第104話 お出かけの行き先は(4)
その後は約束通り、くるみに似合う服を選ぶためにショッピングモールにやってきた。
連休ということもあり混雑しているので、はぐれないようにしっかり手を握ってフロアを進む。
女の子の転倒に備えたマナーとして、碧が下に来るようにエスカレーターに乗り込むと、くるみが上からそっと手を伸ばして碧の髪にさわさわとふれてきた。毛先だけを弄るのは、整えた髪を崩さないように気を遣ってのことだろうが、それが余計にこそばゆい。
「早速やりたいことリスト達成してる人がいる」
「ふふ、碧くんが私より小さく見える」
「そりゃそっちのが一段高いんだしさ」
「碧くんも半年でずいぶん身長伸びたものね。けれど今は、なんだか撫でたくなる高さってかんじ」
確かに最近は、くるみと目線が同じ高さで合うことはほぼない。大抵は向こうがこちらを見上げるかたちになるが、今は甘い果実を思わせる瑞々しい唇が目の前に来ており、何だかどきどきしてしまう。
実は一年の秋から起算すると五センチほども伸びている。多分、というか確実にくるみの料理のおかげだろう。もともと平均並みだった身長だが、おかげでその辺の男子高校生の中では大きな方だと自称できるくらいにはなっていた。
高身長を鼻にかけて何かといじってくる湊斗に報復できるのも、わりと現実味を帯びてきているかもしれない。
なんて考えている間もずっと真っ白な掌が、人目につかないように陰でこちらの髪をさわさわし続けるのには突っ込んだ方がいいのだろうか。
「それ、外でされるの恥ずかしいんだけど」
「家ならいいってこと?」
「言葉の裏を読むのよくない」
「私は碧くんのここに書いてあるのを読んでるだけです」
もう一方の手で頬をうにうにされた。そんなに家でも撫でてほしそうな表情をしていたのかと思うと、若干自分の浅ましさにげんなりする。
もふもふと丹念に髪にふれられるのが存外心地よいのは相手が好きな人だからだろう。外だからポーカーフェイスのキープを意識しているが、これが家だったらもっと締まりなく弛んでいたに違いない。
短いようで長く思えた、あるいは天国と地獄みたいなエスカレーターを降りて目的のフロアに到達する。
くるみの洋服を見るという名目なのでファッション系統の店が揃ったフロアなのだが、最初にくるみが碧の手を引いて入ったのは、つばめも春休みのお泊まりの時に着ていたルームウェアショップだった。
「くるみさんの見繕ってほしい服ってまさかパジャマ?」
「ち、違う! それはそれで嬉しいけどちょっと恥ずかしいというか……じゃなくて! 私ここのブランド好きだから、買い物の予定なくてもつい見ちゃうの」
「ふうん……ここって男物もあるんだ。これとか僕似合うと思う……わけないか」
丁度目の前にあったダルメシアンの着ぐるみパジャマを鏡の前で当てがうと、隣の少女の肩がぷるぷる震えた。
どうせ笑うなら思い切り笑ってほしい。
「ふふ。ううん、案外ぴったりかも。まあ私はこっちの方が似合うと思ったけど」
くるみが手に取ったのは、もふもふの狼のような動物が描かれたプルオーバーだ。何となく、デザイナーに犬好きが多数いる気がする。
「独りだから一匹狼って言いたいんでしょ」
「これはハスキーじゃないかしら。けど狼って実は愛情深い生き物だから、そういう意味ではやっぱりぴったりかも。碧くんはお友達は大切にする人でしょう?」
「まあそうだけど。湊斗が泊まりに来た時ぜったい弄られるよ、これ」
結局両方のハンガーをラックに戻した。くるみは残念そうにしていたが。
彼女が色々と見ている間に商品棚を見渡してみる。パステルブルーを基調とした店内は女の子向けだと思っていたが、やはりメンズアイテムも揃っているらしい。たとえば丁度目に入った深いモスグリーンのハンカチなんかは、テディベアの刺繍が小さくワンポイントで縫われつつ、男女問わず使えるようなシンプルさが売りのようだ。
