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第225話 恋人はサンタクロース



 昨夜のコーヒー二杯がきちんと仕事を果たしてくれたことに感謝しながら、碧は夜明けの光に残った眠気のひとひらを捧げた。


 案外くるみは目覚めるのが早い。


 というのも、平日はすっきり集中できる朝に勉強しているかららしい。その勤勉さは偉いことだが、完璧主義なくるみと言えどやはり人の子。そのまめさも気兼ねなくたっぷり寝れる冬休みには発揮されぬらしく、碧にはまたあの目覚めたてほやほやのゆるゆるお寝ぼけくるみが、天からの恵み——もといクリスマスプレゼントとして約束されたようだった。


 曙光がうっすら壁に影を落とす、午前七時。時間を持て余したので、デスクランプだけを点灯して、参考書の問題をこなしていくことに。


 くるみが起きたのをすぐ気づけるように片耳だけにワイヤレスイヤホンをして、琥珀のことを打ち明けてから近頃はめっきり聞かなくなったクラシックのアルバムからこの時季の定番『そりすべり』を再生し、解いた問題に赤で丸をつけていく。


 学年一位の彼女に勉強を教わったおかげで、苦手だった古典と漢文も今ではすらすらと正解を導けてしまう。持つべきはくるみだななんて思いながらペンを走らせていると、もぞりとかすかな衣擦れの音が。


「ん……」


 スマホの音楽を停止してくるりと椅子から振り返れば、くるみは目覚めていた。


 だぼだぼの袖からちょこんと覗くゆびさきで目許をこすりながら、シャワーのように降り注ぐ朝陽のもとでぺたんこ座りをしている。


 そのシルエットはまさしく天使のごとき……いや、妖精のごとき清楚さと美しさを誇っていて、碧の目が眩むのは、逆光のせいだけじゃないはず。


 普段は整えられている髪はふわふわと広がっていて、ほほえましさにすっかり目を奪われてしまうも、そんな碧にくるみは気づいていない様子で。


 エアコンは昨日から働いているもののブランケットの外はやはり肌寒いのか、それか美を持続させるために体を温める習慣がついているのか。まだ半分寝ているようなぼんやり具合で床のバッグにのそのそ手を伸ばすと、ボーダーの柄をしたもこもこのソックスを引っぱり出し、ベッドの上で穿きだした。


 持ち上げた眩いふくらはぎが靴下に包まれていく。ショートパンツの存在により下着が見えることはまず間違いなくないことは分かっていても、なんというか格好がかなり際どくてどこを見ればいいかは知れず。でもとりあえず彼氏として鑑賞に徹しておくことに。


 ——あ。こっち気づいた。


「え。なっなんで」

 

