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第164話 とある昔々のお話(2)



 一年遅れだったが、湊斗は早めに主力の選手として抜擢された。二、三年のメンバーが少ないのも幸いしたと思う。堅実に続ければ来年には再びエースだって目指せそうだ。


 つばめもまだ雑誌のすみっこに小さくといったかんじだが、順調にモデルとしての仕事を獲得して、それに比例してどんどん大人びて可愛くなっていって。ふたりの日常はとたんに慌ただしくなったのだった。


 他校との練習試合のときはつばめは必ず応援に来てくれて。


 そういう時は一段と気合いが入って、先輩からはよくからかわれる羽目になって、けれどまんざらじゃなくて。


 自分を信じたい——その言葉の意味が、やっとわかったような気がした。


「いい曲だよね。これ」


 晴れた屋上のじべたに、二人は並んで座っていた。


 ワイヤレスが主流になり、今時古いと言われる有線のイヤホン。


 それを片っぽずつ耳に嵌めて、馴染みの曲を聴きながら。


 隣の少女はかすかに歌詞を口遊みながら、遠くの空をなぞる飛行機を見送っていた。


 何年か前つばめが好きだと言っていた BUMP OF CHICKEN の『宝石になった日』——なにげなく言ったであろう本人は、湊斗がつばめとの会話を細かに覚えていることに気づいていないんだろうけど。


「ねえ。湊斗って好きな人いるの?」


「何だよ。やぶから棒に」


「そういえばこういう話したことないなーって思って」


「別にー? いないけど」


 ただの他愛のない会話の延長線として返す。


 その頃の幼い湊斗は、こういう時人間は自分が話したいことを相手に尋ねるものだ、という鉄則の存在を、まだ知らなかったから。


「……そっか。私は好きな人、いるけどね」


 彼女が何を言ったかよく分からずに、ぽかんとしてしまった。


 つばめは悪戯っぽく笑いながらイヤホンの片われを引っこ抜いてきて、近づいた距離のぶんシトラスの香りが押し寄せて、それすら訳もわからないまま、ずきずきと傷が生まれたように心が疼く。


「いるって……いつから? どんなやつ? 誰だよそれ」


「あはは、湊斗お父さんみたい。けど残念ながら秘密かな。あ、ヒントならあげる」


「何だよ」


「世界一格好いいひと。かな?」


「……へえ」


 好きな人とやらを思い出したのか、つばめがえへへとはにかむ。


 輝く瞳は、きっとどこまでも本気で。


 それから一瞬遅れて——この未熟な初恋が成就しないことを同時に理解した。



『じゃあ俺はつばめの一番のファンになってやるよ』



 芸能界に片足を踏み込んだつばめはもう一般人じゃない。


 彼女のまわりには、格好いい人はいくらでもいる。


 湊斗が知ることのできない華やかな世界で、たくさん交友を広げているはずだ。


 現に、仕事で関わった記念なのか、湊斗もどっかの雑誌で見たことのあるイケメンのタレントとのツーショットをSNSに載せていた。コメントでもやりとりしてた。ファンにお似合いだなんて囃し立てられてた。


 ——けど、俺はそうじゃない。


 見た目もたいして格好よくなければ、一度情けない挫折もしているから中身だってたいしたことない。出来てせいぜい運動なのだが、小学校の時のあれは井の中の蛙だっただけだ。上を見ればきりがない。


 彼女に想われている奴が、心底羨ましかった。いつか自分のポジションを奪い、彼女の隣に相応しいひとが出てくるのを想像すると、嫉妬でどうにかなりそうだった。


 その頃から親が、大学を出たら自分たちのカフェを継いでほしいなんて言ってきたのも、焦りに拍車をかけていた。こんな東京都のすみっこの小さな町で燻ってたら、それこそ前に進んでいくつばめに追いつきっこないのに。


「ねえ。湊斗って高校どこ受験するの?」


「つばめがそれ聞いてどうすんの」


「私もそこにしよっかなって思って。家も近ければ学校も同じで……なんかここまで一緒だと、高校も一緒がよくない?」


 ——好きな人がいるなら、誰彼構わずそんなこと言うなよ。


「俺、死に物狂いで偏差値高いとこ行こうと思う。だからお前には無理」


「あーほらそうやってすぐばかにする! 湊斗にできるなら私にもできるから!」


「……無理だよ」


 こんな感情を持て余したまま、湊斗は努めていつもどおりつばめに接して。


 夏の残照が、人生のほんの序章を淡く浮かび上がらせる様は、まるで祭囃子にはしゃいで振ったラムネのようだ。きらきらと光そのものみたいに濡れた噴水は、甘くて青くて、けれどほんの少し酸っぱくて。



 そうして——あの事件が起きたのは、中学三年生の夏だった。


                *


 それは地区予選の前日だった。


 少なくとも始まりは、いつもどおりの朝だったと思う。


 三年には、部活の引退が迫ってきている。


 平凡な公立中だったから全国優勝はさすがに夢のまた夢だけど、だからといって手を抜かない訳じゃなくて、全力を出していけるところまで健闘して、後ぐされなくすっきり受験に切り替えたいと思っていた。


 だから二人とも勉強もしつつで、間もなくに控えた試合に向けて練習に打ちこんでいて、特につばめは仕事との両立もあって二倍忙しかったのだが、それが引き鉄になった。


 深夜までシャーペンを握り、練習のため早朝に家を出る。控えた撮影への追いこみと食事制限、それゆえか。


 駅のホームから下りようとしてつばめが階段を踏み外し——それを湊斗が庇ったのだ。




「……湊斗」


 残り二段だったので幸い骨折もなく、ただ足首を捻っただけ。それでも運動は禁止され、家でごろごろしているうちに安静命令が解かれたので二日ぶりに学校に行けば、つばめが泣きそうなくらい表情を歪めていた。


