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第199話 幸福な冬の休日のひととき(1)


 今年のカレンダーも、残すところあと一枚になった。


 面接もついこの間なんとか決まり、いったんは次の連絡待ち。中間試験の返却や解説も終えたので、心配事は手放され、とりあえずの肩の荷は降りている状況だ。


 そんな一区切りと人心地がついたとある日曜、うちに遊びにきたくるみの視線の行く先は、ソファの横にあるひとつの巨大な箱に据えられていた。


 きょとんと細い首が傾げられる。


「何この箱?」


「ああー。それね……」


 キッチンで、迎えにいったついでに帰り道にくるみと購入してきた野菜ときのこ——今夜は鍋の予定だ——をマイバッグから取り出しながら、碧は若干言葉を濁した。


 ラベルのない、段ボールでできた黒い箱。


 昨日まではなかったものだ。


 大きさはくるみの背丈と同じくらい。


 いつも注文している定期便の荷物にしては、あまりに大きすぎるのだ。そりゃあ気になるに決まっている。


「開けてみたい?」


 そう尋ねると、碧が初動で口ごもったせいだろう。


 くるみは警戒した猫のようにささっと退いて身構えた。


「……まさか人間がはいってて脅かしてきたりしないわよね?」


「そんな手のこんだドッキリで驚かすくらいなら、もっとあの手この手でくるみさんを喜ばす別の方法を考えます」


 けれど実際、品名をはっきり言わなかったのは、これを開けたときのくるみの驚いた表情が見たかったからだ。


 そんなことをしていても埒が開かないので、碧は遠くで不審がるくるみをそばに呼んで、段ボールを開けた。すでに午前中、くるみが居ない時に一度開封はしているので貼られたテープは切れているし中身も知っているが、彼女はさぞ驚くだろう。


