第249話 外国でのお散歩デート(2)
ぐるりと回れば、閑静な街並みがまた戻ってきた。
柔らかな木洩れ日という春の風物詩の落ちる、ゆとりのある広い歩道を、手を結んでゆっくりと歩いていく。ちりちり、ちるちると小鳥が鳴いて。さわさわと木の葉が鳴って。
「このあたりは僕が学校にかよう時に毎日とおっていた道なんだ」
「学校? このさきにあるの?」
「別にそんなすごいものでもないけどね。いや、日本の小学校を知らない僕が言っても説得力ないかもしれないけどさ——」
言いかけるや否や、頬を上気させながら、くるみがずずいと迫ってくる。
「わたし気になる。見てみたい!」
さっきまでの淑やかな笑みが一瞬で好奇心に振り回された子供みたいな表情になっていることに、どうにか笑ってしまわないように怺える。
笑いの波をどうにかいなしてから、迫られたぶん半歩引いて言った。
「……そんな期待されてもだけど。けどまあ、外から見るぶんには大丈夫かなぁ」
ここの生徒だった碧からしたらよくある学校で、彼女のお嬢様学校のほうがよほど物珍しいと思うのだが。聞くところによるとマナーレッスンやバイオリンの授業まであったようで、中学までは公立育ちだった庶民の碧は仰天したこともある。
けどくるみは観光より、あくまで碧がどんな街で育ったかを知りたいようなので、案内するものとしてはぴったりだろう。
「ほら。ここだよ」
しばらく歩くと、これまた懐かしい鉄柵と古びたれんがの校舎が、視界に現れた。
金網のフェンスから校庭を覗いてみると、きゃあきゃあと甲高くはしゃぐ子供たちが、砂埃を立てながら鬼ごっこやサッカーをして遊んでいる。
「子供ってパワフルだよなー」
「ふふ……碧くんもまだ成人はしてないくせに」
とっくに、古いアルバムに挟まれた思い出に昇華されたはずの自分の知る母校は、なんだかちっぽけに思えた。まるで小さくなった昔の服を、むりやり着ようとしているようだ。
本当は、自分が大きくなっただけなのに。
毎日疲れ果てるまで遊んだブランコやすべり台やらの遊具も、古寂びてペンキが剥がれてたり、逆にぴかぴかに塗り直されたりしている。
覚えのある光景からのずれは、流れた時の多さを物語っていた。
「ここを卒業したのは……十歳のときだからもう七年前か。早いなあ」
隣のくるみが、こちらで巻き上がった感情の波が落ち着くのを見計らったように、そっと尋ねてくる。
「校舎とか先生のこと、ちゃんと覚えてる?」
「覚えてるけど、当時の自分がどれだけむじゃきだったかとかは何にも記憶にないなー。誰かさんが昔のアルバムとかホームビデオで見せてきたのは別として」
「ふふっ。皆に交じって遊んできたら、さらに童心を思い出すんじゃないかしら?」
「お巡りさん呼ばれちゃうぞ」
冗談で返してから、もう一度グラウンドに目を遣る。
現地校なので、多くの生徒は欧州生まれらしい明るい髪の持ち主だが、留学生の受けいれもしているゆえか、なかには自分のように他国から来たであろう子供もいる。
——外国語の勉強に戸惑ってはいないだろうか? 友達はいるだろうか?
