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第165話 王子様は振り返らない(1)



 七日後に学祭を控えた、週末。


 パレードでは自分たちの衣装は自分たちのクラスで準備するのが鉄則、というか暗黙の了解らしいのだが、くるみのドレスだけは手芸部へ依頼をして、フルオーダーで制作してくれることになっていた。


 くるみの美貌を引き立てるにはずぶの素人が見よう見まねでやるよりもスキルのある人に任せたほうがいいという判断の下で、この時期はとくに忙しい手芸部員たちも快く引き受けてくれたわけだ。


 その服が予定どおり届いたので、サイズが合うかどうかのチェックも兼ねての試着が今日の午後やることのメインだった。


 ——といいつつ一刻も早くくるみを着せ替え人形にしたい女子の意図が、後ろからひしひしと伝わるけど。


「ねえ。ここのリボンはこういう角度がいいと思う。いいよね?」


「それだと目立っちゃうからもうちょっと後ろのがいいかも? ほらこんなかんじ」


「ほんとだ。確かにこっちのがいいね。にしても羨ましいなぁ……どうやったらこんなに綺麗なスタイルになれるんだろ? 楪さんって霞だけたべて生きてるの?」


「やなちーその慣用句遣いようによっちゃ失礼になるやつ」


 ——扉に寄りかかって腕を組んで立つ碧は、時折うっすら洩れ聞こえる女子の会話を耳にしながら、静かに瞑目していた。


 いま後ろの被服室では、くるみがクラスメイトにお手伝いされながらドレスにお着替えをしている。


 そのドアの前で待つ碧は言うなれば、門番。


 鍵がないので、何かの間違いがないようにの見張りも兼ねて待っているのだ。


 しかしその番人ですら、彼女が扉一枚へだてたところで着替えているとなると妙に落ちつかない。まだ交際から二ヶ月足らずで手出しをしていない碧は下着姿なんてものも見ることもなかったのだから、内心の狼狽もさもありなんなのは男ならしょうがないことであり、それは彼も例外ではなかった。衣装が届いたという報せを受けたときに、くるみが「一番に碧くんに見てほしいの……だめ?」なんて上目遣いでおねだりするからどうしたって承諾する他なかったのだ。


 それを待つ碧は、ひと足先に騎士の服装に着替えている。くるみがしてくれた採寸結果を受け取り、クラスの制作担当の子が仕立ててくれたほうも丁度今日出来上がったからだ。


 貴族らしい深いロイヤルブルーと純白を基調としたスーツに、騎士だと分かりやすいようにマントを羽織って、それっぽい剣帯やら甲冑やらを身につけている。


 サイズがぴったりでお直しが必要ないことがわかったのですぐに制服に戻ろうとすると、今こそくるみ様に見せつける時だろと教室を追い出されて、そのままの格好でくるみを待つ羽目になってしまった訳で。


「ね。見てあれ。くるみ様の彼氏さんだよね」


「へえー。パレードに出るんだぁ」


 演劇に出るのか台本を片手に『レ・ミゼラブル』のコゼットみたいなぼろの格好をした人やら、大正の女学生のような袴やらが時代錯誤にその辺を忙しなく走っているので、自分も浮くことはないと思っていたのだが……想定外にちらちらこっちを見る視線の多いこと。


 裁縫してくれた子がちゃんと仕事を果たしてくれたことや他校よりお金をかけてもらえていることを踏まえても、予算の上限もあるので自分のぶんだけがとくべつ拘ったものというわけではないはずなのだが。


 ——くるみの彼氏だからって、まだまだ注目されてるんだよな。


 と、気まずさゲージがじわじわ頂点に達しようとしていたところで。


「秋矢くーん! はいってどうぞー!」


 どうやらお着替えが終わったらしい。


「くるみちゃんすごく似合ってるからびっくりすると思うよ……って、わぁっ! こっちもすんごいね。堂にいってるというか……さすが楪さんのナイトなだけある」


「まさかそれが僕の渾名だとか言わないよね?」


 扉を開けて出てきた女子がまじまじとこっちを眺めてくるので、蚊に刺されたようなむず痒さがある。それにいくらなんでもカップル揃って姫と騎士とか呼ばれるなんて恥ずかしい通りこして辛いものがあるので釘を刺しておきつつも、いちおうお礼は言うことに。


