第178話 ぬくもりの答え(2)
彼女の想いが、光のシャワーのように降り注ぐ。
手渡してくれた言葉が、碧の心を月のように照らして、進むべき道を示してくれる。
気づけば目が熱い。頬に温かいものが伝っていく。口の端でちょっぴり甘い塩気を残して、そのままぽたりと透明な雫が後から後から落ちていく。
こんな感覚はひさしぶりだった。
篤志でも、他人が傷ついた悔しさでも、思い遣りでも同情でも他者への感動でもない、ただ自分のための涙。自分を労り、肯定するための涙。
——そうだ。僕は。
志を追い続ける難しさに打ちのめされたことは何度だってあった。
進めば進むほどにほしいものは遠ざかっていく気がして、何を目指していたのかも分からなくなるほどに迷ってしまう日もあって。
あの日からただ一人の親友だけを想い続けて走ってきた道が、どんなにあがいても人間一人じゃどうしようもないことを思い知らされるやるせなさが、報われない優しさが……本当に正しいんだって、何も間違っていないんだって。
きっと誰かに教えてもらいたかったんだ。
琥珀が琥珀であるように。
くるみが、くるみでしか在れないように。
碧はどこまででも碧でしかない。自分は自分でしかいられない。
なんて、決して引っくり返せないこの世の寂しい真理にも思えるそれが。
でも本当はそうじゃないんだってことを、碧は今やっと知れた。
教えてくれた女の子がひとり、ここに居る。
世界で一番大切な人だ。
くるみが、言わせてくれたから。
「がんばれ」や「がんばったね」を手渡すのではなく碧自身に「がんばった」と。
生きた十六年を自身に認めさせてくれたから、自分を肯定することができた。
いつだってくるみは、信じてくれた。託してくれた。迷わないように見守ってくれた。
彼女の想いが深くに浸透して、隣にいてくれるだけで嬉しかった。
——くるみがいたから、僕は在りたい自分で在り続けることができた。
彼女の涙ぐんだ声が耳朶を震わせる度に、碧はどこか救われたような心地になるというのに、どうしてか幼い涙は、止まってくれない。
制服のひざにできた黒い染みを見て、それから目許をごしごし拭ってから、自らを包む温もりを、甘えるように見上げた。
「……くるみさん」
少しだけ離れたところにある美しい宝石の瞳。
目尻に真珠の粒をためながら、急かすことなく、くるみは続きを待っている。
居住まいを正して、まだ止むことのない雨を降らせながら言った。
「好きです」
突然の愛の告白に、くるみは。
「知ってる」
とだけ返して、きらきら涙を零しながら、きゅっと目を細めた。
そういうふてぶてしさもくるみの可愛いところだ。
僕はくるみのことを、大事にしすぎていたのかもしれない、と思う。
硝子や壊れ物、神聖なものを扱うようにして、恋人同士だというのに手を出すのは愚か、どこかキスすらためらいがあった。
そういう話じゃなくても、碧が自分からくるみの世界に踏みこむ事はあっても、逆に彼女を自分の見てきた世界へ招きいれる事は、考えていなかった気がする。
どちらともなく言った。
「今日、土曜日だよ」
「……うん」
それ以上の言葉は要らなかった。
ただそのひとことだけをサインにして、ふたりは再び抱擁する。
頬をと伝い、混ざりあったふたりの涙が、押し当てた制服に染みを生み出す。
幼な子をあやすように、くるみは抱きしめる腕を離さない。
ひたすらに、優しく優しく。宥めるように手を動かす。
小さくて頼りないのに頼って縋って甘えてしまう、そんな体。いつかきっと家族になるであろう大事なひと。
そんなくるみに碧は自分のぜんぶを預けて、幼い涙を零し続けた。
——その後もしばらく僕は泣いた。
やがてその涙も涸れ果てた頃になって、しばらく身を委ねてから体を離した碧は言う。
「……きっと僕はずっと、誰かにこうされたかったんだと思う」
「いい子いい子のこと?」
