第172話 再会と過去(1)
学祭、二日目。土曜日。
シフトが午後二時からのためこの時間はゆっくり校内を散策しようとしていたのだが、そんな碧とくるみの間に、見慣れない少年が一名。
父親譲りのきらきら眩い金髪の持ち主は……
「So sieht also eine japanische Schule aus, huh(日本の高校ってこうなってるのか)」
隣には約束どおり遥々とベルリンからやってきた、碧眼の色男——ルカ。
彼の母親は日本人だが、ずっとドイツにいてほぼほぼ日本と縁のない暮らしを送ってきたので、この国の学校を見るのは夢の一つだったらしい。
感慨深そうにあちこちを見渡している。
「Heh, das ist also die Schuluniform? Sieht echt süß aus(へーあれが制服ってやつ? 可愛いじゃん)」
ルカは碧とくるみにしか理解できない言語でひとり盛り上がる。きちんと聞き取れているらしいくるみは、ルカのはしゃぎっぷりに気圧されるように苦笑している。
ひと通り初々しい反応を見せた後、思い出したようにこっちを見て言った。
「Sie sehen auch in Uniform gut aus. Du bist größer geworden.(お前も制服似合ってる。身長伸びたしな)」
「Bin ich das?(そう?)」
男子三日会わざれば刮目して見よ、とはよく言ったもので、自分では気づかなくても一年ぶりに再会するルカからすれば、碧はだいぶ身長が伸びたらしい。
本来であれば夏貴と回るはずだったこの時間。
彼じゃなく少し早く到着したルカといるのには、訳がある。
ふたりの死角で、ちらりとスマホを開き、とっくに既読をつけてあるトーク画面を再び開く碧。
〈ごめん。今日の午前むりになった〉
今日の朝に夏貴から届いたLINEはそれだけ。
そう、とくに理由は何も言わずにそれだけだからこそこちらに気を遣っているのだと分かり、だから碧も〈じゃあまた今度〉と気負わぬ返事をして、話は終わっていた。
何よりも今心配なのは……
「碧くん碧くん」
と、眉間を寄せたところで、くるみに肩をつんつんされる。
何だ何だと振り返ると、ちょっぴり困り笑いのニュアンスを含んだヘーゼルの瞳が『ふたりがドイツ語で話すからみんな気になって見てる』と案に伝えてきた。
周りの様子をうかがうと、柏ヶ丘生と思しき人たちがざわついた眼差しを注いでいてがく然とする。
「Ich mag rasiertes Eis mit Erdbeergeschmack. Aber ich kann mich auch nicht von Blue Hawaii trennen……!」
ちなみにその間もルカは興奮気味。しかも早口だ。
咳払いをしてから親友に小声でおねがいした。
「ここからは日本語で喋ろうルカ」
「えー? あまり自信ないよ」
「僕がみっちり教えこんだから大丈夫だ。くるみさんは勉強中でまだ完璧には分かんないしまわりの人が気になるの。てかほら、挨拶しなよ。初めて会ったでしょ君たち」
「あ……そか? 連絡は何度かしたことあったから忘れてた」
「改めまして僕の彼女のくるみさんです」
くるみの右手を取って、ひらひらと降ってみせた。
ルカはくるみを見て今さらのように驚く。
「それにしても本物のくるみさんスゴイな……。画面で見るより百倍美人だ」
「ひとの彼女を誑かすな」
拳を肩にこつんとぶつけると、ルカはわざとらしくよろけながら笑って挨拶をした。
「あははは。初めまして、お久しぶり? このひとがいつもお世話になってます」
「はい、初めまして。ごぶさたしてます……?」
不思議な挨拶を交わしあったふたり。
とりあえずルカが暴走する前に、くるみに保険をかけておく。
「ごめんねくるみ。こいつ見てのとおり女慣れしてるんだ」
「んーん。納得。碧くんがこっちをドキッとさせるような豪速球のストレートしか投げない理由をようやく察したから、いい収穫になったわ」
「どういう意味なの?」
「ふふっ。分からないならいいの」
