第191話 はじまりは女神
————私の世界。
勉強とSNSと可愛いお洋服。
友達とのショッピングに、帰りに寄り道して買うフラペチーノ。
そういうので出来ていると素直に叫べるような、ありふれた女の子でありたいと、日々思ってきた。
思い返せば始まりは、くるみがまだ、自分と他人の違いを自覚する前のこと。
学校にある建物で一番好きだったのは、来客のためのエントランスだった。
昔この学校にいた生徒による卒業制作らしいステンドグラスが、嵌められていたから。
「きれい……」
西陽がそれを透過し、床にくっきりとあざやかな模様を落とす様がまた、ため息が出そうなほどに美しい。
生徒の昇降口はまた別にあるのでわざわざ鑑賞しようと思わない限り近寄ることはないのだが、それを見たいがために、くるみは放課後になると教室を出て、送迎のスクールバスに乗りこむ前の五分間だけこっそり寄り道をするのだ。
硝子では、女神のようにきれいな女の人が空に鳩を放っている。
平和を祈念……あるいは象徴する柄。
その鳥がいったい、どこへ飛ばんとするのか。初めて見た時から夢見るように想像を巡らせてきた。幼いくるみにとってそれは憧れの象徴で、どんな小説や絵本を読むよりも、なぜだか猛烈に心を奪ってきた。
しかしそんな日課も、いつしか毎日やることに押されるにつれて、忘れてしまった。
時はながれ、くるみが他の人と違うと気づいたのは、小学生を折り返す前のこと。
祖母譲りの美しい髪と瞳、そして整った風采はいつだって誰かの目を惹いていたし、生まれつき何でも人並み以上にこなす器量もあった。
クラスメイトの半分は交友を深めようとしきりに話しかけにきて、残る半分はつかず離れずの関係を維持……いずれにせよ、皆が推し並べて、くるみを羨望と戸惑いの表情で見つめていたことに気づいたのが、その歳。
話せる人は多かったいっぽうで、かけがえのない親友らしい親友は結局その十二年間では一度も出来なかったけれど、近くにいるのは優しい人ばかりだった。
とはいえもちろん、嫌な事も全くないわけじゃない。
群から突出した存在であればそのぶん出る杭は打たれるわけで、ちょっとした嫉妬や身に覚えのない八つ当たりなんかもあるわけで。どうしてそこまでがんばるのって、勝手なバックグラウンドを想像しては勝手に憐れみ同情されることも、あるわけで。
けれどそのおかげで、早いうちに人との距離の取り方を身につけた。
踏みこまれすぎない程度に、線引きする。そのぶんきちんと優しくするし、貰った恩は必ず返す。そして誰かとの関わりで嫌なことがあれば、もう二度と同じ文句を言わせないように、そのぶん自分が完璧になればいい。
その考えを後押ししたのは、家庭だった。
仕事を抱えた親にとって理想のいい子でいることが唯一の孝行と思っていたくるみは、期待に応えるべくひたむきに努力をし、誰もが持て囃す見本のような優等生になった。
……それらが自分の世界の全てだった。
今振り返っても、とくに何かが間違っていたとは思わない。
おかげで大抵の人から好かれやすく、誰からも嫌われる事のない穏やかな日々を送れたのだし、そもそもより高い次元に自ら在ろうとするのは、くるみ自身好ましいことだから。
けれど……時々思った。
——何でも持っていて皆に憧れられるように見える自分は、実は何も持っていないちっぽけで頼りない存在なんじゃないか、と。
気のままに好きなところへ突き進む自由もなければ、今まで全て親が決めてきたからと、自分で何かを選ぶ力もない。予定調和の将来をどうにかすることも出来ない。人との関係を構築する時間も犠牲にしてきたから、本当の親友だって持ったことがない。
そんな時に、決まって思い出すのがあのステンドグラスだ。
あれを思い浮かべると、もっと冒険していいんだって。鼓舞されるような後押しされるような。とにかく、勇気が貰えた。
……たぶん答えは鳥かごの外にある。
世界の全てを、この学校で終わらせたくはない。
女神の手からどこか遠くへ飛び立っていった、あの鳩のように。
だから高校は、柏ヶ丘高を選んだ。
やがて……来たる雪の降る夜。曇天の空の下。
くるみは自分の世界を塗り替える、運命の出会いを果たす。
——……私の世界。
そして今、十七歳の冬。
人生の分かれ道のしるべが、真っ白な雪の中で静かに私を見つめている。