「くまさん? 碧くん、それ買うの?」
手に取ってじっくり見ていると、ひょこっと横から視界にくるみが現れた。
「これ手ざわりよくていいなって思って。男が持っても可愛すぎず値段も手頃だし」
素直に感想を述べると、何故かおずおずとくるみがうかがうように切り出してくる。
「碧くんが買うなら……私もそれ……買ってもいい?」
「……? うん」
「い、いいの?」
驚きを見せるくるみが不思議で、碧は首を傾げた。
「どうしてそんな驚くの?」
「だ……だってお揃いってことになるし……碧くんは嫌だったらどうしようって」
ごにょごにょと小声でぼやく彼女がまだ不思議だったが、とりあえず首肯した。
「別に嫌じゃないけど。いいんじゃない? お揃い」
「……! じゃあ早速お会計に行こう!」
「そんなに慌てなくてもレジは逃げていかないよ」
子供のように屈託のない笑みを浮かべながらキャッシャーの方にぐいぐい手を引っぱっていく彼女を、誰か一緒のものを持つのってそんなに嬉しいことなんだ、と眺める。
女心は分かる方じゃないが、けど彼女が喜んでくれるなら何だっていいと思えた。
会計を終えた後、今度は近くにあるショップで夏服と靴を眺めていた。
ショーウィンドウにくるみに似合いそうな可愛いワンピースが展示してあったので碧がこの店を選んだのだが、ラックに掛かるややカジュアル寄りの商品達を見てもセレクトは間違ってなかったと言える。自分の見立てが合っていれば、くるみはこういう系統でもきっと似合うことだろう。
「うーん……どれがいいかなぁ……」
棚を前に真剣に見比べるくるみ。
夏に向けたサンダルが並んでおり、どれも涼しげながら華やかなデザインをしている。ただお洒落にさして関心がない碧からしたら、まず手が出ない値段をしていた。
——こんな高い靴履いてお出かけなんて女の子ってすごいなぁ。
ちなみに今のは値段とヒールの高さをかけたのだがお分かりいただけただろうか。
何てしょうもないことを考えながら彼女に似合いそうな靴を探していると、
「これとかどうかな? 碧くんは私に似合うと思う?」
くるみが指差したのは、夏らしいアイスブルーのサンダルだった。足の甲のところに白い繊細な花があしらわれており、ヒールはやや高め。これを履いてばっちり衆目を集めるくるみの姿が想像つく。
「色白だからそういう淡い色合いだと肌に映えていいんじゃないかな。それでいうとこっちの靴もよさそうかも」
もうひとつ似合いそうなのを勧めてみるも、彼女は尚も吟味するように、ブルーのサンダルを色々な角度から見つめている。
「ううん……どちらかといえばこっちがいいかも。こっちのほうが高さがあるから」
「? そんなに気にするほど身長低くないでしょ?」
碧が不思議がると、くるみはまたもやゆるりと首を振る。
「身長を気にしてるわけじゃなくて」
「じゃあ何?」
「……だって。ヒールが高い靴を履いた方が……碧くんにもっと、近づけるでしょう?」
いじらしい上目遣いに、ぐっと心が揺らいだ。
すごく可愛くて健気なこと言われている、と自覚すると途端に頬が熱を孕む。
だから、毒にも薬にもならないつまらない返しをするのでせいいっぱいだった。
「けど……転んだら危ないよ」
「大丈夫。だって女の子がヒールで背伸びするのって、お洒落のためでもあるけど、本当は……隣を歩いてくれる人に、転ばないようにって、手を差し伸べてもらうため、とか……も、あるかもしれないし」
僅かな羞恥で声を震わせつつまごまごとした口調で呟いた後、おずおずとこちらを見上げてるくるみに、碧はきゅっと唇を結ぶ。そんないじらしい誘い文句を、ナチュラルに言って許されるのは彼女くらいだろう。