「なんかその言い方だと僕が駄目なやつみたいだけど……まあそうなのかな?」
「ふふ。お望みならいくらでも」
くるみは陽だまりみたいな声で言った。だから碧もまだほんの少し目尻をひりひりと赤くしながら、また春の日差しのように険のない表情で穏やかに笑う。
鏡がないから分からないけれど、きっと涙の後でも、そういう表情は出来ていたと思う。
「さっき言いかけて止めたこと、言い直していいかな」
「うん」
「僕……くるみと出会えてよかった」
かみしめるように。
「好きになってよかった」
その言葉が引き鉄となったように、紡がれた糸で心と心が惹かれあうように。
近づき目を閉じ、どちらからともなく口づけをした。
——三回目のキスは、互いのめくるめく愛を渡しあうような、長いキスだった。
残っていた涙が口の端っこに、ほのかな甘さを残していく。
僅かな空気すら挟まずただふれあうだけなのに、これが『本物の愛情表現』なんだって、そう思えた。
やがて惜しむようにゆっくり離れ、互いを見つめあった。
頬が燃えるように熱い。鏡を見れば真っ赤になっているであろう自分の不慣れさが、恥ずかしい。
けどそれはくるみも同じだ。耳まで紅潮しつつも、狼狽したり動揺したりで自分を見失うことは決してなく、聢と碧を甘く優しい眼差しで見つめ続けている。
今日ようやく真に心が通じあった気がして、照れに幸福が勝っていた。この感覚にずっと耽っていたいと思えるほどに。
くるみは、燃えるような頬の熱を少しでもクールダウンするように、ぱたぱた仰いで両掌で抑える。碧もひとつ深呼吸をしてから、身長差で少し低いところにあるくるみの瞳へ、尋ねるように目線をあわせた。
「あのさ。覚えてる?」
「なに?」
「結構、前の話だけど。くるみさ、僕のこの自由な生きかたを、道しるべって言ってくれたことがあったよね」
「え?」
賢さに定評のあるくるみがきょとんと首を傾げるので、碧は自分の記憶は正しいのか、なんだか自信がなくなった。
でも自分をきちんと泣かせてくれたくるみには、今の気持ちをきちんと伝えたかったから、臆さずに思い出の引き出しをひっくり返す。
あの時、くるみが渡してくれたサンドイッチをこちらの不手際により彼女に持たせたままかぶりついた事件もあったが、それだけは掘り起こさないようにした。
「ほら。昔すぎて忘れてるかもしれないけれど、出会ってまだ間もない頃、図書館で一緒に試験勉強したことあったでしょ?」
「…………覚えてない」
きっとその事件もばっちり覚えていて、それが恥ずかしいのか、くるみはぷいと横を向いてしまう。けれどその目だけで、ただの照れ隠しで、一言一句覚えていることが碧には伝わる。それで十分な気がした。
だから碧は少し笑うにとどめて、皆まで言うことはやめた。
——あのさ、くるみさん。
どこまでも真っ直ぐで、身も心も繊細なのに辛いことがあっても曲がらずに生きて、好きなことを好きと言える誇りのある、そんな君の生きかたこそが、本当は。
僕の夜しか来ない世界でも、月明かりみたいに光り輝く、たったひとつの羅針盤で道しるべだったんだよ。
くるみがそういうくるみで在ってくれるから、碧も自分の信念を貫こうと思えた。
眩い彼女の隣に立つのに恥じない、気高い人間でいようと思えた。
直接伝えなくても、くるみへの感謝と支えてくれたことへの喜びと、大きすぎる自覚のあるこの想いを一緒くたにして、くるみをソファに座らせる。
碧は床か隣か迷った末に、隣に腰を下ろし、時計をちらりと確認。
それから、甘えるようにくるみを見た。
「……話しているうちに遅い時間になっちゃったけど、大丈夫?」
「平気」
「そっか。ごめんね、くるみのことも泣かせちゃって」
くるみは横髪を揺らしながら、スローモーションのようにゆるく首を振る。
「今日は他に誰とも会わないから大丈夫」
「ん? うん。まあ夜だしね。じゃあご両親もいない?」
「今日も仕事」
「そっか。……」
