんだよ。……けど今話すことじゃないな、ごめん』
楪さんいるならかけ直すわ、と湊斗が言い残して通話を切る。
碧はため息を吐いてソファにもたれた。くるみの方を見ると、碧の会話は聞いていないみたいで静かに食事を続けている。
ふたりだけの空間は居心地がいい。
かちかちと針を刻む時間の進みさえ遅くなるかんじがする。雪降る夜のようにしんと静かで、それでいて会話がないのが苦しくない。時折思い出したように交わされるお喋りだけで気持ちが通じ合う気がする。
同時に、本当はそんなことはないのも分かっている。
二人の出会いのきっかけは望まぬ親切の押し付けであると同時に、勘違いの告白だ。今ではそれらが上手いこと転がって巡り巡ってこんな関係に落ち着いたけれど、きっと一歩間違えれば今だってお互い、話したことのない遠い世界の人のままだったかもしれない。
外国で色んな人と話す上でも、通じないやるせなさや伝わらないもどかしさを数多く経験してきた。それは言語の壁だけじゃない。同じ言葉を共有する相手だろうと、意志や想いを受け取ってもらえないこともあれば、間違って届いてしまうことだってある。
そんななかで——ここまで親睦を深められた相手は、きっと人生で数本の指に収まる。
だからこそ今まで以上に、この縁の結びを大切にしたい。
もっともっと仲良くなりたい。彼女のことを知っていきたい。もっと色んなことを教えてあげたい。
「……眠」
取り止めもなくそんなことを考えていると段々眠気の波が押し寄せてきた。くぁ、と大きく欠伸をすると隣のくるみが心配そうに見上げてくる。
「飛行機の中であんまり眠れなかった? 時差のせい?」
「いや……まあそれもあるけど。くるみさんといると落ちつくから」
眠気に潤んだ目を瞬かせていると、滲んだ視界のすみっこに物言いたげに瞳を眇めるくるみが映り込んでいた。
「……私はあんまり、落ちつかないけど」
僅かに恥じらうように拗ねるように、どこか文句を言いたげにくるみはぼそっと小さく呟くが、そんな甘さのあるクリアで涼やかな声すら、碧を微睡ませる一つの要因になっている。
「波長が合うのかなあ、僕とくるみさん」
出会って僅か二ヶ月弱だが、まるで何年も一緒にいるような気がする時がある。たまにいじらしく可愛い仕草をされてどきっとさせられるが、基本的にくるみは穏やかで心優しい性格なので、隣にいて心が荒ぶることがない。
「波長って、相性って意味?」
「うん。話さなくても気が楽だったり。あとは相手が望むことが何となく分かったり?」
「……じゃあ碧くんは私が今望んでいること、わかる?」
相性という言葉が気になったのか、確かめるように問いを落としてくる。どこかそわそわと期待するような瞳で見上げてくるくるみに、碧は。
「……」
ぽす、と頭に掌を乗せて撫でくり回した。
最初は虚を衝かれていた彼女だったが、わしわしと亜麻色の絹糸が乱れていくにつれて見る間にわなわなと真っ赤に染まっていく。
「あれ、違った?」
「違うに決まってるでしょう」
己への不敬を厳しく糾弾するように上目遣いで睨んできつつも、涙に彩られた瞳にはいつもの凛々しさはなく、乗せられた碧の手を振り払おうとはせずされるがままになっている。さっきの言葉を信じて、なでなでし続ける碧。
「碧くんは本当、何考えてるか読めない人。ふてぶてしいというか」
「嫌なことはないって言ってたのに?」
「確かに嫌じゃないけど……っそうじゃなくて! 分からなでなでを要求するなんて、そんなはしたないことするはずないでしょう、もう……」
「じゃあ本当の望みは?」
「言いません」
機嫌を損ねたらしくつーんとそっぽを向くのだが、碧がめげずに優しく撫で続けていると澄ました瞳がだんだんとゆるんできた。お澄ましな猫が自分にだけ懐いてきたようでなんだかすごく愛くるしく、自然と口許が解けてしまう。
碧は当然誰かに撫でられた経験などないので分からないが、他人の掌はそこまで気持ちがいいのだろうか。
「本当の望みは?」
さっきと同じ質問をもう一度してみると、斜めだった機嫌は多少水平に戻ってくれたらしく、不服そうながらも今度は教えてくれた。
「……私も碧くんに、何か贈りたいなって」
自分の望み、と言いつつ零されたのはそんな健気でいじらしい言葉だった。
「僕に?」
「うん。私碧くんに貰ってばかりだから、きちんとお返ししたいなって」
彼女はあんまり自分のしたいことを言葉にしない。なので望みと言われて何だろうと思っていたが、まさか碧のために何かを考えてくれていたなんて。
気持ちはすごく嬉しかったが……ただ現状彼女にばかり負担をかけている気がしているので、あまり手放しで受け入れることはできなかった。
「別にいいよ。そもそも僕が見てきたものを教えるのとくるみさんが料理するのは、労力的にどうあがいても天秤が傾くから、その埋め合わせをしてるだけだし——」
断ろうとすると、貰いっぱなしでは気が済まないらしいくるみがじと目になる。
「じゃあ諦めろと? クリスマスキャンドルのお返しもまだ出来ていないのに?」
「いや、そういう訳じゃ——」
「決めた。私碧くんの好みを調べて、ちゃんと喜んでもらえるものを渡すんだから」
