第267話 旅立ちの日(2)
友達と何度かに渡っての記念撮影もして、ようやく家路につこうとしても、昇降口に赴くまでもちょっとしたでこぼこ道だった。
まず教室を出た後の階段で待っていたのは後輩達だ。
「あっあの秋矢先輩たち。これっサイン帳なんですけど……せっかくなんでいただいてもいいですか?」
「おふたりとも有名人なんで……話せるうちに貰っておきたいなって」
と、まだ一年生くらいの初々しい女の子達が気遣わしげに尋ねてきたのだ。
別に有名じゃないと思うんだけどな、と小さく笑いつつ、碧はリクエストに応えてペンを取った。
勿論名前も知らない人相手に書くべきことは見当がつかないので、つばめにやったのと打ってかわって当たりさわりのない、筆記体でのサインだけだ。
手帳を返して、これで終わりかと思いきや——
「それとその……制服のボタンとか、まだ予約なければ記念にいただけたりは……?」
と、万が一を期待するように聞いてきたときは、さすがに参った。
隣にいるはずのくるみの驚きと戸惑いの後に、ふんわりと猫かぶりした静かな笑みの下でやきもちがむむむっとふくらんでいる気配がしたので「ごめん約束してる人がいるんだ」と咄嗟の嘘を捻り出し、丁重にお断りをさせていただいた。
ほかにも時折、誰かの保護者から「あなたが秋矢くん? うちの子と仲よくしてくれてありがとうね」なんて話しかけられ挨拶を返すという道中のさなか、くるみを連れ立って、まだどこか名残惜しい気持ちで昇降口まで下りてきたのが現在。
靴を履き替えたあとも、くるみはまだ、何か訴えたさげだった。
「やけに好かれてたね?」
「そうだね。保護者さんにね」
「後輩さんに」
妙ににっこりとした笑みで、訂正される。
気圧された碧は、曖昧に笑うしかなかった。
校舎を出れば雲ひとつない空で、式のあとには眩しすぎるくらいだ。
遠ざかったざわめきは、冷たさと暖かさが曖昧な風に吹かれて飛んでいく。
残るのは、隣にある愛しい温もりだけだ。
「……くるみはご機嫌ななめ?」
見るからにさっきと様子が違うが、くるみはそれを認めることはなく首をぶんぶんと振って髪を揺らす。
「そっそんなことは。私はただ……その “約束の人” が羨ましいなって。碧くんのことが好きだから、ずっと碧くんの近くにあったものも、他の誰かに渡したくない……」
こちらの制服のブレザーを決して離すまいと小さな手で握り、頬に朱を落としながら、分かりやすい嫉妬を滲ませるくるみ。
その様相はもだえそうなほどに可愛らしいが、発言は見当はずれもいいとこなものだから、碧は思わず噴き出してしまった。
「違う違う。制服のボタンはくるみにあげるんだよ」
「え?」
「約束してる人なんてのも、本当はいないし。渡してずっと大事にしてくれそうなのもくるみくらいでしょ。って訳で要る? 要らない?」
くるみはしばらく黙ってこちらを見上げていたが、やがてつぼみが綻び花が咲くように、とろけた幸せそうな笑みをへにゃりと浮かべた。
「……くれるのはボタンだけ?」
「何をお望みなのやら。とにかく帰ったらね、帰ったら」
「ふふ。うん」
近頃はくるみのほうからも、控えめながらたっぷり甘えてくれるようになった。
好意と愛情がこれでもかと詰めこまれたまなざしでそんないじらしい台詞を言われたらたまったもんじゃないが、学校でいちゃいちゃするわけにいかない。
そこはくるみも同意なのか、お互いにふふっと笑いながらどちらともなく手をつなぎあったところで、後ろから誰かが足早に追いかけてくる気配があった。
「ねーねー秋矢くん達!」
振り返れば、ぶんぶんと手を振ってきたのはやなちーと詩織と凪咲の三人だ。
まだ上靴のままで、荷物も持たずに手ぶら。何か言うために引き留めに来たのだろうか?
