第174話 再会と過去(3)
見ただけで目が覚めるような、線の細い美青年だった。
ルカを甘いマスクの正統派系と呼ぶなら、きっと彼は耽美系というものだ。
目にかかる長めの前髪、どこか影と愁いのある猫のような瞳はもう、サングラスに隠されてはいない。大きなそれがわずかに宙をなでたかと思えば、真っ直ぐに碧を捉えて——それからすっと右手が上がった。
「本物? 本物のあーくんだよな。すっごい久しぶり」
「……ひさしぶり」
いつのまにそこらは静まり返っていた。
男は皆の視線を集めながら、数歩近づいて、ふっと人懐こそうに笑う。
「さっすが俺のあーくん。身長ずいぶん伸びたじゃん。でかくなって格好よくなっちゃってまあ。けどまぁこの調子じゃ元気そうだな」
きっと素直な感想なのだろうけど、こいつが言うと嫌味にしかならんな、と思うのも許してほしい。
手をにぎにぎぐっぱしながら、端正な見た目に反して明るい口調で言う彼は、まるで昔とかわってないかのように笑窪を浮かべた。
ああ。懐かしいな。
あいつは覚えていなくても、自分は昔のことをいつでも鮮明に思い出せる。
ルカは、がばっと肩を組みに行く。
「琥珀ひさしぶりー。俺もあっちから来たんだよ」
「うん。てかルカが教えてくれたんだよな。あーくんの学校で文化祭あること」
「教えてくれた、じゃなくて教えろって琥珀が頼みこんできたんだろ」
「はは、違いない。けどそれはそもそも俺のスマホからあーくんが自分の連絡先、勝手に削除してきたせいだし」
「こいつひどいよなぁ」
ルカがけらけらと笑う。
彗星の如く現れた二人目の謎の人物の正体が、またもや碧の知り合いだ、という新たな事実に、再び近くの生徒がざわつき好奇心が集中するどころか、早速女子から「あのひと何者なの?」「ちょー格好よくない!?」と、ハートの嵐と秋波が送られ始める。
碧は乱れた感情といろいろ聞きたい気持ちを抑えて、一度すぅーっと大きく息を吸ってから、努めて冷静に返した。
「来るとは聞いてたけど、まさか学祭に来るとは思わなかった。……めちゃくちゃ楽しんでるな」
両手に持った綿あめを交互に見ると、琥珀が言う。
「ああこれ。さっき歩いてたら制服の知らない女の子がただでくれた。お代も要らないってさ。あーくんもほしいなら貰ってくるか?」
「はー罪な男……」
「俺って綿あめ好きなんだっけ? なんかすごい舌が喜んでる気がする」
「……甘いものは嫌いではなかったよ」
「それはみんなによく言われたな」
ボタンを掛け違えたような掛けあいに、しかし琥珀は何も気にしてない様子で返す。
「で、そっちのお嬢さんは?」
同い年なんだけどな、思いながら、状況を把握しきれず何も言葉を発せずにいたくるみの肩を抱き寄せた。
「僕の大事な彼女」
くるみもまだ理解が及んでいなさそうだったが、その紹介にとりあえず今は、といった様子で淡く笑みを浮かべてぺこりとお辞儀をする。
一歩たじろいだ琥珀が、わなわなと口を開いた。
「か……彼女? 俺の尊敬する俺のあーくんに!?」
「誰がお前のだ」
「……あの。おふたりは」
へんなことを言ったせいで余計に混乱させてしまったのだろう。くるみがやっとの思いでみたいな困惑気味の瞳で問うと、琥珀がよくぞ聞いてくれた、みたいに答える。
「俺たちはそうだなー……。一言で言い表すなら、似たもの同士かな」
「似たもの同士? ですか?」
「うん。俺もこいつも親の都合で海外に住んでて、そんで将来の夢まで一緒なんだ」
「将来の……」
琥珀の発言を小さくなぞったくるみには悪いと思いつつ、話をすり替える。
「で、どうしてまた急に? 学祭に来るなんて聞いてなかったんだけど」
「手紙やったじゃん。今から時間あるよね? 話したい事があるんだ」
「……今。なんで」
話したい事。わざわざ日本まで来て、会って話したい事。
わからないが、きっと大事な話だということは、想像するまでもないことだ。
はっと息を殺して、ちらりと隣のくるみを盗み見る。このまま思い出話に耽るとなると、おそらく彼女には、まだ聞かせるべきではない話をすることになる。どうすべきか、と口をぐっと真一文字に結んで思考を回転させる。
——ええと、昨日の白雪姫が目立ちすぎたからこのままくるみを一人には出来なくて。
