第168話 はじまる学祭(2)
忙しいながらなんとか午前を乗り切った碧とくるみは、シフトから解放されたのち、ロッカーで制服に着替え、さっそく学祭巡りということでゆったりと校内を散策していた。
そういえば制服でのデートも初めてになるなと、隣を見ると、くるみはとっくに冷めたホットラテを両手で大事そうにちみちみと傾けていた。
あいかわらず猫舌なんだなとか、小動物みたいで見てると和むなとか、そんな幸せそうにするなんて本当に好きなんだなとか。いろいろ思う事はあれど「可愛くてたまらないな」が一番初めに到来してはずっと心を独占していくみたいで、また頬が弛んでいくのが鏡を見なくても分かる。
「……そんなににやにやしてどうしたの?」
やっぱり見るまでもなかったらしい。
せめて〈にこにこ〉と言うくらいの手心は加えてほしかったけど。
「いや。ほらさっき去年のクリスマスの話してたでしょ? あの時くるみ、同じカップで味見回すことに照れてたよなって。懐かしいな」
「! そ、そんなの知らない」
「覚えてなかったらそんな真っ赤にならないって」
「なってない! 今のことならともかく一年前の話引っぱり出していじるのは、ずるい」
「へえ? 今ならからかってもいいの?」
氷雪のように白い頬がさっと赤みを帯びる。
「もう。碧くんのばか。……ちょっとしかよくないんだから」
「ちょっとはいいんだ?」
少し昔話をするだけのつもりが余計なことまで言ってしまい、お決まりの可愛らしい文句と共にすっかりむつけさせてしまったのだが、あいかわらず根が甘い甘い。
確か三年のクラスのどこかが焼き菓子のセレクトショップを開いていたはずだ。
機嫌を直させるためにお茶のお供にクッキーでも買ってやるかな、と小さく企んでいると、甘党彼女は他のことを思い出したのかひとりでにくすりと笑みを落とす。
「それなら私からも言い返させてもらうけど、あの時は碧くん真冬なのにマフラーもしないでコート一枚で寒そうな格好してたなって。よく覚えてる」
「ああ。あれね」
別に平気なんだよな、と碧は言った。
「ベルリンのが寒かったしさ。ただまぁかと言って風邪を引きたいわけじゃないし、くるみがそこまで言うなら、今年はもうちょっとあったかい格好のものを今月中に買っといたほうがいいのかな?」
「ううん。要らないと思う!」
「え?」
即座に矛盾ある返し。どういうことだろう? と思わず聞き返すと、くるみは一瞬だけ目を泳がせて、それからまるで寂しがりやのコアラのように腕におずおずと手を回してきた。
「ほら。だってこうしたらそれだけで寒さを凌げると思うし」
「……くるみ、さすがにこれは——」
「いいの。私が碧くんを寒くなくするから」
学校なのに上目遣いで頬を染められては、些細なクエスチョンなどは吹っ飛び、心拍数が加速するばかりだった。
「いや。すごくあったかいよ。うん」
むしろ気持ちの問題で暑いくらいだが、とりあえずそういうことにしつつ、碧は視界を目で右から左へ横一線にちらりと薙ぐ。
——目立ってるんだろうな……今の僕たち。
堂々と校内を恋人つなぎ、もとい腕を組んで歩くのは交際宣言をしたあの日以来だが、やはり見てくる人の多いこと。
くるみの見目麗しさが衆目を集めているのは百も承知だが、折角のデートなのにやっぱり少し気が散ってしまい、皆が言うほど動じない男でもないんだな僕は、と息を吐く。
もちろん誰が悪い訳でもない。ただ、とんでもない美人を彼女にすることへのただの贅沢ななやみだ。くるみが人気なのは今に始まった事ではないし、これからも〈告白されること〉だってままある。
……だから、結局は自分が慣れなければ。
とりあえず今は雑念は捨てとこうと、気持ちを切り替えてから隣に問いかけた。
「さ、十五時には戻らなきゃいけないからあんまり時間ないけど、行きたいとこがあるなら少しでも多く回ろうか。くるみはどこ行きたい?」
第一体育館と中庭、そして大講堂ではちょうど出し物の公演やステージが行われているので、今はそっちに人が集中しているのだろう。校舎は午前中ほどごった返してはおらず、お昼時を外しているのでごはん系もわりと空いていそうだ。