あくまではぐらかす気らしく可笑しそうにくるみが笑うと、ルカもなぜか得心したように、にやっとこちらを見る。
何かふたりの間だけで通じあっているものがあるのかは知らないが、そんな彼らがこうして並びあうと、彼氏である自分が嫉妬する気がなくなるくらいに様になっていた。
日独の血を引くルカはまさしく色男で、くるみもくるみで妖精姫の渾名をたまわるほど群を抜いた美人で、佇まいの文句のつけようのない華麗さに関しては共通しているからだろう。
校外から客が来ていることもあってそこいらは人で溢れているのだが、彼らの視線の相当数はこっちに注がれていた。とくにくるみは昨日、天下の往来でものすごく目立ってしまっただけあって「白雪姫してた子だ」とあちこちからささやかれている。
近くで着ぐるみになって呼びこみをしている男子生徒は、客がすっかり取られたことに若干の苦笑すらしているほどだ。
しかし何ら気にすることなく、暢気にパンフレットを開くルカ。
「二人ともこの後ひま? 俺この『世界一怖いホーンテッドハウス』っての行きたいんだけどつきあってよ」
「え。やだよ」
「何でよ」
「僕ホラー苦手だし」
碧は嘘を吐いた。ルカが何言ってんだこいつみたいな目になるのも構わずに。
けど明らかにびくびく怯えている彼女さんが横にいるので、これで正解だと思う。
「嘘つけ! お前よくナイフ持った人形が夜な夜な歩き回ったりとか悪霊に呪われるとかする映画とか見漁ってただろ」
「そうだっけ。けどまぁ僕だけ待つといっても退屈だし。その間どっか行くにしても僕はくるみさんとずっと離れらんないでしょ? 可愛いんだから守ってないとぜったい誰かしらに声掛けられるもん」
こっちはありのままの事実だが、あくまで白を切る碧にルカは諦めるように唸った。
「んん……まぁいいか。じゃあ代わりにこの『占いの館』がいいな」
「え。やだよ」
「毎回その返しすんのなんなの? 村人Bなの?」
「その例えが出せるならもう日本語免許皆伝だな」
「ほんと? 千萩ちゃんから借りた漫画読んだ成果があったか?」
「千萩のことあんまり可愛がりすぎるなよ。いちおう来年は受験生なんだから」
ぶつぶつ言いながらパンフレットを読み直すルカに、妹が大事な兄としてしっかり念押しをしとくと、横からなぜか頬をうっすらと染めたくるみが申し訳なさそうにこっそり耳打ちする。
「あの。庇ってくれてありがとう」
「何のこと?」
「ふふ。こっちは優しさ黒帯さんだ。……でもそれより碧くん」
より上気しながら、もじもじと恥じらうように言う。
「……あのね? 今の台詞は反則だと思うの。可愛いとかずっと離れられないってルカさんの前で言われるのは、その……ちょっとだけ恥ずかしいというか」
「う。ごっごめん」
「あっ! 怒ってるわけじゃなくて。ただそういうのは二人きりの時に言ってほしいだけ」
私だってそういうこと、きちんと大事な時に言いたいから普段はなるべく秘めるようにしてるのに——とくるみは誰に聞かせるでもなく呟いた。
碧はどきっとして硬直したのだが、それをいい風に捉えなかったのか、くるみは上目遣いでやや不服そうな表情。
「だって、あんまり言いすぎて聞き慣れちゃって、それでドキドキしてもらえなくなったら寂しいでしょう? 私の気持ち、伝わってはほしいけれど……碧くんとは長い間仲よくしていたい、から」
「それを今ここで言う君は本当に油断ならないと思うな」
近くで会話が聞こえていた人は、一様にちらちら生温い視線を送ってきていた。
すっかり碧しか見えてなかったらしいくるみは人前であることをはっと思い出し、火が噴き出そうなほど赤くなる。
「それにくるみって今みたいに爆弾落としてくるし、何を言われたって慣れたりしないから。くるみも僕に何か言われて慣れる予兆ないでしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
「じゃあ大丈夫だよ」
言い当てられたのが複雑なのか、くるみはごにょごにょと茹だったまま小さくなる。
確かにくるみは言葉よりも仕草や空気で好きを語るタイプだとは思っていたが、そんな彼女が本気を出したらどうなってしまうんだろう?
