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第232話 まっさらな日(1)



 その後は運試しでおみくじを引いて、よく分からないけどありがたそうなお言葉をそれぞれ折ってポケットに仕舞う。


 来年もこうして来れるかは分からないから、ついでに合格成就のお守りもくるみとお揃いで買って、すべきことも片づいたので南参道を引き返し、ただこのまま解散も名残惜しい。


 なので参道口のほど近いところで、小腹を満たすための散策をしていた。


 このあたりは冬休みが終わる頃まで、さまざまな出店が並んでいるのだという。


「わ……これお砂糖はいってないみたいなのに、すごく甘い」


「いいなー。くるみんの糀甘酒おいしそう。これ味見あげるからくるみんのも一口貰っていい?」


「もちろん。どうぞ」


「本当だーめちゃ甘くておいしい! くるみんも焼き団子あーん」


 つばめとくるみがお互いの購入品をシェアしたり、と仲睦まじく身を寄せている。


 女の子同士の戯れあいとは華があるもので、それだけでかなり絵になる。


 しかも、これぞ男子の理想といった正統派の美女と、雑誌のモデルとして人気を博するお洒落系美女の戯れだ。目立つのもさもありなんというもので、近くにいる参詣客の万目を根こそぎかっ拐っているほど。


 ちなみに男三人はおしるこを購入。ほっくりした甘さが実に落ち着く素朴な味わいだ。


 ところで、と和佐が言う。


「秋くん卒業したら家遠くなるんだっけ? 大学生になってもうちのバイト辞めないでくれると嬉しいなあ。もうすっかりうちの貴重な戦力だし」


「ちょっと距離できちゃいますが……そうですね。出来ることなら続けたいです」


 三年生の夏頃にはお休みする、というか大学の距離からして事実上の引退となることは初めに伝えてあるが、たった半年だけしか働かないというのも申し訳ないし、優しい人ばかりのここでのバイトは碧も気にいっている。


 ただ、一緒に住む目的の一つがそれであるように、希望する大学からは遠いのだ。なので今のようにコンスタントに週四日……というのは厳しそうである。


「つまり湊斗が都内であたらしくカフェ始めれば、秋くんはそこで働けるわけでしょ? したらそのへんぜんぶ解決すんだけどなあ」


 和佐がわざとらしくちらちらと、息子のほうを見る。


 まさかとは思いつつ、尋ねてみることに。


「湊斗、実家とは別にカフェだすの?」


「……まあそんなとこ?」


「え。当たり?」


「まだ何も決まってないけどな。親戚の持ってる建物の一階がちょうど空くっぽくてさ。とりあえず試しに二年くらいやってみようかなって。いちおう、卒業後の計画として考えてるんだ」


「へー……あの湊斗が」


「なんだよ。きっかけはお前だろ。……おいニヤニヤすんなよ」


 自由を追い求め、兄の代わりに跡を継ぐのをあれだけ嫌がっていた湊斗が、そんな立派なことを考えていることに、碧は妙な感慨を抱いてしまった。


 湊斗はぶっきらぼうに言う。


「俺もちゃんとしなきゃなって思ったんだよ。お前のこと見てるとさ。他に別にやりたいこともなかったし」


「へー?」


「だからまあ、今後はそこで働いてくれると嬉しいなって話。楪さんと一緒に住むなら大学生になってからもバイトしなきゃだろ」


「それはまあそのとおりだけど。……お前いいやつだな」


「急にやめろよ。何だかぞわぞわする。それと碧のためではないからな」


 腕をさすってから、湊斗が思い出したように言う。


「そういや、こないだ楪さんの実家の挨拶したって言ってたよな? どんなだった?」


「居心地よかったよ」


「ほかには?」


「寿司と串とケーキが美味しかった」


「なんだそれ! ドイツ行くくらいだからOKは貰えたんだろ?」


「話せることとしては……湊斗の言うとおりだよ」


 相談に乗ってもらった身としてぐっと親指を立てると、湊斗が、がばっと肩を組んだ。


「碧ー! ほんとかぁやっぱお前なら出来ると信じてたよ! おめでとう!!」


「べたべたするな」


「何だよーいつもはお前からくっついてくるじゃんよー。いやぁずっとお前の保護者してたのが報われた気がする。俺こんな気持ち味わうのあと十年先でよかったぞ」


「誰が誰の……」


 と、若人達は深夜にも関わらず盛り上がりを見せるが、和佐はすでに若干眠そうだ。


「君たち仲いいなあ。おじちゃんはちょっと疲れたから外で一服……じゃなくて一休みしたいなあ」


 口ではごまかしてはいるが、右手にはばっちりひしゃげた小箱が。


 どうやら今日も禁煙アプリにログインしては、失敗の記録を律儀につけるらしい。


「その箱なんですか」


「何の話?」


「和佐さん。目泳いでますよ」


「うっ。そんなことはないんだけど……なあ?」


「俺を見るなって。ちなみに昨日も煙草の空箱が捨てられてたぞ」


「あっおい。余計なこと言うなよぉ」


 結局、和佐は眠そうにしながら一服しに離れていった。


 けど確かに、もう年が明けてから十数分。いつもならとっくに寝ている時間だ。


 碧がこの後に計画していることは、事前に調べ物が必要なこと。やるとしたらまず、くるみが乗ってくるかを聞かなければならない。彼女もおせちに掃除にと朝から奔走していたから、むりに連れて行くつもりはない。