 なんて目論んでいるとやはり隣から、寝耳に水といった——いや、それよりも歓声に近しい可愛らしい声が聞こえた。


「わぁ……」


 雪が降った日の子供のように、心持ちうずうずしながらこちらを見る。


「これ、クリスマスツリー?」


 彼女の言うとおり、箱からわんさか飛び出たのは、針葉樹らしき枝だ。


「うん。実は母さんから急に送られてさ」


 と言いつつ、厳密に言うと全くもって急な話ではなく、予兆はあったのだ。


 それは少し前のこと。


 学校の面談のために母と久々に会った時、こんな会話があった。


                *


「あ……あらあら。くるみちゃんとつき合ったって……それ本当なの?」


 卒業後の同棲の話を切り出したく、まずはその前提となる彼女の存在を伝えたのだが、まだ何も言っていないのにその相手を母は特定して見せた。


「僕まだ彼女出来たとしか言ってないんだけど」


「でも、あなたと仲よくしてくれている女の子は他にいないでしょう?」


「そうだけど……」


「というかあなたたち、自分では気づいていないかもしれないけれど、夏休みの時にはすでに恋人同士にしか出せない甘い空気醸してたわよ?」


 母の台詞が、冗談じゃないことが目で分かる。


「そんなこと言われたって。観察してた母さんの希望も含まれてたんじゃないか?」


「だって。あんなに可愛くてお淑やかで、息子の世話も焼いてくれて……しかもお料理も上手だなんて出来すぎなくらいよ。今でも美人局が怖いくらいだわ」


「くるみがそんなことするわけないだろ。人が好すぎて嘘のひとつもつけないような子なんだからさ」


「わかるわあ。すごくいい子だもんねぇ」


 うふふ、と母はたんぽぽのような黄色い笑みを浮かべている。


「そうだ。今日は碧の家で晩ごはんにしようかしら。ふたりのお祝いに、奮発してすき焼きとかどう? もちろんくるみちゃんも一緒に」


「うん……気持ちだけ貰っておくよ」


 どこの世界に、高校生の息子に彼女ができたことを祝う母親がいるのか。


「もしするとしたら、いつかくるみをドイツに連れて行く約束はしているから、その時におねがいします」


「うふふ。千萩もさぞびっくりするでしょうね。憧れのお姉ちゃんが本当にお義姉ちゃんになっちゃうんだから」


「それはまだ気が早い」


「 “まだ” ねぇ? うふふ」


 からかうつもりがある訳ではなく、嬉しくて浮かれモードにはいっているようだ。


 多分今は正式に可愛がる権利を得たくるみに何をしてやろうか、考えているらしい。


「……母さん。あのさ」


 今が相談の潮時だろうな、と判断した碧は、母が不思議そうにこっちを見たことを確認してから、真面目なトーンに切り替えた。


「あー……今のはあくまで話の前座で……相談なんだけどいい?」


「あらあら。何かしら?」


 一瞬だけ迷ってから、碧は一気に言い放った。


「僕、卒業したらくるみさんと同棲したいと思っています」


                *


 それを言った時の、母の喜びようと言ったらない。


 賛成も反対もすっ飛ばして、どれだけ早とちりしたのか。あたらしい家具やらダブルベッドをAmazonでチェックし始めたので、恥ずかしくなって止めようとした碧との買う買わないの押し問答があった結果、紆余曲折ありこれが送られてきた訳だ。


 くるみちゃんとの新居でクリスマスの季節が来たらぜひかざってね、とのこと。


 来年とは言わず三日後には速攻で届いたのにはさすがに苦笑してしまったが、母からの厚意をむげには出来ないので、折角だし今年からかざることにしたのだ。


 とりあえず同棲の許可は自分の親からは得られた。


 問題はくるみのほうだが、とりあえず今この瞬間に考えるべきことでもないだろう。


「……思い切ったことをするのね、琴乃さんも」


「もうちょっと後先は考えてほしいけどなぁ。引っ越すにしてもこれくらい大きいと結構、運ぶのに難儀しそうだし」


 多分、将来を考えて買い替えをしなくていいように大きいのを選んだのだろうが、今ここでくるみにそんなことを言ってもきょとんとされて、逆にこっちが恥ずかしくなるだけなので言葉は慎んでおく。


 とはいえ碧もそうは言いつつ、今回に至ってはいいものを送ってもらった、と思う。


 今はすっかり恋人関係に落ち着いてはいるが、もともと碧はこの子にいろんなことを教えてあげたいと考えていた。


 もしかしたら、こういう地味だけど大事な思い出のピースにもなっている、ツリーのかざりつけなどの季節を迎える準備も、くるみが子供時代のうちに知れなかったもののひとつかもしれない。


 隣を見ると案の定というか、くるみは普段は水鏡のように凪いだその瞳に、きらきらと好奇心の光を灯している。その様子が可愛らしくて、碧は人知れず笑みを零した。


 ——十二月って、そういう季節だもんな。


 クリスマスがあるからか、誰しも童心に帰れる月だ、と思う。


 いつもは澄ました街だってきらきらはしゃいでいるのがいい証拠。


 もちろんくるみも例外じゃなく、むしろ高校生はまだ未成年なのだし、これ幸いと子供らしくむじゃきにはしゃいで貰っても存分に構わない。というか碧がくるみのそういう姿を見たいと思っていた。


 とりあえず箱からずるずると引っぱり出したそいつの支柱に脚をつけ、テレビの横の空いたスペースに立てかけてみる。


 くすんだ風あいの枝葉を広げればこのままでも、伐採されたばかりの木ってかんじで荒々しさはあるがインテリアとしては悪くはない。けどやはり、この季節はかざられてなんぼだ。それに木自身も、くるみの手で綺麗におめかしされるのを今か今かと待ち侘びている気がする。


