第181話 もうひとつの文化祭の終わり
・このお話は「第171話 It begins again and ends again(2)」の後のお話です。
学祭一日目を終えた後、颯太は夏貴と一緒に帰路についていた。
すっかり夜に閉ざされた駅への道は、他にも柏ヶ丘生が何人か同じ方角へ歩いている。
誰もがたのしい一日に浮き足立った行進をしているなか、自分達のぎこちない足取りは別の意味で、さぞ浮いているのだろうと思った。
「……」
隣を歩く友人もきっと、言葉に迷っていることだろう。
丁度今歩いているこの道は、パレードで仮初めの王子様が、想いを寄せていた一人の姫君に、想いを伝えた道なのだから。
魔法は解け、今の颯太は、ブレザーを着てまわりに平凡に埋もれた、ただの学生。
歩道と車道をへだてる柵も、立ち並ぶけやき並木も、寂れた歩道橋も、あったか〜いドリンクばかりの自販機も、このたった数時間では何もかわらない。
でも取り返しのつかないまでに、確定してしまったものがある。
——報われなかった恋情の、ひとつの行き止まり。
たとえば生死を分ける箱に猫をいれたとして、開けるまでその結果は分からないという有名な理論がある。開けなければありえた二つの結果が重ねあわせ。きっとどんなに少ない確率でも希望は持てた。それでも颯太は開けたから、結果が確定した。
あるいはもうひとつの考え方として、開けるまで誰にも中身は分からないから、そこにいる恋情は誰にも認識されていないとも言える。もちろん颯太本人にも。だから、恋情は存在しないのと同じ。
そう在れればきっと、それが一番丸くおさまったのだろう。誰も傷つくことのない平和きわまりない世界だ。
でも結論、猫箱なんて都合のいいものはなくて、だからあの雨の日に気づいてしまったわけで。
自分の気持ちがどういうカテゴリーのものかなんて、とっくに検証はして判定はついてた。本来であれば、泣きながら帰り道を走り、味のしない晩ごはんをかみしめ、ベッドで毛布にくるまってまた涙するのが筋な種別のものだと。
なのにどうしてだろう、不思議と涙は出ず、むしろさっぱりした心地だった。
「……なんか、まだ帰りたくないよな」
赤信号に引っかかって初めて、友人が夜の重たい空気を押し返すように、口を開いた。
「なあ。どっか寄ってかねえ?」
「んだよ夏貴。まーたバッセン?」
「それでもいいけど、まずは腹へったし先に牛丼あたり決めたい」
「じゃあ俺はねぎ玉の大盛りがいいなー」
「おう」
「……」
「…………」
取り止めのないやり取りはふと止み、またしばらく歩いていると——駅に近づいたあたりで、ふと聞き慣れない音が、街の喧騒に紛れて響いた。
しばらく耳を澄まし——ずび、と洟をすする音だと分かるや否や、思わずぎょっとした颯太は弾かれたように横を見る。
「ええっ!? いやいやいや何で夏きちが泣いてるわけ!?」
「泣いてねーし!!」
「いや泣いてんじゃん思い切り!! 涙ぼろっぼろじゃん!!」
夏貴のシャープな頬を伝い、雫が後から後から降っていた。
改札から吐き出された人達が、好奇の視線を雑に残して、そのまま通り過ぎていく。
それがなぜだかすごく嫌で、柱の影に夏貴を引っぱった。
彼は肩をしゃくりあげるように言った。
「だって……俺のせいだろって思って……。あのふたりの親密さ見てればこうなるってのは分かってたのに、後悔を残すなって一点で焚きつけたのは俺なんだし」
「いやいや! 俺いますげーすっきりしてるから! ぜんぜん哀しくも辛くもないから」
「え」
「こう言うと聞こえが悪いけどさ、俺は誰でもよかったんだよ。本気で好きになれるなら誰でもよかった。偶々それが友達の好きな人だっただけ。どうしても楪さんじゃなきゃ駄目って理由はなかったんだ」
「……そうなのか?」
「これは嘘とか強がりじゃなくてまじな。もし碧っちが居なくても振り返らせる自信は一切なかったよ。むしろこのままずるずる引き摺ってたほうが、きっとずっとしんどかったと思う。だから夏貴には後押ししてもらえて、ありがたいって思ってるよ」
ブレザーの襟からポケットティッシュを数枚取り出して、夏貴の鼻に押しつける。
「あーもうほらべったべたじゃん。いっぱいあるからちゃんと拭けよ」
「俺……」
友人を泣かせたのは自分だ。なのに……夏貴には悪いが、友人が自分のためにここまで感情を動かしてくることがものすごく嬉しいと思えた。
——幸せ者だよなあ。
「よーし。今日は俺が牛丼奢ってやる!」
「いやいいよ俺が奢るよ。詫びめしするよ」
「詫びられるようなことされた覚えはないね!」
「いいから大人しく詫びられとけバッドの錆にすんぞ」
「嫌な侘び寂び」
改札にSuicaを押しつけ、振り返らずに言う。
「なー夏貴」
「ん」
「好きになれるような人、また現れてくれっかな」
「いつかはな」
親友だから後ろを見なくても分かる。
夏貴が今までで一番、優しい表情をしているってことを。
「……それまでは俺がこうやって、帰りに寄り道つき合ってやるよ」
颯太は、自分の頬にも何かが伝っていることには気づかないふりして、今度こそぜんぶが吹っ切れたように笑った。