 誘うのならさきに調査だけしておくか、スマホを手に取ると、時刻と彼女とのツーショットのうえには、いくつかの通知が溜まっていた。


 碧は日本での友達はそれほど多くはない。ルカもわざわざこちらの時刻を把握してまで送ってくるほどまめじゃない。琥珀とは連絡先を渡したっきりだ。


 と言うわけでやはり、先ほど年越し瞬間に受信したLINEは、ほとんどがクラスメイトのグループからだった。


〈明けましておめでとう!〉


 という怒涛のスタンプの嵐の後に、皆が各々今何をしているかが報告されている。


〈外寒いし家で引きこもってるわ〉


〈北海道のおばあちゃん家。雪がすごい〉


〈明治神宮に初詣きてるよー!〉


 トークをスクロールする親指がぴたりと止まる。


 それと後ろから声がかけられるのは、ほぼ同時だった。



「あれ。秋矢くん? それに湊斗くんまで!」



 伏線回収が早いなと思ったが、振り返るとやはり、同じクラスメイトの人達がいた。


 うち一人は、夏から何度か話したことのある凪咲だ。


 あとは女子がもう二人と、男子数人。彼らもここで会うとは思わなかったようで、皆揃ってもこもこのコートを着こんでは、驚いたように佇んでいる。


「凪咲さんか。ひさしぶり。そっちも初詣来てたんですね」


「うちは毎年ここなんだよね。さっきおみくじ引いたんだけど、初めて悪い結果が出たよ。やっぱりなってかんじだったけど、恋愛運がどうにもねー……」


「それはまあ……うん。凪咲さんはいい子なんだし、いいようになるとは思うけどな」


 彼女が彼氏と上手くいっていない、と半年ほど前に聞いていたのでフォローのつもりだったが、返ってきたのは苦く複雑そうな愛想笑いだった。


「秋矢くんと葉山くんは? 二人だけ?」


 凪咲がきょろきょろ見渡すとすぐ、こちらに気づいたくるみが優雅に近寄ってくる。


「お久しぶりです。凪咲さん。皆さんもお揃いのようで」


「わわっ。くるみちゃんだ! あーそりゃ秋矢くんと一緒にいるに決まってるか」


「ていうか振袖なんだね。きれー……着つけてもらったの?」


 後ろで様子をうかがっていた彼らも、くるみを視界に映したとたんにどよめき見惚れるのが、彼氏としてはおもしろい。誰もを圧倒するその可憐さで釘づけにしながらも、くるみは微塵も照れた様子はなく涼やかに頷く。


「ありがとうございます。お正月は振袖になるのが私の実家の伝統でして。でも今年はただみんなで初詣に行くって言うから、半分は私がはりきっただけ……なんですけれどね。そういう学生らしい時間に、昔からずっと憧れていて」


「えー。じゃあその振袖も自前なんだ?」


「着つけも自分でしたってこと?」


 淡い笑みを浮かべるくるみだが、矢継ぎ早に問われて困っているように見えた。


 さりげなく話を逸らそうと口を開きかけたところで、目を丸くしたままの凪咲が好奇心を隠さずに問う。


「くるみちゃんってあまりこういうとこ来る印象なかったから、ちょっとびっくりかも。文化祭の打ち上げとかもだけど、お家が厳しいのかなって思ってたから」


「そんなことはない、とは言えませんけれど……年末と三が日は家の人が留守なので、帰ってくるまでは碧くんの家にいるんです」


 話を聞いた男子のうち一人の喉から、引きつった息が洩れた。


「え。ということはつまり……寝泊まりしてるってこと?」


「彼女が彼氏の家に寝泊まりするのはそんな不思議なことか?」


 それには碧が回答した。


 もちろん手出しをしているわけじゃないが、ここで首を振るのも違うだろうから。


「いや、文句を言いたいわけじゃないけど。だってみんなの妖精姫(スノーホワイト)でくるみ様だし」


「私は誰かのものになった覚えはありませんよ?」


 くるみが淡く苦笑しつつ、ぴしゃりと断言するので、男子は水を掛けられたかのように黙ってしまい、それを見た女子たちはけたけた笑い出した。


 他人に自分の所有権を好き勝手に申し立てられたのだから、そりゃそうだという反論なのだが——さらにそこから頬を染め恥じらいながら追加された「……しいて言うなら碧くんのものでしょうか」という言葉がとどめになったように、一同も息を呑み静まり返る。