今想像したら確実に逆上せてしまいそうだったので、代わりに小悪魔になった千萩を呼び出してフォークでちくちく突いてもらい、平常心にしがみついていると、やりとりの一部始終を見ていたらしいルカがむっと腕を組んだ。
「にしてもお前、ほんとに碧か? ってくらい優しい目するようになったな。……あっ。もしかして二人きりの甘い時間をじゃましちゃったかんじで、さっきはそれで怒ってた?」
「言われてみれば確かにここ最近あんまり時間あわなくて会えなかったからなぁ」
「え。まじなやつ?」
もちろん長年の親友関係が成す冗談なのだが、くるみがすかさずフォロー。
「碧くんはルカさんに学校に来られて、ちょっと恥ずかしいだけだと思いますよ」
「そうなの!?」
「日本には授業参観っていう、学生はみんな照れちゃう行事があるんです。高校だと親はあんまり来ないですけれど。なのでルカさんは碧くんにいっぱい構ってあげてください。このひと結構寂しんぼさんなんです」
羞恥から立ち直ったようで、しゃらりと妖精姫の笑みでそう言いつつ、しかし指はちょこんとこちらのネクタイを抓んでいる。
本音はくるみこそが寂しいんだろうなと思ったが、指摘するのはやめておいた。
「へー碧? 寂しくて照れくさってんの? カワイイとこあんな」
「そんなこと言われても嬉しくない」
にやにやぐりぐり頬をこねくりまわされて居心地が悪い。
それをくるみは微笑ましそうに見守っている。
あくまで普段どおりに見える彼女に、しかし碧は。
——やっぱり……いつものくるみさんとちょっと違うよな。
と、思っていた。
観察眼はそこそこある自負がある碧で、とくにくるみ相手だと、何か困った時など大抵は分かる。今日のくるみは、そう。まるで碧に何か話がしたくて、切り出し方やタイミングを探っているような。
集まる視線のせいでも、ましてやルカのせいでもないことは確かなのは、二人が連絡先を教えあうくらいには一定の交友を積んでいるのを知っているし、かといって喧嘩をするほど仲が深いわけじゃない。あくまで彼氏の友人という関係だ。
それに、彼女の様子がおかしい根本たる原因も、何となく見当はつく。
夏貴が予定をキャンセルした理由だって、何となく分かる。
瞬きした瞬間に一瞬リフレインされたのは、颯太の姿だった。
——あいつ、ちゃんと伝えたんだよな。
複雑な感情を弄びながら、碧は学祭が始まる前のことを思い出した。
*
「碧っちに……ひとつだけ、頼み事があるんだ」
切り出してきた颯太に碧は、珍しいな、と思った。
どこか深刻そうな空気を肌で捕まえながら、相手を安堵させる笑みを浮かべる。
「どうした? そんな改まって」
颯太のそこまで思い詰めたような表情を見るのは初めてだった。
わざわざ碧に白羽の矢が立ったということはおそらく人間関係絡みだろう。もっと言うなら——くるみのことだ。
予想は当たっていたとすぐに分かった。
「初めにちゃんと伝えておきたいんだけど。俺さ、とっくに諦めては……いるんだよ」
何のことを? と野暮なことを訊く必要はなかった。
「うん」
表情を真剣なものに改めながら、相槌を打って続きを促すと、颯太の視線は再び、自信なさげに逸らされてしまう。
しかし、その定まり切らない態度とは裏腹に、言葉はしっかりしたものだった。
「……碧っちには今まではっきりと言ったことがなかったから、言う。……俺は楪さんのことが好きだった」
「うん。知ってる」
「前に伝えたとおりさ、線は引いたつもりだったよ。別に盗ろうなんて思ってないし、そもそも盗れる訳がないし祝福の言葉も嘘じゃない。君たちはこれ以上なく最高の縁が結ばれたと思ってるし、別れずに一生どこまででも続いてほしいと思ってる。これは建前じゃなくて本音だよ。でも……」
