第182話 七月の縁結び(1)
・このお話は「第121話 迎えた翌日に(3)」の後のお話です。
『みんなで夏合宿をしましょう』——そんな母の急な誘いの電話を切った後のこと。
夕方のニュースでも見るかとテレビをつけると、ついさきほど赴いた花火大会の様子がさっそく放送されていた。
フィナーレに咲き乱れる百花の映像やらそれらを見た人のインタビューやらが、ダイジェストでお届けされている。
将来目指す仕事柄なるべく、というか最低でも一日一回は時事問題に目を通すため、必ずニュースは見るようにしているのだが、世の中こんな平和でほっこりするような報道ばかりならいいのにと思った。
とくに春は動物の赤ちゃんが生まれた速報が見れる確率が高く、かなり熱いので必見だ。
今年のホワイトタイガー誕生なんかはすごい可愛かったよなあと頬を弛めていると、ふとキッチンのほうからくるみに呼ばれる。
「碧くん。これなに?」
くるみはすでに完成されている晩ごはんの筑前煮を温めてくれるらしく、キッチンの調理台に行ったらしいが、そこには置きっぱなしにされていた袋があった。
「? ああそれ。なんか花火打ち上げてるっぽくて、そこで買ってきたんだ」
中身はりんご飴と綿あめ、そしてベビーカステラ。
ついさきほどクラスの一学期ならぬ四ヶ月間おつかれさま打ち上げ——くるみは早々に不参加表明したようだが——に記者会見として呼ばれた際に、お土産として買い求めたものだった。
それはそうとして、少女からすごく冷ややかな氷柱みたいな視線が来るのは気のせいじゃないだろう。
今日行われたクラスの行事と碧のお土産……答えを導き出すには僅か三秒もかからなかったらしい。
「碧くん?」
あくまでにっこりしつつ、瞳がすぅっと細まる。それはお怒りの時の表情だ。
もちろんそれは、花火を見るのに仲間はずれにされたゆえの怒りなんかじゃない。
「私も君のこと守るって言ったのに」
「それは……ごめんなさい」
「言ってくれればついていったのに」
「でもな……」
碧は頬をかきながら、言葉尻を濁した。
くるみが居れば、ますます事情聴取ならぬ法廷は大荒れだったろう。
——近くて遠い二人の友誼の正体。
それは碧から高嶺の花への片想いという、二人の本当の関係……というよりは一番事実に近い表現を言うのに説得力を持たせることも言えなかっただろうし、結果これがベストで丸く収まるかたちだと碧は思っている。
その公開告白だって、自分の大事な気持ちを犠牲にした結果とった行動じゃない。自分がしたいから、感情に突き動かされるまましただけなのだ。
ばつが悪そうにする碧に、くるみは小さくため息を吐く。
「……本当に心配してるんだからね」
だが、潤んだ瞳が儚く揺れるのを見て、いかに昨日が丸く収まったとて、碧はほんの少しばかりの後悔をした。
くるみを哀しませるようなら、どんな行動をとったって失格だったかもしれない。
「ごめん。けど大丈夫だよほんとに僕は。何も言われたりはしてないから。くるみは不参加に丸してたでしょ? クラスの打ち上げは好きじゃないんだろうなって思ったし連れてくのもなって」
「……まったく。碧くんてひとは」
苦しい言い訳の自覚はあったが、とりあえずは見逃してもらえたらしい。
表情に普段の優しいものを戻すと、碧の他愛ない話に乗ってくれた。
「不参加にしたのはね……なんていうか、大人数だとなに喋っていいか分からなくて」
「へえ? そうなの?」
普段多くの人間にかこまれている人気者の彼女から、そんな台詞が出るとは思わなかった。だがよくよく思い出してみれば、確かに記憶の中のくるみはいつもクラスメイトの真ん中でにこにこして相槌を打つ事が多くて、あまり進んで発言はしていなかった。
「その気持ちは……分かるかも??」
「ふふ。分からないって目してる。碧くんて誰とでもすぐ仲よくなれるもんね」
「そうかなあ。ふつうに話してるだけなんだけどな。ところでそれ、くるみに買ってきたからあげるよ」
「え。私に……?」
「うん。ほら。これとか……あ」
逆さまになった棒を引っぱり出したのだが、それを見て碧は微妙な声を漏らした。
喜んでもらえるだろうかという期待を織り交ぜて持って帰ってきたのだが、しかし残念ながらりんごをコーティングする飴はふやけてべたつき始めている。綿あめも同様に、若干萎んだように、空気が逃げていた。かろうじて無事なのはカステラだけだが、これも焼きたてに勝る瞬間はないだろう。何より祭りの空気を味わいながらが、一番美味しくする魔法の調味料なのだ。
本当なら出来立てのふあふあをくるみにはあげたかったのだが、家まで距離がある以上しょうがない。
「……いや」
本当にしょうがないのか?
