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第234話 学校のおしどり夫婦(1)



 碧には最近、密かに嬉しい事がある。


 くるみに仲のいい〈友人〉がふえたことだ。


 もともと学校一の人気を誇っていたくるみのそばには、男女問わず常に誰かがついていて、一人になること自体珍しかった。が、彼女曰く彼らは〈友人〉ではないとのこと。


 ある日何気なく尋ねてみたら、


「そもそも、友達の定義ってなに?」


 と問い返されて、こちらが返事に困ってしまったのだった。


 そんなわけで、案外かなりの人見知りなところのある彼女が本当に親友と認めて一緒にいるのは、もっぱらつばめくらい。


 もちろん誰しもがくるみから距離をおこうとしていたとか、そういう訳じゃない。ましてやくるみが自ら、高嶺に咲く孤高の花になろうとした訳でもない。むしろ彼女がなりたいのはその逆なのだから。


 ただ、見えない壁があったのだ、と思う。


 考えてみれば、自分たちとなんとなく住む世界が違いそうな人には、一度話しかけてみようという関心あるいは羨望や憧憬、見目に目が眩んだ下心が生まれこそすれ、大親友になろうと思う人はあまりいないんじゃないか。——すっかりくるみと一番近い関係となった僕が言うのもなんだけど。


 つまりは、他の生徒達からしたらくるみが一見すると完璧すぎてなかなか近寄れなかったのだとは想像に難くないが、彼女が本当は〈ただの女子高生〉として振る舞いたい、扱ってほしいことを望んでいることを知っている碧としては、身につまされる思いで。


 だけど今は違う。他の女子と〈友人〉として仲睦まじげに会話しているところを、今はわりと学校でもよく見かけるようになっている。


 ——と、たった今目の前の光景を眺めながら、碧は長々と思っていた。


「くるみちゃんって、行きたい大学はもう決まってるのー?」


 グレーの分厚い雲が空をすっかり隠し、街をどんよりとした空気にしている、金曜日の昼休みだった。


 来月には期末試験が待ち受けているということで、朝のホームルームで各教科の出題範囲が発表された今日。四時間目の授業が終わると同時に、英語にあまり自信がないというクラスメイトの男子に「ノートを貸してくれ!」と頼まれた関係もあり、教室を出るのが一歩遅れた碧は、くるみと待ちあわせをしていたオープンスペースでそんな会話を耳に挟んだ。


 我らが教室があるところとは渡り廊下を挟んで別の建物にあるこの空間は、全学年の生徒が自由に利用できるところなので、お昼時は早めに席を取らないとすぐに埋まってしまう。


 ゆえにくるみに先に行ってもらっていたわけだが、どうやら誰かに捕まっているらしい。


 キャットウォーク——つまり吹き抜けになった二階の柵から乗り出すようにくるみを探せば、丸いテーブルに四つずつプラスチックの椅子が並んでいて、見つかった彼女のところはそのうちの三つが占められていた。


「私は……いちおう教院大学に行きたいなっては決めてはいるかな」 


「ほへー? そこってあたまいいとこだよね? さすがというか」


「いえそんな。指定校推薦で、なんとか早めに合格貰えたらいいなと思っているんだけど」


 くるみを挟んで——と言っても丸いテーブルなので言葉の綾だが、左右に女子がひとりずつ座っている。


 ひとりは、やなちーと呼ばれている女子。苗字が三柳(みやなぎ)なので、あだ名はそこからだそう。いつものんびりしていて、もし自分が女子だったらこんなかんじだっただろうと、どこか他人と思えない節がある。


 そしてもうひとりは詩織という子。やなちーの面倒をよく見ている印象がある。文化祭で手芸部員にドレスのオーダーを依頼したのは実は彼女だ。


 二人ともくるみの試着を手伝ったメンバーであり、そこから少しずつ話すようになったそうだ。さらに言えばどちらも凪咲の友人でもあるようで、一緒にいるところを碧もよく見かけていた。


 ちなみにつばめによるとどちらも彼氏持ちらしく、そのあたりがくるみとの会話の糸口になっている模様。


 とりあえず喉が渇いたので、さっき購買でゲットしたミルクティーを開封していると、会話の続きが聞こえてくる。


「やっぱり、秋矢くんも一緒の大学に行くの?」


「あっそれ私も気になってた。ふたりのラブラブっぷり見てたら、別々の大学で離ればなれって考えられないよなあって思ってたんだ。どうなのどうなの?」


 サンドイッチをかじりながら、明後日の恋話に発展しだす彼女達。


 こちらを待っているためか、持参したお弁当には手をつけずに手をおひざにしているくるみは、困った風ではあるが肯定の意を見せる。


「まあ……いちおうは。二人とも合格すればだけど」


「くるみちゃんは余裕でしょ。秋矢くんは…………うん。まあなるようになるって!!」


 ——失礼だな?