「よかったぁー間にあった。もう帰るところだった?」
「うん。なんかあった?」
「えっとね、ふたりとも午後予定って空いてたりするかな?」
んーと碧は小さく唸った。
卒業式は午前中に終わったため、時刻はまだ十一時。
不動産屋から審査結果の電話があるかもしれないくらいで、午後の予定は空っぽだ。
くるみはひさびさに一家が揃うということで夜は食事に行くそうだが、それまではとくにすることもなく、折角ならこれからどこかお昼にでも行こうかと考えていたところだった。
なので、あると言えばあるしないと言えばない、というふんわりした曖昧な状況なのだが、それを察したのか、凪咲がさきんじて教えてくれた。
「実はね、今からクラスのみんなで最後の打ち上げしようって話してたんだ」
「打ち上げ……どこ予定です?」
「ラウンドワン!」
「クラスのLINEに地図貼ってるから見てみて! 結構みんな参加するって。ふたりはまだ既読つけてなさそうだから、追いかけて来ちゃった」
「ああ。それで……」
提案されたのは、若者がこういうぱーっとやりたい時にはぴったりな施設だった。
くるみは行ったことがないようで小さく首を傾げていたのだが、どんなところかをざっと教えてやれば「たのしそう」と淡く目を輝かせた。
ゲームセンターのほかにカラオケやボウリングやスポッチャもあるから、文化系と体育系どちらにも好評だろう。スマホを見れば、ここから一番近いところが指定されていた。京王線で学校近くの駅から西の郊外のほうへしばらくいったところにあるそうだ。
「どう? 今のうちに来る人確定させて予約しちゃうけど予定空いてる?」
「夜はもしかしたらながれでどっか近くのごはん行くかもだけど、いちおう夕方解散だからそれまででもぜんぜんだいじょぶだよ!」
「僕は構わないよ。というか、せっかくだから参加したい」
「私も夜は家族で食事があるんだけど、それまでならぜひ」
「決まりだね! あと返事貰ってないのは——」
「あれ。そう言えばつばめちゃんと湊斗くんは?」
やなちーが思い出したように尋ねた。
「もう帰っちゃったかな? ふたりにもまだ出欠聞いてないんだよね」
「あ……」
ついさきほどの光景を思い出したくるみが、隠し切れない苦笑とともに答える。
「それが、ロッカーに持ち帰り忘れた荷物があるみたいで。湊斗さんに手伝ってもらって持って帰るって言ってたの」
各生徒にあてがわれ管理するロッカーはもちろん今日をもって全撤収なのだが、どうやら片づけをすっかり忘れていたらしく、帰る寸前になって嘆いていた。
つばめのそこには一年分の学級便りやら、いつのだか分からないくらい古い年間行事表やらがはちきれんばかりにみっちり詰めこまれていて、家がご近所のせいで湊斗が手伝いに動員されたことには涙を禁じ得ない。
ちなみに、碧たちは十二月上旬のうちに計画立ててちょっとずつ荷物を持ち帰っていたので、ロッカーはとっくに空っぽだ。くるみが事前に何度か周知してくれたので、忘れるはずもない。
「なるほどー。まだ学校いるならつばめちゃん達にも聞いてくるよ!」
「また後でねー!」
昇降口を引き返していく三人を手を振って見送ってから、碧はくるみに問いかける。
「くるみって、こういうとこ初めてだよね?」
「でも碧くんが隣なら大丈夫。むしろ碧くんのすごく格好いいところ見られるんだなあって、今からワクワクしてるくらい。……期待してても、いい?」
「採点で一番、取ってみせます」
可愛らしいささやきに、即答でつい調子に乗ったことを口走ってしまった碧だが——自分の歌唱力が “そこそこ” という現実を思い出してしまい、この後を覚悟するのだった。
くるみんにカラオケで歌ってほしい曲
手鳶葵『明日への手紙』
GReeeeN『愛唄』
牧野由依『シンフォニー』
チョーキューメイ『貴方の恋人になりたい』
皆様の考える「くるみに歌ってほしい曲」がもしあればぜひコメントで教えてください!!
何がどうなる訳ではなく作者が知りたいだけです!
あと本日11/7は碧の誕生日でした!おめでとう!