——ならつばめさんのことを今呼んで……いやあの人は今別の予定があるから……
このままじゃ大事な話を第三者から伝えてしまうことになる。
それは駄目だ。他人伝いじゃなく、自分の口から言わなければ誠実でいられない。
と、口を開こうとしたそのときだった。
「あのぉ……三人はこの学校の生徒さんですか?」
他校らしき女子たちに声をかけられる。
恐るべきは、彼女らはすっかり恋に落ちた目をしていたことだ。
女の子軍団の真ん中の子が、おずおずと訊ねた。
「よければその……お名前とか聞いてもいいですか……?」
「うーん。もしいいって言ったら、学祭案内してくれる?」
空気を読まない遊び人が甘い調子でばかみたいにふざけたことをぬかしやがったのと、くるみが腕に抱きついてきたのは、ほぼ同時だった。
「あっ! 碧くん! あっちの占いとか行ってみましょうか!」
男子陣しか見えていなかったのか、横からとんでもない美少女が突如現れて他校の子たちが手で口許をおおうなか、ルカと琥珀にぺこりと会釈をしてから、碧をぐいぐい引っぱって慌てて連行するくるみ。
彼女らしからぬ強引さに虚を衝かれていると、人の少ない階段の袂まで来たくるみは、ぴたりと足を止め、くるりと踵を返してこちらを見た。
眉はほんのり寄っていて、ヘーゼルの瞳にはいつもの甘やかさの代わりにほろ苦い焦りのようなものが見て取れる。つないだ手さえ、いつもより冷たかった。
「くるみ?」
「……碧くんが、知らない子と一緒になるの……わたし嫌」
若干言いづらそうにしつつ打ち明けられたのは、明確な嫉妬だった。
ストレートにそんなことを言われたのは初めてのことだったので、碧は口を開いたまま、ゆっくりと一回瞬きをする。
「他校の女の子、碧くんのこと格好いいって言ってた。琥珀さんだって。俺のあーくんって言ってた。碧くんは、私のあおくん……だもん」
いつもならこういうときに、ぺちぺちこちらを叩くという可愛らしい手段が講じられるのだが、今日に限ってそれはなかった。
ただ、一回だけ、ぽすりと。
やるせないように鳩尾に額がぶつけられるのを、碧は黙って受けいれる。
確かに碧はくるみのものである。所有物ではなく、将来を予約されているつもりだという意味で。だから、そんな気持ちにさせてしまった申し訳なさと同時に、どうようもなく嬉しかったのだ。
だが、さっきの彼女らの狙いは、どうみても友人のほうだ。
「今声掛けられてたの、ルカと琥珀のほうだと思うんだけど」
しかしくるみは納得するどころか、よりむきになるように碧の腕にしがみつく。
まるで誰にも渡したくない、と表明するように。
「もう。あなたは気づいていないかもしれないけれど、男女とか関係なくあなたは好かれるものを持ってるんだからね?」
「何の話?」
「あのお二方みたいな人と長年友達してたら鈍くなるのかもしれないけれど……皆さんが見てるのは碧くんの隣を歩く誰かだけじゃないって話。ばか」
お決まりの可愛い文句が投げられる。
あくまで僕のほうはおまけだと思うけどな、と思ったが、ぷんすこ怒るくるみに物申す気にはなれなかったので、髪を撫でて宥めることに。
いつもならこれで機嫌を直してくれるのだが、しかしそれすら今のくるみには逆なでになるらしく、唇が尖っていた。
いじけひとつとっても可愛らしいが、今日はいつものちょっとした拗ねとはちょっと違うようで。
「……なでなで」
「え? あっごめん。学校なのに」
「ちっ違う! やめなくていい。……あのね。碧くん」
と、切り出したトーンは、いちだんと揺らいでいた。
「私さっきお話があるって言ったけど、昨日私が同じクラスの木次さんと話をしたって言ったら……何のことか分かる?」
思わず、手を止めた。
衝撃の再会で忘れていたが、ずっと気がかりだったのを思い出す。
「……うん。好きだって、言われたんだよね」
碧の肯定を聞いたくるみは、一瞬きゅっと口を一文字に結んだものの、こくりと頷いてから、話の前提は飛ばして続ける。
「木次さんは碧くんの友達なのは知ってたから、どうして今になってって思ってたら、ひととおり話をした後に言ってたの。告白するのに碧くんの許可は得ているからって。これは自分の気持ちを整理するためだからって。ふたりに波風立てる気はないんだって」