「けどそれが褒め言葉だとして、センスのあるひとに言ってもらえるのは光栄と思っておこうかな。ありがとう」


「あ。うん……なんていうか。くるみちゃんの気持ちが今わかった気がする」


「ぜんぜんよく分からないけど……じゃあはいるね」


 念の為ひとこと声をかけてから入室し、後ろ手にドアを閉めた碧。


 授業でもほぼ使われないこの教室は狭くて、どこか埃っぽく、段ボール箱があちこち山積みになっていて、まるで小人になって積み木の街に迷い込んだようだった。


 扉にガラスが嵌めてあるから、外の目隠しのために白いカーテンが閉められているので、それを開き、目が慣れるのに数秒待ってから歩き出す。そして街角を曲がった先に——


「あ……」



 白雪姫(スノーホワイト)が、はにかむように佇んでいた。



「!」


 ぱちっと一瞬だけ視線が交錯し、彼女のほうはこっちの騎士服に気恥ずかしそうに逸らしてしまったが、碧はそのまま目を奪われてから誰にともなくぽつりと言う。


「やっぱり白雪姫(スノーホワイト)なんだ」


「そーそー。おとぎ話だし、赤ずきんちゃんとかシンデレラとかいろいろ案は出たけどやっぱりこれだよねーってなって。もとの物語では結ばれるのは姫と王子だけど、今回は姫と騎士……つまり秋矢くんと並んだ時にバランスよく映えるように注文したんだよ」


 女子が説明するのを聞いてから、改めてくるみを見る。


 ——あえて言わせてほしい。誰がここまで本気出せと言った?


 これを仕立てた人の見立ては、およそ完璧と言うに吝かでない。


 やはりパレードではなんの格好をしているか一目で伝える必要があるからか、意匠としては定番の白雪姫のドレスになるべく忠実なデザインだ。


 有名なのとカラーリングはやや違うが、ふんわりと空気を抱いたような淡いシャンパンゴールドの袖と紺青のハイネックで、衿に慎ましやかに咲くのは白い蝶々結び。


 パニエに支えられた氷雪のようなパールブルーのスカートは、丈の長さからして高貴な深窓の王女というより、野原をゆく少女のような旺然としたかんじを表現しているのだろう。


 目が覚めるような真っ赤なリボンのカチューシャと、同じ真紅のころんとしたフォルムのパンプスがそれぞれ一番上と下で精彩を放っており、くるみ持ち前の妖精のように浮世離れした美貌も相まって、誰がどう見ても物語から飛び出した立派な白雪姫。


 すっかり時を奪われていると、手芸部の子が言う。


「うん、ぴったり。お直しは要らなさそうだね。ふたりとも鏡の前に立ってみてくれる?」


「あ……うん」


 はっとし、言われるがまま大きな姿見の前に立つ。


 いったい何が嫌なのか。くるみはもじもじと手遊びするばかりで動こうとしなかったので、手芸部の子が共感を示すように含み笑いをしつつ優しく肩を押し、碧の隣へと連れてきた。


 寄りそう自分たちを視界に収め、碧は思わず舌を巻く。


 まるで二つで一つ。同系統の色でまとめられていて、碧とくるみが隣あって並ぶことを前提にしたような組みあわせのデザインだ。


 なんだかちょっと照れるかもね、という気持ちで目配せしようとする。が、白雪は恥ずかしげに瞳を伏せるに徹して、鏡を挟んですら目が合わないのが少しもどかしい。


「わー……なんていうか絵になるねぇ」


「いろいろ打ちあわせとかしてがんばったかいがあった!」


「もっと眺めたいけど私たちはお暇しま〜す♡ あとはおふたりでごゆっくり♡」


 きゃーきゃーと口々に好き勝手な感想を言った挙句、余計な気を利かせた女子たちは退散し、ふいに二人きりに。


 おろおろと目を逸らし続けてたくるみは、もう逃げないと言わんばかりに小さく頷くと、慎重にこっちを見る。花を散りばめた髪は編んで二つにまとめてはいるが、その拍子に残された横髪だけが、染まった頬にさらりとかかった。瞳は恥じらいに潤んでいる。