碧は自問自答した。
——確か来週に別の地区で夏祭りがあったはず……
——そうすればくるみに夏の思い出をまた一つ残してやれるかも……
——くるみが浴衣着てるところも正直めちゃめちゃ見たいし。
「綿あめって名前だけあって本当に綿みたいでかわいいね。飴もきらきらして綺麗。碧くんは花火はちゃんと見れたの?」
問いかけに夢想を中断された。
こんなしょぼいお土産でも褒めてくれるのは、くるみが慈悲深いからというよりは、本物を見たことがないからが大きいだろう。
「まあ……うん。花火はきれいだったよすごく。くるみの浴衣が見れなくて残念だーってみんなは嘆いてたけど」
「え? ああ」
すぐ想像ついたのか、くるみは困ったように苦笑した。
その反応を見て、碧は尋ねる。
「もしかして、すでに似たようなこと言われてたり?」
「一年生の時もクラスの殿方に誘われて、同じことを言われたなって。どんなに誘われても行く気はないんだから、私の浴衣なんか期待しないで、もっと親しい好きな女の子のを目当てにすればいいのにね」
ぐさっときた。
何故って、自分の浅はかな〈あわよくば〉を見透かされていたのはもちろん、くるみがわりと本気で困っている目で言っているからだ。
「自分で言うのも傲慢で恥ずかしいんだけれど、そもそも私を好きになる人の大半は人柄を見てないで、見た目が理由だろうし……って碧くん?」
オーバーキルしてきた本人は、きょとんと首を傾げている。
すっかり撃沈した碧は、必死に目を泳がせた。
「……いや。僕も実は、見てみたかったから……」
くるみは呆気にとられたようにヘーゼルの瞳をぱちくりさせていた。
「え?」
「だからさ、その……」
「もしかして私の浴衣を?」
「……うん。明日、都内の別のところでもっと大きい夏祭りがあるみたいだから、くるみが行きたいなら誘おうかなって思ってたんだ。あ、もちろん嫌なら浴衣じゃなくて私服でもいいんだけどさ」
くるみは碧の発言を理解しきれないように、きょとんとしたまま、両手で口許を隠した。
それから逡巡するようにぐるりと目を転がすと——急に早口で捲し立てた。
「……べ。別に嫌とは言ってないの! よく考えたら私も夏祭りは行ったことがないし。よく考えたら浴衣着てみたく……なったかもしれない。ううん、今なりました!」
「う? うん?」
「たっ確か家に浴衣あった! あるの!」
意図が掴めず曖昧な相槌を打つ碧に、くるみは今の発言を撤回するような風情で亜麻色のロングヘアを踊らすと、ぐいっとこちらに詰め寄る。
頬も耳も真っ赤なのは、まるでいろんな感情が入り乱れているようだ。
「つまりっ。碧くんになら見せても構わないってことなの!」
「わ。分かったから落ち着こうか……」
大好きで可愛らしい面差しが迫り、碧はどきどきが止まらない。
と、思いきや。くるみは急にしおれたように尻すぼみに呟く。
「……ううん。この言い方はずるいよね」
すうはあと呼吸を整えてから。
「……私が。碧くんに浴衣姿。見てほしい」
ひとつひとつ確かめるように言葉を落とし、最後にねだるような瞳を見せる。
「だめ?」
「まさか!」
惚れた弱みという言葉の恐ろしさを、碧はまた知る羽目になった。
「駄目なわけ……ないけどさ。僕が提案したんだし……」
淡いヘーゼルにぱあっと期待の光が宿る。
「じゃあいい?」
それが文字どおり目と鼻の先の間近で行われるのだから、距離が近すぎるってよく言われる碧からしても、この子もまた大概な気がした。
碧はさりげなく一歩退くと、混乱を落ち着かせるためにも改めて当日の概要を確認する。
「うん。いいよ。じゃあ明日だけど昼間は暑いから、夕方の十六時半くらいから回ろうか。待ちあわせは……浴衣は歩きづらいだろうし僕がくるみの家の近くまで迎えに行くよ」
くるみはしばし冷静に考えてから、首を振った。
「夏休みも登校する人はいるでしょう? ここから一緒に行くにしても、学校の人に見られちゃったらまた騒がれちゃうから、現地集合にしない?」
「それもそうか……分かった」
ふたりの関係が思わぬ形で公になってから、まだ丸一日。
クラスのほうは碧が釘を刺しておいたとはいえ、公開告白のこともあるし、ほとぼりが冷めたと言うには早すぎる。この辺を浴衣で歩けばさぞ目立つだろうし、くるみのそれは賢明な判断だ。
「けどその代わりというか、もし待つことがあったら、人の目がある駅前のカフェとかにはいっててくれないかな。出来れば窓の近くの席じゃなくてレジの近くとか」
「? ——ああ……確かにそうしたほうがいいわね。分かった」
もちろんナンパを警戒しての提案だが、くるみもすぐに同じところに考えが行き着いたようで、素直に頷いた。
それから妙に落ち着きのない様子でふわふわと尋ねる。
「ところで碧くんは……私服で来るの?」
「浴衣持ってないんだよ、僕」
「そっか……」
残念そうにする彼女に、碧はしばし考えてから、スマホを開いた。
〈そういえば明日うちの支社の近くで大きな夏祭りがあるって! 折角だしくるみちゃんと行ってきたら?〉
それが何時間か前に届いていた、母からのLINEだ。
夏祭りの存在を知ったのも、母が気を利かせて教えてくれたからだった。
〈誘ったらOKもらった〉
と、たった今返事をする。
既読はすぐについた。
〈じゃあ来る前にうちに寄ってらっしゃい! 同僚にあれ頼んでおくから!〉
了解のスタンプを送り、スマホをテーブルに戻した。