短く相槌を打ってからためらいがちに、さっきまで抱き寄せられていたところへ——正確に言えば華奢な肩口へと、そのまま甘えるように額を預け、瞳を閉じる。
両腕は縋るように彼女の細い腰に回したが、拒むことも驚くこともなく、くるみはただ髪をその指で、愛情を乗せて優しく優しくなでてくれた。
初めて聞く彼女の鼓動が、ゆっくり宥めるように伝わってくる。
そのまま息を吸えば、ミルクの甘やかさと茉莉花の華やかさ、そして白桃のみずみずしさが綯交ぜとなって立ち昇り、碧の心に平穏と落ち着きをもたらしてくれて。
だから次の言葉は、涙の残滓も湿り気もない声で言うことができた。
「あのさ。この後ちゃんと玄関まで送るから……あともう少しだけ……一緒にいたい。いいかな」
なでる手が一瞬だけ止まり、それからややあって再開した。
「そういう話なら、あのね。わたし今日はさようならは言わないでおこうと思うの。もちろん碧くんにも言わせたりしないから」
だが碧はその意味が分からなかったので、つい顔を上げてしまう。
「え? なに。なんの話?」
「今日は “朝まで” 碧くんと一緒に居るからって話です」
ぽかんとしていると、くるみはうふふっと茶目っ気をこめて喉を鳴らした。
*
彼女は宣言どおり、家に帰らなかった。
スマホに何かを打ってたから、念のため親に不在証明でも送ってたのかもしれない。
さすがに彼氏の家に泊まりますなんて言えないだろうから、つばめの名前を出しているのだろう。やっぱり嘘を吐かせるのは申し訳ないな、と思いつつも、この大きすぎる感情を前にして断ることはどうしても出来なかった。
——いっそこのままずっとうちに住んでくれればいいのにな。
とわりと本気で思えるくらいには、もう気持ちはくるみに傾倒し切っていたし、決して手放せないかけがえのないものになっている。
もう彼女のいない暮らしは考えられないし、すでにくるみありきで将来を考えているほどに惚れこんでいる。
くるみと喋ると心が舞い上がるし、くるみが笑うと幸せになれる。
なんならむしろ、さっき愛の告白をした直後に「結婚しましょう」というプロポーズが、喉もとまで迫り上がったくらいだ。
さすがに親御さんへの挨拶もまだなのに、というか何の責任も取れない高校生の身分でそれは時期尚早だが、くるみの言うとおりいつかふたりで家族になるのだという気概と、くるみひとりだけを生涯で愛し続けたいという想いだけは、十年後だって二十年後だって色褪せない気がした。
ひとしきり流した涙を拭った後は、くるみが昔ながらの堅焼きのオムライスをつくってくれた。いっぱい泣いてからからになった喉に、甘塩っぱいケチャップがよく染みた。
順番にシャワーを浴びて、気持ちを落ち着かせるために蜂蜜を垂らしたホットミルクをのんで、くるみは日記を書いて、それから前回もそうしたように、ローソファをベッドの隣に動かして。
もう眠るだけって時に、くるみは横にはならず、ただ時計を見つめていた。
「……まだ寝ないの?」
真夜中と呼ぶには十分だ。もう少ししたら明日になってしまう数字を針は指している。
「うん。もう少しだけ起きていたいかな?」
と言いつつくるみは若干眠そうだ。
「珍しいね。遅寝遅起き」
「だって、とくべつな夜だから」
くすりとはにかんだその言葉の意味を推しはかり、今日あんな話をしたからか、と結論づけたところで、くるみがふふっと少し眠そうに微笑んだ。
「ね。碧くんはこの一年どうだった?」
「一年……? そっか。十一月だしもうすぐくるみと会って一年になるのか」
くるみは黙ったまま慈しむような笑みを浮かべて続きを待っている。
「どうっていうと難しいけど、うーん……抽象的になるけどだいぶ遠くまできたなっていうか、感慨深いとかかな。くるみはどう? 同じ?」
「ううん。似てるけれど……ちょっと違うかな?」
時計から視線を外したくるみが柔らかくそう言い、碧のスマホが立て続けに震える。