自分と似た道を辿っているであろう彼らにそんな心配事を勝手に抱いていると、こちらに気づいたのか。低学年の何人かが屈託のない仕草で手を振ってくる。
そのなかには自分と同じ黒髪の子もいる。その屈託ない表情に、余計な心配だったな、と頬を弛めた。
こちらも振り返せば「Er winkte mir zurück!」と、距離があるながら喜びの叫びが聞こえて、つい笑ってしまった碧。くるみも微笑ましそうにしながら、小さな少年少女たちを相手に柔らかな笑みを咲かせてこちらに倣っている。
「ところで碧くんって、子供好きなの?」
「え?」
突飛な問いかけに思わず聞き返す。
「僕って子供好きなの?」
「聞いてるのは私なんだけれど」
くるみは苦笑した。
「碧くんはお兄ちゃんだから、小さい子に懐かれやすい理論になるんじゃないかなって。ならその逆もありでしょうし」
「え。そうかな。言われてみればそう……なの?」
「あら。自覚なかったの? 兄妹でいるとき碧くん、きちんとお兄ちゃんしていたわ」
ヘーゼルの瞳が、ほのかに優しい光を宿した。
「だから千萩ちゃんも、引っこみ思案に見えて実はかなりのお兄ちゃんっ子じゃないかと見てるもの。どう? 当たってる?」
「あ、それは多分大正解。ただ昔の話だけどね。さすがに今はもう兄離れしてるよ。ていうかむしろ、次実家行く時になにか買ってほしいものがある時しか連絡が来ない……」
「それは小さい頃のうちにたくさん思い出をつくってもらったからじゃないかしら? お兄ちゃんにいろいろ遊んでもらったのは今でも覚えてるって、前に話したとき千萩ちゃん嬉しそうだったから」
「案外覚えてるもんなんだな」
千萩は物心ついても碧の後ろに隠れているような子だった。
まだ小さかったので、ドイツ語はすんなり覚えたが、シャイなので友達をつくるのは苦労があったようだ。だから時間があれば碧が隠れんぼなり鬼ごっこなりで遊んでやって、なるべく寂しくないように構ってやっていた。
そんな妹は、琥珀の事件のことは知らずとも、碧の夢のことはぜんぶ知っている。
知っているからこそ、引き留めてしまわないように、遠くから兄を見守るつもりで甘える事を卒業したのだと思う。
「くるみは?」
なんとなく口寂しくて、口が勝手に彼女の名を呼んだ。
少し低いところにある丸い瞳が瞬く。
「この間の僕のアルバムとか見て、どう思った?」
「どう……って?」
「くるみも小さい頃の思い出、たくさん残したいかなって」
「そうね。私もたまに昔の日記を見返すことがあるけれど、いい思い出ってその人の心の拠りどころにもなるから。人の記憶って曖昧なものだけど、それが文字ないし映像なり写真なりに残れば、確かな記録としてそれぞれの記憶違いを補正できると思うし」
「そっか。だよな」
くるみの認識はちょっとずれていそうだが、概ね肯定派ということ。
いずれ大人になり本物の家族になり、もし子供ができた時には、いろいろなところに連れていって沢山思い出をつくってやりたいという気持ちは、最低限足並みが揃っているということが分かった。
その名も知らぬ子は、いったいどちらに似るだろう?
二人とも同年代よりは落ち着いたほうなので、どちらの気立てを受け継ごうが、あまりおてんば若しくは腕白にはならない気がする。
だけど碧に似れば自由でマイペースに育ってくるみの手を焼かせそうなので、叶うなら彼女に似てほしいものだ。今も昔もくるみは聞き分けのいい子だから、生まれてきた子供がもし「幼稚園行きたくないー!」とか「おもちゃ買って買って!」なんて駄々をこねたなら、その子は間違いなく碧の血を受け継いでいる事になる。
可愛げがあるという点でも、自分よりくるみ寄りのほうがずっといいだろう。
まぁどちらにせよ可愛くてたまらないと思うが……生まれてからのおたのしみだ。
「なんだか碧くん、ほっこりしてそうな表情だけれど。何考えてるの?」
こちらの思惑に気づいていない様子のくるみが、どこまでも純真な瞳を瞬かせた。
「内緒だよ」
まさか高校生のうちから、今後生まれてくる子供のことを考えてた、なんて重いこと言えやしない。
くるみは照れることはあれど決して引かずに一緒に空想を広げてくれそうな気はしたが、自分の海外留学でそういう〈ありふれた幸せ〉すら遠ざけてしまったのだから、自分の言動の責任を放棄して一般論の幸福を語る気にはなれなかった。
もし話す時がいつか来るとしたらそれは、きちんと立てた誓いをすっかり果たして、世界の平和だけじゃなく自分の幸福を一番に考えられるようになった時だろう。
「秘密なの? どうしても?」
「近いうちに分かるかもしれないな」
「春休み中には知れる?」
「どうかなー。何年か後かもな」
フェンスに体を委ねながら、校庭から響く子供のはしゃぎ声に、再び耳を澄ませる。
——あんま、待たせないようにしろよ。僕。
いずれ来る遠距離恋愛の二年間からは、今だけは目を逸らしながら。
余談ですが、ベルリンには行ったことないので地図とストリートビューと旅動画を睨みながらなるべく整合性が崩れないように書きました。(他にも、箱スノに登場する場所で実際に行けなかった土地は全て、地図や動画等でなんとか描写を補ってます)
もし細かい部分、地理におかしなところあれば目を瞑っていただけると…!




