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第223話 聖なる夜に(2)



 二十%引きの売れ残りだが、フライドチキンはなんとか帰りに購入することができ、二人とも一日いろいろあって気疲れしているのもあって、後は追加で惣菜やら出来あいのサラダやピザも買って、まったりと映画を観ながら食事をした。


 塩っぽくて大雑把な味つけのチキンにかぶりついていると、それを見たくるみが上品にくすりと笑った。


「たまにはこういうのも悪くないかもね」


「こういうのって、買ってきた惣菜?」


「うん。いつも私の料理ばかりでしょ?」


「さすがにそれは素直に『はい』とは言えないよ。これも別に悪くはないけど物足りないというか君のが一番だというか。僕の体はもうくるみの料理で出来ているようなもんなんだからさ」


 たまには惣菜の持ち帰りもありだが、毎日頂くのを前提にすると、くるみの料理に勝るものはない。


 勘違いされても困るのではっきり断言すると、彼女は優しく目を細めた。


「じゃあ褒め上手の碧くんのために、明日は半熟のオムライスにしましょうか? ズッキーニと人参が余っていたから刻んで炒めて。あとは鶏肉も買ってきて。それだけじゃクリスマスっぽくないから、あとは海老も買ってビスクにするとか。ね?」


「いいの!?」


 手に持ったチキンそっちのけで喜びを爆発させる碧に、苦笑が返ってくる。


「もう。本当に花より団子なんだから。私より料理がいいんだ?」


「いやくるみのぜんぶがいいです」


「ふふっ。知ってた」


「あ。言わせられた」


 別になんぼ伝えてもいいのだが、くるみが幸せそうだから、そういうことにしておいた。


 その後は今日のアドベントカレンダーを開ける時間。二十四日が最後なので残った小包を渡しあって開封したのだが、碧が開封した包みからはカラフルなパラソルチョコが、くるみにあげたやつからはジンジャーブレッドマンが出てきた。


 碧があげた物の選定理由は、以前の会話を覚えていたからなのだが、くるみのはよく分からない。雪の日にコート一枚で凌ごうとしていることを咎めようとしているかもしれないし、とくに意味はないのかもしれない。


 碧は今日バイトの休みをもらったので、代わりに明日のクリスマス本番は出勤が待っている。だから一秒一秒を大事にしようと決め、そのとおりに過ごした。


 イブっぽいかと言われれば、案外そうでもない、それでも幸せなまま時刻は九時を迎えた。碧がさきに風呂を済ませてくるみにバトンタッチしたとき、ソファの裏から——


「あ」


 と調子外れな声が上がった。


「何かあった?」


「ルームウェアの上着が探してもなくて……しまったと思ってたんだけれど」


 どうやら珍しく、忘れ物をしたらしい。続けてがさごそとバッグを探しているが、困惑で下がった眉は焦りを加速させる様子なので、本当に家に置いてきたのだろう。


 深く考えず、碧は代案を提案する。


「急いで荷造りしてたしね。うちにあるのを貸すよ。前みたいにちょっとぶかぶかかもしれないけど」


 ラックから服を引っぱり出そうと、棚の前にしゃがみこむ。


 隣の、何かを考えるように指をおとがいに当てているくるみの体格を見て、なるべくサイズの小さいものを探していく。


「洗濯するにしてもそのブラウスのままだと寝にくそうだし。どれがいいかな」


 以前あったお泊まりで貸したパーカーはちょっと……〈刺さった〉というか、可愛さと色気の塊だったというか、あまりに破壊力がやばかったので、それ以外のものを選ぼうと思っていたのだが、うんうん唸っているうちにその手首がぱっと掴まれた。


「ん?」


 横を見ると、くるみの真剣な目がある。


「ここにある服を借りていいなら、私がどれか一枚選んでてもいい?」


「いいけど。なんで?」


「だって選んでもらうのに時間掛けるのも悪いし……。その隙に碧くんはさきにシャワーに行ったほうがいいと思って。こういう時は殿方がさきって決まってるの」


「別に手間でもないし構わないんだけどな。けどじゃあ、さきに行ってくるよ」


 押し問答をするわけも断る理由もなかったので、お言葉に甘えて素直に頷いた。


 そんな碧を、ヘーゼルの瞳が静かに見送った。


                *


 一時間半もするとすでに、碧とバトンタッチしたくるみがシャワーの番。


 この後のことを考え、夜だが熱いブラックコーヒーを淹れて二杯目を空にする。


 ぶおーっと大風量のドライヤーの音が聞こえるので、もうそろそろ出てくる頃だろうが、このまま待つのは落ち着かないので見もしないテレビの番組を次から次へと映して、笑うわけでもなくただ音だけを聞く。保湿を忘れたことに気づいたので、この間の良品週間で買った化粧水を肌に叩いた。きちんとスキンケアをすることをくるみに勧められているのだ。