通知を確認しようとしたところで、しかし結論から言うとそれはかなわなかった。
自分の手が、少女の小さなそれにきゅっと握られ——それから、唇に柔らかいものが押しつけられたからだ。
キスをされた、と遅れて気づいた碧が意表を突かれて固まっていると、ふわりと甘い残り香を上品にくゆらせ、ほわりと花のような笑みを咲かせる。
「碧くん。あの日私にくれた言葉をお返しさせてほしい。……生まれてきてくれてありがとう。そして——十七歳のお誕生日おめでとう」
何を言われているのか一瞬分からずに考え、すぐにはっとした。
「誕生……? ああっ!」
時計の針はちょうど天辺を指している。
十一月七日。
——そうだ! 今日は僕の誕生日だ。すっかり忘れてた……。
思えばくるみのスマホのパスワードを見てしまった時、何かが引っかかっている気がしたのだが、原因はこれだったようだ。我ながら情けない。
高校入学までは毎年父と妹が家で、母が電話で祝ってくれていたのだが、自分自身誕生日にそこまでこだわりを持っていないので、ひとり暮らしを始めてからはなかなかめでたい日として捉えられていなかった。
こちらのあまりに想定外な反応にくるみはおかしそうに肩を揺らした。
「一番初めにお祝いしたくて。……その様子だと碧くん、私に言われるまで気づかなかったんでしょ?」
「誰かに言われなきゃ、明後日くらいまでは気づかない自信あった。ほんと」
「ふふっ。忘れんぼさん。……って言いたいけれど、私も自分の時はすっかり忘れてたから返ってきちゃうかな?」
そう涼やかに笑って、くるみはベッドの横にあった私物の鞄から、厳かとも言える動きで何かを取り出す。
クラフトペーパーと空色のリボンでふんわり包まれた、プレゼント。
「いっぱい、いっぱい考えたの。あなたに何をしてあげられるんだろうって。私が『こういう時に碧くんが居てくれたらな』って時に碧くんは必ずそばにいてくれて、それが愛されてる証に思えて、けれど海外に不慣れな私には必ずしも出来るわけじゃないから。検討して迷って……重たいって言われたらどうしようなんて思ったけれど、これなら離れたところでも温もりを渡せるんじゃないかなって思って」
目線でくるみは次の行動を待つので、示されたとおり碧はリボンの端っこをするすると引っぱる。
昔も碧は両親から毎年、年を一つ重ねる度にプレゼントを貰った。いくつになっても包み紙をはがす瞬間はわくわくが最高潮になるものだが、愛する彼女からの贈り物は感動もひとしおだ。
やがて現れたのは……
「これ、マフラーだ」
先月のお泊まりの練習でくるみが転がした毛糸と同じ、モノトーンの。
大判で厚手のそれをそっと両手で広げてみると、思ったより大きい。
マフラーよりサイズがあるので、ストールとも呼べるかもしれない。
「……すごい」
ありのままの感想を碧は洩らす。
よく見てみると細かなヘリンボーン編みでグレーのほかに白と黒が美しく織られている。
「編んでくれたんだよね、これ。前回のお泊まりの時にはもう」
「あ。それ聞いちゃうの?」
くるみは複雑そうに笑ったが、さすがに現物を見てしまえば、彼女が一ヶ月前から何を隠していたかは分かる。
「何かがんばってるなあとは思ってたけど……まさか僕の誕生日のためだとは思わなかったよ。学祭のためとばっかり」
「そんな訳ないのに。でもごめんなさい。きっと心配させちゃってたよね。颯太さんのこととも、重なっていたから……」
「くるみが悪い事するはずはないけど、気づかないうちになんかしちゃって愛想尽かされたかなって思って、正直昨日の夜はあんまり眠れなかった」
「もう、ばか。そんな事あるはずないのに」
可愛く文句を言いつつ、くるみは申し訳なさそうに睫毛を伏せる。
さっきあんな会話をしたので正直、不安事なんか欠片も残ってはいないのだが、くるみと喋るだけで幸せになれる碧はこの掛けあいをもう少しだけ楽しみたくて、にやにやしながらわざと問いかける。