 彼女の予期せぬ発言に、もれなく碧も金縛りにあっていたのだが、ここで紅潮した空気を動かしたのは凪咲だ。


「そうだよーなべちゃん。去年からファンってか親衛隊だったのは分かるけれど、ふたりがくっついて早四ヶ月だってのにまだ諦めてないわけ? そろそろ現実見ないとだよ!」


 必要以上に鋭い叱咤に、隣の女子も乗っかる。


「ふたりのこと、クラスの皆で大事に保護して見守ろうって空気になってるのにね」


「うう。ごめんわざとじゃないんだよ今のは。ついうっかり……」


 なべちゃんとやらは、女子二人に責められて、萎れたように小さくなってしまう。彼女の言ったことがあながち嘘じゃないので反論のしようがないのだろう。


 碧とくるみのことはすでに全校生徒にばっちり認知され、ありがたいことにクラスメイトのほとんどはふたりの交際を支持してくれている。


 なので誰かが野暮を働こうものなら、馬に蹴られる——のではなく、こうして支持者によって口々に叱られるわけだ。


 とはいえ……。


「けど気持ちは分かるよ。くるみさんがすげー可愛いから。だよな?」


 じりじりとにじり寄って、なべちゃんを覗きこむ。


 言うほど会話したこともない間柄なので、彼はぎょっと混乱を見せたが、やがて気まずそうにこちらをうかがった。


「え? 今ここで『はい』っつっても『いいえ』っつっても俺どう転んでも終わらん?」


「僕はくるみさんのよさを理解できる大抵の人間となら、夜どおし語れる自信あるから。ところでなべちゃん購買で好きなパンは? 僕はメロンパンだったけど今はくるみさんのお弁当以外に浮気はしない主義」


「お前喧嘩売ってんの!? ちなみに俺はコロッケパンだけど」


「水族館で好きなのはアザラシ」

「ペンギン」


「蠍座」

「双子座」


「塩」

「醤油」


「会話が謎すぎるんだけど!」


 凪咲はつぼに刺さったらしく、お腹を抱えて爆笑している——失敬な、僕は本気だぞ。


 ただ、碧とて誰にでもこんな強引な手段を講じているわけではない。


 夏貴や彼のように、こちらを苦手に思ってそうな相手だからこそ効果のあるカウンターみたいなものだ。他の人ならもっとまともな順序を踏んで一歩ずつ仲よくなるのが一番いい。


「そういえば夏貴くんも同じ手段で懐柔されたらしいね」


「あいつまで!?」


 なべちゃんとやらは叫んで、それからげっそりしたようにこちらを見た。


「……。秋矢とは、もっと前から仲よくしとけばよかったな」


「今からでも遅くないと思うけどな。三年もクラス替えないし——あ、友達記念に一緒にもっかいおみくじ引きに行く?」


 と、絡みすぎたところを、湊斗にむぎゅっと首ねっこ掴んで止められた。


「まぁまぁ。このへんにしとけよ。彼女さんが複雑な気持ちになるだろ」


 振り返るとくるみは確かに困ったような笑みを浮かべているが、その瞳に不服とやきもちが透けている。こうなれば大人しく従うしかない。


 そうでなくてもとりあえず、話の切り上げ時のようだ。


 彼を離す代わりにくるみの肩をそっと抱き寄せると、愛おしそうに目が伏せられる。


 それを見たまた皆がざわざわするので、改めて言った。


「……じゃあ僕たちは参拝終えて、この後は一緒に帰るんで。くるみ、うちの鍵は失くしたりしてないよね?」


「うん。鞄にちゃんと仕舞ってあるから大丈夫。ではみなさんまた始業式で」


「ま……またね。てか鍵って」


「はいはいうちらは退散してお参りに行くよー」


 凪咲が空気を読んで取りまとめをし、皆をぐいぐい神宮の方角へ押していく。


 とくに男子はまだ何か聞きたそうにしていたが、締め括られては去るしかあるまい。


 追加の団子を買いに行ってたつばめも戻ってきて、四人きりに。後ろで様子を見守っていた湊斗が何とも言えない表情で寄り、ボリュームを絞ってささやきかけた。


「ナチュラルに言ったなあ」


「え?」


「いつもの平和主義なお前らしく最大限を譲歩するのかと思いきや、大事な彼女のことになると最後はきちんと釘刺すっていうか……締めるところは間違いなく締めるんだなと」


「? 湊斗って遠回しに言うよないつも」


「お前もわかってるだろうに」


 湊斗はやれやれと肩を竦めた。


 そばにいたくるみが、何の話をしていたのかとハテナを浮かべるので、碧はもちろん仔細を語ることなく、代わりに尋ねた。 


「くるみ。動きっぱなしで眠い?」


「今日一日くらいならぜんぜん平気。せっかくのお正月ですもの」


「そっか。ならさ、本当にもしよければなんだけど、この後——————」


 大粒の瞳をぱちくりさせていたくるみだが、提案を聞くと、期待が滲み出たようにふわっと笑んで頷いた。


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