「なんか颯太らしい誠実さというか。……それでくるみは」
「きちんとお断りのお返事をすべきか迷っていたら、そういうのは大丈夫だからって」
「……そっか」
と、ぼやいたその時の自分は、この期に及んでなんとマイペースだったことだろう。
くるみが昨日からずっと思い悩んでいたことに、次の言葉を聞いてようやく、気づくことができたんだから。
「あのね。碧くん」
「ん?」
「その事を私に前もって教えてくれなかったのは、友達想いがゆえなのと、碧くんが私の気持ちを信頼してくれてたうえで私の回答を尊重しているからだってことは分かってた。ううん、分かってるの」
寄るべない小さな右手が、行く宛もないまま宙に持ち上がる。
「木次さんのことも、琥珀さんのことも。将来のことも。そして私のことも。お互いに秘め事を持っていて、言い訳みたいに聞こえるかもだれど……別にそれは悪いことじゃないと思う。どれだけ関係の名前が親しみ深くなってどれだけ近しくなろうとも、ぜんぶがぜんぶ詳らかに出来ることでもないし、相手を大事に想ってがゆえなんだろうなってことは、話せなくてもきちんと伝わっているから」
その手が近づき、ぎゅ、と袖が引かれる。表情は見えない。
「でもね? 本音で言うと私だって、碧くんのくるみ……なんだから。秘密なんかにしないで事前に話してもよかったのに。もっと独り占め、してくれてもよかったのに。嫌なら嫌だよって、断ったってよかったのに」
「くるみ……」
「あっあと! 昨日は木次さんだって『碧っちにわしゃわしゃ子供扱いされたー』って笑って言ってて。その、私以外のひとになでなでは、あまりしないでほしいというか……」
くるみは左手で制服のスカートをしわしわになるまで握っていた。
大事なことを忘れていたな、と思う。
碧がくるみに事前に伝えなかったのは、友人から言うべきことを碧から言うわけにいかないのもあるが、あくまでくるみの回答すべき事柄に、首をつっこむべきでないと判断したからだ。
けどそれが結果として、心を不必要に揺さぶってしまった。その事実はかわらない。
「分かった。今度はもうしない」
辿々しく言い淀みつつも訴えを言い切ったくるみにそう約束すると、
「……うん。今、私から言いたかった話はそれだけ」
まぶたの下に葛藤を閉じ込めたように、ゆっくりと一度瞬きをして、穏やかに言った。
もちろん、気になっていることは他にもいろいろとあるんだろう。
琥珀の言ったことも、碧が自分から話すまで聞かないでいてくれてるんだ。
けれど碧が今どんな想いを懐抱しているかなんて、くるみには分からなくて。
『——将来の夢まで一緒なんだ』
もし、琥珀との話を聞かせれば。
さっきみたいな可愛らしいやきもちが、寂しがりで甘えんぼなとこが、自由にはしゃぐ彼女が、もしかしたらもう見れなくなるんじゃないか。なんて重大な心配事をくるみは——知るはずもなくて。
けど、くるみは碧を信頼していじらしく待ってくれている。
それにこれからも一緒にいるのなら、対話から逃げることは出来ないから。
碧が泣けなくなった理由を。琥珀と昔なにがあったかを。
嫌なことも、辛いことも、それらを見つめ直すことも。
だからこれ以上先延ばしにはしない。
今日の夜にはもう、話をしなきゃいけない。
「ごめん、ちょっと琥珀のところ戻って話してくる。すぐに、五分くらいで戻るからここから動かずに待っててくれる?」
「あ……うん」
くるりと踵を返し、階段を数段降りてから。
「それとさ」
振り返って彼女を見上げる。
「前に、琥珀から届いた手紙の話はしたよね。……ラヴェルのリゴードンを一緒に弾いてくれたこと、覚えてる?」
夏の終わりの日、碧とくるみは言葉でなく、ピアノの調べで対話をした。
何も言えなかった碧の代わりに、狂おしいほどに懐かしいメロディが、跳んで跳ねて交わりあって。
会話がなくとも、ふたりでどこまでもにぎやかで静かなお喋りをして。きっとあの時——ずっと散らばったままの碧のきもちが初めて、ひとつに定まった。
今度はそれを、本物の言葉にするだけだ。
手放せない少女とその存在の重みをようやく理解し切ったその日に伝えられたかったことを、やっと話す時が来た。
引っぱり出した話の重みを理解したようにくるみは、表情を引き締めて、頷く。