「本当に?」
「嘘だと思うの?」
「隠し事されてたもんなぁ」
「う……その返しはずるい。けどほんとにほんと!」
「知ってる」
「——ううん。まだちゃんと知れてなかったわ。私ががんばれるのは他でもない碧くんのためだからってこと、もうちょっとご自覚なさってください」
くるみも碧が何でもない会話に喜んでいる事を察したようで、茶目っ気たっぷりの口調で言う。
それからマフラーを慎重に、銅像に積もった雪を払うような優しい手つきでこちらの首に巻きつけると、うんと嬉しそうに頷いた。
「どう? 似合ってる?」
「うん。ばっちり。碧くんは派手なのよりこういうシックなのが好きだろうなって思ってたんだけど、私の見立てに間違いはなかったわね」
「さっすが僕のくるみさんだ」
手でさわり心地を確かめるとほのかに温かく、とろけるような感覚で気持ちがいい。寒い日と言わず、夏や家の中でさえ手放したくないくらいだ。
彼女のことだから、きっとこういうところまで拘って編み上げたのだろう。
編み物でここまでのものを仕上げるのには、さしもの万能なくるみと言えど相当な時間がかかったことは想像するまでもない。
毎日こつこつ碧のためだけに。そう考えるだけで、愛されているんだなぁと深く思えて、幸せで体温がじんわり上昇していく。
「ありがとう。お祝いしてくれてこんなものまで貰って……すごい嬉しい。次に旅行する時はとびきり寒いとこに行くことにするよ。アラスカとか」
浮かれた冗談にふふっとおかしそうに笑うくるみを撫でると、屈託のないそれは、徐々に美しく恥じらう乙女の表情に移りかわっていく。
それがやたら清楚かつ色っぽく見えてどきっとしていると、そのまま彼女は沈むように目を瞑って、こつりと碧の肩に額を当てた。
「ねえ碧くん」
「うん」
「……甘えてもいい?」
「それこそ、そんなおねだりをされて僕が駄目なんて言うわけないくらいくるみさんが大事にされていることは、ちゃんと自覚しといたほうがいいよ」
ひとつ恐れがあった。
さっきの話をした事で、優しいくるみが碧の選んだ道を尊重しすぎしまう事を。
だからくるみがちゃんと甘えようとしてくれることは、碧にとってすごく喜ばしく、安堵をもたらしてくれることだった。
「だから、その……こっちおいで」
呼べば、彼女は気持ち潤んで見える瞳でこちらを見上げ、素直にのそのそと猫のように近づく。
今だけは神様も見逃してくれるだろうと、ベッドに座る彼女を抱きすくめる。くるみも隙間を許さぬように、ぴったりと身を寄せてきた。
密着しあって、互いの体温も鼓動も共有しあう。
「好き」
ふと、くるみがひどく小さな声でささやいた。
「……だいすき」
柔らかく紡がれた、くるみの愛の言葉は、晴天が続いたあとの優しい雨のようにじんわりと沁みて、体をぽかぽかさせてくる。
碧はせいいっぱいの慈しみをこめて髪に指をとおすことで、返事とした。
「最近くるみは段々甘え上手になってきたけど、もっとたくさん甘えていいからね」
「……ん」
それをすっかり素直に受け取ったからか、甘えんぼさんはこくりと首肯してから、ふわふわにお手入れされたほっぺたで碧の懐に頬擦りをしてくる。
小動物みたいな仕草があんまり可愛いものだからドキドキしてしまっていると、
「今日はマフラーだったけれど」
そのまま耳許に近寄ってきた彼女が、小さく小さくささやいた。
「……いつかきっと、碧くんには私をあげるから。だから……私には碧くんをください」
碧の将来のことを分かっているからこそ、その言葉には重みがあった。
うん、僕も。と思う。
ぜったいに手放しはしない。いつか離れる期間があっても、必ず彼女のもとへ帰る。くるみといればそれこそ、どんな困難だって乗り越えられる気がする。
今日のことがあったこの夜だからこそ。
彼女を生涯をとおして必ず幸せにすることを、碧は静かに夜空の月に誓った。




