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第173話 再会と過去(2)



 彼が勇気を出して有言実行したのであれば、昨日くるみは告白をうけたことになる。


 もちろんたったひとつしかないポストに空きがないうえに譲る気もない以上、彼氏への立候補ではなく、ただ好きだった事実を伝えて終わるだけだから、愛の告白と表現すべきか分からない。


 でも今になって思う。


 友人が傷ついてしまう事を分かっていて承諾をしたのは果たして、本人にとって優しい事なのだろうか? 断れば、颯太はこれ以上傷つくことがなかったんじゃないか?


 でも彼が決断したことにわざわざ碧が口を挟む権利なんてない。傷つけたくないを理由に本人の折角固めた決断を蔑ろにすることのほうこそが、きっと本人を傷つけてしまう。


 夏貴が約束どおりに来れなくなったのはきっと、彼の憂き目を知り、それをなんとかしに行ったのだろう。あいつは友達想いのいい奴だ。そう考えれば辻褄はあう。でも——


「……くるみ」


 ただ、確認を取りたかっただけだった。


 昨日の放課後に何かかわったことはなかったかと。


 なのに何気なく呼んだつもりの名前は、思いのほか深刻に響いたに違いない。


 なぜなら、ルカとくるみが揃って足を止めて、不思議そうにこちらを見たからだ。


「あ。いや……その」


 ——失敗(やらか)した。


 と思いながら、碧はとりあえず何か出すべき言葉を選んでいると、先にくるみが動いた。


 手を握ったままぎこちなく隣から碧の目前に来ると、心細げに一歩近寄り、その感情を隠さないままの瞳で碧を見上げる。


 どうみても今、主導権は彼女にあった。


「碧くん碧くん」


「ん……」


「ほら、昨日言ってた写真。スマホのロックに設定してみたの」


 スマホの画面がこちらに向けられる。


「その。可愛い……かな?」


 選ばれたのは、横浜に一緒にお出かけした時の、ネモフィラの花と港をバックにした一枚だったよう。まだ互いが片想いだった時期だ。


 ふたりとも照れてて、まだぎこちなくて、見ていてちょっと気恥ずかしい。


「可愛いよ。それまだつき合う前の写真だし、折角だし今度新しく撮りにいこうか」


 そう返事して亜麻色の絹束をなでる。


 一瞬見せた寂しさを隠し、ぽわぽわと幸せそうに口許を綻ばせながら見せてくれたくるみは多分、和ませようとしてくれたのだろう。


「うん。……碧くん」


 それでも碧の反応がどこか心ここに在らずなのを察したのか。


 むっとし、次に寂しげに瞳を伏せ、少しだけ明るく笑って見せ、今度は困った風に唇を結び。それらのどれひとつとして今の気持ちにしっくり来るものはなかったのか、最後にまた眉を下げた。


 ころころ転がるサイコロのような表情に目を奪われていると、くるみがそっと言う。


「わたし、後であなたに話しておきたいことがある。いろいろと」


「話?」


「うん。大事なお話」


 思いがけずきゅっと息が詰まる。


 颯太はただ、くるみにかつて好きだった気持ちを伝えただけのはずだ。ふたりの間で完結したはずのこと。自分が立ち入る余地はない。


 なのに寄りによって、その外野にいる碧に話しておきたいこととは何だろう?


 その時ふいに、お泊まりの時あたりからくるみが何か隠していたことを、いまさらのように思い出す。


 もしあれが何かのサインだったとしたら? 愛情深くて真心のある彼女に悪い企みや後ろめたいことがあるとは考えられないが、だからこそ〈まさか〉と千に一つも想定してしていなかったことを、今になって想像してしまって……。


「うん。分かった」


 承諾するしかないのでとりあえず首肯したが、そんな言い方をされて気掛かりがなにもないと言ったら、嘘になるに決まってた。


 くるみからの愛情も彼女が余所見をしないことも、自惚れじゃなく心から信じている。もし彼女が自分を見捨てるようなことがあれば、それは間違いなく自分にどうしようもなく非があるからだろう。なのにいつもなら動じないはずの心までざらついて、振り子のようにぐらぐら揺れているのはきっと、自分が想像以上のやきもち焼きの臆病者だということに、今さらになって気づいたからだ。


 つき合い始めてくるみが等身大の女子高生でいるようになってから、皆からの人気者扱いに拍車が掛かっているのも、彼女が学祭でいろんなお客さんに愛想笑いといえにこにこと接するのも、パレードで遠くへ行ってしまうのも、友人が自分の彼女に告白する時間を手引きしてやるのも。