 やがてドライヤーの音が止み、スリッパの足音がなったので碧は振り返った。


「くるみその服……」


「うん。碧くんのクローゼットから借りちゃった」


 くるみは近づいてくると、ブロー仕立てのなめらかな光沢輝くロングヘアを揺らし、はにかむように手を後ろで組んだ。


 碧がきょとんと思考停止してしまったのは、彼女の格好のせい。


 それはいわゆる……いや文字どおり、彼氏のシャツを借りた彼女の図だった。


「僕の制服のだよね? それ」


「ふふ。正解。冬休みだからいいかなって」


 言い当てられて、くるみは何かを期待するように、喉をくすりと鳴らした。


 別に制服を貸すことはいっこうに構わない。言い出したのは碧なのだ。


 問題があるとすれば、その格好の破壊力だろう。


 もちろん下にはキャミソールなりを着ているはずだが、なにせ白いただの長袖のシャツなので、湯上がりで上気した玉肌が肘やら肩やらのところどころで、ほんのりと透けて見える。それがただの肌見せより却って色っぽいのだ。


 体格差を如実に反映し、裾はぶかぶか、袖はだぼだぼ。そのせいで服に着られているようで、余計に幼く見えて守りたくなるような可愛らしさがあるのに、火照った肌は逆にひどくなまめかしい。持参のもこもこソックスも相俟って、温度差で情緒が混線しそうだった。


 それを知ってか知らずか、くるみが訊ねてくる。


「碧くんどう。なにか感想はありそう?」


「感想って。え? どう……どう?」


 女子にしてもかなり華奢なほうのくるみと、近頃ばっちり平均以上に身長が伸びた碧じゃ、半年前に貸したパーカーから教訓を得たとおりこうなるのは火を見るより明らかだったのだが、やはりこういうのが好きだと二度に渡り気づかされた碧は、もちろん目が釘づけで。