 こうなっては陽が出てる明るいうちがいいだろう、と碧は段取りを始めた。


「……こっちがオーナメントの箱か。それでこっちがモールとライトね」


 ひと通り同梱物を確認してから、後ろからそわそわ様子を見守っていたくるみに訊く。


「くるみはツリーの飾りつけやりたい? やりたくない?」


「……私がいいの? ツリーかざっても」


「僕よりくるみに飾られたほうがこのモミの木も喜ぶと思うな」


「木が喜ぶの? ふふ。へんなの」


 くるみは控えめにオーナメントの箱を持ち上げて、可愛らしく上目遣いをしながら、碧に手渡した。


「そしたら一緒に飾ろ? わたし……碧くんと一緒にしたい」


「僕も?」


「嫌だった?」


 碧はくるみがはしゃぐ姿を見てお腹いっぱいにする算段だったのだが、甘えんぼさんのおねだりにはすっかり負けてしまっていた。


「じゃあこっち半分は僕がするから、そっち半分はくるみに任せてもいい?」


「うん!」


 くるみにしては珍しく幼子のように素直な返事と共に、百二十%のピュアな笑みがぱぁっと輝くように浮かぶ。


 クリスマスツリーを飾ることより、碧と一緒に何かをすることそのものが楽しい。


 そう言いたげな表情を見せて早速オーナメントの紐を枝に結んでいくくるみに、どきどきした碧は自分の彼女が日毎どんどん可愛くなっていくことに対して末恐ろしさを覚えながらも、平静をよそおって松ぼっくりのかざりを手に取った。


 なんせ今後、最低でも何年かはお世話になるのだ。枝葉がちぎれてしまわないように、慎重に紐でくくりつける。


 次のをかざろうと箱に腕を伸ばした碧が、手に取ったそれを見てふと言った。


「あ、見て見て。昔の僕はこれ食べれると思ってたんだよね」


 くるみに見せたのは、先っぽが老人の杖のようにぐんにゃりと曲がった、赤と白のストライプをしたキャンディだ。


 なぜそんな勘違いをしたのかは定かじゃないが、まず名前がお菓子そのものなのもあった他に、日本の七五三で似たような千歳飴の存在もあったからかもしれない。


「なんかすごい甘そうな見た目してない? 覚えてないくらい小さい頃、冬になるとこれをずっと手放さなかったって、父さんによく話されてたんだよな」


「ふふ。ちょっと分かるかも。でも私ならこっちかな」


 くるみが差し出したのは、こんがり焼けたジンジャーブレッドマンを模したかざり。


「そっちは本当にそういうクッキーあるよね」


「けど可愛くてたべちゃうの勿体なくなりそうだから、ずっと取っておけるオーナメントでよかったなって私は思うかな?」


 涼やかに笑ったくるみは、遠い目をしてツリーを見る。


 その瞳が映すのは本当はもみの木じゃなく、在りし日の思い出ということを、碧は分かっていた。


「小学校に上がる前は、うちでも毎年ツリー飾ってたの。それより大きくなったらそういう風習もいつのまにかなくなっちゃってたけど。あの時は椅子がなかったら高いところに手が届かなかったのに、今は余裕で届いちゃうんだ」