 もちろん大会には出られずじまいになったが、怪我自体は別に大したことはない。落下したのは残り数段だったし、捻った足もきちんと動く。


 湊斗としては、仕事柄スケジュールに穴を開けられないつばめが何事もないなら、それでよかった。


 ——けれどまわりは違った。



「私、先輩のことずっと好きでした。つきあってくれませんか?」


 知らない二年生に急に屋上へと呼び出されて、何かと思えば、告白が飛んできてまごついた。相手の子もよく知らないのできっちり断ったのだが、その次が問題だった。


「……それってやっぱり、つばめ先輩のこと好きだからってことですか?」


「は?! なんでそうなるんだよ」


「好きだからわざわざ怪我をして庇ったんですよね? じゃないと説明つかないです。そうでないならつばめ先輩がおかしいです。モデルで怪我ひとつ命取りなのにバスケなんかして。あまつさえ男子と一緒に登校してるって。仕事意識も低いですし」


「おい。今あいつは関係ないだろ。それに……」


 雑誌のモデルは、男子禁制の偶像じゃない。そんなこと今の自分の立場でを説明しようとしたところで、やぶへびなだけだと気づき、その隙に後輩の女の子がヒートアップしてさえぎる。


「じゃあ好きって認めてくださいよ! うちら二年の間でもうわさなんですよ。先輩たちがそういう関係だって」


「何をそんなむきになってるんだよ」


「だって……そうじゃなかったら、助けたのがほんとにただの気まぐれならっ。大事な引退前に怪我をする必要も、エースが不在で初戦で負ける必要も、私が今振られる必要も、ぜんぶなかったじゃないですかっ!! 認めてくれたらこんな結果も呑みこめたのにっ!」


 激情をぶつけられて——冷や水をかけられたように、ぜんぶぜんぶ、理解できた。


 自分が怪我を理由に家に引きこもっていた数日間に、つばめが学校で何を言われて、どんな気持ちの日々を過ごしていたのか。


 照りつける太陽を見上げ、今日は暑いな、と他人事みたく思った。せめて遠くの空でごろごろと遠雷が鳴って、大雨でも降ってくれればこの気持ちの代弁くらいにはなったのに。空は凶々しいほどに青いままだ。


 ——今俺に何が言える? 責められたつばめを庇う言葉? あいつは関係ないと突き放す言葉? どうしたらあいつに矛先が突きつけられないで済むんだ?


 中学生は幼くて拙くて残酷だ。互いに傷つけて傷つきあって。三角形に囚われてもがきながら、なおひとつの正しい頂点すら選べなくて。


 もし運命の相手につながる赤い糸が本当にあるとして、それが初めから目に見えていたなら、誰も傷心せず済むはずなのに。


 それでも糸は見えなくて、自分たちは未熟で青くてばかみたいに真っ直ぐで必死な生き物だから、この時の湊斗はこう叫ぶしかなかった。


 そう今でも思っている。



「……関係ねえよ。俺とつばめがなんか、ぜったいあるわけないから。今までもこれからもずっと……好きな訳ないから!」



 この気持ちは伝えないという宣言を。


 青く愛おしい、呪いの(くさび)を。


「あいつはただの幼なじみ」


「……」


「家が近くて、親に頼まれてるからついでに一緒に学校に行ってるだけだから」


「……」


「今後もそれはかわらないよ。……暑いしもういいだろ」


 何年も前にとっくに期限切れになったはずの言い訳を引っぱり出した直後の、後輩の呟きは風の音にかきけされてもしかたないほど小さかったのに、明確に耳に届く。


「……つばめ先輩はきっと、湊斗先輩のこと好きなのに」


 え、と口から音が零れ落ちて、けれど——その瞬間、後ろに見つけてしまった。


 きっと探しにきてくれたのだろう。屋上から校舎の階段へとつながる扉の後ろで、つばめがこちらに歩み寄ろうとした足を止めているのを。


 一体どこから聞いていたのだろうか。


 けれど聞くまでもなく、足が大地に突き刺さったかのように動かずうつむき、こっちに来ないのは、それ自体答えあわせのようなもの。


 後の祭りという言葉が似つかわしいのは、今も昔もこの時くらいだ。


 その表情を見る勇気は、なかった。


 ——ああ、完璧に嫌われたな、これ。


 空々しいセミの合唱に耳をぐわんぐわん揺さぶられながら、そう思った。



 

 翌日はぎこちなかったけれど、何故かいつもどおりに話すことができた。


 一日が終わって振り返って、つばめがそういう風に振る舞ってくれたからだと気づいた。


 自分の醜さを、甘さを、狡さを、彼女に押しつけてしまっていることは承知している。


 けど彼女が、何も聞いていないふりをしてくれているから。


〈今までもこれからもずっと〉


 その宣告どおりに、自分もこの気持ちを秘めて生きていくことになるんだろう。


 後悔なんか、するわけないのにと思っていたのに。



 ——高校二年生になった今も、俺はあの頃から抜け出せないままでいる。



お知らせです。

本編との温度差で申し訳ありませんが

本日9月6日はくるみと碧がつきあった記念日です。おめでとう!

お祝いにショートストーリーを近況ノートにアップしています!

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