第162話 白雪姫は眠らない(3)
昔、なぜ山に登るのかと問われて、そこに山があるからだと答えた人がいたという。
回答としてはとんと的外れだなと思いつつ、自分も同じだから否定は出来なかった。
なぜつばめとよく絡むのかと問われれば、そこにつばめがいるからだ、と答える他ないからだ。
それくらい湊斗にとって、幼なじみはいて当たり前の存在だった。
空気みたいにいつでも一緒にいて、けどこの停滞した関係からは決して先には進まないし、戻りもしない。その事に後悔もしたくない。
——たとえそれが、自分が彼女に押しつけた甘さと罪深さの結果なのだとしても。
あの後、おしどり夫婦なぞと呼ばれる親友たちと別れたふたりは、駅へ歩いていた。
「湊斗、帰る時間いつも独占しちゃってごめんね。私もいちおうきっぱり断ってるつもりなんだけどね」
隣を歩く少女はこちらの表情をうかがうように言った。
つばめのことが好きな仕事仲間の男の話だろう。
会ったこともないその存在にもやもやした複雑なものを抱きつつ、それを悟られないように明るく返す。
「いいよいいよ。つばめはどっか寄りたいとこある?」
「今日は疲れたし寄り道はしなくていいや。なーんか雨降りそうだしさ」
確かに、さっきまではあんなに晴れていたのに、空の雲行きは怪しかった。
「傘ある?」
「ない。いれて」
「俺もねーよ」
「だよね。天気予報の嘘つきだもんね今回は。そしたら最悪、走って帰ろっか」
なんとなしに隣のちびっ子を見る。
有名になるのを夢見るモデル。けれど、こうして並んでみるとただのつばめだ。
幼なじみ、あってる。近所のよしみ、あってる。友達? 多分あってる……と指折り数えていると、視線に気づいた彼女が明るい調子で尋ねた。
「碧とくるみん、つき合い始めてからも順調にいい関係が進んでるってかんじだよね」
「うん。ちょっと浮かれ気味なとこはあるけど、あいつがしっかりそういうことに踏み出せたことが俺はうれしいよ」
まるで遅延してなかなか来ない電車を待っているような焦れったい関係を見守り続けてきたからこそ、それは正しく本心だ。
と、そんなことを言ったところで、ついさっき見た光景がふと引っかかる。
「ふたりと言えばつばめ、さっき別れ際に碧となんかこそこそ話してなかったか?」
差しいれのフィナンシェをごちそうしてもらった帰り、くるみも湊斗も見ていない隙にほんの十数秒なにか言葉を交わしていた気がしたのだ。
「んれ? もしかしてやきもち? 大事な友達を私に取られるのがそんなに嫌〜?」
「おいアホ」
つばめは冗談だと笑いながらも教えてくれた。
「えへへー。ただね、碧がいろいろ思い詰めていることがありそうだったし『くるみんすっごくがんばってるから学祭が終わったらいっぱい労ってあげてね』って言っただけだよ。うん、本当にそれだけ」
「出し物の話か?」
「うーん。湊斗とはいえ私はからこれ以上は言えないんだぁ。口止めされてるもん」
「口止め? ——……あぁなるほど察した。言っちゃえば共犯者ってことか」
「そ! 碧にはぜったい内緒だからね」
へえと湊斗は唸った。くるみも印象からして控えめな少女と思っていたのに、その実、そんな秘密の計画を練っているあたりなかなかどうして策士というか、行動力があるというか。要するに、それほど相手が好きだからこそ——ということだろう。
あいつも愛されてんなぁと頬を弛めればつばめが委ねるように言う。
「まぁふたりは大丈夫じゃないかな。湊斗、前は心配してたけどさ」
「……そうだな。俺が偉そうになんか言えるような奴じゃないしな、もう」
それぞれの人生に於いてかけがえのないものを探し当てた二人を想う。
たったひとつ見つけた解へと最短距離で突き進み、努力が実を結ぶとは、どういう感覚なのだろう。
確かに彼らの関係に交友があることを初めて知った頃はまだ、相手を手探りで探ろうとする危うさが、ふたりの本当の気持ちがわからない故の硝子のような脆さが見えた。
けれど今は互いを掌中の珠のように大切に思いやり、ずいぶんとしっかり信頼関係を構築して前へ進んでいるようだ。湊斗たちよりもずっと先へと。
対して自分たちは……
「ところで最近この近くで猫カフェがオープンしたんだって! 友達から教えてもらったんだけど、学祭が終わったら映画撮影のひとたちも誘って行ってみない?」
考え事をしていたせいですぐに返事ができなかったのを、怪しまれたのか。
「……湊斗? なんか気になることでもあった?」
「え?」
「ぼーっとしてたから」
「ああ、ちょっとな。ただ考えてたんだよ。……今の俺らって」
——ずっとこの関係のままなのか?
脈絡もなくそう尋ねてしまう前にぶんぶん首を振ってやるせなさをひた隠すと、つばめが不思議そうにしてから、にへらと笑った。
「言いたくないならいいよ。けどなんかこうして二人で帰ると、昔に戻ったみたいだね。湊斗は覚えてる? ほら中学の時の帰り、自転車の荷台に乗せてくれたこと」
「確かそんときだっけ。つばめがモデルになったよーって報告してきたの」
「へー。よく覚えてるねえ湊斗」
「いやそこが一番大事なとこだろ、忘れるなよ」
そう笑い飛ばしながらも、ふと気づく。
儚く青く呪いみたく刻まれた中学時代の記憶が、ほの昏い水底から幽霊の思念のように浮かび上がってくることに。
——忘れるわけが、ないのだ。
湊斗が雁字搦めになって動けなくなった、冷たく残酷な夏の日のことなんて。
本編からの寄り道ってほどでもないですが、次回は湊斗の話が挟まります。