「うん」
「でも……区切りをつけたいなって、思ってさ」
何を言いたいかなんて、考えずとも分かる。
「この感情をどうしても……そのまま見なかったふりには、できなくて……」
うつむいた彼の洩らす独白の後半は苦しそうに震えていて、それが自分の彼女への横槍だと分かってはいても、どうしても怒る気にも止める気にも、牽制する気にもなれなかった。
だって——自分こそが颯太に、平気な振りをさせてしまったのだから。
ストリートバスケの時も、交際を宣言した時も。
潔く引き下がって、笑ってお祝いをしてくれて……その裏の悲哀なんか、幸せを手にした碧に想像つくはずないのに。
碧にできるのは、黙ってその寿ぎを享受することだけ。それ以上の余計な発言は烏滸がましいだけ。彼を傷つけるだけだ。
「きっとさ。このままじゃ……これから先ほかの誰かとつきあっても、思い出しちゃいそうなんだ。ならいっそばっさり振られておけばよかったのかなって。……捨てる前に、この気持ちを本人に打ち明けたら、楽になんのかなって」
「うん」
話を静かに聞いていた碧は、ひとつ問いを落とす。
「……くるみさんは、その告白を断るよ。それでもいいの?」
それは尊大ともとれる問いかけかもしれない。
けれど少なくとも碧はそれを信じきっているし、目の前の颯太も同じはずだ。でなければお祝いの言葉が嘘になってしまう。
「分かってるよ。ここで俺に乗りかえるようなひとを、俺は好きになってない」
予想どおり即答しつつ彼は訥々と語る。
「もちろん思ったんだ。……友達が彼氏なのに、そんな裏切るようなことできる訳ないってさ。それでももし碧っちがいいよって言ってくれるなら、言うだけ言って後ぐされなく終わらせられるのかなって思って。もちろん、断られる前提の最低でふざけた頼みなのは、承知の上なんだ……気を悪くしたらごめん。忘れてほしい」
最後に震えたような息。
そのままにしておけなくて……いつもくるみにしているように、毛先を遊ばせた目の前の髪をわしゃわしゃと撫でる。
彼は自分が何をされたのか理解が出来ていない様子で動きを止めていたが、その瞬間、碧はぽたりと落ちる雫を見た。
「あ? あれ。なんだこれ……」
自身の涙に戸惑っている颯太。
碧は気にせずに話をした。
「……颯太は、僕が悪目立ちして浮いている時も、気にせず話しかけてくれたよな」
「え? ああ……」
「いいよ」
碧の呆気ないまでにあっさりした返事に、颯太が頬の涙も拭わないまま、瞳を見開いた。
「くるみさんがいいなら、いいよ」
他でもない大事な友人の頼みなのだ。
これがつき合い初めてすぐだったらみっともない狼狽を見せていたかも知れない。
けれど今、くるみとの信頼は日に日に大きく、堅く築かれている。
何があっても、その絆が揺らぐことはないという自信。日を追うごとに彼女への愛情が熱量と共にその存在を大きくしているし、今後長い間一緒に居るのだからこの程度のことで動じてはならないとも思うのだ。
今はその余裕すら嫌味に聞こえてしまうだろうが、これが承諾するに至った理由だ。
その理屈は別として——本当はちょっと嫌だなんて自分本位な感情があることを見て見ぬ振りしながら。
颯太は唖然としていた。
「え、いやいやいや。自分から言っといてなんだけど本当にいいの? だって、こんな身勝手な話……俺だったら一昨日来やがれって思うんだけど」
「くるみさんならこういう時、恩義がある相手からの頼みは決して断らないなと思って」
「……そか。彼女さんに習ったか」
ありがとう、と小さく呟いて、頬を拭った後こちらを再び見た颯太は、もう泣いてなどいなかった。
腹を括った、男の目だった。
「……学祭一日目が終わる前に、終わらせるよ」
ブクマありがとうございます!