「えと、あおくん」


「……うん」


 と、碧は頷いた。


「本物の白雪姫かと思った。小さい頃に妹に読み聞かせてた絵本を思い出したくらいだよ」


「そういう碧くんは、その……」


 ごにょごにょと感想を言おうとするも、最後まで続かずに口を動かすのをやめてしまう。


 あたたかく見守っていると、今度は言葉を継いでくれるかわりに再び目が逸らされた。


「あ……碧くんも! 騎士さんの服すごく似合ってる……ね?」


「うん。ありがとう……?」


 若干挙動がおかしいのは、普段こういった日常からかけ離れた服は着慣れないからか。


 初めて出会った時には事情により本物のカクテルドレスを着てはいたものの、ぱっと見はワンピースに近いものだったので、こういうのはまた勝手が違うのだろう。


 もじもじ小さくなったり、目があれば逸らされたりと、その照れ具合と頬の染まり度合いで言えば、白雪というよりもはや赤りんご姫だ。


 そういや物語には毒りんごなるものもあったな、なんて思いながら近寄ると、くるみが二歩ほど後退る。


 もう一歩近づくと、今度は三歩遠ざかる。


 今にも脱兎の如く逃げ出してしまいそうな様子に首を傾げた。


「怒ってる?」


「な、なんでそうなるの。ただ……こう、いつもと違うなって。碧くんじゃないみたい」


「僕だけど」


「そうだけどっ!!」


 マイペースに惚けたことを言うと、くるみがわっと自棄になったように返す。


「あはは……まあそりゃあ、日常からこんな格好してる男なんかいたらそいつは相当自分のこと大好きで酔ってるだろうね」


「もう。そういう意味じゃなくて……すごく、格好いいから。直視できないってこと」


「え、それは困る。だから今のうちに見慣れておいて」


 なんて言いつつ、当の自分はくるみの見目麗しさに慣れることはなさそうだけど。


「う……ん。そ、そうね。がんばって慣れなきゃ」


 頷くのと裏腹にこっちを見ようとしないのが妙に可笑しくて、おさげも相俟(あいま)って追い詰められたウサギかなんかみたいで、つい芽生えるのは悪戯心。


「ほら。どーぞ?」


 にやにやぐいぐい詰め寄ると、くるみはあっぷあっぷに溺れたように真っ赤に。


 それがまた可愛らしくてついせらせら笑うと、頬を風船にしたくるみにぺちぺち二の腕を叩かれる。どうやら窮()は猫を嚙むらしい。


「碧くんのばか。不敬」


「今のくるみ様にその台詞を言われると迫力あるなぁ」


「も、もう。そんないじわる言うなら、今日の夜はビーフシチューにしようと思ったけど私の独断でただのきつねうどんにしちゃいます」


「君の料理ならどっちでも大好きだよ、僕は」


 くるみはきょとんとした後、蜜を吸ったみたいにふにゃりと甘く柔らかに笑った。


「……ふふっ。もう、くいしん坊さんなんだから。それにしたって碧くんのそういうところって誰に似たりしたの? お父様とか?」


「どういうところ?」


「豪速球のストレートなところ」


「え? よく分からないけど、うーんどうだろ。父さんは……違うな。そもそも、ふらふら世界中勝手にどっか行っていつの間にか帰って来てるみたいな人だったから。ドイツに行ってからは僕らの世話もあるしさすがに定住だけど」


「ふふ……じゃあ先祖返り? それで言うとマイペースなところがお父様に似たのかな?」


「かな? まあ会えば分かるよ。ふたりで貯金できたら、近いうちドイツ行くんだし」


 するとくるみは僅かに頬を赤らめ、恥じらうように瞳を伏せた。


「どうかした?」


「べ、別に。ただなんだか一緒に旅行って……前々から決めてたはいたことだけど、いざ考えたらまるで……」


「ん? 何?」


「ううん。なんでもない」


 ぼそっと何かを言うので聞き返すも、明確な答えは返ってこなかった。


「やっぱりあなたって紳士っていうか……騎士さんっていうか」


「本物の白雪姫に、騎士なんてものは居ないけどね」


「そこはそうだねって言っておいていいのに」


 銀の鈴を転がすように喉を鳴らしてから、くるみは優しく言う。


「それはそうと、本当にぴったり。碧くんはお裁縫をしてくれた子にきちんとお礼をしてあげてね。すごくがんばっていたみたいだから」


 これは何でもなく、ただの気遣いだろう。そういうところでは嫉妬しないのがくるみらしいというか、まぁやきもち焼いたとしても碧にそんなつもりがないことは分かってて言ってるみたいだが——とにかく彼女の優しいところなんだよなと、思い頷いた。


「もちろんちゃんとお礼はするよ。女子がチョコレートで喜ぶのはずいぶん前に誰かさんが立証してくれてたからそれでいくつもり」


「あ。いけないんだ。そうやってすぐからかってくるの」


「そんなつもりなかったけど……甘いものが好きって別に女の子っぽくて可愛いからいいんじゃない?」


「だからって好きなだけぱくぱく口に運ぶ訳にはいかないもの。一秒でも多く自分の在りたい自分でいられたほうが人生の幸せの総量は多くなるし、私のばあいそれは万人に好かれることじゃなくて、自分を好きでいることだから」


 完璧に調律の行き届いた肢体で、穏やかにそう言うくるみは、まるで生きた証明書みたいだと思えた。


「そういうとこやっぱり努力家だよね、くるみは。けど明日くらいは少し羽目外しちゃってもいいんだからね」


「うふふ……そうかもね。ナイト様がエスコートしてくれるみたいですし」


 そっちこそからかってないか? と問おうとしたが、ふやふやと赤子のように頬を綻ばせる彼女を見て、止めた。


 代わりにまさしく有言実行とも言えるほどにか弱くて、守ってあげたくなるほどの右腕を取る。プリンセスグローブの端のボタンを片手で外し指をかけてするすると脱がせ、やがて現れた嫋やかな白いゆびに自分のそれを絡ませた。


 ぱちりと瞬きをするくるみに、ふにふにと握って笑いかける。


「文化祭巡りできるのは三時間だけだけどさ。その三時間が待ち遠しい……っていうか、くるみと一緒にいれるなら二十分でも十分でも、僕にとってはすごく貴重だしさ」


 だからたのしみだね、明日のデート。


 そう言うと、くるみもその言葉が染み込んだように幸せそうに目尻を下げる。


「……うん。それはほんとうに、私も同じ気持ち」


 そっと身を寄せてくるので、碧もそれを受けいれるようにしばしの間、静かに寄りそいあった。


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