碧は、何かを言おうと口を開けたり閉じたりして。
それから覚悟を決め、いつもより低い調子の声で短く告げた。
「……今日、学祭が終わったら、その話をさせてほしい。僕の子供時代の話」
*
「やっば〜……土曜に授業が振り替えになったのすっかり忘れてたあ……!」
チャイムが講義の終わりを告げるや否や、自分の通う専門学校からまっすぐ柏ヶ丘高校へ向かったほたるは、約束していたドイツの友人が待ち侘びている姿を想像して、どうやって謝罪し借りを返そうか必死に頭を捻っていた。
ルカに文化祭デートを誘われたのに対してはオッケーのスタンプで返したのだが、約束していた当日——つまり今日に授業の振り替えがあることを朝一で気づいて慌てて学校に行き、連絡がとれていなかったのだ。
さっきいちおうLINEは送ったが未読のまま。どう考えても、わざわざ遠くから来た友人に対して連絡なしの遅刻とか最低すぎる。どんな罵倒をされたって仕方がない。
「まだ帰ってないよね? 大丈夫だよね?」
息を切らしながら祈るようにスマホを見ると、時刻は午後二時。
従弟に聞いたところによると一般開放は十六時までだそうで、今から回る時間はもうあんまりない。もう今日は奮発して銀座のお寿司にでも連れて行かないとこっちの気が済まない。ていうか大枚叩いてでもぜったい連れてく!
「うわああん! ルカちーごめーん!」
文化祭のアーチを潜って、校内マップを見つつ、念のため送っておいた教室にはいると同時に謝罪し……そしてすぐさまそれを撤回したい気持ちでいっぱいになった。
「あれ。ほたる? なんでいんの?」
向こうから待ち合わせを取りつけたくせに、まるで覚えてないそぶりのルカは、知らない女の子数人——多分この学祭で知りあったばかりでルカに恋心を奪われた人たちだ——に群がられていた。
「ルカくんあの子知りあい〜?」
「うんうん。友達の従姉なんだ」
「じゃあ他人かあー!」
え、なにここ。相席居酒屋? ——ていうか他人じゃないし! 友達だし!
むっすり頬をふくらませて怪獣のような足取りで近づくと、気圧された女の子たちはくもの子のように呆気なく散っていった。
「もーまたやってるよこの人! 一体その思わせぶりで何人の女の子泣かせたわけ?」
教室から連れ出してぶー垂れると、ルカは悪びれもなく首を傾げる。
「何人だっけかなぁ? って、いやいや。泣かせたことはないけどさ。でもほたるが学祭来ないって言うからしかたなくない?」
「え?」
「え?」
「……え?」
なんだかとてつもないすれ違いの予感がした。
「私こないだ『オッケー』ってスタンプ送ったよ?」
「来てないよ? 『てめーは俺を怒らせた』ってスタンプは届いたけど」
「えー嘘…………うわっほんとだ!?!? 送るやつ間違えた!!」
「こんなドジな奴いる?」
控えめに言っても百回死にたかった。
「うわもう……まっじでごめん……お詫びするから許して……」
「じゃあ夜あれ行きたい。 |Japanisches Schnitzel」
「え。いいの? お寿司とか行きたくない?」
「ほたるとなら何処でもたのしい。とりあえず時間もないし学祭まわろ」
きらきらと笑う姿と、天然たらしとしか言いようがない台詞。
他の子にも言ってることは分かっているから、ほたるも素直に笑い返せた。
もしこういう人を好きになったら、喜んだり不安になったり振り回されるんだろう。
けれどルカはただの大事な親友のひとりだから。
「まったくルカちーってばお人好しだなぁ」
「本当に思ってるんだけど」
「はいはい。ところであーくんは?」
「今は忙しいってさ。お取り込み中」
「あ、そっか。どーせ彼女とデートとかしてるんだよね。ふーんだ! いいもんね。私とルカちーで遊び倒してやろ!」
そう言って大きな白い手をとり、見知らぬ学校をずんずん歩き出す。
大好きな碧がいれば、完成された黄金の三角形。
でも友人のルカがいればそれだけでも、時間は矢のようにあっという間なほどに、やっぱり楽しさ満載と思えた。
第4章は推敲含めて最後まで書ききったのでなんとか更新ペース上げられそうです
それととんかつルビの左に変な縦棒がはいってしまうのですが直せないので無視してください・・・
(カクヨムのほうだと正常に表示されるんですけどね汗。。。不具合?)