午前中忙しかったおかげですっかり空腹だったので、物見遊山と洒落こむ前にまずは腹ごなしをしたいところ。
開いたパンフレットを手渡すと、くるみはこてんと可愛らしく小首を傾げた。
「私、碧くんにこういう行事の回り方、手解きしてもらいたくて。こういうときの定番ってどういうところなの?」
「うーん……言われてみれば僕も分からないな。湊斗に前もって聞いとけばよかった」
どうやらここにいるのは、その他いろんなことは知ってるくせに、学祭の回り方は知らないただの高校生がふたりらしい。
くるみはしばし逡巡し、なるほどと手を打つ。
「あ……そっか。ドイツの学校は文化祭がないから?」
「そうそう。去年のことも正味よく覚えてないんだよな」
「じゃあのんべんだらり、行き当たりばったりで決めましょうか」
「賛成」
どっかからソーセージを焼くいい匂いがしてきたので、結局お昼はホットドッグにしようと手をつないで歩きだした。
それぞれ注文し、テイクアウトの包みを受け取ってから裏庭へとやってくる。
晩秋なのもあり昼だが制服だけだと肌寒い。明け方に少しだけ雨が降ったのか、木の下のベンチが少し湿っていたので、ハンカチを引いてからくるみをそこに座らせ、彼女に羽織らせるために持ってきた上着を肩にかけてやる。
「……あ、ドイツといえばなんだけどさ」
ホットドッグをほおばりながら、碧は思い出したように言った。
「ルカ、今日の深夜に成田に到着するってさ。明日は学祭に来れるらしいよ」
「じゃあちょうど今がフライトなの?」
「そゆこと」
高校生にとって、国際線を行き来する飛行機は高額だ。
わざわざこのためだけに年単位で貯めたお小遣いを捧げるのってどうなんだって思うけれど、来た以上はたのしんでもらえるように計らうべきだろう。
すでに学校の住所やアクセスは教えてあるのであとは明日自力で辿り着くことを祈るのみだが、碧と言語交換していたおかげもあり、会話に困らない程度には日本語を話せるやつなので問題はないはずだ。
「改めて僕の彼女です……って紹介はしておきたいとは思ってたけど、よくよく考えれば、あんまくるみのことは会わせたくないなぁ」
「どうして?」
「あいつ実はすごい女好きだから」
ふふっとふたりで同時に吹き出す。
「だとしたらきっと、女の子の扱いがさぞ上手なんでしょうね?」
「正解だけど、なんでそのながれでこっちをじーっと見るのさ」
「いいえ? 碧くんの為人の生い立ちが判明してきたなって」
「よく分からないけど、僕が誰の影響をうけているかって話なら、多分一番は別のやつだと思うな」
それはくるみの想像から外れていたみたいで、きょとんと目を丸くしていた。
「私、気になる。どんなひと?」
「昔からの友達だよ。僕のことをあーくんって呼んで、やたら懐いてきてた奴」
儚げな美貌がたちまち曇るので、咄嗟にフォローをいれる。
「あっ。ほたるじゃないから大丈夫だよ? ほたるがそう呼んでくるのをそいつが見て、真似し始めたんだ」
ふむふむとくるみが相槌を打ち、それから少し考えるそぶりを見せたかと思うと、上目遣いで、小首を少し傾けて、再びこちらを見た。
「えっと。……あーくん?」
パンを危うく喉に詰まらせかけた。
一緒に買った、ビールを模したリンゴジュースで慌ててながしこむと、その様子を心配そうに見ていたくるみが春風のように笑い出す。
「碧くん。白いおひげ。可愛い」
「だ、誰かさんが慣れないこと言うから」
「いつも私ばかりドキドキさせられてるから、たまには仕掛けなきゃって思って」
「……うん。大成功だからちょっといったん落ち着かせてくださいお嬢さん」
あまりにもあざといと思う。けど確かあざといは漢字で書くと〈小聡明い〉で、くるみは賢いからきっと〈大聡明い〉になるべきでこの場合読み方は一体どんな風に——僕は誰に何を言っているんだろう? ちょっと混乱してきた。
お知らせです。
昨日9月14日はくるみの誕生日です。おめでとう!
お祝いにショートストーリーを近況ノートにアップしています!