 おかげで、発言の賢さレベルがかなり下がった。


「その……うん。制服だね。僕の毎日着てる……」


 回答がお気に召さなかったらしい。


 くるみはつまらなそうに、頬にぷくーっと空気を含ませる。


「さすがにボキャブラリーが焼け落ちてない? そうじゃなくてドキドキしたかってこと」


「いやドキッとはしたけど……。だってその格好はよろしくないというか……直視が憚られるし……」


「そのわりには矯めつ眇めつばっちり見ていたみたい。赤くなりながら」


「う。あ……そうだ、サイズぶかぶかじゃない? それじゃ寝にくいと思うなあ」


 一番の急所(いたいところ)を突かれ、会話の方向転換を図ると、くるみはとくに怪訝がることもなく、自分の格好を確かめるように両手を持ち上げた。


 指だけが覗く萌え袖どころか、余った袖がへんにゃりと折れている。


 裾が少しだけずり上がった。晒け出された眩しい太もものあたりまで差し掛かっており、さしずめシャツワンピースのようだが、ポーズのおかげでやや際どくなっている。


 くるみは、動揺が表に出ているこちら様子をしばらく観察してから、垂れた袖をゆるりと口許に持っていく。


 表情の半分は隠れたが、目はいたずらっぽく笑うように細められ、碧はドキッとした。


「碧くんは私と違ってちゃんと男の子で、体も大きくて逞しいんだなあってのが分かるから。私()この格好すき」


「も?」


「ふふっ。うん」


 もちろん碧くんも好きでしょう? と目がらんらんと問うている。


 腰が引ける思いだった。


「……ということはもしかして、さっきの段階ですでに企んでました?」


「前のパーカーの時も、碧くんどぎまぎしてたから効くかなって」


「ちゃっかり計算するようになったんだよなこの子は……」


「あ。ちなみに上着忘れたのは嘘なんかじゃなくて本当だからね」


「それは分かってるけどさ。にしてもへんなことばっか覚えてるじゃん」


 どうやら、好みはすっかり把握されていたらしい。


 複雑な心境なのも知らず、くるみはこてんとあどけなく首を傾げた。


「? 碧くんを誘惑するのに必要な知識なのに?」


「とんでもないこと言ってる自覚ある? それ困るの僕なんですけれども」


「じゃあせいぜい困ってください」


 どうやら、くるみの何かに火をつけてしまったらしい。


 小悪魔な発言のわりにあどけなく喉を鳴らし、ずんずんとにじりよってきた。


 あいかわらずゆるい格好のまま、企むような表情がなんとも言えず愛くるしい。


「近い近い近い。可愛い。あとやっぱり近い」


「……真ん中あたりが聞こえなかったからもう一回言って?」


「それぜったい聞き取れてるよね?」


 今日のくるみはずいぶん大胆な、悪戯大好き妖精のようだった。


 小さな両手を耳の高さまで持ち上げれば、ゆるい袖口が肘のほうへずるずる下がる。


 現れた細い手を見せつけるように、がおっと爪を立てておどかすようにしてくるので、可愛すぎて対処に困った碧は、ふざけ返せずつい後退(あとずさ)った。


 それが余計に面白かったのだろう。碧が自分の思う壺の行動を取ったことに気をよくしたくるみは、じりじりと迫りながら誇らしげに笑みを深くして、その瞳をますますみずみずしく輝かせる。


「ほら。やっぱりこういう格好好きだから追い詰められて困ってるんだ」


「うーん。半分は事実だから反論するのが難しいなあ」


 心底嬉しそうにするくるみがやっぱりすごく可愛くて、碧も折れて、くるみに迫られるがままに、困惑たっぷりの返事をした。


「ほら認めた。じゃあ降参する?」


「あははっ……うん。降参したほうが身のためかなあ。」


「言葉のわりにどうしてそんな笑ってるの」


「いや……だって可愛いんだもん」


 子猫を見守っている時に近しいほんわかと幸福な気持ちで、素直に今の心情を話した。


「昔はもっと大人しかったっていうか、あんまり感情を表に出さなかったよね。なのに今は表情がころころしてて、会うたびに違うくるみが垣間見えて、それがすごく可愛くて」


 早い話、この世界一可愛い彼女に碧がぞっこん惚れこんでいるということなのだが——


「ば……ばかにしてる。碧くんは、私が空回りしてるって言いたいんだ」


 くるみは眦を吊り上げた。


「何でそうなんのさ。本音で言ってるだけなのにな。可愛いよすごく」


「か……可愛いなんて連呼しても駄目なんだから!」


「だってさっきのも、僕は攻められたってぜんぜん怖くないし。くるみも猫とか子供が嚇かしてきても何ともないでしょ?」


「ば……ばか! 私が怒ってるのはそういうことじゃないんだけど……今日の碧くんはにやにやしすぎ! 笑いすぎ! とにかく猫扱いも子供扱いもしないでっ。ばか!」


「だって今後五年間は一緒に居れる確約が取れたんだよ? 二人暮らしが始まってからもくるみに毎日迫られちゃうなあって思うとたのしみでたのしみで」


「ほらそういう余裕! ばかっ。ばか! もう……もう!」


 一生ぶんの『ばか』を真っ赤になって言い放ったくるみは、猫の手——本人の自認は虎か獅子——を拳にすると、罵倒にあわせてぽこすかと振り下ろしてくる。


 ちょっとむず痒いくらいの罪と罰を終えると、まだ有り余っているらしい不服を追加で表現するように、こちらにぐりぐりと寄りかかった。


「だってそういうのぜんぶ、碧くんが余裕ありきな発言でしょ? 私だって主導権を握りたいもん」


「主導権?」


「だって。せっかく……今日。碧くんとふたりきりになれた。から」


 息を詰まらせれば、あまりにも健気でいじらしい理由はその隙に、段々とか細く尻すぼみになって。


「あおくんとの。その、い……いちゃいちゃするの、も……がんばろうって思うことは、そんなに、いけないこと?」


 とどめに小さな手がきゅっと、もどかしそうに服の裾を掴んでくる。


 彼女のやきもきしている方角が、ようやく分かった気がした。


 ——やっぱり今日がふたりの初めての、公認のお泊まりだから——


 彼女の想像が伝染したように、ごくりと唾を呑んでから、そのか細い手に自分の掌をそっと重ねた。


 その拍子にびくりと震えるのは、今もくるみが何かを期待していることの証拠だろう。


 碧は少し考えると、ツリーの横にかざってあったサンタの帽子を手に取り、彼女の髪につやつやと浮かぶ天使の輪を隠すようにぽすっと載せた。


「あ。あおくん?」


「今日はイブだから。サンタさんの言うとおり……この後のことは任せようかな」


「え……いいの?」


「うん。僕もこの一ヶ月そこそこいい子にしてたつもりだから」


 そう後押しすると、ふわふわ宙を浮いたような視線を、くるみはリビングから玄関へつながる扉へとすべらせる。


 もちろんそのさきはマンションの外につながるだけじゃない。


 うるりと涙目になるほど潤みきったまなざしを、躊躇するように戻す。


 そしてたっぷりとして時間をかけて、ようやく絞り出された言葉は。


「じゃあ……一緒にあっち、行こ」


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