「ぺたんこの靴でもちゃんと手は握ります」
「そ、れに……エスカレーターに乗らなくても、なでなで出来るかも、しれないし……」
「お嬢さんは天下の往来でそんなことするつもりだったの?」
「あ。家でもしたいから、厚底のスリッパとか探さなきゃいけない……?」
「珍しくぼけた」
「私本気で言いましたもん」
二人してけったいな会話をしていると、にこにこした店員さんが寄ってきた。
「そのサンダルいいですよねー! 夏の新作なんですよ! 私も同じものを——」
振り向いたくるみを視界に収めた店員の言葉が尻切れとんぼになったので、碧は次にどんな言葉がくるかある程度予想がついた。
「ええっすっごく可愛い! モデルさんとかですか!? 雑誌とか載られてます!?」
ビンゴである。
「くるみさん。ほらこれ試着してきなよ」
「え? う……うん」
こういうのは慣れっこらしいがやはりぐいぐい来られて困った様子のくるみに、さっきから目星をつけていた服のハンガーを押しつけ、試着室に誘導する。
カーテンが閉められたのを確認して近くのソファにどっさり沈み込むと、惚けた様子の店員が目をハートにしながら話しかけてきた。
「彼女さんやばいですね! いろいろ可愛すぎませんか?」
「はあ……確かにそうですね。僕には勿体ないくらいです」
彼女と呼ばれたことを否定しなかったのは、ちょっとした出来心である。
待っているあいだ所在ないので近くの棚を見てみようと思ったが、周りのお姉様方から、どうしてか見守るような生温かい視線が向けられてきたことに気づいた。
なんだか居た堪れない気持ちになっていると、
「お待たせ、碧くん。どうかな……?」
後ろでしゃっとカーテンの開く音が聞こえたので何気なく振り向き、言葉を失う。
くるみに渡したのはベールのように柔らかな純白の羽織り物と、ピスタチオカラーをしたオフショルワンピースの組み合わせだ。
後者は南国の島に女優が着ていくイメージしかなかったのだが、持ち前の美貌とスタイルの良さで驚くほどに様になっていた。
清楚さと上品さが強調されていて、なのにほどよく透け感のある素材だから夏らしい色香と涼しげな様子を醸し出している。こんな格好でアマルフィ海岸かミコノス島にでも行けば、きっと海辺の天使になるのだろう。
「ぴったりだね。いつもより夏めいて爽やかだし、くるみさんは派手なのよりそういうシンプルなの方が、素材の良さを引き立てていいと思う」
「あ……ありがとう」
見たままの感想を返したのだが、誉め言葉の集中砲火を受けたくるみはきゅっと唇を結んで、恥じらうように瞳を伏せてしまった。
その様子があんまり可愛いから、またも近くの客や店員が惚けている。
「……私これ買うわね。碧くんが選んでくれたお洋服だから、今年の夏は毎日これを着ることにする」
「いやおおげさ。けど決まってよかった。ほら、着替えておいで」
財布を鞄から出しつつ、近くの店員さんに新品をおねがいしますと声を掛けると、くるみから慌てて止められた。
「駄目っ! 私が自分で買うから大丈夫!」
「けど僕が選ぶって約束だったし。一緒に旅行するために貯金なんでしょ?」
「お小遣いの使い道はきちんと計画的に考えてるし、この服は私が勝手に碧くんに可愛いって思われたくて買うものだから、碧くんが払うのは駄目なの」
「わ、分かった」
びしっと店の外を指差すのは、そこで待っておけという合図なのだろう。
言われた通り外で待つことにしたが、その間も妙に生温かい眼差しに包まれ、どうも調子が狂ってしまうのだった。
三月のダブルデートは日傘持参だったのにくるみさん今回持ってきてないのは、碧と手をつなぎたいからです。
今回もお読みくださりありがとうございます!