碧の言葉などまるきり聞こえていないかのように、一人小さく意気込んで宣言をするくるみ。
「今日だって私のせいでごはん用意出来なかったし、明日は絶対に早めに来て、碧くんの唸る美味しいのをつくるもの」
たまに見せる強引さに呆気に取られつつ、碧はもはや折れるしかない。美術室でのお礼の押し問答よろしく、こうなったくるみは梃子でも動かないことを碧は知っている。
「分かった、ありがとうね。のんびり待ってるよ」
あんまり否定するのもな、と思いそう返すと、さっきから慌てたり赤らんだり怒ったりしていたくるみがようやく——淡く美しい笑みを浮かべ、その不意打ちとあまりの可愛らしさに碧は見事にどきりとしてしまった。
「この間は貰うだけになっちゃったけれど、次のクリスマスは私もちゃんと、当日に渡せるように何か用意するから。碧くんは楽しみにしていてね」
「……はい」
続けてそんないじらしいことを言うものだから、碧はもう限界だった。
まるでこの暮らしがずっと続くことが当たり前みたいな。聖夜という大切な日に一緒にいることまで当たり前のように考えてくれているんだなと思うと——嬉しさと気恥ずかしさで全身が火照っていくようだ。
気持ちを静めるためにも、来年のクリスマスに何を贈ればいいのかをぼんやり思い浮かべる。間に誕生日も挟むから、最低でも二回は選ぶ楽しみがあるはず。
くるみの実家は裕福なので持ち物はどれも上質なもの。下手なものはあげたくないが、彼女であれば気持ちが篭っていれば、何をあげてもきっと喜んでくれるだろう。あの嬉しそうな表情が見られるなら、早く十二月が来ないかなと待ち遠しさすら覚える。
取り止めもなくそんなことを考えながら碧も食事を終えた頃、今度はくるみのスマホが鳴り、通知で画面のランプが光った。
キッチンで手を洗いふかふかのタオルで拭いながら戻ってきたくるみがそれを手に取り、トーク画面を開く。
「つばめちゃんからの連絡。ちょっと返信するね」
慣れた手つきで素早く文字を打ち込んで返信をするくるみ。普段は荘厳かつ神聖な妖精姫様と言えど、こういう所に現役女子高生が垣間見えて何だか面白い。と、そこでつばめ達にばれたことへの謝罪がまだだったことを思い出した。
「そういえばごめん、今日僕のせいであんな事態になって。つばめさんだけじゃなくて湊斗にまで関係知られちゃったし……」
しかし彼女は気にするでもなく、慌てて首を振った。
「ううん、楽しかった! 私どちらかというと引っ込み思案だし、誰かとああいう風に話すこと少なかったから新鮮だったもの」
「入学式に壇上に立って新入生代表の挨拶してたのに?」
「だって、指名されたのなら責任持って最後までやり切るべきでしょう。……ふふ、つばめちゃん一緒に勉強会しないかですって」
どこか嬉しそうにそう言って返事の文章を入力するくるみは、やっぱり等身大の女子高生のようだった。
「いつもよく二人で遊んでるの?」
「ううん、これが初めて。だから……すごく楽しみ」
「そっか、いいですね。女の子同士水入らずで楽しんでおいで」
くるみを見守ったところで、再び碧のスマホも震える。
通知を見ると湊斗からのメッセージで〈さっき言い忘れたんだけど今度の土曜ひま? 碧の家で勉強教えてよ〉というものだった。あまりに似通った話に、思わず閉口する。
湊斗から勉強という真面目な話をされることはあまりに珍しい。というか今まで一度もなかった。しかもこのタイミングでということは——
「……何か仕組まれている気がするなぁ」
独り言を零すと、聞きつけたくるみがこてんと首を傾げる。
「どうしたの?」
「くるみさん、勉強会の場所ってどこか聞いてる?」
「ううん、まだ。うちはその日多分母がいるから難しいし、つばめちゃんの家もお兄さんがいるみたいだから、もしかしたら図書館……になるのかしら」
「そっか。……多分だけど、ここで四人で勉強会することになりそうな気がする」
「え? 確かにつばめちゃんのメッセージには人数書いてなかったけれど……」
多分つばめと湊斗は今もまだ一緒にいるのだろう。差し合わせてそれぞれに連絡を送っている様子が眼に浮かぶ。こちらも一緒にいるので筒抜けであり意味はないのだが。
つばめは何を考えているかよくわからないものの湊斗はきっと黙秘権を行使した僕の家に上がってがさいれしたいんだろうな、と想像しつつ断ろうかと思ったが、そうすればつばめとくるみの勉強会も場所がなくて企画倒れになるかも知れないことにも思い至る。友達と会えることにちょっぴりわくわくしているくるみを見ればそれはちょっと忍びない。
「多分サプライズしようと思ってるんじゃないかな。二人だけかと思いきや僕もいてびっくり、みたいな。今言っちゃったから意味ないけど……くるみさんはつばめさんと二人きりじゃなくても平気?」
「うん、私は大丈夫」
「そっか、じゃあOKの返事するね」
今だけでも向こうの思惑通りと思われるのは癪だが、了承の返信をすればすぐに〈じゃあ碧の家で朝十時に集合な!〉と、勉強会の約束のわりにやけに楽しそうな返信があり、やっぱりな、と碧は肩を竦めた。