 つやつやな硝子のボールには、横髪をくるりと指に巻きつけるくるみが、逆さまになって映りこんでいる。


 その表情がどこかアンニュイに見えたので、碧は段ボールの底にくたりと横たわっていたサンタの帽子を引っ掴んで、ぽしゅっとくるみに目深にかぶせた。


「ひゃっ!? なっ何。なにも見えないっ」


 あわあわと目許まで隠す帽子を引き上げた後、くるみはちょっと怒ったように頬をふくらませた。


「碧くんひどい。いじわる」


「くるみにそれ被せたら、イブの夜に来てくれるのかなぁって思って」


「もう。悪い子にはサンタさんは来ませんから」


 ぷんすことこちらに帽子を押しつけるくるみの台詞を、碧はいいように解釈する。


「うちにサンタさんが来ないなら、くるみは来てくれるの?」


「え?」


「……可愛い彼女とイブをふたりで過ごしたいなって思うのは、悪い子の発想?」


 クリスマスの正式なお誘い。


 そうだと理解してくれたくるみの白い頬がじんわり熱を帯びるように赤くなる。


 長い睫毛がこちらの視線をさえぎるように、ふわりと下がった。


「えっと。その。駄目じゃない。……と思う」


「思うだけ?」


「う。——……だ。——駄目じゃ、ない。です」


 真っ赤になってもごもごと言い淀みつつも了承の返事をくれたくるみが、一体何を意識しているのか。さすがに鈍くもない碧は気づいている。


 そしてそれを見越して駄目じゃないと言ってくれたことに対し、こちらも頬が燃えるように熱くなっていたのも、しょうがないことと言えた。


 世の恋人同士が聖なる夜を家でふたりきりと言えば、さすがにそういう甘い空気になって朝を迎えることは、何も間違ってはいない。


 むしろ結ばれて初めてのイブとなれば、一生忘れられない時間を刻んでしかるべきと言っていいだろう。


 そんなくるみは、今の返事に相当の覚悟を要してしまったようで、すっかり三週間後のイブを想像しては体がかちこちの氷になってしまっていた。


 羞恥のせいなのか、小動物のような若干の震えすらある。だが、今ここでそんな風にさせてしまうのは、碧の望んだところではない。


 本当は碧はただ……好きな女の子と一緒に居たい、それだけのために、お誘いをしたのだから。


「べつにくるみが嫌なうちは、うちに泊めるわけじゃないんだからさ。そんなぶるぶるしなくてもいいのに」


 交際から起算して二度もベッドを貸したのは事実だ。けれど毎回、それを何くわぬ表情で繰り返せるほど、碧は人間が出来ているわけじゃなくて。


 初めは練習でよくても、回数を重ねればそういうこともつい期待してしまうし、今は怖がらせたくない一心で抑えているが、一度その気になれば、押し倒してしまうことくらい目に見えている。


 抗えなくなる自分を想像すると嫌だから、初めから控えるべきだ。


「ケーキとか買ってきて、あとは外を散歩してイルミネーション見に行くのもいいし、イブだからってどんな時間にするかは僕たちで好きなように選べると思うしさ」


 だから次うちにくるみを泊める時は、本当に大事な時にしようと心に決めていた。


 なのに、くるみは。


「……わっ私は——っ」


 なんとか紡いだ声は、上擦って、ひっくり返りそうなほどに動揺が乗っている。


 そのまま美しい亜麻色をひるがえし、ぎこちない動きで碧を正面からぎゅっと抱き締めてくると、半分埋めていた可憐な面差しもぞりと上向かせ、涙目でこちらを見た。


「あ、あおくんと一緒にイブを過ごして、そのままお家には……か。帰りたくない」


 言葉を失った。


「だっ……駄目じゃないって……そう、いう。こと」


 今度は、練習とは言わなかった。


 つまりはそういうことだと、都合よく解釈してしまいそうになる。


「本気?」


「……うん」


「僕としてはあんまり怖がらせて、嫌われたりしたくないなって思うんだけど」


「あおくんのことは、信頼しているから」


 期待をはらんだヘーゼルの水鏡が、狼狽に狼狽を重ねてひどい表情になったこちらを、ありのままに映している。


 要するにくるみにとって碧は、責任を取れないことはしない人だ、ということだろう。


 その気持ちを裏切ることはするつもりはないものの、しかしさらなる階段を登るのを許されているのは事実で。


「じゃあ……まあ……約束ね」


「っ。うん」


「……この話はイブが近づいてからまたしよっか」


 一旦ここで打ち切りにすることにした。


 真っ昼間からこんな気持ちにさせられては、完成するツリーも完成しなくなる。


 くるみも頬の火照りが冷めないまま、そそくさと碧から離れては、ソファの上に転がっていたぬいぐるみを抱き締めて、耐えきれなくなったようにううっと唸っていた。


 碧も平常よりも早鐘を打つ鼓動を自覚しつつ、この十二月に待っていることリストにひっそりと〈くるみとの本当かも知れないお泊まり〉を追加し、大きく深呼吸するのであった。


なぜ毎日投稿なのかというと、クリスマスのこの時期にこの話を掲載したかったからです。

きっとそのうちまた現実の季節に追い越されてしまうと思いますが…

今回もお読みくださりありがとうございました。

書き溜めはまだあるので、もうしばらくは高頻度で更新できると思います。

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