 ——本当は嫌だったなんて、言えるわけない。


 いいよ、なんて。余裕ぶって種を蒔いたのは自分だから。


 その時は知らなかったくらい、一言でいえば狭量なのだろう。


 碧は昔からあっさりして、淡白で、何かに執着することはほとんどなかった。だから、くるみと結ばれてから知った自分の嫉妬深さに、不思議な戸惑いすら覚える。


 ただ、そのみっともない感情だけは決して気取られないようにと、拳を堅く握った。


 曲がりなりにも十六年生きているんだ——ポーカーフェイスは得意だろ? そう自分に言い聞かせながら。


 ふたりの口数が少なくなったのを察したのか、ルカが気を利かせたように言った。


「そもそもだけどさ、目立ってるって言うなら君たちのほうだと思うけどな」


「僕ら?」


「まーそんな熱々でいられたらね?」


 サファイアのように美しい切れ長の瞳がにんまりと細まる。


 その視線が、掌同士を密着させて絡めた恋人つなぎに注がれているのを知りながら、碧は見せびらかすように掲げた。


「別にこっちは恥ずかしくもなんともない」


「そうなの!?」


「むしろもっと見せびらかしたい」


「彼女出来て浮かれすぎだろ!」


 からかいが失敗に終わったルカは唖然と口を開いていたが、あくまで平気なのは碧だけで、くるみはぽふんと湯気を立てながら、恥ずかしいのをごまかすようにつないだ手をぶんぶんと前後に振ってきた。


「なんだか碧もからかえなくなってきたな、残念なことに」


「僕にとっては残念じゃないけど」


「そうだ。くるみさん、碧の子供の頃の話もっと聞きたくない?」


「え? すごく聞きたいですけどいいんですか?」


「こらそこ。くるみさんを買収しようとしない。くるみもすぐ釣られないの」


 ルカは一週間ほどは滞在するようで、せっかくだし碧の家に泊めてやろうと思ったのだが、そのせいで入国審査が長引いても面倒なので、都内のホテルの予約をとったという。


 学祭が終われば本当に都内旅行に赴くのもいいだろうけど、そのお出かけにくるみも連れ出すとして、何かへんなことを話されやしないかとひやひやする。


「そういえばだけど」


 ルカがふと言った。


「あいつとはもう会った?」


 指示語が何を指しているか碧には見当がつかない。


「あいつって?」


「えーあー……まだなのか。いや、俺が住所とか学祭があることとか、諸々教えちゃったからもしかしてと思ってたんだけど」


 どこか煮え切らないルカに、何となく察しがついた。


「もしかして琥珀?」


「正解」


 それは二人のもう一人の親友の名前だ。


「……なんで」


 と言う彼に碧は、いつもよりトーンを低く責めた。


 碧にとって琥珀は決して、会いたい人ではなかった。


 大事な友人ではある。けれどそれと、会いたい気持ちに相関がないのだった。むしろ、会わずに済むのならそれに越したことはないとさえ思っている。


 だって、再会すればきっと心が乱れることが、分かっていたから……。


「どうして教えちゃうんだよ。住所」


「いや……俺が日本に行くって言ったら、碧のところだろって言われて、それで家の住所を聞かれてさ。なんかすごく必死そうだったからつい。ごめんな勝手に」


「僕、あいつにはせっかく会わないようにして——」


 言葉がとぎれる。


 昨日のパレードで、やけに心のざわつく男を一瞬見たのを、思い出したからだ。


 点と点が線でつながった気がした。


 取りこぼして宙ぶらりんになった会話のバトンを、ルカが拾いあげて上手くつなぐ。


「だって言ってんだよ、あいつ……」


 その時ふいに、どうしてだろう。


 今は再会するつもりはなかったのと同時に、あの琥珀に今もまだ会えることを期待していたのかも知れない。


「お前にどうしても会って言いたいことがあるって……」


 だって、あの情緒深いピアノの音が、耳に響いたような気がしたから。


 ああと喉が鳴った。


 ——そうだよな。日本に来るって手紙で言ってたもんな。


 心の何処かで覚悟はしていたはずなのに、こうなる事を考えないようにしていたのはきっと、一年半をこの平和で温かな日本で暮らして、ずっとこのままここでくるみを守って生きていたいだなんて、僅かでも思ってしまったせいだ。


 その時、後ろからざわめきが聞こえる。


 初めから答えが全てわかっていたようにゆっくりと振り返ると、人が群がっているところがあった。その真ん中にはかつての、あるいは今もまだ続くもうひとりの親友が——僕が初めて憧れたひとがいた。


「……琥珀」


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