 その上擦った問いがかかっているのは、碧の盗み見にか、あるいは別のことか。


 とりあえず警戒心のない健全なお着替えを眺めていたことにはふれず、言った。


「くるみ。左見てごらん」


「……?」


「ごめん間違った。くるみから見て、右だ」


「……え」


 二度に渡り振り回されたくるみの目が、あるものを捕まえた。


「え。え? ぷれぜんと……?」


「ちゃんとサンタさん来てたよ」


「! で……でも。今この家にいるのはあおくんだけってことはつまり」


「日本だと、恋人がサンタクロースだって相場が決まっているみたいです」


 もう眠気はすっかり飛んだ様子だ。


 枕許には、小さな赤い箱に光沢のあるシャンパンゴールドのリボンが掛かったものが、ひとつ。


 どういうことか、と目で問われたので、答えてみる。


「これ実は僕からじゃなくて、くるみのお母さんからなんだ」


「母が……? どうしてそれを碧くんが?」


「それはええっと。共謀?」


 上手い表現が見つからずに首を捻ると、くるみもこれまたずれたリアクションを見せる。


「そ、それならそうと事前に言ってくれれば……」


「したら驚かせられないじゃん」


「確かにそうだけど! もしかしてやたら眠そうなのも、そのためにずっと……?」


「プレゼント貰って喜ぶ子が見れる予行演習なんて、するしかないでしょ」


「も……もう!」


 結果、喜びというよりはまだ動揺のほうが大きいらしい。


 こうなったのには紆余曲折というほどでもないが、ちょっとした裏事情があるのだが、ひざに肘を突きながら一言で説明をする。


「頼まれたんだよ、昨日。これをくるみに渡してくれって」


 碧がこれを預かったのは、挨拶の帰り際。


 くるみが荷物を詰めに行っている時のことだ。


                *


「いいんですか? 僕がそんな大事な仕事を引き受けてしまって」


 小さいショップバッグを渡されながら、碧は玄関前に立つ宮胡に訊ねた。


 しかし彼女は迷うそぶりを見せず、首を縦に振る。


「明日あの子の隣にいるあなただからおねがいしたいの」


「でも、直で渡したほうがくるみさんも嬉しいんじゃ」


 宮胡の依頼は、明日代わりにこれを渡してくれ、というものだった。


 そりゃあ許可が降りた以上、今夜は碧のマンションで寝泊まりするのだから、サンタになり切る役目としてはうってつけだが……。


「私はこのあとまた大学に戻らなきゃいけないから。次きちんと渡せるとしたら明後日になってしまって、それだともう時期外れでしょう? 昔は前日の夜とかに、お手伝いさんに任せていたけれど……明日はあなたがいるから手っ取り早いわ。やっぱりプレゼントはクリスマスの日に貰いたいものでしょうし」


 そう言われると確かにそのとおりで、碧は頷くしかない。


「……そしたら、了解です。責任を持って渡しますね」


「ええ。娘のことも頼みました」


 ショップバッグを手に握らされた。正直こんな展開は予想できなかったのだが、今年最後の大仕事。頼まれた以上は喜んで引き受けようと思う。


「もしかすると、外泊を許してくれたのはそういう事情からだったんですか」


「そこまで意図を汲んでくれたなら、気をつけなければいけないことも分かるわね?」


「それは……はい」


 ビターな表情で返事をしながら、碧はくるみの母の想いを想像した。


 第一、渡すだけなら正直、前日になろうとも、お手伝いさんに託すという今までどおりの手段でもよかった訳で。こうしたかたちを取ったのは、きっと一年後に旅立つ娘を祝福する予行演習のようなものだろう。


 前提として、他でもない大事な娘が信頼する相手として、碧を信頼してくれた。


 だから自分を信じたくるみの名誉を守るために、碧もそれを遵守したいと思った。


                *


「プレゼントって言っても……小学校の時以来貰ってなかったのに」


 困惑気味なくるみに、碧は優しく促す。


「お母さんもいろいろ思うことがあったんじゃないかな。開けてみたら?」


「うん……」


 少しばかり落ち着きを取り戻したくるみは、こくりと白い喉を鳴らして、リボンをしゅるりと引っぱった。赤い包み紙を、整った爪で優しく破かぬように展開していく。


 箱を開けると、中から出てきたのは文具——ノートとペンケースだった。


 Rollbahnのロゴと猫やアイスクリームが描かれた何冊かのリングノートに、革でできたシンプルかつコンパクトなケース。前者は憧れのブランドだし、後者も一生物に値する風格があることは分かる。


 どちらも時代に左右されないデザインで、さぞ考えて選ばれたことだろう。しかも今後の勉強に役立つこのセレクトからは、大学受験を応援する気持ちも伝わってくる。


 でも、それはなぜだろう。


 くるみが行きたい大学に行けるように? 初めは意見が違っていたのに?


 まさか、碧が訪問したさなかに購入した訳じゃあるまい。だから事前に買い求めていたと仮定すれば——やっぱり、親は親なんだろうな、という結論に行き着いた。


「……」


 くるみは何も言わない。何も言わずプレゼントを優しく抱いている。ただ、その贈り物が彼女にどれほどの喜びをもたらしたかは、表情を見れば一目瞭然だ。


「よかった。本当に」


「……うん」


 自分事として断言すると、くるみはふにゃふにゃになった口許を隠すこともなく、どこまでも優しい表情のまま、この幸福を心に仕舞いこむようにまぶたを下す。


「わたしね……昨日と今日で、家族のなりかたが分かった気がする」


 小さく頷く。


 遠く離れ離れになったことがあるから、碧にも分かるのだ。血のつながりがあっても、それは勝手になるものじゃなくて、なろうと思ってなるものだと。よい関係を築こうとした結果の、かたちなのだと。碧と千萩が距離をおいても連絡をとっているように、両親が今でも仲のよい夫婦でいられるように。


「分かってよかった。いつか……私もまた家族になる日が、来るでしょうから」


 誰と、とはくるみは言わない。でも碧もそこに隠された言葉が自惚れでなく、ちゃんと分かるから、わざわざ訊くことはしなかった。


 代わりに「そうだね」とだけ言って手を重ねる。


 窓の外、昨夜の雪をかぶった桜の木が、きらきら光る梢枝に小さなつぼみをつけていた。




 卒業まで、あと一年と少し。


 ——再来年の桜が咲く時。今より大人の僕たちは、ふたりで一緒に暮らす家からいったい、どんな景色を見出(みいだ)せるだろう。






第5章は完結です。お読みくださりありがとうございます。

みなさまの温かい応援&レビューのおかげでここまで書けました!

本日中に、活動報告に後書きと次の章のことを載せようと思います。


(どうでもいい偶然ですが作中時間が12/25で話数も225話でした)

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