 だがここはくるみ、こちらの名誉のためにきちんと言い返してくれる。


「む。そこはちゃんと訂正させていただくけど、碧くんはすごく賢い子だからね。勉強も毎日きちんとしているし」


「あはは冗談だよ! 彼も成績上位者なのは知ってるから。ところで同じ大学に行くならやっぱり、一緒に住んだりするんだよね?」


 ここでやなちーの強烈なカウンター!


 くるみは何も言わなかったが、ぱちりと睫毛を震わせたのち、やや頬を赤らめて目を伏せるのが、もう答えを物語っているようなもの。


 もちろん二人はきょとんと目をあわせて、それからテンションを急上昇させる!


「ちょっとちょっと! もうそのリアクションってそういうことじゃん!」


「その話詳しく!」


「ええと……『詳しく』って何を話せばいいんでしょう……」


「ぜんぶ!」


「あ。でもここじゃ目立つよね? 学校でできる話にも限度があるし」


「したら今度、放課後にお茶でもしない?」


「それいいね賛成!」


「……それ、ついでに僕のこともまるごと洩らされるってことじゃないか」


 と、本人らに届かないことをいいことに、勝手に実況や感想を挟みつつ遠巻きに見守るに留める碧。


 なんとなくじゃまするのに抵抗があったのは、くるみが嬉し恥ずかしそうにお喋りに興じていたからだろう。


 一緒にいると案外気づきづらいが、そもそも彼女はよほどの仲よし相手じゃない限りはさすがお嬢様、たとえ同い年でも敬語を崩さない。


 碧の友人として知りあって短くない湊斗でさえ、つばめの好きな人だからと距離を弁えてずっとため口を解禁せずにとおしてきたほど。


 そのくるみが崩した口調で会話しているのだから、それはもう見ているこちらからしたら、あの二人はもう立派な〈友人〉だ。


 そっと、上を仰ぐ。


 ——きっかけは間違いなく僕……って断言するのも恥ずかしいけど、まあおおよそ僕なんだろうな。


 出逢った当初は、根がとても甘くて親切なくせして言葉や表情はどこか塩だったくるみは、碧と打ち解けてから僅かずつだが、表情がゆたかになっていった。


 とくにこの関係にはっきりとした名前をつけた夏休み明けからは、碧をどれほど好きかの想いの大きさと一緒に、恋する少女としての自分を隠すことがなくなった。


 男子は恋慕をすっかり諦めるほかなくなったが、前よりもたくさん年頃の女の子らしい笑みを振りまくようになり、それがもとより高かった人気を爆発させた結果、こうしてくるみときちんと友達になりたい人が出てきたのだ。


「そしたら再来週とかはどうかな? 予定空いてそう?」


「え? 構わないけど……あ」


 くるみがこちらに気づいた。


 きょとんとするのは、優しく柔和で涼やかな、いつもの彼女の表情。


 それが、まるでつぼみが花開くように、上品さはそのままにふわりと綻んでいく。


 まるで碧が来てくれたのが世界一嬉しいこと、みたいな表情を見せつけられ、こちらとしては嬉しいいっぽうでリアクションにかなり困ってしまう。


 ——くるみも大概、自覚がないよな。


「ごめん。待たせちゃって」


 階段を下りると、二人は荷物をまとめつつ、わたわたと席を立った。


 そんなに慌てなくてもいいのに、とのんびり待つが、彼女たちも碧が来ることを事前に聞いていたのだろう。


「秋矢くんごめんねー。くるみちゃん借りちゃってた!」


「いやいや。ふたりとも話し相手になってくれていてありがとうね。おかげでくるみも待ってる間、退屈せずに済んだだろうしさ」


 礼を言えば、二人がぶんぶん首を振る。


「やーそんなそんな……こっちが勝手に押しかけて会話相手になってもらってただけだし」


「そう? でもどっちでもいいんじゃない。二人がくるみさんと仲よくしてくれるのは、僕も嬉しいから」


 弁当箱をおきながら、空いた隣の席に座る。


 いただきますをしたいところだが——やなちーと詩織はなぜか、盛り上がったままだ。


「なんていうか、くるみちゃんの前に来るとメロいんだよねえこういうとこ!」


「分かる一生そういう台詞だけ聞いてたい」


「めろ……?」


 聞き慣れない言葉に、くるみがこてんと首を傾げる。


「要するに『ふたりはお似合いだね』ってこと! さすが〈おしどり夫婦〉ってこと!」


「え? は……はあ」


「それじゃ私たちは退散しますか」


「お茶会のことはまた今度決めようねー!」


 やなちーたちはやたらと生温かい視線だけ残し、すたこらさっさと去っていった。


 そのすれ違い際——「再来週ちゃんと渡せるといいんだけどね」と小さく話していたのが気にはなったが、そのあたりにはバレンタインが待ち受けているので、おそらくそれ絡みの相談もしていたのだろうと結論づける。


 よく分からぬままくるみと目をあわせ、それからどちらからともなく何ともなしに笑い、弁当箱を開けた。




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